2004年9月の日記 連絡先(e-mail)
2004年7月の日記 2004年8月の日記

20040923 CD-Rに記録
 日本にコンピュータは持って帰らないので、午前中はNSCに行って画像や作業の記録などをCD−Rに焼く作業をした。

 明日の出発前に出勤しているスタッフに挨拶。レイチェルはマラリアあがりで増血剤を飲んでいるそうだが、今日から復帰。

 I miss you. とスタッフ達と言い交わした。

 午後にはムルングシのレセプションに借家の鍵をあずけたり、荷造りをしたり、ちょっと大切なものを南京錠がかけられるところにしまったりした。

 マンダ・ヒルにも出かけて191ドル分のお土産を購入。これで間に合うだろうか?

 J***事務所で旅行会社のアディトに明日の迎えについて調整員のK氏にお願いして問い合わせたところ、一ヶ月前に出したファクシミリでの依頼は忘れられていた。そこで、もう一度ファクシミリしたところ、無事返信があり明日9時半に借家まで迎えに来てくれることが確認できた。

 気温が少しずつあがっている、こちらでは春分、日本では秋分。雨が降らないけれど、新緑のけはいもする。木々に花が咲き、若芽が吹き出しているものもある。

 明日は、洗濯などを朝のうちにすませて借家を9時半に出発だ。

20040922 ジグソウ壊れる
 朝、オリバーが昨日の絆創膏はとてもよく効いたので、もっとほしいと言ってきた。軟膏のチューブと絆創膏をいくつか渡して軟膏を明日返すように言った。  

 ムエンベは、新しい箒(ほうき)を五つと、芝生用の肥料が必要なのでだいたいK50000ぐらいかかると言ってきた。彼らは柄のついていない箒で腰をまげながら庭掃除をしてくれる。コンパウンドでなければ箒は買えないそうだ。ちょっと一緒に買いに行って見たい気もする。

 NSCで報告書に印刷をしていたらエルビスとムヴェルワがオフィスに来て、ジグソウが壊れたとのこと。5月14日にゲームでK120000だった日本ブランドの中国製品だ。買った時に店員が箱に保証番号をボールペンで書いて12ヶ月保証するからと言っていたので領収書(J***に提出済み)を持って午後にゲームに行くことにした。ただし商品の箱の中にある保証書とは別の制度のようだ。

 午前中のうちにおとといチョンゴ氏に頼まれた2005年1月から12月までのSV活動予定を作った。チョンゴ氏とムカンダ氏は2005年のNSC strategy plan (年間計画)と予算案の作成で先の土曜日も一日中仕事だったそうだ。今年の予算よりかなり額が大きいし、今年やっていないことが予定に入っているのをチョンゴ氏に質問するとあくまで提案(proposal)だからいいのだとの返答。でも、年間30回の葬式の予算というのは何なのだろうか。案に沿ってSVとして参加できる Activity を月毎に整理したメモをつくりチョンゴ氏に提出した。

 午後、J***事務所出かけて6ヶ月目の活動報告書を提出した。事務所に3時からの勉強会に参加する自動車整備会社セイロン・オートのオウナーがいたので、明後日から日本に時に行くがオイルフィルターなどの自動車消耗品を買ってこようと思うと話した。そうすると、よほど重要な部品でない限り、日本よりザンビアの方が同じ機能の部品が安く手に入るし、南ア製の品質の良いものもあるとのこと。出発前に良い助言を得たので、買物リストから自動車部品を削除した。

 K調整員から、ジグソウの領収書のコピーをもらえたので、それを持ってゲームのCusutomer Service に行った。領収書がコピーだったが親切に対応してくれて修理できるか試してみると言われた。7日後にCustomer Service に電話して修理済かどうか確認して欲しいとか、3週間しても直らなかったら refund すると言われた。明後日ルサカを発つので自分は電話できないから、NSCに戻って Stenographer のルスに1週間後に電話してくださいとお願いした。

20040921 Your account is expired.
 朝、日が昇っても薄暗く一日中風が強かった。ムエンベに聞くと季節が変わり始めて、少しずつ雨季に近づくという。10月11月にかけて陽射しが強まり猛烈に暑くなるとNSCのテディーなどが強調していたのを思い出した。

 NSCでは6ヶ月目の報告書作成。ほとんどできあがってきたので誤字などをチェック。

 作業していると、所長が来てオフィスに来てUSBメモリーに入っている画像をCD−Rに移したいと言った。自分のラップトップにつないで画像をチェックしたあとメモリーからCD−Rに焼こうとすると途中でエラーメッセージ。やり直そうとしてメモリーにアクセスしようとすると「フォーマットされていません」と表示され、USBメモリーの中身が見えなくなってしまった。後でウンドウズのヘルプを参照すると、時々ある症状のようだったが、所長は256MBの仕事と写真がだめになったかもしれないようで不機嫌な様子でオフィスから出て行った。

 再び報告書に戻ってしばらくすると日本の銀行から携帯に国際電話。どうやら先週金曜にインターネットで振り込んだ娘のザンビア滞在自己負担費の振込先口座番号が間違っていたようだ。電話で訂正できるからと番号を教えてもらったので、一度ムルングシにもどって電話することにした。固定電話は今日も不調で発信できなかったから、携帯電話から問い合わせたが「ただいま大変混雑しています。しばらくそのままでお待ちください」が通話時間のほとんどを占めて、肝心の口座番号訂正について相談している間に "Your account is expired" と機械の声が響いて通話が遮断されてしまった。20ドル分以上のプリペイド残高があったのに全部使い切ってしまった。

