2005年6月の日記 連絡先(e-mail)
2005年5月の日記

20050626 明日出発
 ンドラのフェアに向けて9時過ぎに買出しに行った・・・つもりだった。ところが、マンダ・ヒルのショップライトは閉店。そういえば昨日店員がストをしていると放送していたな。そこで、マンダ・ヒルの他の店で買えたのは、携帯電話のプリペイド・カードと、教材をンドラで作るための接着剤、電池、スイッチだった。

 アーケイドへ移動して給油の・・・のつもりだった。ところが、いつも給油しているプレミアム・ガソリン(有鉛)がない。しかたなく無鉛ガソリンを入れた。こちらの方が一割ほど高い。もちろん自家用車(1993年製サニー)はガソリンタンクの蓋を開けると「無鉛」と印刷されたシールが貼ってあるのだが。

 給油の後、タイヤの空気圧をチェックした。

 アーケイドのスパーでリンゴ、ミネラルウォーター、パンなどを買って借家に戻った。

 午後は、コンピュータ作業の続き。昨日やり残していたファイルの変換作業を見つけたのだ。夕方過ぎに一段落、これで確かにCDが焼けるはずだ。

 明日は、朝のうちにシーツの洗濯などをしてからNSCに向かい11時〜12時にはンドラに向けて出発したい。ルサカに戻るのは7月6日の午後の予定である。

20050625 運動会
  朝、庭に出ると少雨があったかのように芝が濡れていた。肌寒い一日になりそうだった。

 今日はスタディー・グループの運動会。昨年は11月20日の暑い盛りに行ったので、今年は最も寒い時期を選んだのだ。ムルングシ村の端にある広場が会場だった。

 9時に集合して、道具の準備を保護者の皆さんが行った。ルサカに日本人子女のための補習校があった時代の優勝旗、綱引き用の綱、玉入れの道具一式が運び込まれた。それらにパン食い競争用のパンや障害物競走用の道具などが加わり、雰囲気が高まった。

 9時半頃に開会。入場行進、ラジオ体操、しっぽ取り競争、玉入れ、障害物競走、ダンス(ひょこりひょうたん島)とほとんどプログラムの時間通りに進行した。保護者は昨年の経験を大いに生かしていたようだ。

 残念ながら自分は、ここまでで失礼して借家に戻り、昨日までに終わらなかったンドラで配布するCDの準備を始めた。

 CDに焼きこむ予定のファイルに残っていた日本語用PCでしか正常に表示されない部分を、英語しか使えないPCでも使えるように変換する作業を延々と行った。まず、全てのフォントを半角にし、それでも明朝体などのフォントがあれば、図に変換して置き換え、両端ぞろいでない部分を修正し、番号のふってある部分は箇条書きに直し、必要に応じて表を挿入し・・・と作業してなんとか終了。ンドラに着いてからCDが焼けるだろう。(でも停電の可能性などを考えれば、こちらでできるだけ済ませておきたいものだ)

 日中は気温が上がり、気持ちの良い一日だった。

20050624 ジョリー夫人亡くなる
 今日も、トレイド・フェアの準備、でも作業にかかろうとするとジョセフィンがNSCのドライバーであるジョリーの夫人が早朝亡くなったと教えてくれた。マラリアの後、脳脊髄膜炎(meningitis)になり、闘病していたが悪化して亡くなったそうだ。ということで、葬儀に行った所長もムカンダ氏も不在のNSCは静かで沈んだ感じだった。

 ミニヴァーとナターシャには、パタパタ細胞分裂の製作を頼んだが、全部不満足だったので、型紙からの切り離しだけを頼んで、後は自分で作った。彼女達には、糸巻き戦車の改造や、レインボウ・ボックスの説明書作り、掃除などもお願いした。

 ムエルワ達はDNAモデルの展示用支柱や、ディスプレイ用のテーブルなどを熱心に作ってくれた。

 午後は、薬品価格の改定作業の見直しをし、それら価格を元にカタログの訂正用紙を更新した。

 思ったように準備がはかどらなかったので、残りのトレイド・フェア用の荷造りは出発当日にあたる月曜午前中にすることにした。土日は無理をしないようにしよう。

20050623 ムウェルワの誕生日
 庭師のムエンベにムルングシ事務所宛のレターを預けてから、オフィスに向かった。ミニヴァーとナターシャへのメモを置いてJ***事務所へ行った。今日は、SVのミーティングがあるためだ。

 8時半から1時間ほど各SVの活動報告や所長、次長、調整員の話があった。(いろいろ興味深い情報があったのだが割愛)

 事務所のMY氏が手配してくれたドライバーとミツビシのトラックを使って、NSCへ戻りムウェルワ達が作った三つの雑誌棚と物入れ一つを事務所まで運ぶことにした。両面ラミネートのパーティクル・ボード製なので、どれもかなり重い!二回に分けて運んだのだが、二度目に運んだ物入れは4人がかりでやっとトラックの荷台に載るほどだった。

