2005年9月の日記 連絡先(e-mail)
2005年8月の日記

20050930 九月の終わり
 朝、メイルのチェックができないので、その代わりに第2四半期業務費の清算書類作りを借家でした。

 借家を出てチョコを買ってから、電話局に出向いた。いろいろお願いしたが、午前中に人を回してチェックすると約束してくれた。

 オフィスで業務費の書類を印刷してから、ストローで作る多面体と分子モデルの説明書作りを続けた。写真を撮ったり、資料をチェックしたりしながらだったので、なかなか進まなかった。今日は、一応多面体の資料だけ一区切りついた。

 昨日に続いて、午前中はNSCで約25度、湿度は55パーセントと肌寒く、ミニヴァーはかなり寒がっていた。夕方になって、青空がやっと出てきた。

 帰り際に所長に確認したところ、予算会議は、次の水曜か木曜に出発できるらしい・・・???

 J***事務所に業務費の書類を届けから、借家に戻ると電話が回復していたので、メイルのチェックやウェブ・サイトのアップロードをした。しかし、今度は断水だった。貯めてあった水が10リットルほどしかなくて心細かった。幸い20時頃になって復旧した。

20050929 分子モデルの改良
  借家を出て、チョコを約300円分買ってから電話局へ出かけた。1週間で3回目の訪問。今回も同じおばさんが対応してくれたので話しは早かった。彼女は、カウンターにのせたチョコをこちらが何も言わないうちにニコニコしながら受け取った。

 オフィスから電話を借家にかけると、ちゃんと呼び出し音がしたので、すぐに対応してくれたことは分かったが、次はいつ不通になるのだろうかと勘繰ってしまう。

 オフィスでは、ストローで作る分子モデルのマニュアルを作るために、原子間の距離の資料を元にして、再度モデルを組み立ててみた。今日の一番の収穫は、原子間をつなぐ簡単(ものすごく簡単)なコネクターを改良したこと。これまでは、端から端までスリットを入れたストローをコネクターにしていたり、一方の原子のつなぎ手を長めに作ってスリットを入れ、別の原子のつなぎ手に差し込んだりしていた。今日は、コネクターにするストローに両端からストローの中心までスリットを入れるやり方に変更した。しかもスリットは、ストローの円周に沿って見ると180度ずれるように入れた。こうすると、差し込んだコネクターが中心部から奥に入り難くなり、しっかり固定される。さらにコネクターにつないだ別の原子を表すストローも抜け難くなることが分かった。(全く大したことでは無い)

 午前中は、モデル作りを続けて、午後はマニュアルの草稿を作り始めた。夕方、最初の版をミニヴァーにチェックしてもらった。

 所長やムカンダ氏によると、PSが明日出勤するそうなので、そこで決済がもらえれば、その後で(いつになるかわからないが?)予算会議に出発できるそうだ。さらに所長はチョマ・サテライト・センターのチュトウー氏から5月のチョマの研修会の参加した先生方がもう一度いくつかの実験を教えて欲しいとサテライト・センターに要望しているので、来週の金曜日に自分がチョマに出向いて小さなワークショップを開くように要請されていると言った。予算会議や、教員養成大学講師対象の研修会の日程(10月15・16日が実施予定だった)次第だと返答したら。予算会議は、決済しだいでいつできるか分からないし、研修会は自分の一時帰国後に開催するように日程を変更するので心配する必要は無いと言われてしまった。そこで、チョマ・サテライト・センターの要望に答えて来週南部州に向かうことにした。(と、今日の時点では言っておこう・・・)

 一日中、雲が多く湿った風の吹く肌寒い日だった。最高気温はNSCで約25度、湿度は55パーセントほどもあった。ミニヴァーが聞いているラジオによると、国内のあちこちでシャワー(にわか雨)があったようだ。ルサカにもお湿りが欲しい。

 夜、日記をアップロードしようとしたら、電話が不通だった。

20050928 説明書作りと電話の不通
 オフィスで作業をしていたら、警備会社から電話があって通報装置(パニック・ボタン)の検査をしたいのだがと言われた。しかたなく、12時半に借家に戻るから、その時検査をしようと返答した。

 ミニヴァーは二日休んだが、その間は腹痛と嘔吐でまた苦しんだそうだ。朝は力の無い顔をしていたが、だんだん元気を取り戻したようだった。

 ジョセフィンがバッテリーの充電器を貸してくれとまたやってきた。どうやら長期休暇を取って郷里に帰るのは延期になったようだった。

 ストローでつくる正多面体と分子モデルの説明書を作り始めたが、良い写真を撮っていなかったので、写真の取り直しと英文の説明書作りをバタバタしながらやった。

 お昼に借家に戻って、借家の電話にかかってきた警備会社の指示でボタンを何回か押した。それだけで検査は終了だった。ただ、電話がかかってきたのは13時5分前だった。

 NSCに戻ってすぐに、電話会社の修理担当者から携帯電話に連絡があった。電話の異常は見つからないのだが、何が悪いのかということだった。これまでの事情を話して、昨日のうちに復旧したので、感謝していると返答した。