 結局、さらに20ドル分スクラッチ式のプリペイドカード(前回はK96000だったのに今日はK98000だった)を買って、そのアカウントを復活させたが電話で訂正するのは後日にすることにした。

 NSCに戻らずに借家で報告書の修正をしていたらムルングシ事務所から職員が手紙を持ってきた。開けて見ると10月から12月までの家賃の督促だった。11月まで支払い済みなのに督促されたので、憤慨して入居以来のすべての領収書を持って事務室まで行き担当のアンジェラに領収書を見せた。領収書には8月中に支払った3カ月分の家賃の金額と「9月から」とだけ記載されていた。そこで、彼女は領収書をムルングシ用の領収書控えにのせて間にカーボン紙をはさみ「9月から」に続けて「11月まで」と書き加えた。

 
20040420 不在中の手配
 朝、オリバーとムエンベに来月の給金を前渡し。メイドさんにも不在中の手当てを包んだ。SVの方々の話を検討して健康管理で日本にいる間はスペア・キーをムルングシのレセプションに預けることにした。出勤前に切れた台所の蛍光灯を持って事務所に行きメインテナンス・スーパーバイザーのシムワンザ氏にそのことを相談したらレセプションで使用人が鍵を受け取る時間と返却した時間を記録してくれるとのことだった。シムワンザ氏は16時に蛍光灯取り付けに行くと言ってくれた。

 NSCに行ってからはムルングシと使用人に渡すレター、メモの作成。それと日本で印刷しようと思う写真の整理をしていたらお昼過ぎになってしまった。

 その間にオリバーに頼んで水道、電気、電話、インターネット、警備会社への支払いを済ませた。しかし、オリバーが持ち帰った警備会社の領収書は9月分。彼に10月分だと確認しなかったのが失敗だったが、オリバーは会社のコンピュータが動いていなかったからとの返答。

 借家に戻りオリバー、ムエンベ、メイドのバンダさんにレターを渡した。ラップ・トップをしまってから自分で運転してマンダ・ヒルへ。日本の滞在費などをドルで引き出した。銀行の窓口で月末に残高が2500ドルを切るから25ドル口座維持?で引かれるけどいいですかと聞かれるが、承諾。

 現金を持ち歩くのが心配なので、また借家に戻って鍵のかかる場所にお金をしまって、再び外出。まず警備会社に行って領収書を9月分から10月分に書き直してもらった。もちろん契約開始の5月から9月までのすべての領収書を持参した。

 お土産を買えそうな店を下見してから、先ほど下ろしたドルの一部を両替にマンダ・ヒルに行くと、見かけた事のある3人の白人がショップライトで買物したたくさんの包みを車に積み込んでいた。彼らは先週宿泊したMukambi safari lodge のみなさん。リックはこちらの名前を覚えていれくれた。娘がウェールズに向かった事などを少々話してわかれたが、片道約300キロを走って買い出しに来ていた。

 その後、ムルングシのレセプションにメモを渡したところ快くOKしてもらえたので一安心。夕方、16時ちょうどに2名のテクニシャンが来て蛍光灯交換完了。

20040919 桑の実
 昨日庭と畑に散水できなかったので7時頃から水まき。

 ところが、畑の水撒きを快調にしていたスプリンクラーの位置を移動しようと地面につきさそうとしたらスプリンクラーの支柱が根元から折れてしまった。また、出費かと思ったが、畑の脇にある桑から熟した実をつまんで気分を治した。

 午前中にマンダ・ヒルのショップライトで日用品とスプリンクラーを購入。レジのコンピュータにスプリンクラーの金額が間違えて記録されていたらしく、K14万の商品の請求額が十分の一のK1.4万(約350円)だった。

 借家によってからNSCへ向かい昨日のスタディー・グループに使った器具の片付けなどをした。

 次の金曜日に健康管理休暇に出発するので、そろそろ準備を本格的にしなければならない。

 使用人の給料と公共料金支払い、不在中の掃除などのお願いについて出発前にすませなくては。
20040918 休養
 5時に目覚ましをかけて、身支度。娘も5時半前には起きてごそごそやっていた。昨日の味噌汁の残りと、五目御飯と糊に玄米茶で朝食をとりった。

 6時半すぎに車でルサカ国際空港へ向かった。

 空港は混在しておらず、空港使用料20ドルを支払ってすぐにチェックイン。出国ゲートは荷物のセキュリティー・チェックも兼ねていた。そこからはガラス越しに様子を眺めるだけ。どうやら無事に手続きも済んだ様子。娘は元気にロンドンへ向かった。

 一旦借家に戻ってから土曜日なのでJ***事務所で日本人子女のスタディー・グループに出かけた。

 アグリカルチャル・ショー用に作ったカメラ・モデル、万華鏡、スペクトロメーター、鏡などで小・中・高生5人と光を使った遊び?中には凸レンズで紙を燃やした経験がない子供がいたので、持参凸レンズと黒い紙を持たせて屋外に出て火遊びをした。

