2004年11月の日記 連絡先(e-mail)
2004年10月の日記

20041130 暑い一日
 朝、玄関を開けるとドアの下に大きなナメクジがついていた。ナメクジは苦手なので、雨季に借家の内外で彼らだけは増えて欲しくない。昨日、ムルングシ村から人が来て庭を電動芝刈り機で刈ってくれたので、使用人達はこれで蛇の出る恐れが減ったと言っていた。

 オリバーは結婚式の準備で忙しく、披露宴でコーラを出すために今日は空き瓶を集めに行くそうだ。

 自分でNSCに向かい、少しだけチョンゴ氏と Mongu ワークショップの打ち合わせをした後J***事務所へ行った。VAT(付加価値税)免除書類を受け取ったり、10日の Kabwe ワークショップの打ち合わせをしたりした。結局、8日に Monguから戻って9日の夕方 Kabweに向かいそこで一泊することにした。

 VAT免除のPurchase Order を持って、タウンで2軒、ノース・ミードで1軒、マンダ・ヒルで1軒のお店に回った。タウンは暑く、通りは人が多かった。最初にインクジェット・プリンタ用のカートリッジを買ったが、お店の人は、売り物のカートリッジの包装を全部開けて、カートリッジそのものにマジックで何か書いていた。どうやら盗んだ物ではないという証明と盗まれた時に持ち主を証明するサインのようだが、そこまでしなくても…。

 2軒目のお店では、頼みもしないに前回と同じ商品の見積書をもう一度作ってくれた。日本語なら「勉強しておきましたよ。」というところか、確かに前回より安い見積もりだし、5セットまとめて買うならさらにもっと値引きしますという料金まで書いてあったのだが、どうもありがとう。

 最後の game では、先日壊れたジグソウと引き換えに貰った money voucher を支払いに使った。VAT免除でかつ voucher を使ったので支払った金額は値札の半分ほどだった。

 しかし、暑いし、重い荷物もあったりしたので、借家で軽食を食べた後少し昼寝をした。朝からお腹を壊していたり、前腕の肌がまた腫れたりしてきたから、無理をしない方がよさそうだ。

 起き上がってから、12月、1月、2月の家賃をムルングシの事務所に小切手で支払いに行った。しかし、領収書の束が無いので受け取れないと言われたので、16時過ぎにまた来ることにした。

 NSCに戻って荷物を降ろして整理をするとすぐ16時、またムグングシに戻って支払いをすませて今日は終わり。

20041129 出張書類提出
 オリバーは結婚の登録に行くための領収書と、披露宴の仕出しの領収書を見せに来た。今日はそういった手続きで忙しいのだそうだ。

 ムエンベは長男の就学の手続きの為、車庫周りを掃除したら出かけたいと言った。いずれも了解。

 昨晩、研修会や出張に向けて準備したので、今日の午前中はNSCでそれらの資料を修正しながら提出用や印刷原稿にしあげることができた。

 隊員の方からいただいた100枡計算は一応全部の種類を5回分ずつ打ち出した。研修会参加者用にそれらを印刷したい。

 シニア・オフィサ達に研修会に向けての提案を提出したが、チョンゴ氏は違う意見だったので、水曜日の最終的な打ち合わせでまた議論するかもしれない。自分としては、参加する全部の先生方が理科、数学、技術の全部の研修をしてもよいと考えているが、チョンゴ氏はトレイニングを受けた教員が集まるので、分野を特化した方がよいと言う。

 お昼に借家に戻ると、ムルングシにレターを書いてお願いしておいた芝刈り機が活躍していた。正面も裏庭もすっきりした。オリバーとムエンベは2週間ほど前に庭で茶色の大きな蛇を見たそうなので、草は短くしておかなくてはならない。

 J***事務所で5日からの西部のMongu, 16日からの北部のKasama 方面への出張書類等を提出した。出張は、いずれも3泊4日、Kasama はLusaka から850kmもある。チョンゴ氏によると、これをずっと自動車で行くのだ。それと10日は中央州のKabwe の予定である。

 15時から帰国する隊員達の報告会。最終回は出張で参加できないので、今日が聞ける最終回。いずれも理数科教員隊員で、参考になることが多かった。

 政府の学校とコニュミティー・スクールの違いや、政府の学校には4種類のランクがあって、ランク毎に教員の給料が違うことなど、初めて知る事が多かった。政府系の学校では9歳を超えると就学の希望があっても basic school が受け入れてくれないとか、1〜7年生までは就学は無料のはずなのだが、PTA費と制服代がまかなえない家庭の子供は学校に入れてもられないなど驚く事が多かった。他に、政府系の学校は8・9年生の授業料で事実上賄われていて、政府からの助成金は四半期ごとに入るはずなのだが、いつも遅れていてあてにならないようだ。ウーン。

20041128 日曜日
 昨日中にシーツを洗ったり、ご飯を炊いて冷凍したりしたので、朝の雑用は無し。そこで、今朝は8時少し前にタウンへ向かった。まず、ルサカ・ハードウェアでネジ釘や蒸留水、バッテリー用の希硫酸(どれも実験のデモに使います)などを購入した。その後タウンにある文房具店で見積もりを取ろうとしたが、どこも日曜で休みだった。でも、マーケットで鍬に使うずっしりと重い柄を買ったので、エルビスに頼んで木刀に加工して貰うつもりだ。

 次に、マンダ・ヒルに行って12月5日からのMongu出張に備えて買出し、殺虫剤やティッシュにトイレットペーパー、消毒用のウオッカ等を買ったのだが、クリップを買い忘れた。その後、Gameに寄った。

 Gameでは一月程前に買ったジグソウを持ち込んで苦情を伝えた。先週金曜にオリバーがそのジグソウで作業していて発熱とスピード低下の症状があった。彼の作業後にジグソウが冷えてから自分でスイッチを入れたが、回転が上がらず、すぐに異臭と発熱があった。そこでGame のCustomer service に持ち込んで事情を説明したら、店員がすぐにコンセントに差し込んで試してくれた。数分もまたずにジグソウは白煙を上げ始め、誰が見ても使用不能だった。

 そこで、ちょっ待たされたが女性の係員が money voucher を発行してくれた(現金では無いが商品券による払い戻しだ)  続けてgameで見積もりをとったり、アーケイドで買い物をしたりしてから借家へ戻った。

 タウンで、水道のフレキシブルチューブを買ったので、借家で漏水があったトイレの同じチューブを取り替えようとした。しかし、水洗トイレのタンク側にはチューブの端にあるナットがピッタリ入るのだが、水道管側には入らない!じっくり管を見てみると、給水側のネジの直径が大きすぎる事に気がついた。チューブの両側には同じサイズの雌ネジしかなので、排水側の雄ネジも給水側の雄ネジも同じサイズでなければならないはず!ウーン。これでは直るはずありません。

 午後は、NSCで書類作業。11月末日までに提出しなければならない第4四半期の申請書を作ったり、ワークショップ実施上のアイデアをまとめたりしてあっというまに夕方になった。その間に一度夕立があった。

 夜も、VAT(付加価値税)免除書類をつくったり、ワークショップに関するプロポーザルを作ったり、庭師に頼まれた芝刈り機の借用レターをつくったりした。そんな作業をしていたら12時になってしまった。

20041127 土曜日
 明け方、すごい花火の音を聞いて、うるさいなと思ったが、それは雷の音だった。早朝に降雨があることは珍しいらしいが埃がたたないくなったのはうれしい。

 午前中は日本人子女の勉強会。今日は小学生に先日隊員から紹介された百マス計算をやらせてみた。基礎計算力を育てるのにとても効果がありそうだ。12月の研修会でもザンビアの先生方に紹介したい。

 今回が二学期の最終日。簡単な終業式があった、その式場で、J***事務所のI所長は、3学期開始までに、日本語でも英語でもよいから本を一冊以上読みましょう(小さない子はお話を一つ聞きましょう)、おはようございますなどの挨拶をきちんとしましょう、習字でも凧揚げでも何でも良いから日本文化に一つ以上触れましょうというお話をなさった。また、新年を迎える前の日本人の挨拶として「良いお年を」を紹介していた。

 今日は今年最後のチャーチ・マーケット、どうして12月にやらないのかとS夫人に聞くと、ほとんどの西洋人がクリスマスから新年にかけてザンビアから出てしまうからだそうだ。車をNSCに停めてマーケットまで歩いたが、日傘をさしても暑さをさけられなかった。今日はこれまでに訪れた時より、商品の品揃えが充実していたと思った。