 オフィスに入って、説明書作りを続けたが、今日は多面体の説明書の下書きだけで終わってしまった。明日続きをやらなくてはならない。

 帰りがけに所長室を訪ねて、予算会議の出発日を確かめてみた。しかし、PSがサインをしていないので、まだ分からないとの返答だけ・・・。月が替わると業務費の処理も複雑になってしまうのに・・・。

 借家に戻って、電話の受話器を持ち上げると発信音も作動ランプの点灯も無しだった。また、やられた・・・。

20050927 ストローのサッカーボールと分子モデル
 借家を出て、まず、お菓子を買いに行った。日本でも有名なチョコを5つ(約400円分)買って、電話局に向かった。

 局で応対してくれたのは、先週、電話不通の苦情を伝えた女性だったので、また不通になったことを話した。彼女は、すぐにfaultの担当者に連絡を取ってくれた。Urgent(急を要する)の修理だからね!と電話口で繰り返してくれた。手配の御礼にチョコを置いていくと、今回もものすごく喜んでいた。(さすがに現金は渡せないから)

 オフィスに着く前に、カブロンガにあるスーパーマーケットのメリッサで、225本入りのストローの箱を見つけたので二つ買った。これで、サッカーボール型のフラーレンのモデルを作ろうと思った。

 オフィスに入ったが、ミニヴァーは昨日に続いて今日も具合が悪くて借家で静養すると連絡があった。

 デスクを拭いてから作業に入ろうとしたが、昨日の天気予報で最高気温はザンビア全土で32〜38℃でしょうと放送していた通り、オフィスでもだんだん暑くなってきた。そのため、まず、扇風機を作ることにした。いくつかの組み合わせを試したが、結局、ザム・コプター用に準備していたプラスチック・コップ2個(ステイプラーでバチバチとめた)とテープレコーダーを分解して取り出した直流モーターの組み合わせがベストだと分かった。以前作った壊れたPCから取り出した電源ユニットに繋いで、モーターに12Vの直流を流すと、騒音も無く夕方まで快適に送風してくれた。

 メリッサで購入したストローを利用して、一辺が約6センチの正三角形を20個と同じ辺の長さの正五角形を12個組み合わせたサッカーボール型の立体を作った。有名なフラーレン(C60)と同じ構造だ。これ以外に、正四面体、正六面体、正八面体のモデルも作ってみた。

 作業しながらBBCを聞いていたら、宇多田ヒカルのCDがイギリスで販売される話題を流していた。

 午後は、ストローの切り方をいろいろ工夫して、一応実用的?と思われる有機化合物モデル案を作ってみた。今回も接着剤やテープを使わずに、三つや四つのストローを繋げることができた。必要があれば、結合部分を瞬間接着剤で固めれば良いし、高価な材料ではないので、これからもたくさん作りながら改良できると思う。所長も、ムワバ氏も感心してくれた。

20050926 会議の日
 オフィスで、18ヶ月目の報告書作業を少しした。9時半からはシニア会議だった。今回も、今年度中の予算執行に関する細かい打ち合わせで、終了したアクティヴィティの残金をどのように利用するかなどを打ち合わせた。

 オフィスに戻るとレイチェルがやって来て、リビングストンへの研修旅行に行く時、自分でIDカードを作って持参しなければならないので、手伝って欲しいと頼まれた。彼女は、髪をとても短くしてしまったので、昨年撮った別の写真を使ってカード作って欲しいと言われた。要望通りに作って渡した。とても喜んでくれたが、学生にIDカードを作らせるとはどういうことなのだ。

 午後は、African Regional Conference (African Regional Conference on the enhanced role of science centres and museums in development strategies)の打ち合わせだった。これは、インドに本部のある理数科教育の団体(Non-Aligned Movement Science and Technology Centre)が途上国のサイエンス・センターや科学博物館振興のために開いているワークショップで、次回はザンビアで開かれるものだ。NSC以外の政府機関も関係するはずなのだが、いまのところ準備に関わっているのはNSCだけ、本部からは出席者の航空運賃が出るのだが、それ以外の費用は開催国が全て負担しなければならないので、予算の手当てや会場の準備、お土産?などの検討が必要なのだ。なお、Conference は、1月10日から14日に開催される予定である。

 夕方近くになってから、ストローでつくる多面体のマニュアル用の写真を撮り始めた。一通り撮り終えてから、曲げられるストローを使って、分子モデルができないかあれこれやってみた。まだ見通しは明るくないが、分子モデルもどきはできるかもしれない。

 夜、日記をアップロードしようとしたら、電話が不通だった。1週間で二回目!