 注意して運んだのだが、物入れの下半分に付けた二枚の扉のストッパーが壊れてしまったので、修理用のパーツを買うためにムウェルワとタウンまで行くことにした。ついでに、トレイド・フェア用に頼んでいる分解できるテーブル用のベニア・ストリップとA4用紙も買うことにした。

 ムウェルワとルサカ・ハードウェアに行って、ストッパーとベニア・ストリップ30mを買い、次にステイショナリー・ワールドでA4用紙を二〆(1000枚)買った。(すでに業務費が尽きているので自分の財布から出さなければならない)  帰りに再び事務所に寄って、ムウェルワが部品を交換した。さらに、物入れを据え付けた床が傾いているので、物入れが歪んでいたが、床と家具の間に詰め物をして、水平になるように二人で調整した。

 事務所からNSCに戻るときムウェルワが今日は誕生日だというので、彼をNSCで降ろしてからカードとビスケット(ムウェルワの好物)を買いに出た。

 午後の仕事が始まってからンデケに水の入ったコップを渡し、テクニシャン達を集めてから、ンデケがムウェルワに水をぶっかけた。カードとビスケットを渡して、ささやかに誕生日を祝った。(写真中央がムウェルワ)

 ミニヴァーとナターシャは、朝から頼んでいたDNAの紙モデルの作業、飛行機の紙型の切り抜き作業、ペットボトルで作る糸巻き戦車の作業、風車づくりを淡々とこなしてくれた。こちらが、できあがりに満足できずに再度同じ作業を頼むことがあっても、苦情を言わずにがんばってくれた。

 冬至の頃から寒さが厳しくなり(自分には快適だが)、日中でもザンビア人の動きが鈍いようだ。道路も日中は空いているし、町もおとなしい。それでも、運動に適した気候だからかNSCに隣接するカブロンガ男子高校のグラウンドでは、いろいろな学校が運動会?をしている。  あっちこっちに行って疲れた一日だった。ふー。

20050622 冬至の次の日
 土曜の朝倒れていたパウパウの木の横にある大きな木も、シロアリのダメージを受けていないか、ムルングシに調べてもらうことにした。状態が悪ければ切り倒したり、枝をはらったりの依頼をしなければならない。

 NSCのオフィスで昨日の印刷の続きを始めた。コンピュータとプリンタに作業を継続させて、タウンに買出しに行こうと思ったのだが、印刷の途中で停電した。そこで、機械類のスイッチを切り、ミニヴァーとナターシャへ作業のメモを残してからタウンへ向かった。

 タウンでは厚紙だけを買ったが、今思うとベニア・ストリップも買うべきだった。タウンからマンダ・ヒルへ行き、銀行とゲームで用を済ませてから、電話代を支払うために電話局に移動し、さらに警備会社に立ち寄って7・8月の支払をしてオフィスに戻った。ミニヴァーとナターシャは作業を始めていた。停電は復旧していた。

 今日も、トレイド・フェア用の印刷物づくりで一日が終わってしまった。でも、彼女達はZASEの先生達の依頼品を作り上げてくれた。

20050621 冬至
 日本は夏至のはずだが、こちらは冬至。日没は5時45分頃だった。昼間でもすずしいのでベスト(チョッキ)を今年初めて着た。

 ミニヴァーとナターシャが来る前に、Black Wall の型紙に黒い紙をコンタクトで貼り付けた。同時に、カタログ、実験マニュアル2種類、NSCのCD用表紙などを二台のプリンタを同時に使って印刷し始めた。

 彼女達が着てからから、Black Wall を実際に組み立てながら、カッターと定規、接着剤の使い方などを説明した。ミニヴァーから作りにくいと苦情を聞いていたので、それらを改良した作り方を、時間をかけて説明した。

 ミニヴァーとナターシャは狭い作業机を二人で共有しておしゃべりしながら作業を始めたが、彼女達は、昨日までよりずっと良い教材をどんどん作ってくれたので驚いた。

 こちらは、印刷したものを束ねたり、新しく印刷する原稿を修正する作業を進めたりした。しかし、プリンタのカラーインクや厚紙、印刷用紙が尽きてしまったので、作業は中断。明日、買出ししてから作業再開だ。

20050620 資料印刷開始
 オフィスで作業の準備をしていたら、レイチェルが訪ねてきた。彼女は、旅行業の勉強を始めたのだが、レポートの書き方について助言が欲しいと持ってきた。1.ツーリストの増加から環境を守る方法、2.旅行会社の新入社員に対して、旅行業の振興について20分のプレセンテーションを考えよなどの課題だった。少し助言した・・・。

 トレイド・フェアに備えて、自分が準備して現地に運び入れる物のリストをメモにして、所長に渡した。メモを他のオフィサ達に渡そうとしたが、ムワバ氏が朝少しの時間居ただけで、ムカンダ氏もニエンバ(ヒルダさん)氏もいなかった。しかもムワバ氏は明日、妹さんの葬儀でお休みだそうだ。