 NSCに戻って、土曜日も仕事をしていたエルビス達に聞くと、レイチェルはUTHを退院して自宅で療養しているとのことだった。

20041126 今日は満月
 NSCに行ってから、昨日のオリバーの申し出額を一桁取り違えていたので、もし彼の希望通りに給料を前渡ししてしまうと、今後毎月1クワチャももらえなくなることを彼に伝えた。それ以外に、保険や事故の場合の事などを散々話して今日は同意できないと言った。車を購入する事のリスクをもう少し真剣に考えて欲しい。この件にほとんど午前中全部を費やした。

 NSCの掲示板のメモに、食堂で調理をしているレイチェルがUTH(University Teachers Hospital)に入院中だとあった。病院のお見舞いの時間は朝6時から7時と夕方4時半から5時半の2回らしいので、明日の夕方エルビス達と夕方にお見舞いに行こうと思う。またマラリアが悪化したのか?心配だ。

 研修会の準備や教材案の作業を同時にしているので、どれも終わらない。今週は、何かしていたけど、何も進んでいないというイライラした感じで週末に突入してしまった。ついでにMongu出張用の買い物も済ませなくてはならないので、少し焦り始めている。
20041125 予定通り進まない日
 今日もオリバーに木工を頼むつもりでNSCへ。オフィスの掃除の後、裁断の指示をして作業に向かわせた。ムベルバは久しぶりに北部州から戻って来て、同僚と挨拶を交わしていた。

 エルビスによると展示用のモバイル・ラボを昨日販売してしまったので、展示用1台と顧客支払い済みの2台を大急ぎで作らなければいけないそうだ。それで、オリバーに頼んだ作業が今日は無理になってしまった。

 今朝も、少々インスワが落ちているので、オリバーもエリザベスも虫を拾っていた。ジョセフィンによると、とにかく栄養満点なので、夜中ずっと虫を集めたりするそうだ。おかげで食料品のお店は売り上げが減るとか。

 オフィスで書類を作ろうとしていたらムカンダ氏が来た。ドライバーがいないので教育省のヘッド・コーターまでつれて行ってほしいとのこと。ドライバーのジョリーは所長とチョマ、リビングストン方面に出張だし、もう一人のテディは別の仕事でいないのだそうだ。

 折角ガソリンを使うのだから自分も同乗して行った。ムカンダ氏とコンティをヘッド・コーターに降ろして、NSCに戻る帰りにマンダ・ヒルでサンダ、グラインダ、バンドソー、ドリル、吸塵機などの値段を確認した。いくつかは現四半期中に揃えたいと思う。

 オリバーはNSCの駐車場に置いてある「この車売ります」という張り紙がある自動車を買いたいので給料を前借りしたいと言ってきた。どうみても1980年代のカローラで運転席と助手席のヘッド・レストは無いし、前部はかなり凹みがある。距離計は11万キロほどをさしていたが、信用してよいかわからない。ジョリーも勧めてくれているというし、フィアンセや兄弟も了解しているというのだが、どうみても安全性に問題がありそうだ。もしお金を渡すにしても事故などのことを考えて厳しい内容の誓約書を出すように要求した。

 トイレに行こうインターネット・ルームの前を通ったら、ヒルダさんがメイルにワード・ファイルを添付しようとしているのだがうまくいかないと言った。彼女はダイアル・アップでアクセスしているヤフーメイルに添付ファイルを転送している途中だった。チェックしてみると2.8MBのファイル。ダイアル・アップでは大きすぎる。調べて見るとファイルにある図が縮小してから挿入したのではなく、挿入してから小さく表示していることが分かった。彼女に代わって挿入元の図を加工して小さくし、文書のレイアイトを少々手直しした。その結果、ファイルの大きさは、132KBになった。しばらくして、ちゃんとメイルに添付して送信できたと彼女に言われた。

 昼間ムルングシの借家に一旦戻ったら、ムエンベとオリバーが炒めたインスワを持って来た。でも、今年は遠慮しよう。

 14時から12月の6・7日に西部州のMonguで行う理科・数学・技術教員対象研修会の打ち合わせがあるはずだった。でも、10分過ぎても20分過ぎても開かれない。カブロンガ男子高と女子高から来る先生達が遅れていたからだ。結局14時30分過ぎになって自分のオフィスでチョンゴ氏の進行により打ち合わせ開始。理科は、自分と女子高のナチビンガ先生、数学は男子高のムタレ先生、技術は男子高のムアレ先生が担当する。2日間の大まかな予定と対象がbasic school 教員である事などを簡単に打ちあわせて1時間ほどで終了。数学の先生には昨日の隊員報告会で聞いた100ます計算と九九のフラッシュ・カードの紹介をした。技術の先生にはグライダーの図面を渡して、もし興味があれば試してくださいと話しておいた。

 エルビスとムベルバはモバイル・ラボを製作中だった。昨日つくった照明を早速使ってくれていた。

 その後、J***事務所に向かったが、今日の隊員報告会は打ち合わせの開始が遅れたため、後半の1名分しか聞けなかった。隊員の理数科教員としての活動だけでなく、研究調査やリソース・センターで現地教員対象に研修会を積極的に開いた活動などを聞き、充実した時間を過ごしていたことに感心した。
20041124 インソワ(インスワ?)
 昨日、ニャカテレラと聞いたのはインソワ(インスワ?)という名前の間違えだった。

 NSCに着くとワークショップの中でクリーナーのエリザベス達が掃除をしないでプラスチックの袋にインソワを集めていた。盗難防止の為か夜もワークショップ内は照明を落とさないのでその光に誘われて羽根のあるシロアリであるインソワが集まってのだろう。朝になって羽根を切り離して歩き回っていた個体をみなが摘んでいたということだ。皆が虫を集めた後、床は羽根だらけだった。(羽根の掃除をしてください)

 エルビスによると油がのっていてとてもおいしい、シマに合うとのこと。後である隊員に聞いたら、海老のような味だと言っていた。

 自分も数匹集めて一部はアルコールで固定した。その他に、羽根の表面を顕微鏡で見たり、つがいになっていた2個体をビーカーに入れて様子をみたりした。この2匹は、初め一匹がもう一匹を追いかける行動をしていたが、1時間ほどたつと互いに口(顎?)で身づくろいをし合っていた。足や首筋を相手に預けて口で綺麗にしてもらっているようだった。

 こちらの誰に聞いても、とてもおいしい(nice!)の連発だった。何度もそう言われると試してみるべきかなとも思う。  アグリカルチャル・ショーのDNAモデル展示用支柱を蛍光用の支柱に改造する作業をオリバーに頼んだ。エルビスの協力を得ながら午前中で作業完了。テクニシャンが作業するときの照明に使ってもらえるとうれしい。

 ウンデケが作っていた門がほぼ完成。てっきりサイエンス・パークの門だと思い込んでいたが、所長の自宅用だった。NSCの機材や消耗品もかなり使っていたので、ちょっと唖然とした。

 午後はJ***事務所でこれから帰国する隊員の活動報告を聞いた。今日は、バドミントン隊員と理数科教員各一名、ザンビア人の中に入り込んで活動している隊員からしか聞けない体験談は非常に参考になった。
20041123 ニャカテレラ(後でインソワの間違いと分かった)
 今日は勤労感謝の日なのでJ***事務所はお休み。

 昨晩からの雨のせいか使用人達は普段より30分ほど遅れてきた。ムエンベは雨合羽か傘が必要なので用意して欲しいとのこと。オリバーは日曜に彼の兄が亡くなったので、今日の午前中埋葬に行くと淡々と言った。彼には12人の兄弟姉妹がいるが、その5番目で31歳だったそうだ。死因や残された家族がいたかは聞かなかった。

 NSCに自分で運転して行った。気にしなければ問題にならないほどではあるが、今日もオフィスは少し雨漏りだった。12月の出張に向けて書類の準備や、来年度のNSC活動の概要をまとめた書類などを作った。

 11時頃になって、ムカンダ氏にコンクリートブロックを6個使ってよいという許可を取ったので、それらを重石にしてオフィスの屋根にポリエチレンシートを敷くことにした。シートは軽いので簡単に屋根まで運べたが、ブロックは予想以上に重くて庭木の手入れをしていたシンボレが手伝ってくれなければ運べなかった。どうもありがとう。

 コンタクトと重石でシートを雨漏りの上になんとか敷いたのだが、午後に雨が降るとやっぱり雨漏りした。屋根の防水シートが全体的に劣化しているのでよほどお金を使わないとちゃんと直せないかもしれない。