20050925 日曜日
 目覚めてからシーツの洗濯と、ご飯を炊いて冷凍する作業をいつものようにした。PCのウイルス定義ファイルの最新版もダウンロードした。

 ショップライトとスパーで買い物をしたが、財布の中がさびしかったので、車に給油はできなかった。

 借家に戻って、休養したり、18ヶ月目の報告書作りを少しずつしたりして過ごした。

 風が強く、蒸し暑い感じ(湿度は低いけれど)のする一日だった。

20050924 土曜日
 午前中はスタディー・グループとチャーチ・マーケットに出かけた。マーケットでは、牛肉の燻製を買った。

 ちょっと疲れていたので、午後はベッドに横になりながら読書で過ごした。

 夕刻、自分と同期に着任した隊員さん達とカブロンガにある成都飯店で食事をした。

20050923 春分の日
 庭師のムエンベは兄弟が亡くなったので、カフエまで葬式に行った。

 オフィスで、昨日机の上に残しておいたストローを使って、風で走る車のフレームを考え始めた。しかし、車にはならず、できたのは正四面体の骨組みだった。曲げることのできる細いストローとそれより少し太いストローを組み合わせて作った。細いストローの吸い口側に蛇腹の手前まで縦方向に切り込みを入れて、別のストローの中に差し込んでつないだり、短く切った太いストローに横方向に切り込みを入れ、その切り込みを広げて二つに折ったものを細いストローを平行につなげるパーツにしたりして組み上げた。

 できあがった正四面体をミニヴァーに見せて、同じものを作るように指示した。

 この方法で、他の正多面体がつくれると思ったので、細いストローを買出しにマンダ・ヒルのショップライトまで行った。

 オフィスに戻ってから、まず、やりのこしていたカメラ・モデルの内箱の一端に、像を写すためのトレーシング・ペーパーを貼る作業をした。いろいろ貼り方を考えていたが、内箱を動かす時に空気が逃げられるようなすきまをボール紙を使って、ペーパーと内箱の間に作る方法を思いついたので、やっと最後の作業が進められた。

 ミニヴァーは、正四面体の作り方がうまく分からなかったようなので、サンプルを見せるだけでなく、実際に作って見せた。作り方が分かると、彼女は、この日のうちに4つも同じ立体を作った。

 カメラ・モデルを仕上げてから、カンティーンで昼食をとった。その後、ストローを使って正二十面体を作り始めた。ストローで作るからもちろん骨組みだけだが、一辺が約12センチ("約"になるのは、ストローの蛇腹部分の長さが曲がり具合で少しずつ異なるから)になるように二十の三角形を組み上げてみた。

 次に各辺が約8センチの正十二面体の骨組みも作ってみた。

 今日の立体作りに、接着剤(粘着テープも)は一切使わなかった。

 夕方、所長に見せると、チョマのワークショップで数学の先生が希望していた教材だと言って、とても喜んでいた。所長によると、シアボンガでの予算会議は来週半ば頃に出発できるようだ。(30日にNSCを見学するSV研修会を案内していたが、中止か延期しなければならない)

20050922 電話の復旧
 オフィスでミニヴァーに携帯電話も固定電話も不通になったことを伝えた。彼女は親切にも携帯電話のお客様窓口?へ電話してくれて、トラブルについていろいろ質問してくれた。PUKコードもやっと分かった。しかし、最終的には、SIMカード(携帯電話のIDカードのようなもの)がダメージを受けているので、それを交換しなければならないことが判明した。現在、サービスを利用しているCeltelという携帯電話会社なら無料でカードを交換してくれるそうだ。(携帯電話サービス会社は3社あるが、一つの携帯電話しかなくてもSIMカードを差し替えながら使えば、全部の会社のネットワークが利用できる。SIMカードを新たに購入すると500円から600円かかる。)

 10時半頃にオフィスを出て、J***事務所に立ち寄ってから、マンダ・ヒルのCeltel ショップでSIMカードを交換してもらった。交換用の申請書には、最後に電話したのはいつ?頻繁に電話する番号を6つ書いて!アカウント・バランスは何ユニット残っていた?最後にユニットを追加したのはいつ?などいろいろな質問があったが、覚えていないので、ほとんど"?"を書き入れた。それでも、外国人で名刺を渡したことも(?)幸いしたのか、他の顧客より先に手続きをしてくれた。新しいSIMカードを受け取って、1時間後から利用できると伝えられた。たぶん、お店のコンピュータからネットワークのコンピュータに新しいSIMカードに与えるべき旧カードのデータを送る時間が必要なのだろう。

 携帯電話が一段落したので、固定電話局へ向かった。昨晩から不通の理由を教えて欲しいと伝えると、その場で電話局の電話から借家に電話して、不通の確認をしてくれた。続けて、修理担当者にすぐに連絡を取ってくれた。故障番号(9月の164件目)を伝えてくれたので、御礼を言って、持参した駄菓子の袋をいくつか渡した。応対してくれた局員は、ものすごく(たぶん)喜んでくれたので、修理を急ぐようにプッシュしてくださいと頼んだ。

 オフィスに戻って(やっとという感じ)、新しいSIMカードで携帯電話を起動し、消滅してしまった電話番号簿のデータをいくつか手動で入力した。携帯電話から借家に電話してみたら、ちゃんと呼び出し音が聞こえた。駄菓子の効果があったようだ?

