2005年 3月の日記 連絡先(e-mail)
2005年 2月の日記

20050331 報告書作成
 昨晩はY氏の最終報告書作りをほんの少しお手伝いした。

 土曜日は天候が良ければスタディー・グループの有志で星を見る会を開けそうだ。夕方からカレーを用意して、南半球の星を観望の予定だ。

 今日は、オリバーが久しぶりに来たので、公共料金の支払と自動車検査を頼んだ。1時頃に無事戻って来た。明日、自動車関係の書類をもう一件受け取ってきてくれるそうだ。

 こちらは、報告書作成に集中した。夕方までかかって無事終了。J***事務所に提出した。ところが、事務所で4月12日にJapanese World (4月から放送時間が火曜日の12時5分からになり、Radio 2 とRadio 4 で放送される)に出演して欲しいと頼まれた。明日までに返答しなければならない。うーん。

20050330 A氏の帰国前発表会
 今月中に12ヶ月目の活動報告書を仕上げようと作業を始めるが別の書類を作り始めてしまって中断。まず、3月の活動記録を作って、シニア・オフィサ達に配った。その間にミニヴァーには最後の1枚になった4ミリ合板にザンビア型定規の下書きをできるだけたくさん書いてもらった。

 活動報告書の作業が昼食後にやっと始められたが、15時半前に中断した。16時からのSV帰国前報告会に参加するためだ。今日はLVTCで電気を教えていらっしゃったA氏の発表だった。40枚ほどの写真を順に紹介されて、独特の語り口で2年間の活動を振り返ってくださった。A氏は若い学生と常に活動していたので、忙しい中にも楽しみが多かったとお話されていた。

20050329 久しぶりの本格的な雨
 明け方から、雨が強く降ったり、止んだりした。久しぶりにまとまった雨が降った。西部州にも十分な降雨があれば、ザンビア最大の伝統行事であるコンボカ祭が開催できるかもしれない。旱魃(ラジオでははっきりdroughtと言っていた)気味の天候が続いたので、ザンベジ川に十分な水量が必要なコンボカ祭が行えるか旅行関係者は心配していたからだ。雨季で水量が増した後、ロジ族の王様が船をしたてて移動するのが祭のクライマックスなのだが、水位が低いと船が川底にひっかかって動かないので祭ができないのだ。例年なら、すでに祭の日程が発表になっているそうだが、今年は3月も終わろうとしているのに未定だ。

 午前中は、12ヶ月目の活動報告書などの準備。一段落したところで、カブロンガの商店街までドルをクワチャに両替に出かけた。しかし、一枚の100ドル札が紫外線検査で光ったので、換金できないと言われた。(他の札は光らなかった)ちゃんとした銀行でおろしたお札だと主張しても駄目だったので、その場は引き下がった。

 午後に借家に戻って、このドルを銀行から受け取った時の札の番号の控えを取り出し、銀行に出かけた。確かにこの銀行で受け取った札だという証拠を添えて事情を説明したので、別のドルに交換してくれた。ちょっとほっとした。

 夕刻は、J***事務所で、理数科教員隊員達の報告会に参加した。ある隊員は、高校の数学や物理を学習するための基礎的な数学の力が弱い生徒が多かったと話した。たとえば、ものさしで長さを測ったり、体重を測ったりするような、数量と知識が具体的に繋がるような経験が乏しいからだろうと説明していた。

20050327・28 イースターとHappy Monday
 日曜日には、当地の人々にとって最も重要な宗教日が無事終了。午前中のラジオはイースターのお話だった。教会には行かなかったが、のんびり休養した。

 Happy Monday の午後には、ナオミが、いとこと一緒にオフィスを見学に来てくれた。教材のサンプルを見せたり、近況を聞いたりした。彼女は、先月中国飯店の経営者と待遇について物別れになり、仕事をやめて教員養成大学に通っている。大学は1月から始まっていたので、追いつくための勉強がたいへんだそうだ。12月に試験があるそうだが、普通の学生よりたくさんの試験を受験するらしい。

 4時頃に借家に戻ると37.8℃のどの発熱。でも、気分は悪くなかったので、風邪薬とビタミン剤と果物をとって休養しようとした。横になったところでA氏から連絡があり、英文報告書の印刷をお願いしたいとのことだった。お宅におじゃまして、3時間ほどで、作業を終わったが作業に集中している間に、熱が治まったようで、一安心。途中から合流したY氏とともに、印刷が終わってから外食に出かけた。