 今日は一日を通して涼しかったのだが、屋上に上った時間は薄日が射していたせいか少し暑かった。陸屋根の上を歩き回ると、鳥の生首が2つにカエルの干物、それに動物の骨などがころがっていた。たぶんカラスが殺したり集めたりして置いて行ったのだろう。

 雨漏りを修理して、少し休んでから食堂に行った。食堂横に住んでいる家族の末っ子は今日初めて自分を見ても泣かなかった。こちらから手を振ると少々引きつった顔だったが手を振ってくれた。(帰り際にも振ってくれた)

 午後はガリ版刷り機をまねた印刷機の試し刷り、水性絵具しか手に入らなかったので、綺麗にすれない。でも滲みがあっても同じ図が何枚もできたのは楽しかった。しかし、印刷後にローラーを洗っていたらローラーがぽっきり折れてしまった。確かに安いものだったが一回毎に折れるようでは困る。

 その後は、本棚に入れる棚のサイズの確認。縦の仕切り毎の間隔が違うので、一応予定している24枚分全部測った。固定の棚にして木ネジでとめるか。支えをつけて取り外しできるようにするかまだ悩んでいる。

 ここ数日夕方日没少し前頃から日没後数時間、たくさんの虫が飛んでいる。ニャカテレラという現地名だそうだ。Y氏と散歩していたら、地面の穴から次々に羽化した虫がまるで湧く様に現れて来たのを見た。

 地元の人々は食用にもしているそうだ。

 夜8時頃に借家の駐車場に落ちていた虫を見ると、羽を脱いで動いていたものも多かった。長い尾は無いがカゲロウの仲間なのだろうか?(たぶんシロアリだな)

20041122 月曜日
 夜のうちに降雨があった。後で所長に聞くと、眠れないほど激しかったそうだ。(ほとんどの家はスレート板1枚の屋根兼天井である)

 NSCの建物に入ろうとすると、クリーナーのジョセフィンとエリザベスが入り口前に座り込んでいた。鍵が無いので開かないとか。しばらくすると所長が来たので入り口だけは開いたのだが、ワークショップに入るドアの鍵は無い。そのドアが開かないとオフィスに入れない。昨日の門番だったシフーが家に持ち帰ったかもしれないで、オリバーの運転でジョセフィンを乗せてシフーの家まで行った。

 NSCからさほど離れていないコンパウンドに入り、マーケットの広場で寝ている皮膚病の犬の横を通ってシフーの家へ。ジョセフィンが彼を呼んで来た。でも、鍵を持っていない。彼をつれてNSCに戻るとどうやら警備室内のいつもと違う所にしまったので、今日の門番のチャールズが鍵を見つけられなかったようだった。ということで、鍵は無事に開いた。

 オフィスに入ると半年前にペンキ塗りをした天井から雨漏り。明日屋根の上にポリエチレンシートを敷くことにした。オリバーには、本棚のやすりがけを頼んだ。でも、彼が作業している間に、ジョセフィンが野菜を買いに行きたいとか、ムカンダ氏が、ドライバーが過労で来てないからUNZA(ザンビア大学)まで連れて行ってくれと頼みに来た。

 14時から所長の部屋でシニア・オフィサの打ち合わせ。正式には9日からNSCの教育担当のオフィサになったヒルダさんの着任を歓迎するミーティングだった。アグリカルチャル・ショー直前よりもちゃんとした打ち合わせらしい会議で、来月のワークショップの事や、NSCの抱える課題などについて意見や情報交換ができた。

20041121 暑い日曜日
 日本のウェブ・サイトを見ると冬に向けて暖かくすごす話題を見かけるが、こちらでは空はあくまでも青く、陽射しは眩しい。今朝は、少し雲っていてすずしかったのだが、だんだん暑くなっていった。

 午前中は、シーツの洗濯と日用品の買い物。マンダ・ヒルのゲームではクリスマス・ソングを流し、クリスマスの飾りや、おもちゃなどを売っていた。入り口には、小さいけれどちゃんとサンタさんの人形もあった

。  アーケイドでは、ごく最近から日曜日ごとに開くようになった蚤の市をちょっと見た。チャーチ・マーケットと同じような民芸品が中心だったが、うまく続けられるのだろうか。

 借家に戻ってから昨日までの疲れがあるので少し昼寝をしようと涼しい場所を探した。結局、バスルームのタイルの上に横になるとヒヤリとするので、そこで2時間ほど眠った。

 目覚めてからNSCへ向かい写真の印刷と、イメージしている製品の下絵づくり。夕方、日が落ちるとやっと涼しい風が吹くようになった。今、書斎は摂氏29度、湿度50%。湿気が日本の夏より少ないので気温が高くても比較的楽だ。

20041120 運動会
 今日はスタディー・グループの運動会。幼児から小学生までは9時開始、中学生以上は理数・国語の勉強の後11時頃から参加の予定だった。ムルングシのI氏宅で中学生3人と高校生一人と一緒に勉強会をして、11時少し前にムルングシ・ホテル裏にある広場で開かれていた運動会に合流した。

 小学生以下は、入場行進、ラジオ体操、しっぽ取り競争、球入れリレーまで進んでいた。その後、障害物競走、借り物競争、パン(ドーナツ)食い競争、綱引き、表彰式とプログラムは進んだ。約20名の子供達にその保護者が参加していたが、どの競技もまだお話のできない小さな子供達から年長者まで全員が参加していた。陽射しの強い晴天の元、競技の合間ごとに木陰で休養して水分を補給する以外は子供達は動きっぱなしだった。

 準備や運営は保護者の皆様、それに会の進行を協力隊員達がきびきびとやった。メガホンでの誘導や、日本の運動会と同じ火薬式のピストルでの合図。時々ムルングシのワーカー達が視界に入らなければザンビアでの行事とは思われない午前中だった。

 自分はパン食い競争だけに参加したが、これに使用したドーナッツ90個は昨日保護者の皆様が手作りしたそうだ。子供達は丁度疲れがピークに来た頃だったので、ドーナッツで栄養補給していた。

 最後の競技、綱引きの後は結果発表と表彰式。2004年度は白組の優勝。補習校がザンビアにあった頃に購入した優勝旗をI所長が白組代表のZ君に渡した。

 とにかく、炎天下で不調を訴える子供も少なく、保護者と子弟が存分に楽しんだ運動会を見る事ができた。

 運動会の後は、ムルングシ内のS氏の庭で参加者と隊員を交えてバーベキュウだった。こちらに来て初めてお稲荷さんを食べたり、スペアリブ、ソーセージ、その他の肉、焼き鳥、漬物、おにぎりなどを堪能したりした。バーベキュウが始まった頃には少なかったハエやアリが、1時間程もすると食材や食べこぼしにたくさん集まるのを見るとアフリカだなと思った。

 バーベキュウの後、2時半過ぎから隊員のK氏と12月に行う研修会の打ち合わせをした。ムルングシの借家に来客が来るのは久しぶりだったが、出したのはグレープフルーツ・ジュースだけだった。ごめんなさい。

20041119 二重の虹
 今朝もエンジンがかからずI氏のドライバーに助けてもらった。そして、出かけようとすると停電。ドライバーにバッテリーと発電機の点検をNSCでの待機中にさせるつもりで出発。ムルングシのゲートを出る前にメインテナンス・マネジャー宛の修理依頼をワーカーの一人に託した。

 途中のガソリンスタンドでバッテリー用の蒸留水と給油を頼もうとしたが停電で給油不能、蒸留水無し。そこで、カブロンガのBPまで行って給油。またガソリン代は値上がりしていた。蒸留水は無く、脱イオン水というのがあって2500クワチャで買った。(この場合機能は同じです)

 オリバーに自動車の点検をさせている間に、I所長とD氏が来る前の掃除。オフィスが暑い時の為に念のため扇風機をかけてみたが回らない。そこで時間が限られているにもかかわらずモーターを分解。汚れを取って少し潤滑剤をつけてから再度スイッチを入れたら順調に回った。しかし回しっ放しにしておいたら1時間後にはまた焼きついて動かなくなった。もう直さない。

 エルビスやウンデケもワープショップの掃除をしてくれた本当にありがたい。I所長とD氏は9時少し過ぎにメルセデスで到着。所長のムンゴ氏と40分ほども意見交換してからワークショップと自分のオフィスを見て帰った。もう少し自分の作業について説明できればよかったのだが、また機会があるからよしとしよう。