 お昼にカンティーンに行くとレイチェルと手伝いのメアリーが外で涼んでいた。キッチンがとても暑いからだそうだ。 レイチェルは旅行業の勉強をしているが、来月リビングストンへSchool Tripがあるので、金銭的に援助してもらえないかと言ってきた。今年は、ヴィクトリア滝をデイヴィッド・リビングストンが発見して150周年にあたり、リビングストン市ではいろいろな催し物も行われている。しかし、ザンビア人の多くは、経済的な事情でリビングストンに出かけたり、滝を見たりすることができない。

 貴重なチャンスだし、参加費はそれほど高額(それでもレイチェルの月給以上)ではないと判断して、彼女を援助することにした。後日、それに見合う(?)お手伝いをしてくれるそうだ。

 昨日食堂に置いた電撃殺虫器は、ハエをかなり殺していたが、備え付ける場所をもう少し検討した方がよさそうだった。一番小さいタイプなので、5平方メートルほどの範囲の虫しか集められないからだ。

 食事を終えたら、久しぶりにジョセフィンに出会った。彼女はアグリカルチャル・ショーの後、マラリアで静養していたらしい、かなりやせていたが、元気そうだった。これから、西部州の生まれ故郷まで旅行するので長期休暇を取るそうだ、職場に戻るのは12月になると言っていた。

 午後は、カメラ・モデルの上蓋をつける作業などで終わってしまった。なかなか進まないものだ。

 暑い午後だった。(早く雨季になってくれ!)ミニヴァーによると雨季の方が、食料が入手しやすいので生活が楽だそうだ。
 夕方、来週シアボンガに出張するかもしれないので(?)事務所で、プロジェクターと衛星電話を借り出した。明日は、日本が秋分の日で事務所が休みになるからだ。

20050921 タウンで買出し、電話が不通、イライラ
 オフィスで、会計関係の書類を作ってから、タウンに買出しに出かけた。一番の目的はリソグラフのマスターを購入することだった。しかし、文房具店を10軒ほど回っても見つけられなかった。最後に、チャ・チャ・チャ通りにあったインド人のお店で、来週に金曜に入荷すると教えてもらえた。ただし、値段は入荷してみないとわからないそうだ。見積もりがとれないじゃないか!

 それ以外に、アート・ボード(270g毎平米)、オフィス用クリップ、トレーシング・ペーパー(3m×90cm)、スチロール・コップ100個、HP28のカラー・インク・カートリッジ(日本で買う倍の値段)、A4用紙2500枚を購入した。10時半から二時間ほど、カイロ通りとチャ・チャ・チャ通り沿いを歩きまわって消耗した。

 暑くて、陽射しが強かったが、ところどころにあるジャガランダの紫の花は綺麗だった。

 借家でシャワーを浴びてからオフィスに戻り、業務費清算の書類を作ったり、18ヶ月目の報告書の準備を続けたり、ミニヴァーにやり直しを頼んだ、黒い布の裁断のチェックをしたりした。

 明日は、カメラ・モデル用にトレーシング・ペーパーを切り出して、カメラ・モデルの作業を終わりにしたい。

 夜、ネットをチェックしようとしたら、固定電話が不通だった。また、苦情を言いに出かけるのかと思うとうんざりする。

 ついでに、携帯電話の具合もおかしくなった。電源を入れると、PINコードの他にPUKコードの入力を要求された。前任者の残したPUKコードの数字の一つか二つが判別できなくて、その数字をいろいろ変えながら入力したがだめだった。そのうちに、オペレータに連絡してくださいというメッセージが出たままになって、使えなくなった。

20050920 移動○板の日
 昨日の夕方、カシシ孤児院に移動黒板を運ぶためトラックの借用申請をした。急ぎのお願いだったが、事務所のはからいで今日トラックを借りることができた。まず、事務所に行って、サニーを駐車場に残し、トラックに事務所の大会議室にあった壊れた移動白板を積んでNSCに向かった。

 テクニシャン達が、移動黒板を荷台へ載せてロープで固定してくれた。事務所の白板は、フレームから外れていた白板をとめる簡単な金具さえ作れればすぐに直せることが分かった。

 9時半頃にNSCを出て、孤児院に向かった。グレート・イースト通り(東大通り?)を東に向かって進んだ。ルサカ国際空港の方向に左折してから、ZASTI(Zambia Air Service Training Institute)の手前を再び左折した。そこから先は約6キロ未舗装だった。

 カシシ女子高校の案内が見えるまで、全く人家が無いでこぼこ道を荷台に積んだ黒板のことを心配しながら進んだ。

 孤児院に着くと、授業中にもかかわらずKN隊員が迎えに出て来てくれた。彼と共に荷解きをしてから、はずしてあった黒板をフレームに取り付ける作業をした。早速、院長が見に来てくれて、出来栄えに感心してくれた。

 孤児院には、昨年8月22日に訪問して以来だったが、当時は建築中だった乳児用の施設が立派に完成していたり、シスター用の宿泊施設や、来客用の施設が新たにできていたり、塗装の更新が行き届いていたりして、前回の訪問でも立派な施設だと思っていたのが、ますます立派になっていた。

