2005年5月の日記 連絡先(e-mail)
2005年4月の日記

20050531 予算作業ほぼ終了?
 NSCのオフィスで8時から予算書類の作業を始めようとしたら、教育省のTeacher Education Specialised Services の予算書類作成を担当しているオフィサが直接自分のオフィスに現れた。

 どういう案件で来たのか分からなかったが、話しているうちに予算書類の進行状況の確認と作り方の助言に来てくれたことが分かった。

 所長やムカンダ氏では分からなかったことも、彼が解決してくれた。例えば、家賃の補助については、現在修正している予算からでなく、財務省から支出されるのでNSCの予算案に組み込まなくて良い事がはっきりした。

 9時を過ぎてから、オフィサとムカンダ氏を乗せてCDCに向かった。オフィサのオフィスで、他のTeacher Education Specialised Services 機関の担当者に対して、かのオフィサは、自分に説明したのと同じように書類の作り方を説明した。

 説明会の後、Library Services の部屋の一角を借りて、NSCから着いた所長とムカンダ氏と自分で予算の修正作業を開始した。13時前に作業は概ね終了した。後は、修正(お金を移動するだけ)したデータを提出用の書式に移すだけになった。

 レイチェルの作ってくれた食事を済ませてから、NSCのオフィスで作業再開。しかし、提出用の書類ができあがったのは17時過ぎだった。(今日も、やりたいことが出来なかったか・・・ちょっとイライラ)

20050530 何度目かの予算作業
 NSCのどのアクティヴィティに、援助国からのプール金から支出するかの調整をまた行った。朝から始めて、途中で打ち合わせを挟みながら夕方まで続けた。(終わらなかった)所長が来客を連れてオフィスを訪れた時が息抜きだったか。

明日は、CDCで他の教育省関係機関にも書類の作り方を説明することになりそうだ?    

土曜日はスタディ・グループ。折角のチャーチ・マーケットの日だったが、ちょっと調子が悪かったので買い物をした後は借家で休養した。

20050528・29 土曜・日曜
 土曜日はスタディ・グループ。折角のチャーチ・マーケットの日だったが、ちょっと調子が悪かったので買い物をした後は借家で休養した。

 日曜は、洗濯・炊飯・買い物と済ませてから読書。「蒼穹の昴」を読み終わった。

 夜は、暖炉に薪をくべながらのんびりした。

20050527 やっと予算の説明会
 オフィスで業務費の領収書や計算表の整理をしてから、ムカンダ氏とCDCに出かけた。会議室にプロジェクタ、プリンタ、コンピュータを運び込んで待っていたが、ムカンダ氏がチェックしてきたところによるとミーティングは14時からだそうだ。ムカンダ氏を残してNSCに戻った。所長に報告したら燃料と時間の無駄遣いだと言っていた。

 NSCに戻ると、ワークショップでは、事務所用の本棚を作り始めていた。ムワバ氏達はZNBCの発注品の作業を進めていた。オフィスでしばらくサンプルの図面を作っていたら、ミニヴァーが不調を訴えた。彼女はレイチェルと仲良しなので、レイチェルの仕事が終わったら一緒に帰りたいというので許可した。ところが、しばらくしてレイチェルからミニヴァーが嘔吐したと内線電話があった。

 すぐにミニヴァーをカブワタまで送り届けた。彼女は中国人の経営する診療費の安いクリニックにかかると言っていた。

 野菜だけのおかずの昼食をすませて(補助金が出るのは来週からだそうだ)、ムカンダ氏からの連絡を待った。しかし、14時になっても連絡が無いのでこちらから電話すると、CDCでミーティングがあるのですぐ来るようにということだった。

 プリンタはやめて、プロジェクタとコンピュータを持ってCDCの会議室に入った。すでに数人が着席していたが、ミーティング(予算書類作成の説明会)が始まったのは14時50分頃だった。

 この説明会は、ドナー(援助国)に、援助金をどのように被援助国が使っているか知らせるための書類を作る説明会だった。自分の場合は、ドナーがドナーの為の書類を作るのかと思ったが口にしなかった。

 16時半頃まで説明会は続いた。しかし、書類の提出は来週月曜日と指示が出たら猛反発があり、水曜日までに提出すればよいことになった。作業は来週やろう。折角借り出したプロジェクタは使用しなかった。

20050526 付加価値税免除書類の変更
 今日は、MOE(教育省)のHQで予算書類研修会があるはずだが、J***事務所用の本棚の材料と自分用の木材を買出しに行く約束を1月前ほどからしているので、後者を優先した。

 ミニヴァーとムカンダ氏をHQに残し、コンピュータやプロジェクタをミニヴァーに預けて、説明があったら良く聞いて後で教えてほしいと頼んでから、J***事務所に向かった。車は朝から昨日以上の大きさで異音を出していた。

 J***で一緒に買出しに行くKGさんと合流し、小型トラックでルサカ・ハードウェアとウッド・プロセッシング(材木店)に向かった。事務所を出るときに、木材をトラックの荷台にしばりつけるロープが無かったので、ルサカ・ハードウェアで買うことにした。

 ルサカ・ハードウェアのおにいさんは、いつもと変わらずにこやかに対応してくれた。しかし、VAT(付加価値税)免除の金額では販売してくれなかった。見積書も添えてほしかったらしい。KGさんは、ピアノ・ヒンジやベニア・ストリップ、木ねじなどを購入し、自分は、ロープとSUNWAと書いてある怪しげなテスターを買った。

 次にウッド・プロセッシングについて、お金を払おうとVAT免除書類を出すと、アカウンタントの部屋へ行ってくれと言われた。KGさんと一緒に行ってみると、J***のVAT免除書類は国税庁の直接の指導で無効だと伝えられた。ZRA(ザンビア歳入オーソリティー)が作っている様式の書類に記入してほしい。書類と領収書があれば、今日の購入額からVATの金額は返金すると説明してくれた。

 KGさんと共に納得して、VATの入った金額で資材を購入し、トラックに積み込んだ。ルサカ・ハードウェアで買った90m(100ヤード)のロープを使って、駐車場にいた二人のおじさんが資材を縛り付けてくれた。チップに70円ほど渡した。