 スタディー・グループの後は少々買物をして休養した。

20040917 UNZAとカムワラ・マーケット
 明日8:45発のBA便で彩子がルサカからロンドンへ発つので今日はお土産の買出しを予定していたが、向かいのIK氏が勤務先のUNZA(University of Zambia)を見学させてくださるということで午前中は大学のキャンパスを見学に出かけた。

 9時過ぎにIK氏のオフィスに入った。その後、工学系5年生の男子学生2名の案内で、機械工学、電気工学、水質分析、Common Weath Youth Activity Centreなどを案内してもらった。
 広いキャンパスを歩いてまわって少々疲れた。日本なら自転車で移動するのがちょうど良いだろうと思いながら見学した。

 専門分野に近い実験室などを見学すると一言余計に話したくなるが今日はそれを堪えて話を聞くだけにした。

 学生はまだ案内し足りない様子だったが、2時間近く見学したので満足と感謝を伝えて借家に戻った。

 ラップトップを鞄に詰め込んで、NSCに移動した。自分は、娘に持たせる写真を印刷し、彼女は土産を一緒に選んでくれるルスや今日も食事の準備をしていたジョセフィンと早めに食事が取れるように相談。

 シマ、米、揚げ魚、野菜の昼食を済ませてから、ルスとともにタウンに隣接するカムワラ・マーケットに向かった。

 カムワラではインデペンダンス通りに面した店の構えは立派だが、そこから奥に入るとコメッサと同じようなマーケットが延々と広がっていた。

 布地、野菜、魚の干物などの屋台(?)や木炭のコンロで調理しているレストランなどを抜けていくと腕輪やネックレスなどのアクセサリーの店がいくつもあった。

 開けた場所の清潔そうな店でルスと彩子は商品をチェック。正規の価格は分からなかったが、なかなかショッピングを楽しんだようだ。

 車に戻ると歩道から出てきた男が窓を拭き始めてお金を要求したが構わず出発。コメッサの時も、カムワラも当地の知人が助けてくれたので安心して買物ができた。感謝!

 町中を薄紫に彩り始めたジャカランダの花を見ながら移動。

 NSCに帰り荷物を車に積み込んだ後、娘は出会ったスタッフ毎に丁寧に挨拶し借家に戻った。

 夜、N氏ご夫妻がザイビアのエプロンを娘に届けてくださった。どうもありがとうございました。

20040916 LVTC見学
 午前中はゆっくりNSCに出かけて6ヶ月目の報告書作成。彩子はチテンゲを腰に巻いて出かけ、NSCで手紙を書いたり、太鼓をならったりした。

 午後は2時からSVのAI氏とAM氏の勤務するLVTC(Lusaka Vocational Training Centre)でSVの研修会の予定だったのでNSCで昼食を早めにとって出かけるつもりにしていた。しかし、食堂に行ってみるとCanteen Attendant のレイチェルはマラリアで休養中、ジョセフィンがシマを作っていた。

 急いでいたのと(?)好奇心からか、ジョセフィンとともに娘は鍋にミルミルを追加しては鍋をかき混ぜてシマを作るのを手伝った。シマの粘りが強くなってからは、かなりの力仕事のようだった。

 豆とレイプ(ホウレンソウ)と魚にシマとライスの昼食を済ませ、一旦ムルングシの借家に寄ってからルサカ市のインダストリアル・エリアにあるLVTCへ向かった。

 バス会社の建物を利用してつくられたこの職業訓練校は、かなり日本の援助が入っている。バスの駐車場や整備場?がそのまま実習室や賃貸スペースに利用されていた。

 研修会は最初にAI氏の挨拶で始まり、続けて校長の挨拶があった。校長によると1997年に学校ができたときは40組の机と椅子だけだったそうだが、少しずつ改善されていったそうだ。

 英語の授業、自動車整備、木工、電気、溶接、レンガ積みなどの教室や実習室を見学させていただいた。指導者は誠実そうで、参加していた学生は熱意と向上心に溢れている印象を受けた。

 夕食は中国飯店、豚肉とイカの炒め物、麻婆豆腐、レタスのニンニク炒めとご飯。今日はテイク・アウェイ無しで全部平らげてしまった。
20040914-15 Kafue National Park
 Kafue National Park (カフエ国立公園)は、世界で2番目に広い国立公園で22400平方キロの広さがある。

http://www.zambiatourism.com/welcome.htm http://www.zambiatourism.com/travel/nationalparks/kafue.htm      

 14日の朝8時すぎにムルングシを発って、カフエ国立公園のMukambi safari lodge を目指した。前日と前々日にルサカから出る道を確かめてあったが、出発直前にSVのY氏が出張先からムカンビ・ロッジまでの道路事情について電話してくださったのでとても助かった。ルサカから114キロでTotalのガソリンスタンドがあり給油・トイレ・買物ができるとか、その先の国立公園入り口でも買物・トイレ可、目指すロッジまでの看板有りなどだった。Y氏の電話通りの距離にあったスタンドで給油ができ、また公園入り口の看板も確認できた。

 国立公園の入り口には厳重なゲートがあった。ゲートの前には藁が敷かれていて、車はその藁の上を通過するようになっていた。またゲートの係官が車のナンバーや車種を記録し、ドライバーにはサインを要求した。係官が何かを踏めと説明していたが、最初は何の事か分からず娘に聞きなおしてもらったら、家畜の伝染病である口蹄疫を広めない為に靴を消毒する液をしみ込ませたスポンジを踏めという事だとが分かった。でも、日本で、日本語でいきなり同じ事を言われてもすぐには合点がいかないとも思ったが。