 KN隊員には、施設を案内していただいただけでなく、自室でコーヒーまでご馳走になった。

 孤児院を出て、NSCに戻ると正午少し前だった。ワークショップで、テクニシャンに手伝ってもらいながら、在庫のビスや金属板などを利用して事務所の移動白板を直した。

 事務所に白板を運び、トラックを返却した。移動距離はちょうど100キロだった。暑くて(昨日の天気予報では、最高気温は35℃の所もあるでしょうだった)、乾燥して、土ぼこりがひどくて、ちょっと疲れた。

 午後はオフィスで、ペットボトルをいろいろな形に切りながら新しいサンプルの案を考えた。

20050819 薬品チェック
 オフィスで、18ヶ月目の報告書の下書きや、申請書類などを作った。

 午前中にシニア・マネイジメント・ミーティングが1時間半ほど所長室であった。北部州のムングイ・サテライト・センターからムレンガ氏がわざわざ出席していた。  所長は、積極的にNSCの状況を改善しようと情報を集めたり提案したりしているが分かる。会議前半の話題の中心は住宅手当の額だったが、自分には直接関係無いので、ヘーそうなのと分かる部分だけ聞いていた。

 所長は、毎週金曜にサテライト・センターを含めて販売と在庫の詳細を報告させようと提案していた。しかし、固定電話やファクシミリは高価なので、ムングイのムレンガ氏は難色を示していた。そこで、アカウンタント・オフィサに様式を作らせて、それを携帯電話のSMS(文字だけ送信できる機能、メイルではない)で、送信するようにしたらどうかと提案した。今日の会議での自分の発言はこれだけだった。

 午後、カメラ・モデルの上部につけるふたと本体を結びつけるための布の裁断をミニヴァーに頼んだ。前回作ったサンプルは、日本製の黒ガムテープを使っていたので、こちらで入手できる材料に変更したためだ。

 彼女の作業と並行して、ペットボトルを利用した水のポンプを二つデザインして作ってみたが、見事失敗した。

 ムリンバに、納品業者が試薬のサンプルを持って来たと言われたので、チェックすることにした。彼らが今日持参したのは、フェーリング液と、ビウレット反応用の試薬だった。ところが、業者はそれらの薬品の使用目的を知らずに調整したようだったので、びっくり。しかもフェーリング液は、すでにA液とB液を混合してしまっていた。ビウレット反応用の試薬も水酸化ナトリウム水溶液と硫酸銅水溶液を混ぜてあった。前者はグルコースで、後者はミニヴァーにミニマートで買って来てもらった卵白で反応をチェックした。しかし、業者には、混合せずに納品するようにと伝えた。

20050918 日曜日
 シーツを洗濯したり、ご飯を炊いて冷凍してから日用品の買出しをしたりした。ガソリンは高価だったが、非常時に備える意味もあって、いつもの日曜日のように満タンにした。

 養護施設で働くSZ隊員が、NSCの庭に展示してあるザイロ・チューブ(鉄の筒で作った鉄琴のようなもの)を施設にも備えたいと問い合わせてきたので、来週ンデケに見積もりを頼むと返答した。

20050917 小鳥の巣
 午前中は、スタディー・グループで、いつものように子供達と少し勉強した。

 その後、オフィスに行って、カメラ・モデルに昨日取り付けたパーツの塗装などをした。ワークショップの外では、トーマスが窓の掃除をしていた。

 塗装中に、KN隊員がカシシ子供の家から移動黒板を取りに来た。しかし、子供の家の四駆車の荷台が小さく、屋根も開かないので、折角来てもらったのに、今日は黒板を持ち帰れなかった。もう一度、荷台の広い車で来てくれるそうだ。

 カメラ・モデルは、あと二箇所ずつ手を加えれば完成だ。

 カブロンガとアーケイドで買い物をしてから借家に戻り、作業服の洗濯を始めた。その合間に、庭に出て桑の実を集めた。すると、垂れ下がっている桑の枝の間に小鳥の巣があり、二羽の雛がじっとしていた。近くで鳴いていた小鳥は親かもしれない。

20050916 プリンタ買いました、シアボンガ行きは延期
 オフィスで業務費の計算をしてから、ムカンダ氏に予算会議のことを聞きに行った。案の定、お金がおりないので、会議は延期。来週水曜の午後頃に、会議が開けるかどうかが分かるようだ。

 調整員さんに、出張が延期になったことを連絡したついでに、プリンタのことを相談した。その後も少し電話でやりとりをしたが、結論としては自分でプリンタを購入することにした。残り約半年の任期だが、レーザー・プリンタは活動に緊急の必需品である。もし、J***からのお金で購入すると複数の見積もりを取りにあちこちに出かけたり、申請書を書いたり、NSCにもレターをお願いしたりしなければならないし、購入とその報告などの全ての作業を、第2四半期の終わり(9月末)までに片付けなければならない。そうすると、その期間にできるはずの本来の活動が削られてしまうのがいやだったからだ。