20050326 LVTC見学
 今日は午前中にルサカ・職業・訓練・中心(LVTC: Lusaka Vocational Training Centre)を訪れてA氏の製作物を見学した。A氏は4月5日にザンビアを発つので、活動も追い込みである。休日の今日も一人で職場にこもり電気回路の実習機をつくっていらっしゃた。

 10時過ぎから見学させていただいて、その後は昼食をタウンでご一緒した。タウンで食事をするのは始めてだったので、少々緊張したが、入ったチキンの店は日本のファースト・フード店とほとんどかわりがなかった。

 イースター休暇2日目なので、道路も空いていて、タウン往復は苦にならなった。

 午後は4月21日に出国されるY氏の計算機作業の手伝い。画像や文書のファイルをCD-RWに焼いたり、写真の印刷について説明したりした。

20050325 Good Friday
 朝、ゆっくり起きてTVをつけると、地元で作ったと思われる寸劇?を放送していた。キリストがゴルゴダの丘へ十字架を背負って行って、磔になるまでのお話で、その三日後に復活したとされるのだが、そこまではドラマに入っていなかった。テレビは平日12時から放送だが、土日や今日のような祝日は朝7時から放送が始まる。

 番組表は見た事が無い。朝の放送でアナウンサーが今日の番組は・・・と読み上げて、一日の予定が分かるしくみだ。

 朝食の後、コンピュータを起動するとウイルス定義ファイルが更新できないトラブル。システムの復元や、レジストリの変更など、いろいろ試したが駄目だった。最後に、ソフト・ウェア会社のウェブ・サイトから最新定義ファイルを1時間かけてダウンロードして解決した。
 
20050324 イースター前日20050323 犯罪状況
 これから、アグリカルチャル・ショー(7月末)までの作業を書き出して整理してみた。急いでやるのは12ヶ月目の報告書作り。それ以外にもこまごました事がたくさんあるが、今日はイースター前日なのと、今週は所長が不在なので、所内はみんなのんびりしていて、すでにイースターに入ったかのような印象だった。

 結局、NSCウェブ・サイト用のファイルを少し作り直しただけで(修正分は、夜アップ・ロードした。前任者がたくさんの整理されたファイルを残されたのでそれらを活用させてもらっている)、オフィスでの仕事は終わり。

 午後になると、終業時間前にみんな帰ってしまって、閑散となったので、4時過ぎには退出した。NSCからバスがないので、ミニヴァーとレイチェルを送って行った。レイチェルをカブワタで降ろし、ミニヴァーはおじさんの事務所に行くのでタウンで降ろしたが、タウンは渋滞がひどかった。一番の大通りなのに、ほとんど信号が無い。カイロ通りを直進していると、交差点から合流する車が強引に頭を突っ込んで来るから、なかなか前に進まなかった。この賑わいもイースターのためだろう。

 広辞苑によると、イースターは、「キリスト教会で、キリスト復活記念のために、春分後の満月直後の日曜日に行う祭事。」だそうだ。確かに、春分の日が終わって、夕方になると大きな月がかかっている。NSCで聞くと、金曜、日曜の午前中はほとんどの人が教会に行くそうだ。

20050323 犯罪状況
 試験管立ての穴の大きさをエルヴィス達と相談したり、顧客の要望に答えて眼球モデルの値段を問い合わせたりしていた。昼過ぎにミニヴァーがしばらく席をはずしてから興奮して戻ってきて、一緒に部屋を借りている友人(ナターシャ)がアーケイドの近くで強盗にあったと話してくれた。

 ナターシャはアーケイドにあるスーパー・マーケットのスパーを退職したので、制服代の清算などにアーケイドに出かけたのだそうだ。裏口から入ろうとすると、近くの草むらに隠れていた二人の男に襲われて、お金の入ったカバンと、携帯電話を奪われたそうだ。彼らは、ナターシャの背中を電線のようなもので叩いたが、彼女の怪我は軽いようだ。ナターシャは叫び声をあげたのに、裏口の内側にいた警備員達は、ゲートの外側に出てはいけない規則があるので、誰も助けに来なかったとのことだ。携帯電話は中古市場に売られてしまうし、警察は何もしてくれないだろうとミニヴァーは言っていた。