 NSCに資材を運び込み、ムウェルワ達が荷卸してくれた後、事務所に戻ってMOEのHQへ向かった。しかし、ムカンダ氏もミニヴァーもいなかった。ムカンダ氏に電話すると、もうNSCに戻っていた。自分のコンピュータやプロジェクタなども持ち帰ってくれているようだった。

 NSCでムカンダ氏に説明を聞くと、今日の打ち合わせは、予算を総務・大学レベル以上・高校レベル・初等学校レベルに分類することだったそうだ。また、明日はカリキュラム開発センタ(CDC)で9時からミーティングがあるそうだ。

 ムカンダ氏との打ち合わせの後、ミニヴァーが今日も食材がほとんど無いと言うので、500円ほど渡して、レイチェルに買い足してもらうように頼んだ。続けて、資材をしばっていたロープの絡まりを直し、再度別のリールに巻きなおす作業をした。戻ってきたミニヴァーも手伝ってくれたが1時間以上かかってしまった。

 昼食の後、所長のムヤンガナ氏に頼まれた某国政府(白地に赤く)のODAに対する要望調査の書類を作る作業をした。ザンビアに国立科学博物館のような施設をつくるならどんな内容にするかという書類を大急ぎで作り、ミニヴァーに添削してもらって所長に提出した。

 昼食前にジョリーに車を見てもらった。彼は、前輪の車軸についているゴムのカバーの劣化による異音だと説明してくれた。さらに親切にもパーツをタウンで買って、チャールズと一緒に悪くなったパーツと交換してくれた。もちろんパーツ代は渡したが、手間賃無しで部品交換を引き受けてくれた。

 帰りは異音の無い車で快適に帰宅できた。

20050525 アフリカン・フリーダム・デイ
 休日だが、車から異音がするのでセイロン・オートまで出かけた。しかし、休日の為、警備員しかいなかった。ハンドルをまっすぐから少し左に傾けると車軸?と何かがすれる音がした。ハンドルを少し右に切ったり、深く左に切ったりすると全く音はしなかった。特別な振動も無く、音だけなので明日NSCのジョリーに見てもらうことにした。

 午後は、読書と昼寝だけだった。

20050524 虹の箱
 オフィスで、大型スペクトロメータの続きの作業を始めた。しばらくするとムカンダ氏がワークショップは木曜からになったと電話をくれた。

 スペクトロメータの上箱と下箱は昨日組み上げていたので、内側をスプレーで黒く塗装した。その後、上下の箱の間にトレーシング・ペーパーを貼り付けてから、二つの箱を接着剤でとめた。

 下箱の中に底板に対して30度の角度でCDを置き、箱の前面に置いた凸レンズの光をCDで反射させ、分光された光が上下の箱の間にあるトレーシング・ペーパーにあたる予定だ。CDの位置やレンズの位置、箱と太陽の角度などを調整してやっと虹の箱(Rainbow Box)ができた。でも、もっともきれいに分光できる配置にすると、箱の奥の部分が、レンズが集めた光で燃え上がってしまうことが分かった。

 ンデケに鉄板を切ってもらって、黒く塗装し、それが直接箱の奥に当たらないように配置した。また、CDの裏にはアルミホイルのお皿をCDの形に切ってはり付けた。これで火事の心配はほとんど無くなった。けれども塗装作業中にまだたっぷり入っている黒のスプレーがつまってしまった。こればかりは made in ○hina かと諦めた。

 続けて、PCの電源装置を実験用の電源に使えるように、箱に収めて、コードを端子につなぐ作業をした。箱の合板などはムウェルワが進んで切ってくれたので助かった。

 15時頃、SK氏がスタンドに載せる実際のスピーカーと、ラックに収める放送機材を持ってNSCに来てくれた。ムワバ氏もンデケもずいぶん助かったようだ。これで、この後の彼らの作業は、安心して進められると思う。

 明日はアフリカン・フリーダム・デイで休日。

 夕方、J***事務所でワークショップ用にプロジェクタを借りた。

20050523アンケートのまとめ
 NSCで月初めに行ったワークショプに参加した先生方から回収したアンケートのまとめ作業を終わらせた。ほとんどミニヴァーに下書きしてもらったのものだ。

 SVのSK氏とZNBCの上役が、ムワバ氏とンデケが作ったスピーカー・スタンドと金属ラックをチェックに来た。少し注文はあったが、合格したようだ。やれやれ。

 今日は、レイチェルがUTHに通院して不在なので、NSCの所員は、自分で買いに行ける人以外、昼食抜きだった。所長には、昼食抜きでテクニシャンを働かせるのは危険だと話した。(パンを少し買ってみんなと分けた)

 午後は、大型スペクトロメータの試作品用にダンボールを切ったが、誤ってカッターで机の天板に傷をつけてしまった。

 明日から、予算修正のためのエクセル・ワークショップが行われるらしい。でも、正確な時間はまだ不明だとか。どうなっているんだろう。

20050522 休養
 明日は予算の研修会は無いと聞いているが、その後はどうなるか分からないので予定が立てにくい、特別な予定が無ければ、はやめにウドラのトレイド・フェア下見に行きたいと思っている。

 今日は、朝からシーツの洗濯や買い物をした以外は休養。昼寝も少しできた。朝見たNHKの番組は中学生向けの理科「Burnable Metal」と楽しい算数「いろいろな三角形?」、「ろうそくの燃焼?」だった。Burnable Metal は先週と同じ番組。先週はタイトルを見なかったので、番組名を間違えて記録してしまった。「ろうそく」の番組も先週の夜放送されたらしい、所長夫人が見たと話していた。

 午後に、事務所から借りていた宮城谷昌光著の「子産」を読み終わった。
 
20050521 ムンダ・ワンガ動物園(Munda Wanga Wildllife Park)
 9時から11時まで事務所でスタディ・グループの勉強があった。その後は、チレンゲにあるムンダ・ワンガ動物園への遠足だった。所長の車に同乗、ルサカから約30分で到着した。