 ゲートを通過後、丁度80キロで目指すロッジに無事到着した。しかし、ロッジまで数キロになった道路は、舗装路だったがところどころに大きな穴があり100キロを超える時速で走っているとかなり前方に注意する必要があった。

 オランダ人の経営するロッジ(これまでに何回かオウナーが変わっているそうだ)は、カフエ川に面して建てられていた。宿泊したのは4番のシャレー。給湯は太陽熱、排水は地下浸透、夜はろうそくとランプと自家発電、食堂のある建物からシャレーまで数十mだが夜間は車で移動する。

 荷物をシャレーに入れてから少々休養し、13時半から昼食。ここは3食が宿泊費に含まれている。食事の前にアクティヴィティーの相談をしたところ、朝の5時45分出発のゲーム(サファリ)と、夕方4時からのサンセット・クルーズを勧められたのでそれらを予約した。ビッフェ形式の昼食の後、自分は早めにシャワーを浴びて少々休養、娘はスケッチ。

 4時からのクルーズのためにレセプションに行くと建物の横に象がいた。黙々と食事中だった。建物からはほんの数mだった。

 クルーズの乗客は二人だけ。カフエ川を進みながら象、カバ、ワニ、野鳥を見て日没まで遊覧。リビングストンのザンベジ川のクルーズでは人家や他の船が眼に入ったが、ここには人工的な物が全く無かったのが印象的だった。

 夜はカボチャのスープ、魚料理、デザートの夕食の後明朝に備えて早めに就寝した。

 昨晩5時に起こしてもらうように頼んでいたのに、4時にお茶のセットを持った従業員がシャレーまで起こしにきた。5時だと強調するので、時計を見せて4時だと納得させ、5時にまた来てくれるように頼んだがもう一度は来なかった。自分が4時半ごろには起き出して身支度を始めたけはいがシャレーの外から分かったからかもしれない。

 シャレーは朝夕の数時間だけしか自家発電の電気の供給がないのでろうそくの明かりで洗面やトイレを済ませた。

 5時45分ちょうどにランド・ローバーにドライバーと警備員(AK47を持っていた)と乗客2名が乗り込んでゲームに出発した。日の出前なのでかなり寒く、ドライバーから受け取った毛布を体に巻きつけても車が風を切ると日本で真冬に自転車を飛ばしているような感じだった。

 カフエ国立公園内の平坦な道、起伏のある道、潅木の間にある道などを通過しながら、鹿の仲間(Kuduなど)、イノシシ、象、カバ、大型のワシを見た。途中で見た日の出は日の丸が揚がってきたような印象だった。

 8時過ぎに川岸で休養。川岸は緑に覆われた湿地で、キャンプや釣りも楽しめる環境だった。象の集団の渡河、アフリカで始めて見たオタマジャクシ、巻貝、そしてなにより景色をたんのうした。

 9時前にロッジに戻りゆっくり朝食をとってから少々休養して11時頃にチェックアウト。ルサカには2時半頃到着した。

 借家で休養中にJ***の連絡網で緊急連絡。NSCに近いカブロンガ高校の生徒100名程が、学校近くのBPガソリンスタンド付近で投石中、警官が出動しているが近づくなということであった。

 夜はWEBにつながるものの、ザンビア国外のサイトにアクセスできなかった。プロバイダーのメイルをチェックすると、障害についてもお詫びのメイルが届いていた。


15th September 2004

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We thank you for your patience.
20040913 オイル交換
 朝ごはんにCeresのルビー・グレープフルーツジュースを飲もうとコップに注いだらいつもより濃い色で果肉だらけだった。しかも最初に注いだコップは機械油のような匂い。折角だが1リットル全部捨てて新しいパックを開けた。

 NSCにオリバーの運転で娘と出かけた。彼女は太鼓をならったりチテンゲ(布地)をどう体に巻きつけて使うかを聞いたりするつもりだった。NSCで秘書のルスが、チテンゲにちょっとハサミを入れた後、手で布を見事に裂くのを見てびっくりしていた。

 彼女をNSCに残してエンジンオイルとフラッシング液を買いにオリバーとタウンへ向かった。NSCを出ようとするとエルビスがモバイル・ラボ用のウォーター・ポンプの在庫が無いのでタウンのカムワラで10個買って来て欲しいとの要望。快くOKした。このポンプは日本で灯油をプラスチックの缶からストーブに入れたりするのに利用する物と全く同じ商品。

 カムワラの店を回っても、ルサカ・ハードウェアに行っても、ミックマーに行ってもポンプは無し。なかには自信たっぷりにシティー・マーケットの近くの○×に行けばK7000だよ、と説明してくれた店員もいたが入手できなかった。

 結局、自分用のエンジンオイルとフラッシング液だけを購入し、給油とタイアの空気圧点検をしてからNSCに戻った。

 娘は少々退屈そうにオフィスで待っていたが、その後エルビスや他のスタッフが太鼓の叩き方を熱心に教えてくれた。エルビスは業務時間にもかかわらず丁寧に相手をしてくれた。(NSCの所長が9月6日から30日間の休暇をとっているので所員は少しのんびりしている)  この間に、オリバーはNSCで手際よくオイル交換を済ませた。