 事件の後、ミニヴァーは連絡を受けて、ナターシャに職場の近くまで来てもらって、お金と自分の携帯電話を渡し、彼女には警察にレポートに行くように話した。

 J***からもルサカ中心の犯罪状況を定期的にもらっているが、知人の知人が直接被害者になったのにはびっくりした。クリスマスやイースターなど豊かな人が楽しく過ごす時期の前には犯罪が増えるそうだ。今年は旱魃で主食のメイズ(トウモロコシ)の収穫が少なくなりそうなので、これから人々がすさまないように祈りたい。

20050322 ちょっと疲れ気味
 皮膚の調子が悪い。腫れているところが増えてきた。マシンも少々おかしい。ワードはカーソルが小さくなってしまった。

 ミニヴァーと食品分析、DNA抽出、ベネジクト液調整と使い方、の実験プリントを作った。ミニヴァーには実際にベネジクト反応と試してもらった。

 その他に、所長に出すメモやJ***に出す出張用の書類を作った。

 昼間はレイチェルが歯痛でいないので、おばさん達が代わりに厨房に立っていた。でも、肉も野菜も買っていないから、シマかご飯といわしの缶詰だけ。缶詰のいわしをさらに辛く味付けしただけの昼食だった。

20050321 月曜日
 昨晩は、深夜までかけてNSCのサイトをアップした。後は、商品の注文の仕方、NSC製品の写真を入れたページなどを追加すれば一段落というところだ。一週間で、形だけなんとかなったのでこの後はゆっくり作業しよう。

 NSCでは、ミニヴァーに手伝って貰って、食物分析の実験プリントとDNA抽出法のプリントの下書きを作った。それと、ウェブにアップしたり、印刷をコンパクトにしたりするために前任者の作った製品カタログのレイアウトの調整をした。

 午後はJ***事務所と帰国する3名の隊員の報告会を聞いた。旅行業、青年活動(孤児院での活動)、CADの指導について発表があった。全員、予定の時間よりタップリ話した。とても充実した内容だった。

20050318-20 週末
 金曜は、2004年度の業務費のまとめと、NSCウェブ・サイトの更新作業。ほとんど机に向かっているだけなので、体が硬くなった。

 午前中にチョンゴ氏が、オフィスに来て今日の午後からマラウイに2年間行くとのこと。マラウイ大学で Technology education を勉強するのだそうだ。単身で出かけて、こちらに残る家族が給料を受け取れるようになっているらしい。

 夕食の後に散歩をして少し体をほぐした。

 土曜日は、日本子女のスタディー・グループ。小学生以上にNSCのコイルを使って、電磁石やブザーの実験を紹介した。ンデケがつくってくれた支柱を使ったコイル・モーターの実習もできた。

 夕方からは、帰国間近のTさん宅でパーティー、大勢の来客で夕方5時から深夜までにぎやかだった。ただし、少々飲みすぎた。

 日曜日はゆっくり起きて、体調が整ったところで、NSCのウェブ・サイト更新作業。今のところ考えられる内容はほとんど盛り込めた。ただし、アップするのにどのくらい時間がかかるか想像できない。

  福岡の地震の揺れの様子はBBCのサイトで見た。

20050317 ウェブサイト更新
 NSCのサイトに実験の紹介をアップしたいのだが、ワード・ファイルでアップすると、手元の計算機で開けないので、それらのファイルをできるだけHTMLに作り直すことにした。でも半日休まずに作業してやっと10件だった。適当なところで止めて、別の方法でサイトを充実させるべきだとも思う。

 昼食は、いつもの木曜に出る豆と野菜以外に、何かのお肉がついていた。早く食堂に来た人にはお魚もあったようだ。めずらしいことだ。
 
20050316 贈呈式
 ムエンベが7時前に電話をくれた。腹痛で休むそうだ。

 NSCで、ミニヴァーに栄養素確認実験の説明をして、その説明書を英文で作るように頼んだ。食用油、卵白、ブドウ糖液、ショ糖液(砂糖液)、デンプン液を見分ける実験。液の入った試験管を振ったり、においを嗅いだり、加熱したり、試薬を加えて確認するのだが、最も効率的な方法を児童・生徒に検討させる実験例だ。彼女は、一度説明を聞いただけで、資料の教科書を見ながらどんどん作文していった。