 週末だったので残念ながら期待していた団体割引は無しだった。大人2万、子供1万の入場料金を払い、入場証のシールを上着に貼り付けて園内に入った。

 まずはお弁当。植物園内の芝生にシートを広げて、料理を交換しながらみなさんでお弁当を楽しんだ。

 お弁当の後、散策を始めたが、Wildlife Park の動物園側は、動物の食事時間が始まる2時まで開門しないことがわかったので、植物園を散策し始めた。

 敷地内には、一年生草本、乾燥地の植物、湿地の植物などが植え分けてあった。コルクガシの実物を始めてみた。

 2時に動物園側の入り口が開いた。誘導と説明担当の職員に続いて、ザンビア人のお客さんとスタディ・グループの一行がぞろぞろと園内に入り、食事時間を迎えた動物を順に見た。

 ザンビアにしかいないインパラの一種、水牛、ウサギ・カメ・モルモットの一角、鷲・梟のケージ、チータ、マントヒヒ、アメリカ熊、オウムのケージ、アフリカン・ペインティド・ドッグ(ワイルド・ドッグ)、ライオン、ベンガル寅、マングース、ミーアキャト、ワニ、孤児のゾウ、シマウマなどを見学した。

 肉食獣は、食事前は檻の中にいるのだが、お客さんが来ると、餌のある広場?(動物によっては100mx100m以上の広さ)に通じるゲートが開く。フェンスで囲まれた広場側には、生肉が木にしばりつけてあったり、餌台(?)の上に置かれていたりしていて、それらを目がけて肉食獣が走り寄って肉を食べる様子や、時には餌を奪い合う様子をお客さんは見ることができた。雄・雌のライオンが7頭、生肉のあった観客側を目指して走ってくるのは壮観だった。

 45分の行程と来ていたが、1時間半近く日向を歩いたので少々疲れた。

20050519-20 借家契約更新
 水曜日にこちらの銀行から届いた口座の明細を見たら、4月の入金が前月より少なかった。そこで、4月と5月の送金明細を見ると、住居費が5月は無しで4月分も極端に少なかった。

 金曜の朝に事務所に問い合わせたら、4月初旬に自分が忙しかったので借家の契約更新をしていなかったから更新書類が必要な住居費振込みが止まったことがわかった。

 契約更新書類を作る為に、金曜は朝からムルングシのマネージャを訪ねて、書類を作ってもらった。多少、ごたごたしたが金曜のお昼までに、事務所に関係書類とともに提出できた。

 木曜はNSCで新しい研修会資料を最後まで作った。まだ改訂したい部分もあるが、研修会で紹介する実験のサマリーということにした。タイトルは、“Samples of Experiment Demonstration”だ。これにあわせて、NSCのCDの内容も変更した。KN隊員から頼まれていた理数科教員隊員の希望者用のCDを焼いて、事務所にある彼らの郵便受けに入れた。

 ミニヴァーは、アンケートの集計をゆっくりだが着実に進めてくれた。アンケートのサマリーにMost Teachers・・・とある表現は、すべて○○% of teachers ・・・に書き直すように指示して、できるだけ具体的なまとめになるようにお願いした。

 金曜の午前中ほとんど仕事にならなかったが、昼食は、事務所のSZ氏に誘われて、KN隊員とSB隊員と共に事務所の近くにあるスウェーデン・レストランでとった。SB隊員は、4月26日にラジオに出演した後、高熱を発したそうだ。診断はもちろんマラリアで、その後は入院・静養だったそうだ。明日、任地に戻ると言っていた。

 昼食の後、KN隊員はNSCを訪ねてくれた。彼は数学教員なので、数学の教材・教具についていろいろ希望を話してくれた。KN隊員と一緒にムウェルワに子供達が作図用に使う三角定規のサンプルを作ってくれないかと相談したら、快く承諾してくれた。

20050518 催涙弾
 昨日の指示に従って回り道をしてNSCに行き、資料を少し印刷してからムカンダ氏と教育省のHQに行った。ところが、面会予定のオフィサは不在だった。(外出先から携帯電話で連絡したかったそうだが、talk time = 携帯電話のプリペイド額、が無かったので連絡できなかったそうだ。こっちはすべてプリペイド携帯!日本と韓国だけ例外!)

 結局、1時間半ほどHQで時間をつぶした。やっと当のオフィサが来て言ったのは、予算書類の修正が必要なのは、NSCだけではなく、他にも複数の教育省下の組織が該当すること、それぞれの組織に一つひとつ説明するより一まとめにして説明した方が良いので、明日から日曜まで各組織からエクセルが使える職員を一人ずつ出席させてワーク・ショップを開く、ということだった。その通知は今から作るということだった。
 
 そのため、今日は何の収穫も無くNSCに引き上げ、明日からのワーク・ショップで作業をするつもりになった。

 オフィスでは、研修会資料の改訂作業と、先の初等学校教員対象研修会のアンケート集計作業を進めた。ムワバ氏とンデケは、ZNBCからの依頼品を作り始めていた。

 午後になって、ムカンダ氏が新しい情報を持ってきた。予算のワーク・ショップは来週月曜からに順延になったそうだ。とにかく、明日と明後日はNSCで作業できることがはっきりした。HQが明日からワーク・ショップをすると伝えても、それに対応できない組織がほとんどだったので延期になったようだ。

 夕方、ラジオではザンビア大学の学生がまた騒いでいると報道していた。J***事務所に寄ると、急いで帰宅してくださいと強調された。ムルングシについてみるとグレート・イースト通りを挟んで借家から南東にあるザンビア大学方向からサッカー場か野球場の歓声のような声が聞こえてきた。17時50分頃にははっきり銃声と分かる音が3回聞こえた。後で、調整員のDさんに確認したらどうやら催涙弾の発射音だったらしい。

 買い物をせずに帰宅したので、ムルングシのホテルで夕食をとろうとしたが、食事を待っている間に停電した。それでも、店員さんが点けてくれた2本の蝋燭の光でハンガリアン・ソーセージとサラダとチップスの食事をすませた。