 お昼過ぎに一旦オリバーと自分だけムルングシに戻った。オリバーをムルングシで降ろし、自分はNSCへ引き返した。  午後も太鼓の練習。その後、J***へコシヒカリを取りに行く準備をしていたが、レイチェルが不調だと聞いたので食堂へ見に行った。

 レイチェルは発熱とだるさで食堂の椅子に座り込んだままだった。いろいろ聞いて見るとマラリアが全快していないようす。以前かかっていたクリニックは血液検査ができなかったので、今日は仕事が終わったら検査のできるクリニックに行くと話していた。

 NSCに明日と明後日はカフエ国立公園に動物を見に行くと伝えてからJ***事務所へ向かった。モングの隊員の指導でつくられたコシヒカリ20キロを18万クワチャで購入した。

 事務所で一緒になったS隊員を自宅まで送ってから娘とアーケイドに移動して簡単に買物を済ませた。

 夕食を済ませて洗い物をしていたら、「雨漏り!」という声。どうやら廊下の天井にあるお湯の配管?からの漏水らしかった。台所のお湯の蛇口を閉めて一件落着。
20040912 日曜日・チカンダ
 眼が覚めてから庭の散水、シーツの洗濯などを済ませた。

 娘とマンダ・ヒルに出かけて食材や洗剤を購入。CDでクワチャを日本の口座から少し下ろした。  昼は買ってきた野菜と肉などで肉じゃがを作ってもらった。  食後に庭師のムエンベ宅を訪問。教会の後らしくみんなきちんとした身なりだった。夫人手製のチカンダをご馳走になった。

 落花生をつぶしたものに、チカンダというフルーツの実をすりつぶしたものと水を混ぜて加熱すると、あるところで急に膨らんで食感がハムかカマボコのようなチカンダという料理ができるとか。チカンダは材料の名前でもありこの料理の名前でもある。しかし、彼らにとってチカンダの実は高価だそうだ。

 たいへんな歓迎をしてくれてすごくうれしかった。
20040909〜20040911 リビングストン
 9日の朝6時半までにバス停へという予定でオリバーを早朝から出勤させてタウンへ向かった。今回が2度目のリビングストン、彩子さんに滝を見てもらうのが目的。

 前回二階建てバスが早朝になかったのも今回と同じくガレージに入っているということだったのかもしれない。各駅停車のバスは予定通りに7時に出発し、13時半頃にリビングストンに無事到着した。

 どうやら白タクらしい運転手と交渉した後、ルック・アウト・ツリーというバオバブの大木を見学してから宿泊先のサンベジ・サンに向かった。

 運転手は結局3日間付き合ってくれたが、燃料計がEを指していたので10日(二日目)にはお金を渡して少々給油させた。

 初日は、二日目のアクティビティの予約をしてから、娘と滝の見学とサンセット・クルーズに行った。滝は一ヶ月前に比べてかなり水量が減っていたが、マイティー・ビクトリア・フォールズの威厳は変わらなかった。

 サンセット・クルーズの前に軽食すませたが、量が多かったので半分は包んでもらって夜食にまわした。

 サンセット・クルーズ送迎バスはベンツのマイクロバス。アフリカン・クイーンの乗客は約25名だけだった。混雑していないのでゆったりとザンベジ川沿いに見られる動物を鑑賞した。

 カバのあくびに、脱糞、象の散歩と脱糞と喧嘩?象の水泳など時間をかけて見る事ができた。

 二日目にはマイクロ・ライト・プレインに挑戦。7時半に迎えの車に乗り、防寒着を着て、ヘッドセット、ヘルメットをかぶって一人ずつ空から滝を見学した。ベルト以外に体を機体に繋ぎとめていたものが無く、風をまともに受けながらの15分だった。機体を傾けると、落ちないと分かっていても前にいるパイロットの椅子にしがみついてしまった。

 軽く朝食をすませてから、ヘリコプター・フライトへ。先月とは違う会社のユウロコプター。バオバブの木が目印のヘリポートから15分のフライト、白人夫妻と同乗だったが、マイクロ・ライトに比べて安心感があった。安定した椅子やドアのおかげで、機体が傾いても不安を全く感じることなく景色をたんのうできた。ヘリの振動や騒音も前回より気にならなかった。空中からみるとザンベジ川にゴマのように見えるカバが印象的だった。

 午後は、娘が朝食の時に準備したサンドイッチを食べた。その後、自分はタクシーでタウンへ出て翌日のバスのチケットを購入。戻ってきてから二人で滝の見学と売店のチェック。娘は気に入った太鼓を見つけたことができたようだ。

 夜は、ホテルにあるカジノ内のレストランでサラダとピザそれにワインを楽しんだ。

 三日目は朝の滝を見学した後、売店で少々買物をしてからチェックアウト。タクシーの運転手にリビングストンの市街地を案内してもらってから鉄道博物館を少しだけ見学して帰途に着いた。

 帰りのバスは二階建てで、席を取った一階は足の伸ばせる快適なイスだった。
20040908 博物館とコメッサ 
 朝のうちにドライバーとリビングストンまでのバス・チケットを購入に出かけた。CRバス会社(創立者のイニシャル)によると明日、二階建てバスは無し。そのため、7時発のチケットを二枚購入した。