 10時過ぎから全所員対象のミーティングを所長が開いたが、予め断わって、ミーティングの間に外出することにした。ミーティングの内容は、主に財政上の問題だ。その中でも、ガソリンと軽油の高騰と、それらの使いすぎのため、生産以外のNSCの日常的な業務が影響を受けそうなため、NSCの車両による所員の送迎を制限することが、一番の問題だ。その問題に関する所員からの質問や意見に所長が答える予定だった。

 ミニヴァーと一緒に、まずカブロンガの商店街に出かけて、自分はドルを両替し、ミニヴァーはIMIS試験の申込書と受験料をフェデックスで送付した。彼女は、フェデックスの店員の対応がとても失礼だったので、ものすごく怒っていた。接客の基本をスパーで勉強して来い!と言っていた。(彼女は去年の12月までスパーでレジの仕事をしていた)

 次にノースミードに行って、故障したプリンタを返してもらった。修理担当の店員は、ザンビアでは、修理用のパーツ入手が困難かつ高価なので、故障すると新品に買い換えるのが普通だと言っていた。(故障したプリンタの修理代の見積もりは、同プリンタ購入費の95%以上であった)ついでに、どのプリンタがおススメかと聞いてみるとHPとブラザー製品を勧められた。しかし、ちょっと予定の金額より高かった。

 マンダ・ヒルでは、ゲームで商品をチェックしたが、予算より安くても、ちょっと魅力に乏しかった。HP商品は、当地でも消耗品が入手しやすい点は安心だが、ドライバのインストールに関してトラブルを経験したり、人からトラブルでこまった話を聞いたりしているので、良い製品と分かっていても、今回は敬遠することにした。

 結局、昨日チェックしたアーケイドのサムソン専門店で、SCX-4100を購入した。レーザー・プリンタはそれほど高速ではないが、カラー・スキャナと拡大・縮小が可能なコピー機能もついていたからだ。トナーはA4版3000枚印刷可能で、1万4千円ほど、同じお店のプリンタ機能だけの製品のトナーの約半額だった。このように消耗品の価格も手ごろだったので、この商品に決めた。でも、来月一時帰国をして同等商品の価格を日本でチェックしたら、きっとショックを受けるだろうな。

 ムルングシの借家によって、昨日借り出したプリンタと衛星電話を車に積み込んだ。出張が延期になったので、返却するためだ。事務所に立ち寄って返却してから、オフィスに戻った。途中、ガソリン・スタンドで見た有鉛ガソリンの価格は、1リットル6000クワチャ(約150円)を超えていたので、びっくりした(無鉛はもっと高い)

 早速、プリンタの梱包を解いて、インストールすると、全くトラブル無く、すぐに印刷可能になった。まず、ミニヴァーに頼まれていた、IMIS試験の過去の問題や解答例を印刷してみたが、極めて良好だった。コピーも実用的な速さだし、スキャナの機能も十分だったので、一安心した。

 その後、NSCのCDを15枚ほど焼いて、次の作業に入ろうとしたら、ニエンバ氏が男性の来客を二名連れてきた。ザンビア大学で教育の勉強をしている学生さんだった。かれらは、生物の選考だそうで、生物関係の教材サンプルが見たかったようだ。しかし、DNAモデル、パタパタ細胞分裂、葉のデンプンテストのサンプルなどしかすぐに見せられるものがなかった。それでも、CDの中身を紹介したり、ザム・コプターを飛ばしてみせたりするととても興味を持ってくれた。

 夕方近くになってから、カメラ・モデルの作業を再開した。レンズをはめ込んだパーツがカメラの前部にしっかりはまるように、そのパーツ用のストッパーを外箱につけたり、パーツがぴったりはまるようにサンダーで大きさを調整したりした。

20050915 風力発電機もどき
 NSCに着いて、作りかけのままオフィスに置いてあった16機のザム・コプターを仕上げた。ミニヴァーには、カメラ・モデルのレンズを取り付ける作業を続けてもらった。 ミニヴァーに言わせると、今日は9月なのに、とても寒いそうだ。風も強かった。

 ワークショップ内で、ザム・コプターの飛行試験を一台ずつしたが、屋内の気流も乱れていて、ザム・コプターがなかなかまっすぐ上昇しなかった。

 飛行試験の後、昨日借家で下絵を書いてきた風力発電機?を試作した。最初は、スチロール・カップ(ザム・コプターと同じ材料)を二つ使ったものを作り、最終的に4つのスチロール・カップから作ったファンで一台のマブチ・モーター(RE140)を回して見た。このサイズのローターが作るトルクでモーターを高速回転させて発電するのは、とても難しいことが分かった。テスターにつないで出力を見ると、最大0.1mA程度だった。

 それでも、久しぶりに、新しいサンプルにチャレンジできたので、少し気分が良くなった。

 ムウェルワ達が作ってくれた移動黒板は無事に完成していた。後は、孤児院に渡すだけである。ムウェルワには、頼むのを忘れていたカメラ・モデルの追加パーツの裁断を追加で頼んだ。(しかし、指示したサイズが若干違っていたので、あとで、一つずつサンダーしながら組み立てなければならない。トホホ)