 来客が帰った後しばらくボーッとしてからオリバーの作業を点検。彼によると発電機(オルタネーター)のブラシにかなりカーボンがついていたので、それをきれいにして位置を調節したとのこと。あと2カ月ぐらいは大丈夫だろうがその後はブラシを買ったほうがよいらしい。明日ちゃんとエンジンがかかるなら今日彼は良い仕事をしたと言えるだろう。今日は念のためにオフィスにあった電源装置をバッテリー充電用に持ち帰ることにした。

 本棚の棚板を切り出すために、組み上げた区画ごとの採寸をしたらどれもバラバラ。このままでは区画毎に違うサイズの棚板を作らなければいけないのでできるだけ各区画の大きさがそろうように仕切り板を動かしながら天板を固定してしまうことにした。いつものように下穴錐から作業を始めて木ネジで固定した。ネジを締める為に電動ドライバーを使う時にはウンデケがしっかり合板を押さえてくれたのでとても助かった。

 昼前から夕方にかけて風が強くなったが、埃が舞うばかりで雲があってもお湿りが無い。今日も降らないかなとあきらめながらムルングシに戻ったら5時半頃から丁度良い雨。(停電は復旧)Y氏とムルングシ村を散歩していたら、見事な二重の虹も見ることができた。でも、当地の人に聞いたら、ここではちっともめずらしくないそうだ。

20041118 本棚の形だけできました
  朝6時にムエンベから携帯に電話で誰かに会いに行くので今日は休むと言われた。庭の水撒きはオリバーがやってくれるからとも。

 ムエンベとオリバーは早い日は7時前に借家に来ていて水を撒き始めたりしている。彼らは7時前にベルを押したりするので、使用人部屋にしているストア・ルームの鍵を7時前には取りにこないように注意した。それで、この頃は7時丁度頃にベルを押していた。そのつもりで7時頃にオリバーが来るかと待っていたが7時20分頃になっても現れない。出かける時間が近づいてきたから自分で車を動かそうとした。しかし、キーをひねっても電気系統が全く動かない。トランクのランプも微かに点くだけ。またかと思ってボンネットを開けた。バッテリーのターミナルは白っぽくなっていた。そこで紙やすりでターミナルを磨き、再び繋げるとトランクのランプは明るくなった。でもセルは全く回らないし他の電装品も動かない。

 結局向かいのI氏に頼んで氏のカローラから電気を貰って始動した。この頃、日中は冷房を最強にすることが多いのでバッテリーが弱っているようだ。押しがけができない自動変速車なので用心しなければならない。(事前に知っていればこれまで乗り慣れていた手動変速車でなければ買いませんと前任者に行っていたのにな。今も思うと、出国前の準備の時は結構いろいろ慌てて準備していた。)でも、オリバーは昨日ターミナルを磨いたと言っていた。(磨き方と磨いた後の事を確認しなければ)

 NSCムカンダ氏の3人の子供は危険な状態を脱したそうだ。ほとんど3人分の葬式を覚悟するところだったそうだが、医師によると500回以上刺されたとのことだったので本当にあぶなかったようだ。昨日になって目が開かなかった子供も目が開けられるようになり、食事もとれるとか。下から2番目の子は刺された後、吐いたのが良かったらしいが、一番下の子はそうではなかったので心配したそうだ。

 ジョセフィンがスーパーマーケットのメリッサまで昼食の材料を買出しに行くので車に乗せて欲しいとやって来た。快く承諾して一緒に買い物。彼女はマラリアで咳きが続き回復が完全でないそうだ。カブロンガ地区内の彼女の家周辺は特にカが多く、蚊帳を吊っても防ぎきれないと言っていた。

 その後、昼食で10分ほどワークショップから出た以外はずっと木工作業。といっても素人の作業だった。明日、J***のI所長と調整員のD氏が来所するので少しでも本棚などの作業を進めておきたかったからだ。食事を取るつもりはなかったのだが、エルビスが食事の用意ができていますよ、と直接言いに来てくれたのでそのときは作業を中断した。エルビスもお腹の潰瘍(たぶん十二指腸潰瘍)で調子が悪いと言っていた。

 結局、本棚は昨日作業した部分を一部やり直し、エルビスとウンデケが溝を掘ってくれた天板を載せるところまで進めた。ひとつの本棚が2440×600×1300ミリの大きさなので各パーツが重いが、なんとか全体の形だけできた。図書館のステファンに棚はどうするかと聞くと、同じ高さの間隔で入れて欲しいとのことだった。

 今日もう一つ作ったのはリソグラフのマスターを再利用して印刷する簡易印刷機。しかし適当なインクとローラーが無いとうまく活用できないかもしれない。でも、うまく機能すればどんな厚紙にもA4サイズだけだが印刷可能だ。

20041117 wizard?
 朝、ムカンダ氏に確認すると昨日ミツバチに刺されたのは下の3人の子供で、顔を100箇所以上刺されたとのこと。ムカンダ氏は今日一日NSCで作業していたので、生命が危険な状態ではないのだと思うが心配だ。

 チョンゴ氏とヒルダさん、それとムカンダ氏は、ヒルダさんの操作するラップ・トップで予算書類の追い込み作業。こちらは何かあれば呼ばれて主にエクセルの操作法を説明した。

 所長は日本で買って彼に渡したUSBメモリーがウィンドウズ98のラップ・トップで認識されないので見てくれとやってきた。他のXPマシンでは問題なく動くそうだ。メモリーを受け取った直後にコンクリートの床に落としてしまったので、それが原因でデータがなくなったらどうしようと内心心配した。

 前任者から譲り受けた彼のラップ・トップは日本語版のウィンドウズから英語版に直されていた。自分がWEBからダウンロードした98用のドライバーをインストールしたのだがメモリーが認識されないとの説明。しばらく彼のマシンをいじってから、コントール・パネルのハードウェアの追加のメニューを開きハード・ドライブにコピーしたドライバーを選択するように設定したところ無事メモリーが認識された。目出度し目出度し。彼は wizard と言ってくれたが、当地では witch, wizard にはなかなか深い意味があるので複雑な印象。

 シニア・オフィサ達の手伝いと並行して自分は、なかなか進まないが本棚作り、印刷機の図面作りなどを少しずつやった。本棚は材料の合板そのものが重いので出来上がってから運ぶのが大変そうだ。

 昼間に車でマンダ・ヒルまで行ったが、サングラスをかけても雲の白さと空の青さがくっきりと分かれていた。陽射しが強かった。今日は、雲の動きが速かったので雨を期待したが結局全く降らなかった。

20041116 久しぶりにタウン
 ムカンダ氏の小さい子供達(何人か聞き取れなかった)が昨日蜂に刺されて顔がひどく腫れたりしてUTH(university teaching hospital?)で治療を受けているそうだ。彼は所長にそのことを伝えたらUTHに行くと言って出て行った。

 オリバーの運転でHPのカラー・レイザ・プリンタ(HP5550,2004年10月発売)の見積もりを取りにタウンに出かけた。コンピュータ・エクスプレスなど5件を回ったが最新型の見積もりが取れたのはノース・ミードにあった一軒だけ。もう一軒後日連絡してくれるというところがあったが、いずれも南アからの輸入だそうだ。今日入手できたたった一件の見積もりは日本で買う最低価格と比較すると4割ほど割高だった。

 お昼すぎにマンダ・ヒルに出かけて買い物をしたが、お店の入り口で係の店員にカバンを預けたのをNSCのオフィスに戻ってから気がついた。結局またマンダ・ヒルまで往復20キロを運転して取りに行った。

20041115 暑いです
 ムエンベは金曜から週末にかけてキトエに行ったが、かなりの雨降りだっとと話していた。

 出かけようとするとオリバーとムエンベが車の右ブレーキランプが切れていると言って来た。オリバーに学校に行くついでに買うように頼み自分で運転してNSCへ向かった。

 午前中と夜はしのぎやすいのだが雨が降らない限り日中の日向ではかなり暑い。今日もアマンダ・ロッジで予算書類を作ったが、作業場は冷房のない宿泊室を改造した会議室。しかも2つある扇風機の一方は首を振らないし、窓は開放してあっても御簾のように虫除け?の布がかけてあって風が通らない。

 このロッジで恒例?になった巨大な肉と大盛りのご飯の昼食(とても全部食べられません)の後に、首を振らない扇風機を七徳ナイフのドライバーで修理した。昨日の午後もNSCの自分のオフィスにある crown という商標の扇風機を修理したので要領が分かっていてやりやすかった。昨日は、モーターの回転子の汚れをとり、軸受けを拭いて潤滑スプレーをかけて終わり。ただし、軸受けにはベアリングは無いし、モーターは日本だと水槽についている循環用のポンプを大きくしただけのような印象だった。