 ムルングシに戻って娘と簡単な朝食をすませた後NSCへ、写真の印刷など簡単に用事をすませてから、借家を経由してタウンに向かった。国立博物館見学の為である。一番の目的はニャンジャ語の教本を博物館で入手することだったが残念ながら当館には無し。立派な外見の建物内のちょっとさびしい展示物を少しの間鑑賞した。

 午後、ナオミの案内で布地市場になっているコメッサへ出かけた。ナオミはあまりタウンに出ないので少し道を間違えたが何とか目的地に到着した。迷路のようになっている場内を見て娘が気に入った店舗で布地を選び購入した。

 夜はJ***のI所長宅で夕食、日本からいらっしゃったIOさんとこちらの事務所のMDさんを交えていろいろ話をすることができた。

 明日からは二泊三日リビングストンである。

20040907 来客到着
 借家を6時15分に出てルサカ国際空港へ向かった。6時30分頃、車の上をロンドンからのBA直行便が通過、定刻に到着した。3000クワチャを払って駐車場に車を停めてからArrivalの出口で待った。早朝からたくさんの迎えの人がいたが(もちろん日本の空港より小規模)、入国手続きが終わってゲートを出た途端に親族に会って泣き出す人や抱擁しあう人がたくさんいた。ゲートは2つあったのだが、そのひとつが鎖で施錠されると「私の母がまだ出てきてない、このくらいの背格好の人!」と係官に訴える女性がいたり辛抱強く待つ旅行社員がいたりした。

 娘の彩子は、スーツ・ケースと手荷物を抱えて無事到着、飛行とトランジットの待ち時間で24時間かかったそうだ。その前の移動もいれるとまる一日以上の疲れがあったようだが、その時は比較的元気だった。

 車でムルングシの借家に到着したところ京都大学のS氏が借家で待っていてくださった。現在は、当地で調査に忙しいS氏の講義を今年の前期に受講した娘は、ザンビアで彼のフィールドワークに参加できることを期待していたのだが、ザンビアでは予定や約束が変更になることが多いのでS氏もなかなか確約ができなかったようだ。フィールドワークは難しいかもしれないが日曜のお昼に昼食でもという約束をした。

 ムエンベとオリバーに挨拶をしたあと少々の休憩をとってJ***事務所とNSCで挨拶。みなさん親切に対応してくださった。NSCでは、彼女が当地で期待していた布地と太鼓の購入の相談にのってもらったり、ザンビア人の主食であるシマを手で食べたりした。(自分はまだ手で食べていない=手から吸収するわけではない)  しかしさすがに少々疲れが出たようなので、午後は休養させた。

 夕刻にムルングシ内の散歩に出かけた。いつも挨拶しあうブルガリア人のマリヤン・ヤキモフ君の家に寄って雑談していたら、彼は次の月曜日に帰国するとのこと。インテリア・デザイナーで家具のデザインを仕事にしていると聞いていたのに、今日の話しでは、いままで学生で英語を勉強していたそうだ。帰国後は勉強を続けるとか。SVのY氏・N氏・UW氏も合流して記念写真。

 UW氏の庭で娘が希望していたカメレオンも見られた。

 夕食は、中国飯店。今日は中国人の宴会が2組ありこちらの注文はかなりおそくなってしまった。待っていた間に、店員のナオミは布地購入のアドバイスを親切にしてくれた。




20040906 月曜日
 ムエンベは自動車学校の支払いに行った。オリバーは夜学の自動車整備学校に今日から通い始めた。午前中に借家の庭の散水と明朝の庭掃除をオリバーに頼んでNSCへ。

 昨晩中に作った日本紹介のプリントの英語をムカンダ氏にチェックしてもらってから印刷した。9・10月の自分の予定と日本の自然災害、特に地震、台風、火山についての簡単な説明をまとめた。昨日近畿地方を中心に2回の大きな地震があったので、自然災害をテーマに選んだ。

 ムカンダ氏はチェックした後、日本にはこんなにすごい地震があるのかと聞いたほどだ。

 午前中にプリントを今日NSCに出勤しているスタッフに配布してからムルングシに戻った。午後は、来客用の準備をしたり、ドルを銀行から下ろしたりしてすごした。

 銀行で初めてドルを下ろしたら、銀行員が100ドル札を一枚ずつ機械に通してナンバーを印刷した紙を2枚作った。それぞれの裏にサインして一部は自分、一部は銀行が保管。ここでは、ドルをクワチャに両替するとき、高額紙幣の方が交換レートがよい。

20040905 日曜日
 昨日の水撒きは暑い時間にやって少々まいったので、今日は朝から散水。庭師が密植トマトもキャベツも順調に大きくなってきた。ちょうど自分がザンビアにいない時期に使用人達が食べてくれるだろう。

 マンダ・ヒルで洗剤などを買って、その後はレンタル・ビデオの鑑賞。英語版の「千と千尋の神隠し」(Spiritual Away)は一日K5000(約114円)で借りた。日本で封切りの時に見たより好印象だった。

 来客に備えて少々借家内を片付けた後、午後は休養した。

 そういえば、"Sex with me doesn't cure AIDS" という大きな看板(ポスター?)をルサカ市内で以前から見ていたのだが、昨日専門家のM氏がその意味を説明してくれた。この看板には小さな女の子の写真とこの文が印刷されている。当地には、HIV/AIDSに感染しても小さな子を犯せば直るという俗説があるのだが、それを否定する啓蒙ポスターだそうだ。どうしてそんな説ができたのかもわからないが、説明を聞いてびっくりした。