 水曜日なので11時からラジオ4で Japanese World の放送があった。K調整員さん(緊張していらっしゃいました)、J***現地職員のPさんの話とN隊員のギターにあわせてM隊員が大きな古時計を生で歌った。途中に英語の歌詞を挟んでいたが、ほとんどが日本語の歌詞だった。すごい度胸と思いながら、なかなか感動して聞いた。月曜にM隊員の報告会に参加したので、歌の後に放送された活動の背景が良く分かった。

 放送の後、レイチェルに頼んで早めの昼食を取った。13時半にタウンのNational Heritage House へ向かった。ミニヴァーをアーケイドで降ろしてから(彼女は退職金を貰いに行ったようだ。無事に支給されただろうか?)、チャーチ・ロウドを通って14時過ぎに到着した。

 Nsalu洞窟の案内板と説明板の贈呈式は14時半からの予定。早く着いたので、SVのY氏の仕事部屋で待った。この建物は英国人子弟の為に当地で最初に建てられた小学校だそうだ。窓枠や壁もしっかりとした作りで、清潔なトイレも完備されていた。でも、Y氏によると電話代を払っていないので、今は電話が使えないのだそうだ。(顧客からの旅行予約申す込みはどうするのだろう?代理店に頼むのかな)

 15時頃から16時頃まで案内板と説明板の贈呈式。進行のお偉方がスピーチしてから、Y氏、J***のS次長の話と続いた。その後、S次長からDirector へ贈呈が行われ。Directorのスピーチと続いた。しかし、TVのクルーが遅れてきたので、S次長はマイクを握って先ほどのスピーチを繰り返した。しかし、マイクのスイッチが入っていなかったので、さらにもう一度繰り返した。お疲れ様でした。

 無事、贈呈が終わったこれらのボードがバンダリズム(金目のものを盗んでしまうこと)に会わずに長く役立って欲しいものである。

20050315 会議とウェブ・サイトづくり
 ミニヴァーには、4・5月に行う初等学校の理数科要望調査の原案を作ってもらった。

 午前中は3時間ほど、シニア・オフィサとテニクシャンが参加した所長召集の会議でつぶれた。でも、NSCの現状について具体的な改善案や方向性が見られたので良しとしよう。この会議は2月の所内研修会の要望を整理・検討するための集まりだった。たとえば、放置されている車の対策や、ワークショップ内の安全、塗装室の確保などを所員はなかなか真剣に話し合っていた。(半分も内容は分からなかったが、自分が発言を求められると適当に答えた。あながち外れではなかったけれども。)

 午後は、NSCのウェブ・サイトを修正する作業をしたが、NSCからアップ・ロードはできなかった。ということで、今日の教材開発は休みとした。

20050314 月曜日
 ミニヴァーから電話があって、彼女は今日病気で休み。

 NSCでメモを二つ作って所長に渡した。ひとつは、ウェブ・サイトを立ち上げたことのメモ。もう一つは、折角現地業務費を使って作った本棚が倉庫にしまわれたままで、図書室が移動したのに使われていないから活用して欲しいとの要望メモだった。後者を持って、所長はすぐにライブラリアン達と掛け合ってくれた。彼らの話だと、今は本棚がすきすきで、入れる本が無いから本が増えたら必ず使うということだった。

 午前中の残りの時間は、現地業務費の計算に使ってしまった。年度末なので、清算を正確にやらなければならないのだ。

 午後はJ***事務所で帰国する隊員の報告会を聞いた。

 ルサカ市内で、体育の巡回指導をしたM隊員と、カルルシの聾学校・聾教育センターで活動したK隊員の報告だった。M隊員の報告によると、ザンビアが裕福だった頃は、小学校で体育の授業が行われていたが、今では、試験が無い事などの理由により、時間割にあっても体育の授業が行われない事が多いそうだ。それらについて、一つひとつ理由を挙げて丁寧に説明してくれたり、勤務先の学校で難儀した後、初等学校を巡回しての体育指導や、ルサカ地区で教育省等の高官を巻き込んで体育のワークショップを成功させたりした話など盛りだくさんであった。

 K隊員の話と質疑から、当地で聾学校に通える聾者は、経済的に恵まれている一部の人々で、そういったチャンスさえなく一生を終える障害者が大部分であることが分かった。今後、ボランティアの活躍が一層望まれる分野ではないだろうか。