 ロッジの壊れていた扇風機は首振り用のギア・ボックスを止めるネジが二つ外れていた。ネジが無いから直せないかと諦めかけていたら、そのネジは扇風機の支柱にある窪みに丁寧に置いてあった。同じく七徳ナイフについていたピンセットでそのネジを取り出し、ギア・ボックスに取り付けて修理完了。でも、ギア・ボックスをちゃんと取り付けたため、いままでボックスが歪んでいたおかげできちんととまっていたカバーを固定するネジが入らなくなった。結局、何回試してもだめなのでカバーのネジはギア・ボックス用ネジが隠れていた窪みにしまっておいた。でも扇風機はちゃんと首振りするようになった。所長は、コンティ(アシスタント・プロキュアメント・オフィサ)にロッジ宛に修理請求書を書くように冗談を言っていた。

 ラップ・トップやその電源ユニットの発熱を気にしながら作業を進めた。チョンゴ氏と組になって2005年度案を元に2007年度までの予算案を作った。その際、一部のアイテムを除いて、毎年20%の価格上昇を見込んで見積もっていった。エクセルで自動計算させるから作表そのものは楽。上昇率は特定のセルに入れておいて、そこを参照させるようにしたので、上昇率の変更があっても見積もり全部を一度に自動変更できようにした。]

 所長とムカンダ氏が2006年版を作ったが、それより早めにこちらの作業が終わったので銀行に行かせて欲しいと少々早く退散した。しかし、時間切れで今日もお金が降ろせなかった。

 夕方、ムルングシ村の方が手紙を持ってきたが12月から2月の家賃の催促だった。でも、2月が31日までと書いてあるのは請求書としてはちょっとお粗末かな。

20041113・20041114 土日
 土曜日の勉強会も二学期はこの日を入れて後3回。今日の参加は18名ほどだった。来週はムルングシ村のホテル裏にある空き地で運動会だそうだ。だから幼児部の子供達はラジオ体操の練習をした。でも、自分の担当している中学生以上は後半の綱引きから参加する。

 まだ当地に着たばかりの中学1年生が化学の授業で使ったプリントの内容を日本語で説明した。内容は化学反応の基礎で、鉄と硫黄が化合すると元の物質と違う性質の化合物ができることや、酸素とマグネシウムの反応のまとめ。それ以外にノートにあった混合物の分離法(濾過と再結晶、クロマトグラフィ、蒸留)をやはり日本語で説明して担当の時間は終わり。中学生のノートには資料のすべての単語の意味が几帳面に整理されていた。

 日曜日はシーツの洗濯と、ご飯を炊いて冷凍することからスタート、先週と違って電気が来ていてありがたい。

 マンダ・ヒルとアーケイドで買い物の後、NSCに出かけた。

 知人に渡す写真を印刷(カラー印刷ができるプリンタは借家に置いていないので、カラー印刷が必要な時はNSCのオフィスまで行かなくてはならない)している間に今のところ最終版と考えているグライダーの製作や試験飛行をした。NSCのワークショップはちょっとした体育館ほどの広さがあるのでこういう時便利だ。ただし、障害物は多い。

 一般的に入手できるプリンタではグライダーの型紙などの270グラムの厚紙に印刷できないので、どうしようかと悩んでいたが、ガリ版刷りの印刷機に似たものを作ればよいと思いついた。原版はリソグラフのマスターを製版後にドラムから剥がして使う。それを枠に取り付けて一枚ずつ手刷りにする印刷機を考えている。明日からエルビスなどの知恵を借りて図面を作ってみよう。

 今日はチョンゴ氏もずっとNSCに来ていた。ただし仕事ではなくて彼のカローラがちゃんと走るようにするため。 昨日も19時頃まで直していたそうだ。今日は、白で塗装して、溶接してと、いろいろやっていた。走行距離を見せてもらったら34万キロだった。日本車は丈夫だ。

 本棚の作業を再開、一部だけだが木ねじでパーツをとめる作業を少々やった。

 現金の手持ちが無くなったのでチョンゴ氏に明日は銀行によってから来たいのだが?と聞くと。朝から予算のワークショップをロッジでやるから、朝から来て欲しいとのこと。14時30分には終わるそうだ。あくまで予定なのだろうが、ならば銀行は午後に行こう。

 NSCの前庭は雨季前に花を植えて、グラウンド・カバー・プランツを緑が鮮やかなものに植え替える作業をしている。今日は湿気があって、少しポツリと来たが本降りにはならなかった。

 夜、インターネットを試すが、サーバーにつながるものの国内のサイトしか表示できない。International gateway にトラブルがあるようだ。ZAMNET に症状をメイルで送信した。でも、日曜だから復旧は翌日以降になるだろう。

20041112 市の南側は停電
 ムエンベはキトエに家族のことで出かけた。オリバーに庭仕事を頼んでNSCへ。

 オフィスにいると所長が来て、予算書類の提出が延長になったから今日は作業無しと断言して行った。でも、9時少し前になってムカンダ氏が出発準備できたかと電話をかけてきた。所長は延期って言ってましたよと電話口で話してもこれからやるからねということ。急いで仕度をして車を出した。

 アマンダ・ロッジの会議室に荷物を移し、さてコンピュータの電気をとろうかと思っていたときに停電。照明も空調も突然切れた。ロッジの人に聞いたら、このロッジだけの停電ではなくルサカ市南側全部の停電で18時まで続くとZESCO(電力会社)の広報があったそうだ。

 10分ほど全員ボーッとしてから出したばかりの荷物を積んでNSCに引き返した。当然今日の作業は中止。

 オフィスに戻ってからは、今週に入って手をつけていなかった活動計画(活動報告)をつくったり、グライダーの説明書作りに戻ったりとのんびり作業した。

 夕方から湿気が多く、ときどき稲光と雷があった。8時過ぎになって、ほんの5分ほどシャワー。雨が降ると湿気が少々あっても埃がたたなくなるのでありがたい。
20041111 今日もロッジ
 朝からBBCはアラファト議長の死去を繰り返して伝えていた。日本のウェブサイトでは簡単な扱いだったが、こちらでは繰り返して何回も報道された。

 予算資料の作業がアマンダ・ロッジで継続して続いた。ラップトップは熱を帯び、電源ユニットもヒーターのようだ。チョンゴ氏と第一四半期の各月ごとの資料をつくると作業が一段落。後は細かな修正を夕方まで続けた。本業そっちのけで、エクセルの作業を一日中続けた。

 教育省からきた元のエクセルファイルのデザインが悪いので、データ・セルの合計を範囲を指定してシグマをクリックするだけでは集計値が作れない。元々のデータが番号をつけた文字列だからだ。久しぶりに関数を使って希望のセルから必要な文字列だけを抽出しそれを数字に変換してから集計する計算式をつくった。なんだベイシックとほとんど同じじゃないかと懐かしい感傷に浸り?ながら作業。でも、この計算式のおかげで手作業の集計をせずにすんだのはラッキーだった。

 アマンダ・ロッジの猫の写真を撮ったり、食事をしたり、おやつを食べたり、エクセルをしたりで作業は一段落。明日は2006,2007年度の概算計算作業かな?

 夕方、M専門家が帰ザ。中国飯店で同席し情報交換。帰路の疲れが目に見えるようだった。香港、ジョハネスで待ち時間が長かったそうだ。はやく疲れがとれますように。

20041110 また予算作業
 ムエンベは昨日やっと正式な自動車運転免許を取得したので、今朝早速見せてくれた。でも、写真はひげ面のように写っていてちょっと気の毒だった。

 オリバーは完全に回復していないし、彼には夕方から学校がある。それと今日はどこで何時まで作業するのかという予定がまったくわからないからムエンベの手伝いをするように伝えて自分で運転して出かけた。

 8時半すぎになって、ムカンダ氏のオフィスに行くと、ワークショップの場所になる予定のアマンダ・ロッジの位置を地図上で教えてくれた。NSCからさほど遠く無く、これなら自分でも迷わずに行けそうだった。

 所長が資料を仕上げるまで時間がかかったので9時半頃からやっとロッジの会議室を借りて作業開始。やることは来年度のアクティビティーすべてについて毎月の作業予定を明確に記述することと、それらの作業に必要な予算も一つひとつ出し、エクセルに落とすだけだ。でも、10時、昼食、15時の休憩を摂りながら進めたので、今日の進捗状況はやっと25%か?