 帰宅後、7時10分頃に電気は復旧した。

 BBCアフリカでもザンビア大学の騒動を繰り返し報道していた。40万クワチャ(85ドルと言っていた)のリサーチ・プロジェクト費の倍増を要求しての騒動で、51名の学生が拘束されたと。

20050517 研修会資料の更新
 午前は、書き物、午後は製作のつもりだったが、結局一日中新しい研修会資料制作で終わってしまった。書き物の仮のタイトルは “Samples of experiment demonstration” 。内容はワーク・ショップでの実験デモのサマリーとすることにした。

 この資料に挿入する写真を撮るために、写真撮影用のケースを久しぶりに使った。

 資料作りは、夕方までかかって一段落したので、明日ミニヴァーに英語をチェックしてもらおう。

 この作業の間に、E-mailを教育省のオフィサに送って欲しいとか、ユニバーサルPH指示薬は長持ちするのかとか、はさみを貸してくれとか、ZNBCの仕事はここまで進んだとか、このFDが開かないのだが中身が見えるかとか、インタネットがつながらないとか、明日はHQで予算資料の修正指示がある・・・とか人の出入りが多かった一日だった。

 昨日夕刻から、ムルングシに近いザンビア大学で学生が騒動を起こしていた。リサーチ・プロジェクト・アラウアンスが少ないなどの理由のようだが、今日も少々騒ぎがあって、グレート・イースト通りまで学生が出てきたようだ。警官も集まったらしい。昼・夜のラジオでも盛んに放送していた。J***からの緊急連絡もあり、こちらは、大学前を通過しないように注意した。

20050516 日本でも試してみたいのは
 昨晩、3つあるトイレの一つで蟻が行進していたので、TVで盛んに宣伝しているマーティン・ターゲットという殺虫剤を噴霧して殺した。便器の中にもいたので、そこにも薬をまいた。

 その後、何十分かしてもう一度トイレを覗くと、大きなゴキブリが数匹便器の中で死んでいた。多分、電気の消えている間に水を飲みに来て、残っていた殺虫剤(隠れているゴキブリでさえ殺します、と書いてある)で息絶えたのだろう。そこで、残りの2ヶ所のトイレにもスプレーしてみた。結局、この日は、寝るまでに大きめのゴキブリが20匹ほど死んでいた。これまでも毎晩便器の水を飲んで暮らしていたのだと思う。死骸を流した後も、ゴキブリの油が水面に浮いていた。

 NSCでは、新しい研修会資料と、サイエンス・パークの展示品に関する意見書を作った。ミニヴァーには、アンケート集計の続きを頼んだ。今日もインタネット・ルームにある横倒しにしたPCは正常に起動した。彼女は昼過ぎに銀行口座を開きにタウンに行って、そのまま帰った。

 息抜きに所内を歩いて、オフィスに戻ろうとしたら、ワーク・ショップにあったモバイル・ラボのバーナーから煙が上がっていた。ムワバ氏やエルヴィスが、今日、顧客に渡すブンゼン・バーナーを点検していたようだ。あまりにもバーナーの炎が赤く、煙もひどいので近寄って見た。バーナーの空気取り入れ口を思いっきり開いても赤い炎のままだった。思い切って、空気取り入れ口(ネジ式でなく、横開きになっている)に直接息を吹き込むときれいな青い炎になった。(焚き火の火起こしのようにやりました)そこで、一旦消火してから、バーナーを分解してみたら、筒の内部に虫の巣が詰まっていた。完全燃焼しないはずである。

 他にも数本燃焼を試してみたが、不完全燃焼のバーナーはどれも虫の巣か死骸が詰まっていた。これは、保管場所と保管方法にも問題があるのだが、一応問題は解決したので、今日はこれでよいことにしよう。

 午後、大型スペクトロメータのための、凸レンズ、CD、トレーシング・ペーパーの位置関係が一応分かったので、明日試作品を作ろうと思う。

20050514・15 土日
 土曜の午前中はいつものようにスタディ・グループに参加した。来週の土曜日は、勉強の後、ルサカ近郊の動物園まで遠足だ。一方、当日はザンビアで病没された隊員と交通事故で亡くなった隊員の墓参があり、J***職員はそちらに参加していた。

 スタディ・グループ終了後、マンダ・ヒルでプリンタのインクを業務費で購入し、借家に戻った。

 午後は、ご飯を炊いて、広島大学の学生さんからもらったインスタントの五目寿司の元と稲荷ずし用の油揚げを使って、海苔巻き?とお稲荷さんを作った。それらを持って15時頃から、ムルングシ内のSK次長宅のBBQに出かけた。みなさんが持ち寄った食材や次長夫人の手料理を楽しんだ。ザリガニでバーベキューをしたのは初めてだった。

 日曜の朝は、洗濯をすすめながらNHK制作の教育番組を3つ続けて見た。「酸化と還元」、「楽しい算数」それとタイトルは忘れたが、弥生時代のかまどを紹介しながら、物が燃えるときには新鮮な空気の取り入れ口と排気の出口が必要なことを説明する番組だった。

20050513 二台目
 NSCに着いて、掃除をし終わるとミニヴァーが早くも来たので、彼女にはインタネット・ルームのマシンでアンケート集計を再開してもらった。自分は、昨日所長に頼まれた予算の再配分作業(何回目だ?)にとりかかった。休み無く作業して、11時過ぎには無事終了し、Chief Education Officer の元所長他一名にメイルに添付して送付した。

 この作業中にムウェルワは、昨日依頼した波形モデルの台になる合板を切ってくれた。少々、サイズがずれていたので、組み立て方まで説明して、組み立てられるように少し修正をお願いした。

 ムウェルワが作った台を接着剤と木ねじで仕上げた後、すこしサンダーにかけてからストローで作ったパーツをとりつけた、テグスを通す穴がどれも同じになるように工夫して作ったので、最初のサンプルよりよい仕上がりだった。