20040904 来客準備
 日本では二学期が始まったので、土曜日の日本人子女学習会が再開した。8月中に打ち合わせをして、規約なども整備する準備が進んでいる集まりだ。自分の担当は中学生・高校生だが、幼稚園に入る前の子供も参加している。

 今日は、主にM・Iさんの細胞分裂の勉強をアメリカン・スクールの教科書に合わせて手伝った。パタパタ細胞分裂を渡したり、なぜ細胞が分裂しなければ成長できないのかを説明したり、染色体構造・分裂周期・各分裂期の特徴などの学習をしたりした。M・SさんとY・Iさんの理科のお手伝いは次回になってしまったが、その時には簡単な説明器具を持参したい。

 7日(火)に到着する来客に備えて、午後は買物と借家内外の整備。買物といってもシャンプー、ミネラル・ウォーター、石鹸、ティッシュ、トイレットペーパーなどの日用品。それでも、かなり高額な出費になってしまった。買物の後、枕カバー、シーツ、毛布の洗濯をすると同時に庭の散水と植木鉢の移動、コンピュータのウイルスチェックをした。大きな鉢を動かす時に割ってしまったので、鉢の中にあった植物をムエンベに頼んで月曜に土に植えて貰おう。

 結局14時過ぎから17時頃までずっとスプリンクラーとホースで散水。庭木の枝打ちも少ししてちょっとだけ借家の周囲がさっぱりした。

 この頃、駐車場脇の木にカメレオンがいる。ストロボを焚いてデジタル・カメラで撮影を繰り返したら閉じていた目を開けて、不機嫌そうに移動した。しばらくしたら戻っていたが、来客が来るまで同じ木にいて欲しい。
20040903 自動車学校見学
 NSCについてから昨日の研修会の資料と材料を次の研修会にもうまく使えるように整理しながら片付けたら2時間ほどかかってしまった。

 それに説明書も実際に利用した日用品の写真を入れながら改訂したい。

 片付けの後、オリバーに頼んでムエンベが来週からかよう自動車学校(Galaxy driving school) を見に行った。

 タウンのフリーダム・ウェイ沿いにあるオフィスと講義場を兼ねた事務所を見た後、路上教習前の実習上を見学した。起伏のほとんどない未舗装の赤い敷地に石を並べたりドラム缶を立てたりしてコースが描かれていた。オリバーの話だと、30分間ここで教習してから公道に出るのだそうだ。(聞き間違えたかな?)これはとんだ間違いで、後日ムエンベに聞いたところ、2日ほど講習だけを受けて、そのあと5日間公道に出ずに運転の練習をするそうだ。

20040902 Teacher's resource centre?
 オリバーは学費の支払いで不在。ムエンベは誕生日、彼は家族と長く過したいと言って来たので午前中で帰って良いと伝えてから、11時に帰って良いと訂正。

 今朝も91年式サニーで借家を出発。J***事務所に向かった。途中になかなか右折できないT字路があって8時に間に合うか心配だったがなんとか10分ほど前に到着。ピカピカのトヨタ・ランドクルーザーに実験道具を積み込んで8時過ぎにJ***の現地ドライバーとS氏と共に出発。途中で隊員のドミトリーによって、M氏、T氏、K氏が同乗。首都ルサカを後にして制限速度をちょっと越えながら北上。このランドクルーザーはどの窓も手動なのとマニュアル・ミッションなのがよい。時速140キロになっても安定した走行で全く不安を感じなかった。

 10時過ぎにKabwe(トレイド・フェア見学の時にも通過した都市)にあるK氏の勤務する学校内にあるリソース・センターに到着した。校長先生に挨拶などして早速研修会開始。周囲のベイシック・スクールから3名ずつの先生が出席しただけでなく、他の役職の(インストラクター?、コーディネーター?)の方も参加。さらに、当地のコミュニティー・スクール(民営の学校?)からも出席者があった。

 まず、我々講師陣が紹介された後、参加者が自己紹介。その後、3種類の資料をこちらから配布して、実験を紹介した。紹介したのは、某(Jor N)国が国内32箇所に配布したサイエンス・キットだけを利用してできる8・9年生用の理科の実験。ただし、キットに無いゴム栓・ガラス管・薬品などは当地で購入できる代用品を利用した。参加者の力量が不明なので、失礼にならないように、あまりにも初歩的なことは省いて、資料に従ってどんどん説明した。

 丸底フラスコに水を入れて凸レンズの代用にし、景色を白い紙の上に結像させることから始め、同じ道具で太陽光を黒い紙に集めて火を起こすデモ。ケチャップ・ケースを使って二酸化炭素を発生させる実験。電池を分解して取った二酸化マンガンと薬局で買ったオキシフルで酸素を作る実験。食塩水を電池からとった炭素電極で電気分解して水素を取り出す実験。赤キャベツを使ったPH試験液の実験と続けた。

 このリソース・センターがK氏の勤務校内にあるので、K氏が参加者の間を回ってこまめに説明してくれた。

 実験のデモの後、おきまりのファンタかスプライトかコーラとビスケットで休憩。その後、S氏の進行で希望者に再度実験を試みてもらったり、質疑応答をしたりした。質疑の中でサイエンス・キット以外に寄贈されている教材・教具の使い方を説明してもらっていないという不満が出たので、隊員達が中心になって組み立てやデモをしてくれた。