 チョンゴ氏と組になって、毎月の予算を整理していたが、所長やムカンダ氏に確認することだらけで、ゆっくりとしか進まなかった。NSCの広告の予算を検討していたら、ラジオ、テレビ、新聞での広告代金が日本より格段に安いのにびっくり。

 今日は16時30分頃までロッジで作業したが、続きは明日。

 ロッジを出てNSCについたら、雨降りの跡があった。さらに、ムルングシの借家に着いたら、水溜りまであった。こちらは少し強めに降雨があったようだ。おかげで、夜はひんやりと涼しかった。
20041109 明日も予算?
 ムエンベがお金の相談に来たが、ちゃんとした資料を添えて再度説明するように話した。使用人用のストア・ルームは昨日注文をつけておいた部分はきれいになっていた。しかし、食材がむき出しに近い状態で置いてあるので、ちゃんと封じて保管しないかぎり置かないことと伝えた。昨日は屋内に3匹大きなゴキブリと幼虫1匹がいたから。

 オリバーは頭痛と発熱なので運転させないで、病院に行かせた。

 NSCでジョセフィンに様子を聞くと、マラリアの薬を飲んで夕食も朝食も摂らずに眠り続けたとのこと、おかげで今朝は元気だそうだ。

 ムカンダ氏が朝の挨拶に来たが、なんでも予算を四半期ごとに整理した資料を明日から作らなくてはならないとか、またどこかで会議室を借りて作業することになりそうだ。

 今日は、グライダーの組み立て説明書に使う図をロットリング用のトレス台でトレスした。大学生の時以来だ。元の図をA3で描いたので、手持ちのスキャナが使えないからこの方法が最も合理的だと思う。でも、2時間ぐらいかかってしまった。

 今日から新しいシニア・オフィサが来た。ヒルダさん。サイエンス部門の教育シニア・オフィサなので、最も自分のミッションに近いオフィサだ。クリーナーたちがチョンゴ氏の向かいになるヒルダさんの部屋を掃除した。物置状態だった部屋からはなかなか掘り出し物が出てきたので、チョンゴ氏はテクニシャン達にストア・ルームに保管しておくように指示していた。

 ヒルダさんは、自分より一つ年上。NSCスタッフの写真入り名簿と、自分の履歴書、それとこれまでの自分の作業のまとめの一部を印刷して渡しておいた。

 午後になって、雷を伴って風が強くなったがまとまった雨は降らなかった。風が強くなったときに砂埃が強くなるので困る。降ってから風が吹いてほしい。

 3時頃になって、ムカンダ氏から内線電話。所長のオフィスで打ち合わせだそうだ。ムンゴ所長、ムンカンダ氏、チョンゴ氏、ヒルダさんと自分で予算の追加書類作成について打ち合わせた。所長によるとNSCにいるといろいろ雑用が舞い込むので別の場所で集中して書類を作ろうとのことだった。ということで、明日はNSCに行ってから移動してコンピュータへの入力作業だ。

 中国飯店に夕食を食べに行くと写真の引き伸ばしを頼まれた。隊員のT氏と店員のみなさんのグループ写真。1枚と言われたけど、写っている人全員分引き伸ばしが必要だろうな。

20041108 水道局に苦情
 ムエンベは今日の午後こそ正式な免許を取りに行くので、交通費を前借りしたいと言ってきた。早速彼にお金を渡したが、あわせて停電だったことを伝えて、ストア・ルームにある使用人用の冷蔵庫の中身を処分して内部を掃除するようにお願いした。

 オリバーとムエンベにも請求があった水道(と下水)料金が異常に高額だったことを話して、9月中の水道使用状況などについて聞いたが極端に水を多く使った様子ではないようだった。

 NSCではまずムカンダ氏に土曜日の家族写真などを渡した。かなり喜んでくれた。その後、水道料金の請求額について苦情を伝えるために、オフィスで1時間かけて領収書のコピーなどをとったり、レターを書いたりした。ムカンダ氏も水道局のヘッド・クオーターまで一緒に行ってくれることになった。

Request of repayment of water & sewerage rate and check up my water meter

Dear Sir

I was surprised to see the account of a water & sewerage rate (***,***.** kwacha) from your company on November 6. The account from September 3rd to October 5th was about 2.5 times higher than previous months'. During that period, I stayed in Japan from September 24 to October 14 for the medical check-up, and I ordered my gardener to water my garden from around 8:00 to 12:30 this was shorter duration of watering compared to previous months.

I do not refuse to pay near amount of previous monthly payment this time. I agree to pay ***,***.** kwacha though I will not afford excess payment. Please repay me at least ***,***.** kwacha and check up my water meter.

I request your prompt attention to this matter.

Sincerely yours

 水道局の料金支払いカウンターで事情を説明すると、5番の部屋に行くように言われた。その部屋ではPCで作業をしている職員にレターとコピーを渡して調査と返金を依頼した。PCでこれまでの使用量などをチェックしたうえで、メーターの点検を行うと返答してくれた。その場でスタッフに電話して点検を指示していた。

 こちらの要求は一通り伝えたので、結果はどうなろうが少々気分が楽になった。ただ苦情を英語で伝えるにはしゃべる内容を頭の中に入れておいて、一気に話すことになるのでかなり気疲れした。

 後は、game で接着剤や延長コード用のパーツを買ったり、グライダーの作り方説明書の準備をしたりして午後まで終了。途中でジョセフィンが何回か工具を借りに着たが、彼女はマラリアなのよと言っていた。いつも元気なのに、本当かな?

20041107 ZESCO来る
 朝になっても電気は復旧していなかった。最初にやったのは冷凍庫の片付け、それほど食品が多くなかったので幸いだったが、霜が溶けて、床まで水がたれ始めていた。冷凍しておいた肉、海産物、野菜料理などは捨てて庫内を消毒した。冷蔵庫にあったスイカ一切れはまだ冷たかったから、朝のうちに食べてしまった。

 9時前に出かけてマンダ・ヒルとアーケイドで買い物をすまし10時過ぎに戻ってきてもまだ復旧していない。ストア・ルームの配電盤もパントリーのブレイカーも異常無しだった。今晩も停電だと冷たいシャワーを浴びることになるが、それで風邪をひいてもばかばかしいと思ったので、空きペット・ボトルとたらいに水道水を入れて、日向に夕方まで置いておくことにした。

 停電が続くとバッテリーの残量がとぼしくなっていたラップ・トップも夜使えない。だからNSCで充電しようと思って出かける準備をした。

 車を出そうとしたら、緑色のZESCO(電気会社)の四駆が借家の駐車場に入ってきた。ここもパワーが無いと言うと、これからラインをチェックすると答えて裏庭側へ作業に行った。復旧は彼らに任せて出発。NSCではムカンダ氏一家の写真をカラーで印刷した。

 オフィスで作業していると雷鳴とともにシャワーがあった。帰ザしてから初めての雨。それほど強くなく、雨上がりは埃がしずまってさわやかだった。でも、降り出すと温度変化が大きく、お腹が冷えそうだった。

 ムルングシに戻ろうとサニーを見ると、泥だらけだった。陽射しを避けるためにアボガドの木の下に駐車したのだが、雨の間に木についていたシロアリの巣をつくっていた泥が落ちてきたからだった。そのまま出ようとすると、ジョンボロがホースと雑巾を持ってきて手際よく洗車してくれた。一言も頼みもしないのにすすんで作業してくれてさわやかな気持ちになった。どうもありがとう。

 16時頃に借家に入ると電気が復旧。庫内を乾燥させようと開けておいた冷蔵庫や冷凍庫が動いていたので、あわててドアを閉めた。その後、また停電しないうちにとシャワーと洗濯始めた。

20041106 ムカンダ氏宅へおよばれ
 朝はJ***事務所で子供達の勉強会。今日は高校生の為に地質年代や進化について概説した。

 勉強会から戻ってみると玄関に水道料金のお知らせがあった。しかし、その額はこれまでの月の2倍以上、しかも自分が日本に戻っていた10日間も含まれている期間だ。当地に来てからのすべての水道料金請求書を取り出して、利用量と金額を比べたが、それにしても異常に高額なので、来週始めに水道局に交渉に行かなくてはならない。

 ムカンダ氏が土曜(今日の)13時に自宅へ来てくれと言っていたので、お土産にする料理を昨日中に中国飯店に頼んでおいた。それを12:30に受け取りに行った。ナオミに水道料金の事を話すと、請求額やメーターが当てにならないことがあるからチェックした方がいいとの助言だった。