 ヒルダ氏(ニエンバさん)には、ンドラのホテルかロッジを指定してほしい(トレイド・ウェアに備えて)と言われた。彼女には、今月印刷予定のサイエンス・チャートの原版が入ったCDも渡した。

 夕方になって、大型スペクトロメータを作ろうと試作を始めたが、トレーシング・ペーパーのスクリーンとプリズムの役目をするCDと凸レンズの位置関係がうまくみつからずに今日も断念(これまでも何回か失敗)した。また、来週試してみよう。

20050512 一月前の写真ですが
 昨日、広島大学から届いていたザンビアでの研修報告書に、所員の写真がたくさんあったので、みんなに配った。ザンビアの人はとても写真好きなので、とても喜んでいた。中には、二人写っているのに、一枚しかないから、コピーしてくれと頼んでくる人もいた。

 ミニヴァーに自分のPCを使って、アンケート集計作業を再開してもらい、自分はインタネット・ルームのPCの電源ユニットを交換する作業を始めた。電源が入るが起動しない別の旧型ウィンドウズ・マシンを開けて、そこから電源ユニットを取ることにした。そのマシンのカバーを外して分かったのは、メモリーが無い!こと。これでは、起動しないはずだ。そのマシンの電源ユニットを取り出してから、インタネット・ルームのPCのカバーを開けた。こちらは、内部に埃も無く、きれいだったが、問題点は分からなかった。試しに、マシンのタワー(箱)を横に寝かせてスイッチを入れてみると、無事立ち上がったので、横にしたまま使ってみることにした。電源を切って、配線を直してからまた寝かした状態でスイッチを入れてもOKだった。

 旧型マシンの電源ユニットは、電気を使う実験の直流電源に使うことにした。ユニット内は埃だらけだったので、内部を思い切って流水で洗い、日向で乾かした。乾いてから取り出せる電圧をチェックすると、外枠に表示してある通り、12Vと6V(5Vの表示だけど)だった。電気分解や、電磁石の実験用に活用したい。でも、動作点検中にAの測り方を間違えてテスターを壊してしまった。(シクシク)

 電源ユニットのチェックと並行してNSCでは貴重品の延長コードを3本直した。

 ミニヴァーは休み無くアンケート集計をしていたので、2時間マシンに向かったら15分は休むようにと指示した。

 午後は、ムウェルワに二台目の波形モデルの台を作ってもらうように頼んだり、秘書のルスに頼まれてマレーシアの国立科学センターの広報CDをコピーしたりした。マレーシアは新興国だけあって、先進国と変わらない科学博物館(国立科学センター)を作って、その広報をしっかりしていた。CDの内容を見ると当地の今の経済力では夢のような建物や施設であった。

 帰ろうと準備をしているとPEOのムヤンガナ氏が、もう一度予算の再配分作業をして欲しいと言ってきた。PEOは、昨日のミーティングで説明した内容をエクセル・ファイルに落としていたのだが、作ったファイルの入ったFDを上役に渡すと、彼らのマシンで開けないというトラブルが起きたそうだ。自分がファイルを更新して、それをメイル添付で送信して欲しいそうだ。一応了解して、明日午前中に作業することにした。


20050511 ミーティング
 昨日予告されていた10時からのシニア・オフィサ達のミーティングの前に、VAT免除書類をお願いする書類を作ったり、ミニヴァーに2台目の波形モデルを作る指示を出したりした。ムウェルワには、昨日の見積もりのコピーを渡し、J***事務所の本棚を作るために、コピーの商品を26日に買いに行くことを伝えた。

 PEOのオフィスで定刻に始まった打ち合わせは、2時間半も続いた。主にNSCが直面する、資金受け取りに関する説明と、それらの資金を元にした今後のアクティヴィティーに関する打ち合わせだった。自分が、月曜にPEOに渡したメモの内容についても言及してくれた。

 この打ち合わせによって、不必要な経費削減、ワーク・ショップの安全管理、部外者の所内立ち入り禁止、今後のアクティヴィティーの責任者確認などができた。

 14時半から全所員を集めて、ほぼ同じ内容でミーティングを開くことを確認して散会した。次のミーティングまでの時間を利用して、マンダ・ヒルでCD/Rや接着剤などを買い、ノース・ミードにあるPC店で見積もりを取った。

 全所員のミーティングは、大きなアボガドと柳の木の下で行われた。所長が先の打ち合わせの内容を繰り返した後、質疑があった。かなり熱心に質疑があったが、ジョンボロは現地語と英語を混ぜて質問しているので(出だしは英語なのだが、途中から全部現地語になった)、何を話しているのか全くわからなかった。

 夕方、J***事務所にVAT免除書類づくりをお願いに行った。

20050510 見積もり
 ミニヴァーにアンケートの集計を頼むために、インタネット・ルームのPCを起動しようとしたが、電源は入っていても起動しなかった。HDDにアクセスしないようだ。電源ユニットを交換するべきだろうか?

 ムカンダ氏に10時からSEO達の打ち合わせがPEOのオフィスであると言われたので、タイマーをかけて、時刻になったら分かるようにして作業をしていた。10時オフィスに出向くと、PEOとムカンダ氏とドライバー達の打ち合わせが始まるところだった。その後、いくらオフィスで待っていても連絡がなかったが、ムワバ氏から、打ち合わせは明日に延期になったと聞いた。

 波形モデルをもう一台作ろうと思って、ストローに穴を開けたり、ミニヴァーにストローを短く切ってもらったりした。組み立てるにはストローが少し足りないので買い足さなければならない。

 午後は、久しぶりにタウンへ見積もりを取りに行った。ルサカ・ハードウェア、ステイショナリー・ワールド、ステイプルズ、ウッド・プロセッシング、ミクッマーと回った後、マンダ・ヒルに移動して、もう一件見積もりを取った。見積もり依頼の他に、買い物もしたのだが、いくら探しても波形モデル用のストローが見つからなかった。