 午後は、コンティから頼まれた物理の宿題の答えを作ったり、修理を依頼してあるプリンタの件で電話をかけたりした。プリンタは、フューザー・ユニットを交換するので、1.5ミリオン(約3.5万円)かかるそうだ。

 夕方、J***事務所で、シアボンガ出張で使うプロジェクターと、緊急連絡用の衛星電話をお借りした。

 事務所を出てから、壊れたプリンタと同じメーカーの最新の製品をアーケイドでチェックしたら、なんと1.5ミリオン未満で買えることがわかった。しかも、多機能・高速!トナーも安い!業務費で買えないなら、自分で買ってもいいかな・・・。

20050914 ちょっと休養
 昨日から、疲れが出て体に痛みがあったので、今日は念のために一日借家にいて休養した。

 朝から晩まで家にいたのは久しぶりだったので、朝から夕方までの陽射しの変化がおもしろかった。屋外は、風が強い一日だった。

 夕方、AS氏が送ってくれた柿羊羹を一切れ食べて見た。糖分でベタベタしていたが、口に入れると、思いのほかあっさりした甘みだった。

20050913 瞬間接着剤が固まらない
 午前中は、昨日の会議の続き、今年の政府予算(援助国からの支援金でないもの)の残高を確認して、今後の支出にどのように振り分けるかが焦点。残高が小さいので、そのなかで車両の修理、燃料代、その他をどうやりくりするかを話し合った。なんとか、一応決着して一安心。しかし、所長は午後もテクニシャン達と待遇などの話し合いをしていて、一日中会議だったようだ。

 ミニヴァーとマンダ・ヒルの銀行に行き、彼女のIMIS試験(イギリスの情報処理資格のひとつ)の受験料送金用に銀行為替(Bank draft)を作った。めずらしく、なんの証明書も要求されずに、30分ほどで為替ができたが、手数料は30ドルもかかった。この後、彼女は、試験の申込書と為替をフェデックスで、送るそうだ。DHLは高いと話していた。

 ライスといり卵とソースのかかった茹でたジャガイモの昼食をカンティーンでとってから、ザム・コプターを16機組み立て始めた。ミニヴァーには、カメラ・モデルのレンズをとめるパーツをお願いした。

 ザム・コプターの下部ローターは絶縁テープだけでも取り付けられるのだが、念のために瞬間接着剤を2滴付けて補強している。その接着剤は、シアノアクリレート系なので、空気中の水分を利用して固まる性質があるのだが、乾季のため、空気中の水分が少なく、なかなか固まらない!結局17時まで待ってもまだ液体の部分があったので、作業は後日にすることにした。

 テクニシャン達は移動黒板の仕上げに入った。これも正式の製品にしてカタログに載せられると良いと思う。

20050912 今日も塗装、それとシニア会議
 庭師のムエンベは土曜から病気なので、クリニックに行くから休むと伝えてきた。

 この頃、交通渋滞を避けて、8時前後に借家を出て、オフィスに向かっていたのだが、今日は7時半頃に出発した。強盗による待ち伏せを避けるため、通勤には同じ経路を使わないように勧められているが、月曜日の今日選んだルートと時間は大失敗だった。当地に着てから約18ヶ月だが、自動車の交通量が着任時よりずっと多い。そのため、今日は渋滞に二つもぶつかった。それでも、都心から離れた方向に職場があるので、都心へ向かう場合よりずっとラッキーなようなのだが。

 オフィスに入ってから、すぐに昨日の塗装の続きを始めた。9時からシニア・マネイジメント・ミーティングがあるはずだと思って、タイマーをセットして作業着のポケットに入れ、刷毛でPVAブラックをカメラ・モデルの内箱・外箱に塗っていた。

 9時に秘書のルスに聞くと、所長はまだ来ていないとの返答だった。もし、ミーティングをするなら、屋外で塗装しているから連絡してほしいと伝えた。

 9時をかなり過ぎてから、ムヤンガナ所長とムワバ氏が塗装作業をしている場所までわざわざ現れた。所長は、これから、Director の所へ行って、来週開く予定の予算会議の重要性を説明し、午後にはミーティングをすると言った。  結局、午前中いっぱいかけて、一応塗装が終わった。

 午後3時から5時まで所長室で、いろいろな案件について話あった。多くは、予算不足から来る問題だが、全てを同時に解決することは難しいように思われた。会議は、明朝に再開ということで、休会になった。

 ZNBCに、Information Minister が視察に来たそうだ。ZNBCで活躍するSK氏の仕事場にも大臣が現れ、その様子が夜7時のメイン・ニュースで報道されていた。

20050910 0911 土曜日と日曜日
 土曜日の午前中は、スタディー・グループに出かけ、午後は、NSCでカメラ・モデルの作業をした。

 昨日不完全だったサンダーの作業を、機械を使って進めて、何とか塗装前の段階まで到達した。

 日曜日は、いつものようにシーツなどの洗濯をしてから、日用品の買出しを済ませた。来週の日曜に予算会議のためシアボンガ(ルサカより標高が低いので、暑いそうだ)に向かって出発の予定なので、来週の日曜は買い物ができないかもしれない。