 リストはこんな感じ、

Senior Volunteer intends to prepare following items for the fair

1. Printed Matter
  1. NSC brochure x 50
  2. NSC catalogue (new x50, old x600 with new price list)
  3. Samples of experiment x 20
  4. Introduction to Experiments with the Science kit x 20

2. NSC information CD

3. Samples of Educational Materials
  1. Gyro disc
  2. Simple microscope
  3. Simple telescope
  4. Simple spectroscope
  5. Simple kaleidoscope
  6. Camera model
  7. Black wall
  8. Buzzer model
  9. Coil motor
  10. Electric magnet
  11. Transformer model
  12. Battery holder
  13. Electric pendulum
  14. Electroscope with PVC tube and cleaning cloth
  15. Wave model (Rayleigh blind)
  16. Simple chigiligili
  17. Newton disc Bwalili
  18. Wind propeller
  19. Paper airplane
  20. Paper DNA model
  21. Flip Mitosis
  22. Zambia template
  23. Africa template

4. Others
  1. Power unit ×2
  2. Extension cable x2
  3. Worm clips
  4. Tool box
  5. Nails and screws
  6. Tester

 ミニヴァーには、Black Wallの続きをつくってもらった。明日から金曜までの準備のためにミニヴァーのルームメイト(ナターシャ)に明日から手伝ってもらうことにした。

 午後、ZASE(ザンビアの理科教育団体)の先生がお二人やってきた。ニエンバ氏からの注文品について聞いていった。簡易スピーカーと簡易分光器(スペクトロメーター)は注文の数できていたが、まだBlack Wall が注文数に達していないことを説明した。彼らはできあがった分をチェックしてかなり満足そうだった。金曜日に教材を取りに来るそうだ。

 今日印刷したのは、カタログ10部、NSCのパンフレット55部とBlack Wall、飛行機、DNAモデルの紙型だった。所長は、NSCのCD販売のために、20枚入りのCD−R箱を準備してくれそうだ。

 J***事務所用の本棚などがだいたいできあがった。

20050619 日曜日
 暖炉の灰を片付けようと思い立って、プラスチックの桶に灰を移した。ところが、胸のポケットに入れておいた携帯電話を灰の中に落としてしまった。すぐにざっと水洗いしてふき取った。その時は、正常に表示が出ていたのだが、しばらくすると全く動かなくなってしまった。

 カバーの隙間などから水が内部に入ったのだと考えて、小さいドライバーを使って、カバーを取りはずした。

 9のネジを外すと、2層の基盤にびっしり部品が並んでいて、所々にしみこんだ水があった。それらをふき取って、組み立てたが、一度音が鳴るだけで、動かない。液晶表示も無しだった。そこで、再び分解して、また水滴を見つけたので、それを拭き取った。組み立てると音が二回出たが、表示は無かった。

 その後、また分解して、液晶パネルまで外し、その裏にわずかに残っていた水分を取った。組み立ててから、スイッチを入れると、今度は正常に起動した。

 このALCATEL製の携帯電話の中に、HITACHIとかNECのブランドのLSIを見つけたのは、面白かった。でも、動いてホッとした。

20050618 ザンビア対マリ戦
 朝、庭に出るとパウパウ?の木が倒れていた。昨日の夕方に傾いているのを見つけて、蹴ってみたが、なんともなかった。庭師に切り倒させようと思っていたのだが、その前に倒れた。

 スタディー・グループでは、まず、中学生と正八面体、正二十面体、正十二面体を画用紙で作った。

 小学生の男子、ZM君、WT君とには、昨日の飛行機を見せた。彼らは休憩時間になると、J***事務所の駐車場で盛んに飛ばしていた。向かい風で飛ばすと、縦に旋回してから地表近くで水平に飛び、そのまましばらく滑空して地上に戻るので、飛行機もなかなかうまくできていたようだし、飛ばした彼らも上手だった。飛行機は彼らの物になった。(喜んでくれた)

 スタディー・グループの後、直接タウンに出かけて、アート・ボード(厚紙、平米あたり270gと215g)、クリップを買った。

 マンダ・ヒルのショップライトとゲームで追加の買い物をした。これで、第1四半期の一般業務費はほとんど使い切った。

 午後、SVのSR氏に紙飛行機2機と、昨年の10月に日本から持ってきて組み立てたゴム動力飛行機を1機渡した。

 15時からザンビア対マリのワールド・カップ予選がテレビとラジオで中継された。最初から最後までアナウンサーの絶叫で音が割れっぱなしだった。ザンビアが先制し、マリに追いつかれたが、後半終了5分前にザンビアが追加点を入れて勝った。今晩、ザンビア人は機嫌が良いだろう。

20050617 飛行機づくり
 NSCのオフィスで、昨日作りかけや、修理しかけだった紙飛行機を仕上げた。一部は新SVのSR氏にZASTIの教材?として渡すため、一部はフェアやショーで展示するため?だ。