 5時近くなっていたので、そのままアーケイドで買い物をして借家へ戻った。

20050509 報告書提出
 NSCのオフィスで報告書、メモ、活動報告などを印刷して提出や郵送の準備をしたらお昼近くになってしまった。

 ミニヴァーには、チョマ研修会のアンケートを集計してもらおうと思って、資料を渡した。データをエクセルに落とすように頼もうとしたが、彼女に使ってもらうつもりだったインターネット室のコンピュータが起動しなかった。調べてみると延長コードが接触不良だったので、オフィスの使っていなかった延長コードで接続しようとしたが、電気が来なかった。そこで、急いで分解してみると、配線が内部で繋がっていない未完成の状態だった。なんとか配線してから彼女に集計作業をスタートしてもらった。

 正午頃に、放送機材を収納する金属棚とスピーカー・スタンドの注文を受けているZNBCのSK氏のもとへ出向いて、材料を買う為の小切手を受け取った。

 続けて、J***事務所に報告書を提出に行った。事務所の一階で、昨年4月に同じ飛行機で着任したSZ隊員に会ったので近況を話し合った。彼女は、養護学校で活躍しているが、NSCにあるXylo Tube のようなものを作りたいと言ったので、NSCで実物を見てもらうことにした。

 SZ隊員は、Xylo Tube だけでなく、建設中?のサイエンス・パークの展示物(まだ3つしかない、しかも一つは製作途中)や、自分のオフィスにある簡単な教材を熱心に見てくれた。どうもありがとう。

20050508 日曜日
 いつもより30分ほどゆっくり起きて、朝食。テレビを見ていると、日本語のカウントダウンが聞こえた。種子島からロケットを打ち上げるシーン。続けて見ていると、日本が寄付した教育番組の一つで”Chemical Compound” (化合物の生成と分解)だった。

 中学生レベルの基本的な資料が全て入っている番組だった。これらを、無償でCD化し、ザンビアの初等・中等学校へ配布できれば、理科教育向上に極めて効果的だと思うのだが。

 その番組の次はいつものように、”楽しい算数”、で、さらにその後はマンガの”Marvine tap-dancing horse”だった。

 報告書の作業は、午前中一杯かけてやっと修了した。

20050507 土曜日
 土曜日は、いつものようにStudy Groupに出かけて中学生と一緒に理科と数学の勉強をした。学習会後の保護者の打ち合わせで、再来週は動物園にピクニック、6月の25日には、運動会という行事が決まった。

 昨日の夜、少し作業しただけの研修会報告書づくりを本格的に開始、夜の会食で中断したものの、昼・夜通して作業してやっと書類の形が整った。

20050503-07 チョマ・ワークショップと土曜日
Southern Lodge の宿泊施設 大会議室で説明するムカンダ氏
 3日の午前中に、セッセと研修会用の荷造りをした。これまでの研修会で持参したが使用しなかったものを荷物からはずして、運搬用の木製ケース4つにほぼ詰め込める量にした。もちろん、それら以外にカメラ・モデル、ジャイロ・ディスク、アフリカ型テンプレート、ザンビア型テンプレート、薬品を入れたクーラーなども準備した。

 ミニヴァーに彼女の病気のことをレイチェルに伝えるように頼まれていたので、自分の携帯電話を使ってレイチェルとミニヴァーに話をしてもらった。ミニヴァーは、もう少しお金が必要だというので、銀行で降ろして、レイチェルに預けると伝えた。

 11時15分頃にNSCを出て、マンダ・ヒルの銀行へ行った。ところが、銀行にはドルがなかった。そこでしかたなくクワチャ(レートが悪い!)で引き出した。NSCに戻ってから、レイチェルにお金を託した。その後、慌しく、車に資材を詰め込んだ。

 火曜日だったので、12時5分過ぎにZNBCのラジオで”Japanese World”の放送があった。あいにくラジオを借家に忘れたため、車のラジオで放送を聞いた。今日の出演は、ムルングシ村の借家の向かいにお住まいのIK氏だった。IK氏は、戦後の日本工業の発展について、分かりやすく説明してくださった。戦後、品質管理を徹底したこと、オイル・ショック、変動為替制への移行を乗り切るために、コンピュータ管理等を導入して徹底したコスト削減と品質向上を図ったことなどを熱っぽくお話された。

 放送の後、やっとPEOのオフィスで自分とムワバ氏、ヒルダ氏を交えて打ち合わせがあった。セクター・プール金の一部は支出されたのだが、その額では不足だった。しかし、話し合いのなかで、チョマには今日、参加者達が集まって来ること、中には遠方から来る教員もいるので研修会は実施することを決めた。

 さらに、所長は再度交渉して、資金を持って後からチョマに向かうこと、今日は、自分とムカンダ氏が先発隊としてチョマ入りし、チョマのSEOであるチュトゥー氏とともに、ロッジ等との交渉に当たること、明日、ムワバ氏とヒルダ氏がモバイル・ラボなどを持って出発することが決まった。

 まだ、教育省のHQにいたムカンダ氏と連絡を取り、合流して一緒にチョマに行くことを伝えた。NSCを出て、HQで彼を拾い、ムルングシの借家で自分の荷物を詰め込んで、ムカンダ氏のカブワタ教員住宅へ向かった。結局、ルサカを出たのは15時頃になってしまった。

 ドライブは順調で、途中一箇所ハンプを見落として少々衝撃を受けたが、18時40分頃にSouthern Lodgeに入った。

 すでに参加者が、ロッジに宿泊していたので、ムカンダ氏が大会議室に参加者を集めて、NSCのスタッフが分散して到着するので、教員研修会が多少フレキシブルに実施されること、明朝9時に会議室に集合すること、などを伝えた。

持参した教材類の一部 Ground Rules の確認



 4日朝、自分は、教材サンプルなどを大会議室に移動し、参加者の集合を待った。最終的な参加者数は36名(女性6名)であったが、この朝の出席者は32名であった。

 9時にムカンダ氏とチュトゥー氏が教員研修会を開始した。ムカンダ氏は、NSCの mission statement や事業の内容について、ゆっくり説明した。その後、参加者の簡単な自己紹介と、研修会中の約束事(Ground Rules)の確認を行った。