20050313 日曜日
 朝、ご飯を炊いてから、マンダ・ヒルで日用品の買出し。

 書店(bookworld)とホーム・センターのgameも覗いたが、探し物は見つからなかったので見ただけだった。

 その後、アーケイドでも買い物をし、ガソリンを入れた。

 午後まで小説を読みながら休養。

 夜になって、NSCのウェブ・サイトのトップ・ページだけイギリスのヤフー・ジオシティーに作った。トラブルがあって削除されないと良いのだが。http://uk.geocities.com/nsc_zambia

20050312 土曜日
 スタディー・グループは来週で3学期が終了。その後は、イースター休みが始まる。

 自分の担当が終わってから幼児部の活動を見学すると、ハーメルンの笛吹きの紙芝居を子供達は真剣に視聴していた。(視聴?)その後、来週でお別れになるSさん一家を囲んで写真を撮った。

20050311 金曜日
 今日は、新しい製作物も説明書もできなかった。

 それでも、ヒルダさんが、金属パイプで作った楽器(xylo tube)の説明がうまくできないというので、その調べ物をしてメモを作った。金属パイプを叩いた時に出る音の振動数をどうやって計算するかが分からなかったので、長さと音階の関係だけメモにした。

 夕方、今月末に帰国されるSVのUG氏の報告会に参加した。ザンビアの職業訓練制度向上の為にどんな活動をされたか約1時間に渡って発表と質疑が行われた。

200503510 東京大空襲から60年
 BBCでは、朝から国際ニュースのなかで東京大空襲から60年であることを放送していた。

 NSCで、アフリカ型の板とザンビア型の板に持ち手をつけた。その後は、身近な材料がなんとか使い物になるかいじくりまわしているうちに時間が過ぎた。午後になって、NSCのソレノイド・コイルでブザー(ベル)の模型を作り始めたが、良いばねがないので、古くなった金鋸を利用した。なんとかブザーのように動くのだが、ちょっと無様なので、もう少し工夫が必要なようだ。

 暑い日々が続いていて、雨季は終わってしまったのかと思ってしまう。

20050309 アフリカの形
 NSCでは、まず書類づくり。合間に所長のオフィスに行き、4月の行事予定と、トレイド・フェアの予定を確認したいと伝えた。

 その結果、4月は3日から6日までが、チョマでシニア・オフィサ・セミナー、24日から28日が東部州のチパタで初等学校教員対象の研修会という日程が分かった。トレイド・フェアは6月27日から7月5日までだそうだ。教育省が使う屋内の展示場が使えるのだが、どの程度の広さかは分からないらしい。

 10時半頃にY氏がいらっしゃった。Nsalu洞窟用の掲示板・案内板をトラックで運ぶ為だ。Y氏のラップ・トップ(日電製)を少し調整しながら、J***提供のJapanese World の放送を11時からラジオ4で聴いた。放送の終わりにY氏の企画するコンボカ祭ツアーの宣伝が、2回繰り返された。要望通りだったそうで、Y氏はご満悦で職場に戻られた。

 書類が一段落してから、今日はアフリカ大陸の形を切り抜いて定規にする作業を開始した。残念ながら、マダガスカル島はつけられなかったが、4mm合板をジグソーで切り抜いて、サンダーして出来上がり。テクニシャン達が手すきの時にニスを頼もう。

 ムウェルワ達は、J***事務所用の棚の見積もりをつくってくれたが、事務所で見せたら正式な見積書にしてくれないと支出の裏づけにならないと言われてしまった。でも、適正な価格であり、支払い可能だと返答してもらえた。

20050308 暑いので昼間はボーっとしていました
 NSCについてから、シーツを50cmの幅に切って、撮影ケースに入れてみたが、どうもアイロンの線が気になった。そこで、水洗いして、デスクに貼り付け乾かすことにした。その間に、J***事務所に行って、KGさんとチラシ用の棚と不要物用の棚づくりの打ち合わせをした。見積もりをつくって事務所に出せば、NSCのテクニシャン達に発注してもらえるかもしれない。それができれば、彼らの小遣いになる。

 オフィスに戻って、棚の寸法のスケッチをつくりムウェルワに渡した。作るならなんとか3月中にできるだろうと返答してくれた。(年度内にできないと、一部は発注してもらえないからだ)