 ミニヴァーには、薬品マニュアルの資料を教科書から探してもらった。

 9時半から全所員対象のミーティングがあったが、住宅手当、週末パス、ミニマート委員会などに関することだったので、所長の許可をとって作業を続けていた。

 ムリンバが来客だといって、高校の先生を3名連れてきた。彼らは実験室の施設を更新中で、実験台に付ける流しについて助言が欲しいと言った。そこで、日本の実験台に付いている一般的な陶器製の流し台の図を描いて渡したり、25年前のイギリスのカタログを見せて、厚めのステンレス製の物を探すと良いとアドバイスしたりした。ステンレスであっても、強酸は流さないように話した。(廃液の分別処理をすることはザンビアの学校レベルでは想定されていないかもしれないので)

 午後になって、チョマの研修会に参加したという先生から電話があった。彼はルサカに来ているのだが、実験台の流しを探しているそうだ。そこで、彼にも厚めのステンレス製を探すこと、強酸を流さないことなどを伝えた。

 夕方までかけて飛行機は、8機できた。同時に、明日のスタディー・グループ用に正多面体のパターンを作った。

 ンドラのフェア用の持ち物リストを作った。来週はちゃんと準備しよう。

20050616 薬品用資料作り
 NSCスタッフ用の薬品マニュアルを作り始めた。NSCカタログにある薬品と今年購入予定の薬品について性質をまとめ始めたのだが、硝酸鉄、硝酸バリウム、塩化亜鉛はベイシック・スクールで使うのだろうか?需要はあるのかな?

 コンピュータに入れてある辞書を頻繁に使いながらマニュアルを作るので、少しずつしか進まない。イライラ。

 ミニヴァーには、化学の教科書からマニュアルに載せる薬品に関する記述を探してもらった。イギリス版の教科書には、硝酸鉄などの記述が無かった・・・。

 今日は、この作業の途中で終わり、夕刻にJ***事務所に寄って、ンドラ行きの業務費を受け取った。

20050615 実験用薬品の打ち合わせ
 新しいカタログのデータを修正し、古いカタログに挟み込む価格訂正表を作り始めた。

 9時半からNSCの図書室で、試薬類購入に関する打ち合わせがあった。購入担当のオフィサ(いつも名前を忘れてしまう、そうだムリンバ君だ!)と販売担当になって数ヶ月のトーマス、それにヒルダ氏、所長、ムカンダ氏と自分が参加した。ムワバ氏は(12年生の?)試験出題者として外出中で不在。

 これまでNSCに保管されていた販売用の試薬は、古くなっていたり、品質が悪かったりで顧客から何回も苦情を受けていた。今年の予算で新しく購入する薬品は、絶対に確実な品質の物が欲しいようだ。そこで、どうしたら薬品の品質がチェックできるかとか、薬品の保管上の注意とか、を相談するために打ち合わせが持たれた。

 昨日作った資料を渡して、購入予定薬品やNSCのカタログに記載されている薬品に関する疑問点や助言を説明した。

 いろいろ話していると、ある業者は、高品質のサンプル商品を持って来たが、実際に納入された商品は粗悪品だったというケースを教えてもらえた。うーん。

 外出の予定があったので、10時20分に打ち合わせを抜けた。自分のこの後の作業として、薬品の品質をチェックする実験マニュアルの作成が残った。

 ZNBCやムルングシに行った後、午後は、カタログ修正などの続きをした。

 ムウェルワはJ***事務所用の本棚が来週にはできるだろうと言ってくれた。

 今日になってドライブの疲れが出てきた。ふー。

20050614 トレイド・フェア準備開始
 オフィスで、荷物の片付けをしてから、事務所に提出するための出張報告書をまず仕上げた。

 次に、所長とムワバ氏と自分でこれからの作業について打ち合わせた。

 NSCのカタログやパンフレットを印刷したり、NSCのCDを作ったりすることはもちろんだが、カタログの価格改定なども行わなければならない。

 主要製品の価格は、打ち合わせの後、ムワバ氏と相談して変更した(こんなに簡単にやっていいのだろうか?五割増しとかもあるのだが・・・)。ガラス器具の販売価格はエルヴィスと調整した。

 カタログのワード・ファイルの価格を変更し、改訂版のために表紙を作る作業もした。

 所長は自らタウンの印刷業者を回って、デジタル・データを使って版下を作って印刷できるかとか、印刷価格や納期について資料を集めた。しかし、一部の業者からは明日ファクシミリが入るので、明日印刷についてまた打ち合わせることになった。

 試薬・薬品の購入打ち合わせが明日あるはずだが、その準備のために資料を作った。日本の教材カタログにある価格をクワチャに直して、購入予定のケミカル価格表に付け加えた。日本の価格から極端に安ければ、品質が心配だし、極端に高ければ別の不安があるのではないかという判断材料にするためだ。

 こうしてバタバタしている間にも、ムカンダ氏がシスターの初等学校教員を連れてきた。ムカンダ氏と大学の同期だったそうだ。学校で、理科教育を強化するので助言が欲しかったそうだが、彼女は今日あまり時間が取れないようだったので、NSCのCDと実験資料を二種類印刷して渡した。また来ると話していた。