 9時40分頃にムワバ氏とヒルダ氏が到着し、すぐにモバイル・ラボなどの荷卸をした。ムバワ氏とヒルダ氏の紹介後に、参加者に、ディストリクト毎に集まって座りなおすようにお願いした。

 ムカンダ氏、チュトゥー氏、ムワバ氏、ヒルダ氏は、別室で打ち合わせを始めた。

アンケートの実施とコンピュータの活用例の紹介

 SEOの打ち合わせの間に、自分は参加者にアンケートを配布し、回答をその場でお願いした。アンケートの質問事項は、「各学校や学校近隣のリソース・センターにおける理科実験器具の現状や要望調査」と「同じく各学校や学校近隣のリソース・センターにおけるIT環境の現状や要望調査」だった。

 回答記入が一段落したところで、手回しオルゴールを利用した共鳴の実演を行った。続けて、イヤフォンとコンピュータを利用した心音の録音法の説明、心音の再生、音のうなりの紹介を行った。これらは、4月12日にラジオ放送で紹介したのと同じものであった。これらのデモの目的は、コンピュータが実験の記録用具や演示用具としても利用できることを紹介することであった。

NSCウェブ・サイトの紹介と同CDの配布

 教材CDを各ディストリクトに1枚ずつ配布した。CDの内容は以下の通りだった。

@ NSCのウェブ・サイト
 サイエンス・チャートのサンプル
 前任SV及びSVの紹介した実験43種類のマニュアル
 NSC製品のカタログなどの情報を含む
A サイエンス・キットを利用した実験の紹介
B 100マス計算のエクセル・ファイル
C 説明用read me ファイル

 次に、J***事務所から借りたプロジェクターを使って、CDの利用法を説明した。加えて、ザンビア型テンプレート、アフリカ型テンプレート、紙飛行機の実物も参加者に紹介した。

休憩中に飛ばしたゴム動力飛行機が木にひっかかったので、通りかかった青年に取ってもらった イザベル女史の挨拶


モバイル・ラボとサイエンス・キットの紹介

 休憩の後、11時20分頃から50分頃まで、ムワバ氏から、モバイル・ラボとサイエンス・キットの説明があったが、来賓のイザベル女史が到着したので、正式な開会式が始まった。参加者の再度の自己紹介の後、40分ほど来賓の話があり、それに対してヒルダ氏が御礼の言葉を述べた。

 次に質疑の時間が持たれ、イザベル女史は、参加教員が抱える現場での問題点や要望について一つひとつ回答していた。13時15分頃になって、昼食を取った。

モバイル・ラボの説明
一つひとつの実験器具について、名前と使い方を参加者に確認してもらった。
ムワバ氏は話術が巧みなので、先生方は打ち解けて、説明や質疑に参加していた。


 昼食中に、SEO達と打ち合わせて、今日は教科毎の分科会は行わないこと、昼食後は、ムバワ氏によるモバイル・ラボとサイエンス・キットの説明を最後まで行い、その後は、自分が光学関係の実験例を紹介することを決めた。

 14時30分頃からムワバ氏が説明を再開し、バネばかり、電圧計、電流計、リトマス紙、ガス器具、スタンド、クランプ、コイル、回路ボード、凸レンズ、凹レンズ、黒板消し、エンジン・モデル、三脚、磁石、温度計、リービッヒ・コンデンサー、モバイル・ラボ内の水と排水のタンク、バイク用バッテリーの順に製品を紹介した。

光学関係の実験例や実習の紹介

 15時30分から45分までの休憩の後、光やレンズの実験を紹介した。この日に紹介した実験は以下の通りだった。

@ 屋外にて
 凸レンズによる結像、凸レンズを使った集光による黒い紙の発火、水を入れた丸底フラスコを使った集光による黒い紙の発火、レンズの組み合わせによる望遠鏡の作り方と実物の紹介、カメラ・モデルの紹介。

A屋内にて
 簡易万華鏡、簡易スペクトロメーター、ビュンビュンゴマによるニュートン・ディスク、簡易顕微鏡、光学顕微鏡の紹介。

 また、光関係ではないが、数学(算数)の図形学習教具として、ジオメトリック・ボードを、九九練習用教具として、フラシュ・カードを紹介した。最後に、ジャイロ・ディスクを使って参加者に慣性を体験してもらった。



 研修会2日目は、8時30分頃に全員が大会議室に集合し、分科会会場の伝達後、理科・数学・テクノロジーの各分科会に分かれて研修が始まった。

電気・電磁気関係の実習
 午前中に紹介した内容は以下の通りだった。
@ 輪ゴム鉄砲
A 糸電話(ナイロン釣り糸と、螺旋に切ったPETボトルを糸の代わりにしたもの)
B 磁針(ペトリ皿の蓋側に水を入れ、その内側に直径の小さい方のペトリ皿を浮かべて、その中心に磁石を置いたもの)
C 磁針を利用したモーター原理の紹介
D 直流電流とコイルの働き(鉄心をコイルに入れたときと入れないときの比較)
E 電磁石で釘を引き付ける実験
F 電磁石による綱引き
G 交流とコイルの働き
H 交流と鉄心を入れたコイルの磁力の確認(釘を引き付けるか、磁針が反応するか)
I インダクション・モデルを使った電磁誘導の実験
J ブザー回路の実習
K 簡易モーターの作り方説明と、製作実習



化学・生物分野の実習
 14時10分頃から、化学・生物分野の実習を行った。内容は以下の通りだった。
@ 気体の膨張と収縮
A 二酸化炭素(安全な発生方法、二酸化炭素とアルカリの反応、二酸化炭素内でのマグネシウムの燃焼
B 使用済み乾電池の利用法
C 酸素の発生方法
D 水素の発生方法
E 水の電気分解
F 食塩水の電気分解
G 水素の燃焼
H 物質の分離(Separation)濾過、クロマトグラフィー、蒸留
I 赤キャベツを利用したPH指示液
J 光合成によるデンプン合成結果の紹介
K メタノールの安全な爆発