 お店を出てから、ムカンダ氏の自宅のあるはずのカブワタ方面に向かったが、彼の住居であるカブワタ・ベイシック・スクール・ティーチャーズ・ハウスが見当たらない。結局5名以上の人に道を聞いてやっと到着した。途中、非番の現職警官に車に同上してもらいカブワタ・ベイシック・スクールまで案内してもらったりもした。

 ムカンダ氏の自宅は6畳ほどの部屋が4つぐらいつながった公務員用の住宅。屋根は波型のスレート板一枚だけ、網戸はなく、ハエがちょっと多かった。女性9人と男性2人がそこに住んでいて、それ以外にも友人の子供だとか、甥だとかが一緒にいてとてもにぎやかだった。

 居間?に通されて扇風機にあたりながら雑談していたが、彼の甥が扇風機を動かしたため、扇風機が動かなくなった。もう一度動かそうと彼が試みているとムカンダ氏が制止した。よく見ると、むき出しのコードをコンセントに入れて動かそうとしていた。さすがに、ムカンダ氏も(子供がやるのは?)危険だと思ったらしく、この後は風無しになってしまった。

 挨拶に現れる親族の写真を次々にチェキやデジタル・カメラでとったり、ムカンダ氏の案内で自宅周辺を散歩したりした。その後はちょっと遅い昼食。自分が持参した中華とザンビア風の魚、鳥、牛肉、お米などの料理が並び、希望の分をとり皿に載せて食事を楽しんだ。まだ腹が完全ではなかったので少し遠慮しながら食べたが、ハエの活動は最高潮に達していた。

 親族の女性から少々質問を受けたが、わかる範囲で返答しておいた。

 最後に、グループ写真を撮って欲しいとムカンダ氏からの注文。屋外で全員揃った写真を数枚とってこの日の訪問は終わり。暑くて、砂埃にまいったが、楽しかった。

 砂だらけになったので、ムルングシに戻ってシャワーと洗濯。その後、散歩に行って戻って見ると停電。自宅とその周辺だけのようだが、とても不便。ろうそくを6本ともして電池でPCを動かしながら作業した。

20041105 カムワラへ買出し
 ムエンベの末の息子の肌はよくなったそうで彼は明るい表情をしていた。

 所長にカラー・レイザー・プリンタの仕様書を渡してから、今日こそはグライダーの手引きを仕上げようと作業を始めた。まず実際に印刷できるサイズの型紙から2種類の紙でグライダーを作ってみることにした。いままで使っていた270グラムのアートボードと当地で簡単に入手できそうな160グラムの画用紙だ。画用紙は2枚貼り合わせないと強度がでない気がしたので、2機分の紙から1機つくることにした。

 切り出し作業を始めたら青いシャツにネクタイをしっかりしめたエルビスが首から土産に渡した電卓をさげてオフィスに頼みごとがありそうにやって来た。NSCの主要製品であるモバイル・ラボのパーツを買出しに行きたいので助けてくれということだった。モバイル・ラボは給排水設備の無いところでも実験ができるように、10リットルの給水タンクと同じ容量の排水タンクが内部に入っている。水は、日本で使う灯油用のポンプで実験台の上にあるプラスチックの洗面器上に供給される。これに必要なタンクと洗面器とポンプをカムワラ・マーケットへ買いに行きたいのだそうだ。

 オリバーにはムエンベと一緒に庭の手入れを頼んだので、自分で運転して出かけることにした。エルビスには道案内をお願いした。カムワラ・マーケットには9月にも行ったが、その時は灯油ポンプの在庫が無かった。マーケット内の未舗装の道に車を停めて、ハンドルに盗難防止のロックをつけてからインド人の経営する店でエルビスが、まず洗面器を20個購入した。自分は、自転車の前輪用の車軸を見つけたので3700Kで二つ買った。

 別の店でポンプを探したが、1月まで入荷しないとのことだった。次にエルビスはタンクの値段を調べに行った。モバイル・ラボのタンクは新品を使っているのだと思い込んでいたが、実は10リットルの食用油の空タンクを利用していた。マーケットの露天の多くが、空タンクを洗って販売していた。中にはドラム缶やドラム缶サイズのプラスチックタンクもあり、それらが山積みされていた。女性がドラム缶を頭にのせて運んでいるのも見た。

 それらの店の間にあったゴムひも店にエルビスと行き、ゴム動力教材に使えそうなゴムひもを買った。タイヤのチューブを裂いて作ったのだろうか?黒と赤があったが、赤のタイヤチューブは見たことがない。そこでゴムひも5本分のお金を払って領収書をもらったのに、NSCに戻ったら3本しかひもがなかった。

 洗剤と油がしみこんで、どろどろになった地面に置かれたタンクの値段をエルビスが交渉している間日陰で待っていたら、歯に砂がついて、じゃりじゃりしてきた。その後、車に汚れたタンクを積み込むと後の掃除が大変なので、エルビスに荷物の下に敷くプラスチック・シートが欲しいと頼んだ。タンクを売っていた露天商が紹介してくれた老人は農業用の2m幅ポリエチレン・シートを1mあたり3000Kで販売してくれた。(日本だと200mで3000円位?それなら1mで15円、クワチャなら660Kくらいかな)1mずつに切ったシートを2枚買ったのだが、小額紙幣が無くて5万Kを彼に渡したところおつりが1.4万しか返ってこなかった。どうやら2万K札と見間違えたらしい、額が間違っていることを話したら両替に行ってからおつりをくれた。

 無事にタンクを車に積み込んでマーケットを出発しようとした。しかし、駐車中にもエアコンのファンを最強にしていたためかバッテリーが弱っていて一度エンスト。バッテリーの充電状態にはこれからも気をつけなくては。

 NSCで荷物を降ろし、昼食やグライダーの作業を続けた。

 昼食の時にレイチェルがノートについて希望があるとので15時すぎにカンティーンまで来て欲しいとのこと。その場では、ノートってなに?と思ったが、後で紙幣のことと思い出し、何かお金の無心だと気がついた。彼女はツーリズム(旅行業)の学校に進みたいので、少しだけ援助して欲しいとの希望だった。2500円ほどだったが、領収書を書いてもらって出世払いということで現金を渡した。

 夕方になって、新しいサイズのグライダーが一応完成。試験飛行をしていると所長のムンゴ氏が見てくれて、かなり好意的に対応してくれた。原価が4000Kだとか、購入者が糊とおもりを用意すれば作って飛ばせるとか説明するととても乗り気で、5000Kで販売できるだろうという返答。でも、在庫や返品、それに人件費などはどうやって計算するつもりなのだろう。

20011103・04 文化の日と腹痛の日
 文化の日でしたがもちろん平日でした。3日午前中、オフィスで少々作業をしてから昨日行けなかった電話と電気の支払いに出かけて、それらを済ませた。ずっと電話代の支払いをオリバーに任せきりにしていたので、電話局には半年振りに出かけたが、一部補修してあるものの相変わらず道路がひどく雨季にはどうやって支払いにいくのだろうかと心配した。

 午後には、帰ザしてからの作業とこれからの作業のメモをつくりシニア・オフィサ達に渡した。それとファンクションの写真を渡してなかったスタッフに配った。

 これからの作業のメモには、技術移転すべき教材マニュアル作成を当面の第一に置いた。第二は研修会資料だ。とにかく、これまで作ったものを当地の人が作れるように正確な資料を残さなければならない。ということで、まずグライダーのマニュアルから手をつけることにした。これなら作っていて楽しい。

 ウンデケとムベルバはワークショップ内の壁に取り付ける救急箱を作っていた。中身を見せてもらったら、骨折の時の添え木、包帯、三角巾、痛み止めなどが入っていた。でも消毒液はアルコールランプにも使う青い色のついたメタノールだった。二人には絶対にメターノールを吸い込まないように注意し、代わりの消毒薬として70%アルコールを作るからと約束した。

 夕方、アーケイドでスイカ(カットしたやつ)を買ったら、袋詰め係りの店員さんが、しっかり指の後をつけてくれた。

 夕食は初めてムルングシ・ヴィレッジのホテルでA氏、K氏と共に食べた。ちょうどBBCがブッシュの勝利を放送した後で、あまり愉快な気分ではなかったが。野菜ピザ(約500円)を注文した。

 4日は、朝からお腹が不調だったが、8時半からJ***事務所でSV連絡会なので自分で運転していつもよりゆっくり出発した。連絡会での所長の話では、ザンビアはPRSP(poverty reduction strategy paper)を進めて一定の成果(国有企業の民営化など)をあげIMFに承認されると債務が帳消しになる直前の段階にいるとの説明だった。しかし、債務帳消しの後、我が国は借款を行わない方針であることを伝えられたが、援助国としての活動は、帳消しの後の方が重要だという印象を持った。