 ミニヴァーと準備したレイチェルの誕生プレゼントは、ミニヴァーが学校の準備で15時半に帰ったり、レイチェルが食事の片づけが忙しくてフリーになかなかならなかったりしたので、自分だけで17時前にレイチェルに渡した。穏やかに?喜んでいたような気がする。

20050613 トレイド・フェア下見
 5時少し前に起床して、身支度をすませ6時10分頃に借家を出発した。同行するムワバ氏の自宅へ向かって、彼を6時25分頃に拾い、グレイト・ノース・ロウドを北上してンドラへ向かった。

 借家を出てから350キロほどで、昨年も見学したトレイド・フェア会場に無事到着した。10時20分頃、会場内に入り、アドミニストレーション・オフィスを訪ねた。ここで、NSCの展示ブースがIndeco Hall(入場口のすぐ側)という建物にあること。周囲の展示ブースは、DRコンゴ、台湾、ジンバブエ、南アなどの民間企業が多いことを聞かされた。

 その後、実際のブースを見学し、写真を撮ったり、広さを測ったりした。

 ブース見学の後は、オフィスに戻ってトレイド・フェアの規則、出展申込書、出展者のバッチ購入申込書などを受け取った。これで本日の目的は修了した。

 しかし、所長がンドラに来る間の宿泊場所を確保するために、ムワバ氏の旧友である初等学校校長を訪ねることになった。

 ふたりはとても仲が良く、話が弾んでいた。ホテルのことを校長に頼んで、ンドラを後にした。12時少し過ぎだった。

 カピリ・ムプシに軽食とトイレのために立ち寄った以外は、休憩なしでルサカに向かった。ルサカには16時半頃到着した。約720kmの行程だった。

20050612 日曜日
 いつものように、シーツと枕カバーを洗濯し、ご飯を炊いてから冷凍した。日曜朝の定番になった日本の教育番組、Junior high school science(電気分解), Fun with Math(楽しい算数), Discovery Science(調べてサイエンス小学校6年理科 Micro Heros)を見た。どれも90年代初めの番組だ。今日はもう壊れてしまったと思っていたVCRで録画できた。

 電気分解では、銅の電気精錬の紹介をしていた。ザンビアの主要産業に直接関係している内容だったので、この番組を、こちらの学校で利用できると良いと強く思った。

 9時から1時間ほど外出した。明日のンドラ日帰り出張に備えて、携帯電話のプリペイド・カードを買ったり、ガソリン・スタンドで給油とタイヤ空気圧のチェックをしたりした。もちろんミネラル・ウォーターも買った。  午後は、読書などでのんびりした。

20050611 土曜日
 午前中はスタディー・グループ。その後は買い物をして借家で過ごした。

 昨日電池を交換した携帯電話はすこぶる好調で、電池の切れる様子ははなかった。

 2時前にSVのSR氏が昨日壊したというプリンタを持っていらっしゃった。100V用のプリンタを240Vの電灯線につないだので、煙を出して壊れたそうだ。自分が前任者から買い取って使わなくなっていた同じメーカー製プリンタがあったので、それに使われている電源ユニットを流用して、SR氏のプリンタが修理できない試すことにした。しかし、二つのプリンタを解体してみたら、ユニットは違うもので、配線のコードの本数も異なっていた。それを見てSR氏は、新しいプリンタを購入することを決めたようだった。

 故障したプリンタのトランスからオイルが漏れていたが、それでセイロン・オートのオウナーの話を思い出した。ザンビアでは、トランスがバンダリズムの被害にあることがある。盗んだトランスから抜き取られた絶縁用のオイルはフィルターにかけられて小分けにされ食用油として売られてしまうそうだ。(危険だ!)

 夕食は中国飯店。自分を含めて3名のSVと1名の専門家で楽しく食事をした。

20050610 ンドラ行き準備
 月曜にンドラまで出かけるので、名刺、NSCパンフレット少々、CD少々の準備をした。その前に、簡易スピーカーを43台作った。コイルをプラスチックのコップに貼り付けるための接着剤の加減を失敗して、いくつかコップを溶かしてしまったが、なんとか午前中に作り終えた。

 所長は、オフィスに現れてCASIO製のポケット・コンピュータについて質問していった。親戚が亡くなったので入手したらしいが、パスワードが設定されているというのだ。パスワードをお墓の中から教えてもらえるわけがないので、コンピュータそのものをリセットして使えるようにした。ついでに電池も新品にして渡した。

 ムワバ氏と月曜の出発について打ち合わせをしてから、タウンへ出かけた。

 セイロン・オートでオイルとエレメント交換を頼み、前輪のベアリングをチェックしてもらった。14時〜16時すぎまで作業が終わるのを待っていたが、オウナーのMN氏はいつものように興味深い話をしてくれた。

 例えば、日本にいたとき大型貨物で青森から浜松まで卵を運ぶバイトをしていたそうだ。25トンもの卵を運ぶので、信号が変わりかけた交差点で前の車が急停車したから、急制動をかけたらタイヤが燃え出した話とか、東名高速で事故に巻き込まれて路面に卵が流れ出した話をしてくれた。