Merit and Challenges
 16時10分頃から、大会議室に全参加者が集合して、本教員研修会のMerit and Challenge について意見交換をした。
 17時15分頃から、参加者手当てと交通費についてヒルダ氏が説明した。
 17時25分頃から、スタンダード・オフィサによる閉会の挨拶があった。続いて、ヒルダ氏から参加者への御礼の言葉が伝えられ、一応研修会は終了した。最後に、修了証書を配布するので、夕食後の20時に大会議室に参加者は集合するようにと連絡があった。

糸電話の実習中。一部の先生は輪ゴム鉄砲をスケッチしていた。 電磁石の実習

ブザーモデルを配線無しで先生方に紹介し、ブザーが作動するまで配線を考えてもらった。 コイル、クリップ×2、単三乾電池、磁石だけで簡易モーターを作った。

簡易モーターの製作中 お茶の時間

テクノロジー教員の分科会 数学教員の分科会

ヒルダ氏司会によるモバイル・ラボなどに関する意見集約 研修2日目に行った化学分野のセット(一部)とEOのムカンダ氏

参加者の討議でまとめ スタンダード・オフィサの閉会挨拶


修了証書授与式

 所長と会計担当のコンティ氏は18時頃にチョマに到着した。コンティ氏は、参加者の手当てと交通費を現金で持ってきた。

 修了証書授与式の開始前に所長は無事証書にサインをした。修了証書を特定の順番通りに並べることができなかったので、順不同で参加者に授与していった。

 式の後、コンティ氏から参加者に手当て・交通費が支給された。

修了証書にサインするNSC所長 修了証書の授与

Southern Lodge の朝食(一部) 修了証書のデザインに利用した羽

 
 6日には、8時40分にチョマをムカンダ氏とともに出発した。順調にドライブして13時前にムカンダ氏を自宅に届けた。その後、J***事務所へ寄り、プロジェクターを返却し、NSCで荷卸した。

 ちょうど、昼食時だったので、レイチェルにミニヴァーの様子を聞くと、ミニヴァーの腕は血管が見つけにくいので、再度の点滴がなかなかできずに、たくさん傷を作ったと言っていた。後で、電話してみると、自宅で静養していて、頭痛はあるが回復していると言っていた。

 ドタバタしたが、臨機応変の研修会が無事修了してほっとした。

 この研修会の理科分科会参加者は14名だった。しかし、人数の多少に関わらず、研修会で紹介する教材や実験の道具は変わらないし、準備や片付けの手間も同じだ。今回は、理科の実習中、自分以外のスタッフが全く研修会場にいない状態だった。だから、NSCのザンビア人スタッフに対して、実験の指導法を全然伝えることができなかった。

 CDの配布は比較的好評だった。今後の研修会では、CDにビデオ資料を加えて配布したい。

20050502 パレードの片付けとミニヴァーの病気
 今日は、レイバー・デイの振替休日。それでも平日通りに起きてNSCへ向かった。ゲートをくぐってから、建物に入ろうとすると、今日の当番のチャールズが、鍵は無いと言った。昨晩の担当だったジョンボロが持ち帰っているのだろうと話すので、チャールズとジョンボロの家まで行く事にした。

 NSCからそれほど離れていないが、道は普通に悪かった。ジョンボロの家に行くと、鍵は無事に見つかった。

 ワーク・ショップとオフィスを開錠して、昨日パレードの後に、とりあえず降ろしただけの教材やバナーを、分かる範囲で整理した。しかし、昨日トラックで揺られたせいで、モバイル・ラボ内のバッテリーがひっくり返って、希硫酸がこぼれていた。そのため、おがくずを固めて作ったモバイル・ラボ内の板が変質したり、ゆがんだりしていた。これらの板は交換が必要だろう。

 作業していたら、ミニヴァーのルームメイトのナターシャからミニヴァーが重病だと連絡があった。朝から嘔吐したり、腹痛を訴えたりしているそうだ。病院に行きたいのだが、彼女が歩けないので車で来て欲しいと頼まれた。

 自分でできる片付けは一段落したので、ナターシャと待ち合わせて、彼女達の家まで行き、24時間やっていますと塀に書き出されていた、Pearl of Health Hospital までミニヴァーとナターシャ、それにもう一人の友人を運んだ。

 ナターシャに少しお金を渡して、何かあれば連絡するように名刺を渡し、ムルングシに戻った。

 正午過ぎにナターシャから電話があり、病院に来るように言われた。病院についてみると、ミニヴァーは女性用病棟(他に入院患者はいなかった)で寝ていた。ナターシャ達は検査でマラリアだと分かったと話していた。

 少ししてドクターが話しをしたいとナターシャに言われたので、ドクターに会いに行った。インド系?らしいドクターが血液検査の結果とカルテを見せて説明してくれた。診断は、Septicaemia (敗血症) だった。血球検査の数値をみると、それらは正常値だったし、マラリア検査は陰性だった。この時点では、敗血症の原因細菌は分からないが、ドクターは、スペクトルの広い抗生剤の点滴で治療するがかまわないかというので、OKした。

 ナターシャ達は一旦、ミニヴァーに食べ物などを用意するために家に戻ったが、その間に看護士さんとドクターが点滴を始めてくれた。ドクターは静脈に針を刺すときに、ラテックスの手袋を両手にしていた。

 点滴を見ていたら、液の落ち方があまりにも遅いので、看護士に二度、落ち方をチェックしてもらった。ナターシャ達が戻るまでミニヴァーは二回度嘔吐した。お腹が空っぽなので、黄色の胆汁を吐いていた。それでも、痛み止めの注射と点滴で、顔色は少し良くなったようだ。しかし、ミニヴァーは、寒い季節が近づいているのに薄着(セーターなどが買えないため)なので、毛布を羽織っても寒いと訴えていた。

 5時前に、ナターシャと会計に行き、入院患者の支払うデポジット(かなり高額)を納めた。何かあれば連絡するように話してムルングシに戻った。

 夜は、やっと予算の再配分作業をした。でも1時間ほどで終了した。

20050101 Labour Day Parade
4月の日記をご覧ください
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