 連絡事項や少々の討議の後、Y氏の活躍している旅行業部門の現状の紹介に関する研修会が続けて行われた。着任されてから数々のツアーを開発され、離任まで寸暇を惜しんで活動されているY氏の姿勢に感銘を受けた。Y氏のカウンターパート2名も事務所に来て10分ずつスピーチしていった。10分と区切れたのは中国製キッチン・タイマーのお陰だったが。(自分が game で見つけてY氏に紹介したもの)

 連絡会・研修会の後、少々お腹が減ったので、一度借家に戻り、パンにバターをつけて3切れほど口にした。しかし、その後に腹痛。この腹痛はNSCや夕食の時も続き、今日は散々だった。

 借家からNSCへ向かい、昼休みの後シニア・オフィサー達に簡単な提案をした。それは、J***の携行機材としてカラー・レイザー・プリンタを購入したいという提案だ。最新のマシンなら毎分28枚程度A4で印刷できるし、一ヶ月10万枚以上の耐久性もある。来年度は、NSCパンフレット、カレンダ、ニュースレターの印刷を計画しているが、それらの印刷を外注するととても予定している金額ではおさまらないと予想される。そこで、所内で印刷できるようにマシンを用意したいと思ったのだ。A3印刷ができれば、それを二枚を張り合わせてサイエンス・チャート印刷用としても使えるかもしれない。

 シアニ・オフィサ達への説明の後、グライダーのマニュアルを作ったり、携行機材の案を作っていたらエルビスがオフィスに来た。彼は妻の為などに立派なキッチンセットをある雑誌にあった写真を参考に作っているのだが、一部の棚の大きさが分からなかったようだ。そこで、自分に対して家具のカタログが無いかと聞いてきた。とりあえず、理科実験品・消耗品のカタログは見せたが、彼の希望しているような立派な家具(日本のシステムキッチンの収納をイメージしてください)のカタログは持っていなかった。

 結局、エリヴィスがすでに作った棚の高さと彼が製作の参考にしていた雑誌の写真上を参考に、写真にある各パーツ大きさを物差しで測り、それらの比率からエルヴィスの知りかかった部分の家具サイズを計算した。小学生の比例式の応用なのに、彼はとても感謝してくれた。

20041102 公共料金支払い、バッテリートラブル
 昨日のうちにすませておきたかった公共料金の支払いがしたかった。これまで支払いはほとんどオリバーに任せていた。そうすると彼は長時間NSCに戻ってこなかった。ちゃんと支払いをしているか知りたかったので、今回は自分もついていくつもりだった。しかし、NSCでは昨日CDCに提出した予算資料の訂正があるだろうと思ったので少々作業をしながら待機した。

 所長とムカンダ氏によると昨日午後に書類とデジタルデータは無事提出できたそうだ。だが、来年と再来年の活動についても資料が必要でこれから作らなければならないそうだ。できれば、それらは他のシニア・スタッフでやってほしい。その後、所長は、ファイルをコピーしてくれだの、エクセルのシートがうまくコピーできないだの、印刷時のサイズを調整してほしいだの言ってきた。

 ついでにムカンダ氏はインターネットの接続(ダイアルアップです)のトラブルを解消してくれと来た。彼の要求は、正しくURLを入力すれば解決。たいした問題ではなかった。

 こちらの作業としては業務費の書類が一枚見当たらなくなって、オフィスにあるボックス・ファイル(書類を閉じるフォルダーのこと)を全部チェック。書類そのものは夕方になってカバンの普段開けないチャックの中からでてきたのだが、このごたごたのおかげで赴任してからのファイルをほとんどチェックし直すことができて、これまでの作業の流れと、今後の作業の方向を復習することができた。

 予算作業のゴタゴタがすっかり終わったら、11月はアグリカルチャル・ショーを中心につくったサンプルのワードファイルなどへの資料化や研修会資料の充実(ようするに当地で入手できる材料を使った実験法の紹介)の作業をじっくりするのがよいのではないかと思うようになった。

 デスク・ワークを続けていたら、コンティカが金曜から日曜のアラウアンス(手当て)が出るので書類にサインして欲しいとやってきた。所長と同じ額が出るそうだ。それは、他のシニア・オフィサやドライバーなどより少し大きな額だった。でも、受け取れないと断った。受け取るとまた書類上の処理があってたいへんだし、当地の人々にとっては大金なのだから一般の所員やザイビアにとって重要なことにお金を使って欲しかった。それにしても、2〜3日のアラウアンスが、庭師やドライバーの月給の三分の一から半分ほどもあるというのは貧困層のザンビア人から見たら高額すぎると思われるのではないだろうか。そうでなくても、シニア・オフィサ達の振る舞いを見ていると階級差別があるように感じられることがあるのに。

 10時半ごろになってやっとオリバーとタウンに向かった。まずインターネット・プロバイダへ支払い。次に先週見積もりをとったA4上質紙、インクジェット・プリンタ用インク、ボール紙(アート・ボード)、薬品類の支払いを済ませた。しかし、薬品は在庫が無いので届けてくれるとのこと。デリバリー用の領収書を受け取ったが、今日の午後配達してくれる?と店員は言ったのに、夕刻まで待ってもこなかったので今日は諦めた。この店は決して裕福には見えない。輸送手段はどうするつもりだったのだろう。

 その後、水道と警備会社の料金を支払い、電話代と電気は後日にすることにした。電気は待っている人が多かったからで、電話はドライバーによると12時から14時まで休み時間だからだ。当地では、銀行ユーザーのほんの一部が最近始まった銀行引き落とし制度を使っているらしいが、詳細はよく分からない。国営テレビを見ていると、しばしばマス・ディスコネクション(大量の供給停止、切断)のお知らせがあって、期日までに料金を支払いなさいと盛んに放送している。でも、支払う方の便宜はどうなっているのだろう。

 昼食を借家で済ませて、自分の運転でNSCに戻ってから、またグライダーの調整。当地で簡単に買えるコンタクトで接着した機体が一番バランスや飛行具合がよいので、これの作り方をまとめてみたい。  先日のファンクションで撮影した写真を印刷・裁断し、所内にいた所員に配った。

 夕方、外食に出かけようとしたら、車のエンジンがかからない。1時間前まで問題なかったのに。トランクの電灯がかすかに点灯するだけで、すべての電装品が動かない。ヒューズを点検するなど自分でしばらく格闘したが、職業訓練校で電気の指導をしているA氏に助けを求めた。A氏はバッテリーの端子がひどく発熱していることから、端子部分の抵抗が大きいので端子とコードの接触部分を磨けばよいと即判断。すぐにA氏は紙やすりを採りに行って戻ってきてくださった。二人でバッテリーの端子とそれにとりつける電線の端をそれで磨きに磨いた。暗くてどんな仕上がりかよくわからなかったが、磨いた電線の端を端子にしっかりとりつけると、一発始動。A様ありがとうございました!(今晩のうちに不調がわかってよかった!それにしてもドライバーは端子を点検していたのかな)

20041101 予算作業一区切り?
 チョンゴ氏達が今回で5回も書き直した予算書類の入力は8時から初めて12時半頃にやっと一段落した。NSCの自分のオフィスにムカンダ氏、チョンゴ氏、ルスが入ってきて4人で作業。途中でルスが移動したが、自分のオフィスでザンビアのスタッフと作業するのはなかなか楽しかった。チョンゴ氏はルスから風邪をうつされたとかで、調子が悪いとのことだった。

 それでも、チョンゴ氏以外は、おしゃべりや電話で作業が頻繁に中断。すごく急いで作業しているつもりなのは分かるのだが。

 予算作業の後、今日は午後ムルングシにいるからと宣言して借家へ。軽食を取ってからJ****事務所へ向かった。事務所でVAT(付加価値税)免除レターとゆうパック2箱、90歳の祖母からの手紙を受け取った。

 免除レターを持ってGAMEに移動。ペンキ、グルーガン、延長コードなどを購入しようとレジに並んだら、どうやらレジ打ちの女性にはVATを合計額から差し引く計算方法がわからないようだった。結局、10分ほどもそれがわかるスタッフが来るのを待たされた。

 夜、PCで作業をしようとするとワード2000が壊れていた。すぐにエラーメッセージが出て文書が更新できない。一時間ぐらい格闘したが直らないので2003年版のオフィスをインストールした(2000版のCDは日本に置いてきた)。そうすると壊れていたワードも復旧した。もちろん、今も古いワードを使っている。
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