 ほかにもいろいろ話はつきなかったのだが、オウナーに教えてもらったお店で携帯電話の電池を購入できたのは、おおいに助かった。

 夕方からアーケイド・ショッピング・センタにある映画館(日本のシネマ・コンプレックスと同じ)スター・ウォーズを見た。月曜から木曜までは1万クワチャなのだが、金曜から週末は2万(タウンなら5000)。久しぶりにしっかり映画を見て楽しかった。でも、フィルムが終わりきっていないのに電気を点けるのは・・・。

20050609 作業継続
 ニエンバさん(ヒルダ氏)から頼まれた簡易スピーカーとブラック・ウォール(偏向板を利用して、黒い壁があるように見せかける教材)を43台今月末までに作らなければならない。前任者が残したマニュアルがあるのだが、こちらで入手できる材料をできるだけ使って作ろうと思っているので、デザインを少し手直しした。それと先日チュトウ氏に渡せなかったはく検電器についてもデザインを直して作る事にした。

 ミニヴァーには、今朝やっと確定したデザインのブラック・ウォールを作り始めてもらった。

 自分は、簡易スピーカー用の磁石を選んだり、はく検電器のサンプルを作ったりした。

 夕刻までになんとかスピーカーとはく検電器のサンプルは完成。明日からは量産に入れるだろうか?

 ムワバ氏と打ち合わせをして、月曜日にムワバ氏の家に迎えに行ってンドラに向かうことを確認した。ンドラでは、パビリオンでの展示スペースの大きさ確認と、当地の教育省PEOへの挨拶、それとNSCスタッフの宿の手配などを行う必要があるようだ。

 帰る準備をしていると所長がオフィスまで来て言った。来週水曜に、薬品に関して打ち合わせをするので出てほしいとのことだった。実験用の薬品を今年は大量に仕入れるのだが、その品質についてアドバイスが欲しいとのことだ。これまでもデンプンにかけても色がつかないヨウ素液や、ブドウ糖が検出できないベネジクト液について助言を求められて、そのたびに顧客に自分の薬品をまわしたり、薬品の調整法を教えたりしてきた。顧客からの信用に関わる問題なので、所長は真剣だった。

 明日は、食堂のレイチェルの誕生日なので、ミニヴァーとカードやプレゼントを準備していた。しかし、レイチェルはいとこ(40代前半の男性、子供4人)の葬式があるので、明日から月曜までは出勤しないそうだ。うーん。

200607・08 ちょっと疲れ気味?
 6日の夕方キャッシュ・フローを折角作ったので、所長や他のSEO用にも印刷し始めた。ところが、循環参照のエラーを発見したので、それを修正して再印刷した。政府から出るお金とドナーから出るお金がすっきり整理されて分かりやすいものができたと思った。

 朝、ムカンダ氏と所長に確認したところンドラで6月27日から7月5日まで開かれるインターナショナル・トレイド・フェアにNSCは出展するそうだ。そこで、ムワバ氏と自分が27日から6日まで出張することになった。そのことを調整員のD氏に連絡したところ、すぐに費用に関する書類を出すように指示された。

 火曜日なので、12時5分から Radio 4でJapanese Worldの放送があった。ザンビアのユニセフ副代表(?)の日本女性が出演した。分かりやすくきれいな英語の堂々とした話し方が印象的だった。

 日中はひたすらスペクトロメータを作った。45台できたが昨年のショーに向けて作ったものより丈夫でより見やすくなったと思う。

 5時前になって、チュトウ氏が、明日チョマに持っていく教材を取りに来るからとオフィスに現れた。

 借家に戻ってから出張書類を準備し、電話でンドラ滞在中のロッジの予約も済ませた(昨年SVのAS氏が泊まったところ)。  8日。ムワバ氏と自分でンドラへ来週の月曜(13日)に下見に行くことになった。日帰りなのでちょっと大変だが、どうしても下見しておきたかったので、良いチャンスだと思う。また、出張書類作りもした。

 9時過ぎに、J***事務所の本棚用の板を追加購入するために事務所の車でタウンに出かけた。ウッド・プロセッシング(材木店)では、事務所の傾いた本棚を直すための合板も購入した。

 NSCでテクニシャン達に手伝ってもらって板をおろしたり、合板を切ったりしてから事務所へ工具を持参して戻った。

 修理を頼まれていた事務所二階の本棚は薄い背板が釘でつけてあったのだが、その板が外れたので、傾いていた。そこで、背面と同じ形に切った合板を木ねじで貼り付けて修理した。また、打ち合わせに使う丸いテーブルの足を補強する作業もした。このテーブルは足が外れて頻繁に倒れたそうだ。

 NSCに戻るとムカンダ氏がベイシック・スクールの女性の先生を来客だと連れてきた。彼女は、8・9年生の理科で使う薬品や、実験方法いついていろいろ質問したかったようだ。結局1時間ほど資料や当地で入手できる実験用の薬品などについて説明した。少し、おみやげも渡した。