 結局、予定の12時をかなり回って終了。なかなか楽しい経験だった。ただ、終了後にアロウアンスは無いのかと聞かれたのがちょっとショックだった。S氏によると他の援助国や団体のなかには、こういったワークショップのたびに参加者に参加手当てや食事代を配るのだそうだ。そのお金が当地で研修を受ける側の予算にまで組み込まれてしまっているとか。しかし、わが国の先達は、断固としてお金で人を集める方法を取らない姿勢を貫いたとか。日本人でも進んで研修を受ける人は参加費用を惜しまないのと対照的だ。当地の人々にとって、そうった視点の変化が起きない限り、進んで技量を向上させようという風潮が広がらないのではないかと心配だった。

 自分が行った説明は、参加者からの質問や実際に同じ実験をやってもらった先生の様子を参考に振り返ると、まず資料をじっくり説明し、一つひとつの実験を噛んでふくめるようにゆっくり進めていくべきだったと思った。次にチャンスがあれば試してみたい。

  研修会後にKabweの市内を散策。ちょっと陽射しが強かったが、サングラスをして未舗装の道をテクテクあるいたり、タウンを見学したりした。住宅街の道を行き交う人々が散見されたのだが、周囲はいたって静か。大きな木々が家々の周りを囲んでいた。ルサカにあるような物々しい塀は目に付かなかった。

 Kabwe出発前にタウンにあるビッグ・ツリーと呼ばれる巨大なイチジクの木を見に行った。枝を張り巡らした周囲は50m以上もありそうだった。

20040901 研修会準備
 オリバーは学費の借用のためにフォーマルなレターを書いてきた。保証人に学校の恩師を立ててあり、NSCの図書室担当者が証人でサインしていた。

 彼に昨日頼んだ地酒は一瓶で2万クワチャだった。ただし、これは二番目のグレードだそうで、一番濃いものは8万クワチャだそうだ。しかし、この瓶は蓋がしっかり瓶につながっていなかったので、NSCのデスクに置こうとして蓋を摘んで持ち上げた途端に床に落ちて割れてしまった。従って、飲むことも(そのつもりはないが)、蒸留してアルコール濃度を上げることもかなわなかった。

 香りから判断してもこのボトルはそれほど強い酒ではなかった。(ただし、これらの酒は違法に醸造・蒸留されているそうだ。ザンビアで皆既日食が観測できた年に、あるアメリカ人が日食の前夜に一杯地酒を引っ掛けたところ、そのまま寝込んでしまって起きた時には日食は終わっていたとエルビスが話してくれた)

 床に落ちた残骸を片付けて、お酒をふき取ってからは、明日のセントラル・プロビンスでの研修会に備えて追加の買出し(大した額ではないが自腹)。出かけようとしたところで、民族衣装(ロシ族?)のジョセフィンが一番近いスーパーのメリッサで食材を買いたいので乗せて行ってくれとの依頼。OKして一緒にメリッサに行った。実験道具に使えそうなものがないか商品を見ていたら、生肉売り場で見慣れない小動物の肉が丸ごと売られていた。眼も付いているし、足の先まである。商品名を見たら RABBIT だった。

 NSCに彼女を届けてからオリバーとタウンへ向かった。まずショップライトで小物の買出し、乾電池に、ケッチャプ用プラスチック容器、透明なプラスチックのバケツなどを購入した。

 追加で石灰が買いたかったがハードウェアショップで購入すると余りにも大袋になるだろうから、有料トイレに立ち寄った先の駅の構内?に落ちていた石灰を拾い集めた。(後でチェックしたら、大理石か石灰石の粉だった)

 タウンまで来たので、オリバーが今月から夜学に通う自動車整備学校を見学した。授業を行う校舎に入ったら、教室ごとの仕切りは骨組みの角材に合板を打ち付けてペンキを塗っただけのもの。骨組みは教室内部から見える。天井板は無く、屋根の骨組みがそのまま見えた。それでも、この学校は有名校・大手校のようだ。オリバーは教官との直接交渉で入学するので、学費は教官に直接支払うことになるとこの日に説明してくれた教官は話していた。

 実習を行う校舎も見学した。日本の自動車販売会社にある整備工場程度の広さか?それでも当地では最も先端的な設備を備えているとか。

 NSCに戻ってからムベルバに、試験管やフラスコ用のコルク栓やゴム栓の代用品を木材で作って欲しいと依頼した。

 ウンデケには、ラップの芯を使った電池ホルダーの電極を金属板から作って欲しいと頼んだ。

 彼らの作業中にケチャップ容器とバケツで二酸化炭素の発生と捕集の練習。石灰水の調整、ザックスの実験のサンプル作りなどを続けた。

 そうしているうちにもジョセフィンがリソグラフで印刷したいとやってきたり。ステファンが本棚の進行状況について不安を述べにきた。ジョセフィンは使い方を忘れたと宣言したので、印刷は全部自分でやった。

 5時前にウンデケは、加工済みのパーツを届けてくれた。ムベルバも見事に木片を加工してくれた。後者はガラス器具の口にぴったりあって漏れが無ければ言う事なしなのだが。

 J***事務所に資材を移動して今日は終わり。

 写真は紫キャベツ液とPH変化。
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