 Y氏から留守番電話が入っていて、明日Nsalu洞窟の案内板などをトラックで取りにくるということだった。そこで、仕上がっていない部分が明日までにできるかンデケに確認したら大丈夫と言ってくれた。

 スケッチを作り終わった頃から、風も無く、日照が強いので、気温はあまり高くないのだが、体にこたえる暑さになった。湿気もそれほどではないから(40〜50%ぐらいだったと思う)、もっと作業がはかどっても良いと思ったのだが、ミニヴァーもぐったり、こちらもぐったりして昼食後までだらだらしてしまった。

 撮影ケースを使った写真のサンプルは実体顕微鏡をモデルに撮ってみた。

 ミニヴァーに、A4用紙6枚分のザンビア地図を貼り付けて、切り抜いてもらった。さらに、その形を4mm合板にうつしてもらった。暑さが少しおさまった夕方になってから、ジグソーで形を切り取り、持ち手をつけて出来上がり。これを使えば、ザンビアの形を黒板に書くのがずっと簡単になります。

 ムウェルワ達が案内板の最後の追い込みをしてくれた。ありがとう。
20050307 暑い月曜日
 雨季らしい雨がまたしばらく無くなってしまった。昨年の事を知っている人は、2・3月はもっと雨降りだったと話していたが。今日は、湿度が日中40%を切り、気温も30℃になっていた。

 NSCで、これまで作った実験の説明書を所長とシニア・オフィサ達に渡したり、回覧をお願いしたりした。その後、写真撮影用のケースを製作した。すでに切ってあった合板をちょっと組み立てただけ、まわりをトレーシング・ペーパーで囲んで、内部にブルーかグレーの生地を敷けばできあがり。ちょっとした商品見本を撮影する小道具。でも、ブルーの生地が無いので、明日借家のシーツを切って持ち込み、うまく撮影できるか試してみよう。

 午後、やっとお金が下ろせた。ほっとした。
20050305・06 土日
 土曜日は、日本人子女の勉強会。風邪なので、あまり子供達に近づかないように、特別にこまっている様子が無い限り彼らの勉強に任せた。終了後、今学期のスタディー・グループに関しての検討会と、来年度に関する相談会を事務所の庭で所長や保護者のみなさんと行った。

 午後は休養し、夕方から今月と来月に離任されるJ***スタッフのためのパーティに出席。T専門家の打たれたうどんをごちそうになった。

 日曜日は午前中休養。午後は、帰国が迫ったSVのA氏、UG氏の送別会がフェア・ヴューホテルであった。まだ体調が悪いので向かいのI夫妻の車に同乗して往復した。なかなかのご馳走だったのは、M隊員が調理指導をしているからだろうか。

20050304 簡易望遠鏡と簡易顕微鏡の説明書
 心臓モデルは後回しにして、ミニヴァーの助力を得ながら二つ説明書を作った。まだ調子が完全ではない。
 
20050303 チョンゴ氏のCVジョイント壊れる
 Y氏がNsalu洞窟の説明板と案内板のできばえを見に来ると昨晩おっしゃっていたので、朝の内にンデケが書いてくれた案内板の字を少し修正。色が薄くてムラになっていたところを重ね塗りした。

 オリヴァーがNSCに直接来たので電話、電気、水道・下水、警備会社の支払いを頼んだ。

 ミニヴァーには、望遠鏡と顕微鏡の説明書を頼んだ。物理の教科書と、昨日作ったサンプルを参考にしてもらったが、あり合わせの材料でサンプルを作ったので、それぞれのパーツがどんな働きをするのか、なかなか飲み込めなかったようだ。最初に説明してから作業を頼めばよかった。

 エルヴィスは、昨日は確かにあった倉庫の鍵が見当たらないと朝から夕方まで探していた。顧客が来ても薬品が出せないと困っていたが、結局見つからなかったようだ。(彼は、昨日からサンダル履きで仕事をしていたが、水虫で困っているからだそうだ。そこで、手持ちのチューブを一つ渡した)

 Y氏は10時頃にお見えになった。できあがった説明板と案内板の写真を撮り、24日頃に観光事業省?(Ministry of Tourism)で引渡し式をしたいとお話されていた。