 お昼過ぎに、マンダ・ヒルの銀行で少しお金を降ろして、ミニヴァーに学費の足しにするように渡した。彼女は、1月から復学したが、不満があり通学をやめていた。より良い学校で6ヶ月間勉強し直すというので、援助することにした。

 ふと見ると、オフィスに貯めてあったプラスチックの袋(レジ袋)が全部なかった。今日は、NSCの敷地にあるアボガドの収穫日だったので、みんなにアボガドを配る為にたぶんミニヴァーがOKしたのだろう。自分も一袋分もらった。

 体が重く、疲れているようなので、少し早めにオフィスを出た。

20050606 スペクトロメータ作り
 チョマのチュトウ氏と、ヒルダ氏から依頼のあった教材のうち、今日作業できたのはスペクトロメータだけだった。それもパーツを作っただけで終わりだった。ひたすら材料を切ったり、貼ったり、だった。40個つくる予定だが、少し多めにつくってアグリカルチャル・ショーなどに流用したい。

 ミニヴァーは午後からナターシャとカフエに行くので、お昼過ぎにタウンまで送って行った。ついでにスペクトロメータの筒になる外径40mmの塩ビ管6mをルサカ・ハードウェアで買った。

 アカウンタントが終業時直前にオフィスを訪ねて来て、年間のキャッシュ・フローの最新版が欲しいと言った。予算の組み替えを先週したので、キャッシュ・フローは作っていなかった。明日渡す事を約束して、スペクトロメータの作業を中断し、エクセルを起動した。

 夕方、事務所で修理を頼まれた書棚の寸法をチェックした。840×1795、縦は一間弱か。日本的?

20050605 日曜日
 隊員達が12年生の卒業試験解答集を印刷するので、生物分野の解答のチェック作業を行った。買い物や来客の合間に作業したが、2000年度から2003年度までの選択肢問題をチェックするのがやっとだった。記述問題はまたの機会にしよう

20050604 いろいろな土曜日
 事務所でのスタディー・グループでは、虫歯予防デーの行事として、小学生未満の子供達に、歯磨きの大切さを教える紙芝居を見せていた。アメリカン・スクールへ通っている中高生の一部は卒業式関係の行事に参加したので、今日はお休みだった。

 スタディー・グループ終了後、ZNBCに出かけた。J***事務所で合流したKZ隊員と共にZNBCに着き、SK氏に案内されて既に作業を始めていたKN隊員達と共に日本が寄贈した185本の教育番組から隊員の活動に利用できそうなものを選び出す作業をした。番組そのものを見るのではなくて、英語版になっているN○Kの番組台本をチェックして、その中から有効なものを選ぶ作業だった。到底今日だけでは終わらないが、これまでZNBCで放送された番組の印象や有効性などを隊員に説明しながら作業した。

 選び出してから後の課題も多いのだが、それらは隊員中心に解決してもらうことになりそうだ。有効な番組が多くの学校関係者に届くと良いのだが、かなり時間がかかる印象を受けた。

 KN隊員らと共にマンダ・ヒルに向かい、ID隊員・TN隊員らと合流。軽く昼食を済ませてから、みんなでカブロンガに向かった。KN隊員・TN隊員は所長宅のBBQへ、ID隊員・KZ隊員・KI隊員と自分はNSCへ向かった。

 しかし、KN隊員達を所長宅に送った後、道沿いに倒れているザンビア男性をID隊員が見つけた。近寄ってKI隊員が事情を聞くと、病院に行くためにルサカに来たが、頼りにしていた親族が転居したようでいないし、お金も無いと話していた。そこで、自分と隊員の財布から彼の家に帰り着けそうなお金を渡した。

 NSCのオフィスでは、隊員達にJETSの活動(理数・技術関係の児童・生徒の自由研究)に参考になりそうな教材やアイデアを14時から16時頃まで紹介した。NSCのCDに盛り込んだ内容が多かったので、CDのコンテンツの順に説明した。小規模なワークショップのようだったが、みんな楽しかったと言ってくれた。

 夕食は、3人の隊員とSVのTJ氏、SR氏と共に中国飯店に行った。先々週にチレッシが退職したので、顔見知りの店員が減ってしまったが、今日は隊員達との話もはずみ楽しい夕食だった。(でも、倒れていた彼はどうなったのだろう)

20050603 制作続行
 チョマ・サテライト・センタのチュトウ氏は今日までに注文の品を作ってくれと言っていたが、彼は現れなかった。それでも、何とか作れる範囲で注文をこなしたい。でも、今日作れたのは、エレクトリック・ペンデュラムとスペクトロメータの一部だけだった。

 スペクトロメータは、これまでより作りやすく改良した。スペクトロメータの本体になる筒の内側に黒い紙を貼り付けるのだが、以前は筒を30cmにしていたので、1枚の紙で内側をおおえなかった。当地で最も入手し易い黒い紙がA4なので、筒の長さをA4の横、つまり21cmにあわせることにした。A4一枚で2つの筒の内側を遮光できるようになった。

 また、これまでは、スリットやレプリカ・グレーチング・シートをつける筒の両端を、切れ目を入れた絶縁テープで固定していたが、スリットを入れる紙などのサイズを大きめにして、紙が筒を包むようにした。紙の円周に切り目を入れて折り曲げ、筒を包むように囲む形にした。切り目の内側に接着剤をつければ、簡単に筒に紙を固定できる。

 ペンデュラムは、アルミホイルで包んだ直径1センチほどの発泡スチロール球二つを22cmの糸でつないで、糸の中央を昨日作った針金の支柱に引っ掛けた(前任者のマニュアル通り)。静電気を帯びたプラスチックの棒を近づけると面白いように球が動いた。

 木工関係のテクニシャン達は一日中作業していたが、NSCらしい作業は無し。昨日の訃報に従って、棺おけを作っていた。(ザンビアらしい?うーん)

20050602 制作再開
まず、5月上旬と中旬の活動報告を作り、シニア・オフィサ達に配った。しかし、ヒルダ氏は今日から出張のようだった。

 ミニヴァーには、昨日の夕方買ったWordで作るWeb Page という内容の本を渡して勉強するように指示した。午後からは、彼女にも教材作りを手伝ってもらった。

 チュトウ氏とヒルダ氏に依頼されている教材(商品)の準備を始めた。最初に、数種類の説明書を印刷してから、ハードの作業に移った。前任者が残されたカータシアン・ダイバー(浮沈子)用のプラスチックのお魚(弁当の醤油さし)とコイル・モーターの準備は簡単に済んだのだが、他の物は、合板を切ったり、針金や鉄板を切ったり曲げたりする作業が必要なので少しずつしか進まなかった。

 今日なんとかできたのは、エレクトリック・ペンデュラムの円形の台座と針金製の支柱18組だけだった。でも、作っている間は久しぶりの物作りで楽しかった。その最中、合板を円形に切っていたら、バンド・ソーの歯(バンド状になって山の手線の様に回っている)が大きな音と共に断裂してしまった。ちょっとびっくりした。エルビスは僕らが直すから心配するなと言ってくれた。針金は、3mmも直径があったが、軟鉄だったので、プライヤーで切れたし、サンダーにもかけられた。曲げるときは金床(鉄敷)の円錐部分に針金を押し当てた。金床の上で鎚をふるうのは面白い。

 ワークショップからオフィスに戻って作業をしていたら、ムヤンガナ所長が来て、一昨日予算書類の指導にわざわざオフィスまで来てくれたオフィサが亡くなったと言った。本当に、火曜日に来た人かと確認してから死因を聞くと、高血圧だったそうだ。自分とそれほど年の違わない?むしろ若そうで大柄の人物だったので、非常に驚いた。昨日具合が悪くなってUTH(University Teaching Hospital)へ急送したのだが、手遅れだったそうだ。うーん。

20050601 まだ予算作業
 昨日所長に提出した書式の一部を再修正してから、J***向けに第2四半期の業務費申請書類を作った。

 書類作業が続いてイライラして来たので、少し気分を変えるために、タウンとマンダ・ヒルなどへ向かった。まず、コメッサ・ビルでインタネットのプロバイダ料金の支払を済ませた(バランスを調べてもらったら、次の支払は9月でも大丈夫だということが分かった)。

 次に、タウンのステイショナリー・ワールドでA4用紙を5〆(1〆500枚)買った。

 続けてノース・ミードのコンピュータ用品店でレーザー・プリンタのトナーを買って、マンダ・ヒルに向かった。

 マンダ・ヒルでは、電気と水道料金を支払ってから、CD−R、CD−RW、FD、レンチ2種類を買った。その後、ロマの電話局へ行き、電話代を収めてから、アーケイドで封筒とアルミホイルなどを買った。借家で小休止してからオフィスに戻ると14時過ぎだった。

 オフィスの机上に、ムカンダ氏から予算書類の再訂正に関するメモがあったので、指示に従って書類を作り直した。16時過ぎにやっとできあがったので、ハード・コピーを作ってから、朝ムカンダ氏に渡したソフト・コピーの入っているFDに訂正した書類のコピーを入れようとした。ところが、FDの内部を見ようとするとウイルスの警告が出た。このFDは朝、新品のものに昨日作った書類を入れて、秘書のPCで開いただけのはずだ!フォーマットを試みたが、できないと表示されたので、分解して破棄!その後、新しいFDに書類をコピーして、書類と共に所長へ提出した。

 自分のマシンは月2回ウイルス定義ファイルを更新しているが、ダイアル・アップでしかインタネットが使えないから、毎回1時間ほど電話につなぎっぱなしとなる。当地のマシンでは、定義ファイルの更新は難しいと思う。

 この二日間、ミニヴァーには当地の高校卒業試験(生物)の問題と解答例をチェックしてもらった。さすがに、明日からは、チュトウ氏に頼まれている教材を作らなくてはならないな。

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