 ンデケにY氏に渡す領収書を頼んでおいたのだが、こちらの意図が正しく伝わらず書き直し、またの機会に渡すことになった。

 先月、来所したナイジェリア人のジョセフィンさんが正装で現れて、何かまくしたて始めた。どうやら、カブロンガ女子高校が用意してきた宿泊施設があまりにも貧弱なので、がまんできないからルサカから移動するということだ。でも、NSCに強い関心があるので、NSCをNSRC(National Science Resource Centre)へ変革して、理科教育の高度な研修所にする案を用意してきた。これをPEO(所長)に渡したくてやってきたようだ。もし、NSC側が案に共感して、ボランティアの一人として引き受けてくれて、宿舎を提供できるなら(ちゃんと窓がしまって、床にはカーペットがあって、冷蔵庫がある、ナイジェリアとしては最低限度のもの!らしいが)一緒に仕事がしたいと、何度も所長や自分に強調して帰った。

 午前、午後とも心臓模型の塗装や組み立て作業をした。空気を循環させて血液らしくみせられないかを試していたが、なかなかはかどらなかった。結局分かったのは、送り込んだ空気を逃がす弁を追加でつけなければいけないということ。模型の左心室に送気用のゴム球を繋げたのに、送り込んだ空気が逃げる仕掛けが無いのだ。それで、左心房に弁をつけて空気が逃げるように、ゆるりと改造しよう。

 Y氏に追加で頼まれた誘導板を切ったり、塗装したりしていたら、チョンゴ氏が30ミリのスパナかソケット・レンチが無いか聞きに来た。残念ながら持っていなかったのだが、彼のカローラのCVジョイントが壊れたのでその修理に使いたかったようだ。修理の様子を見に行くと、ジョイントのケースがめくれるように破けて駄目になっていた。先日セイロン・オートのオウナーに自分の車のCVジョイントを交換するには約1ミリオンKかかると聞いていたのだが、チョンゴ氏は18.5万(5分の1以下)で買ったCVジョイントを使っていたそうだ。商品の箱を見ると製造国名は見あたらなった。修理を手伝ってくれていたチャールズはイミテーションだろうと言っていた。

20050302 鷲の瞳の形は
 オリヴァーが久しぶりに現れて、パートの仕事が見つかったのでそちらが忙しいと言っていた。結構なことだ。(後で、オフィスに来て今日やる仕事は無いか聞いていったが、明日公共料金を支払いに行くように頼んだ)

 熱は少しだけあったが、オフィスに出かけて作業開始。なんでも良いから作っていると少しずつ調子が良くなって行ったようだ。今日はイソジンでできるだけうがいをすることも心がけた。

 造りかけの心臓模型の弁を全部はずして、風船のゴムに交換した。それでも、動きは不満足。明日また変更しよう。
 その後は、ストックしてあった凸レンズを使って望遠鏡と顕微鏡のサンプルを作った。焦点距離が比較的長く、色ずれが少ないレンズは一つしかなかったので、それは望遠鏡の対物レンズ用にした。後は、適当に組み合わせて出来上がり。

 望遠鏡は対物1枚、接眼2枚のケプラー式、顕微鏡は、対物2枚、接眼2枚のものと、対物2枚、接眼3枚の組み合わせでつくったが、色ずれがあるのと、高倍率にはできなかったのが悔やまれるところだ。それでも、500クワチャ札の鷲の顔を拡大すると、瞳がまるで数字の1のように印刷されていることがわかった。

20050301 風邪ひきました
 昨晩からのどが詰まるような感じで、鼻水と痰がひどかった。

 それでも、運転してNSCへ。着いてみるとンデケが昨日動かなかった電動カンナが動くようになったと言っていた。3本ある交流の線のうち一本が低圧だったのだが、それを直すと定格電圧でなくても動いたようだった。

 ムワバ氏の報告によると、鋸の方は少々電圧が足りないので、昨日話したような対策が必要なようだ。

 午前中のうちにミニヴァーに助力を得て、風車の作り方や、凸レンズの応用の資料を作った。しかし、お昼頃からどうもつらいので、床にダンボールを敷いて横になった。

 結局、昼食を少し食べて、また横になったが回復しなのでムルングシに早く戻った。熱は高くても37.5℃、あがったり、下がったり。頭痛はないが、鼻とのどがつらいのがこまった。

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