 買い物の後、NSCに行ってカメラ・モデルの塗装を始めた。BBCのラジオを聴いていたら、日本の総選挙、ニューオーリンズの復旧状況と原油価格への影響、911の四周忌等を30分おきのニュースの度に放送していた。塗装は、約半分仕上がったところで休止した。

  夕方、SR氏の借家に行って、金曜日に購入したらしいHPのプリンタ・ドライバをインストールする作業を手伝った。自分や他のボランティアも経験しているのと同じトラブルがあって、プリンタが使えなかったそうだ。インストールの途中で、特定のファイルが見つかりませんというメッセージが出て、インストールが停止してしまうのだ。それらのファイルを検索すると、拡張子がわずかに違う同名のファイルはCD内に見つかった。そこで、それらのファイルをコンピュータ内に移動して、拡張子を要求されているファイルと同じにして、インストール作業を続けた。いくつものファイルの拡張子を変更しながら作業を続けて、約2時間後に無事プリンタが動くようになった。

 日本語版のウィンドウズ・マシンに、日本語版でないソフトウェアをインストールしようとすると起きる症状なのだろうか?

20050909 またやれらました
 借家を出て、カブロンガに向かって運転していると、舗装路の上に、白い?粉の様なものが路上に模様を作りながら、風に舞っていた。乾季の乾燥と強風の為に、道路の上に落ちている土埃が車の通過でできる空気の渦で路上に模様を作っていたのだろう。

 NSCでは、8台のカメラ・モデル作業を続けた。オフィスの掃除をしてから作業を始めて、昼食を挟んで夕方まで電動ドリルや紙やすりなどでバタバタやっていた。ミニヴァーにも資材

を運ぶのを手伝ってもらったりしたが、少々疲れた。  ムウェルワとサカラの移動黒板は、来週の半ばにはできるそうだ。

 夕方、J***事務所に行くと、一時帰国の書類の準備を調整員さんが進めてくださっていた。(ありがとうございます)現在の希望では、日本着が10月20日夜、日本発が11月20日である。

 事務所で、着任したばかりの隊員さんと話をしたら、NSCの直ぐ隣にある初等学校(日本の援助で建てられました)に勤めているそうだ。彼には、ザム・コプターを一台渡したり、名刺を渡したりした。今後、いろいろな活動を一緒にできると嬉しいのだが。

 借家に戻ると水道料金の明細が玄関ドアに挟んであった。先々月の請求は約150円だったのに、先月は約6000円だった。なんと、40倍!また水道局にメーターのチェックを頼まなくてはならない。

 夕食の前に、メラミン樹脂のお皿を庭に持って出て、庭の桑の実を摘んだ。当たり前のように、"夕焼け小焼けの赤とんぼ・・・、山の畑の桑の実を小籠に摘んだは幻か・・・"が口をついて出てきた。

20050908 少し元気になった
 昨晩、たっぷり眠って、午後からは普段の調子に戻った一日だった。

 午前中、書類作業などをしていると、ムワバ氏がある男性を連れてきた。彼が持っていた書類は、学校新設のための実験器具入札があるという資料の一部だった。入札全般に関する書類がなかったが、日本企業(有名な商社など)が補助する事業という説明だった。実験器具のリストを見ると、フラスコ1000個、ビーカー1000個、顕微鏡50台とかなりの量だったが、とてもNSCがすぐに準備できるものではなかった。しかも、電池ホルダー100個と書いてある下には、電池50個とあるし、電池のサイズの指定はない。何かちぐはぐな感じのリストだった。

 彼の資料をコピーしてから、J***事務所に出かけて、この件について知っている人がいないか聞いてみたが、知っている人はいなかった。???これで、午前中が終わってしまった。

 ミニヴァーに、ベンバ語で手紙を書いたので、タイプしてほしいと言われた。母親宛の手紙だということだけ分かったが、あとはアルファベットを下書きに合わせてタイプしただけ。全く、内容がわからなかった。

 レイチェル達カンティーンの女性は、仕事着をつけるようになった。そろいの帽子とエプロンだが、これから暑くなるのが、暑苦しくないだろうか。

 午後は、カメラ・モデルのパーツの加工をした。ワークショップ内でジグソウを使うと埃がひどいので、延長コードを屋外に出し、風通しの良い日陰でレンズを入れるパーツを丸く切り抜いたり、カメラ上部のパーツに長方形の窓をつける作業をしたりした。

 ムウェルワとサカラは、孤児院用の移動黒板の組み立て作業を始めていた。明日にも組みあがるだろうか。

20050907 疲れてますフー
 休暇一時帰国用の書類をつくりながら、ザム・コプター(ゴム動力ヘリコプター)の部品作りを始めた。

 しばらくしたら、ムワバ氏がやってきて、おそらく前任者からゆずられた東芝製のラップ・トップを見せながら、電源が不安定なので見てほしいと言われた。ムワバ氏の指摘通り、一番の問題は、電源用トランスにつながっていたコードの断線だった。その断線を直したら、コンピュータがあまりにも遅いのでなんでもできることをやってほしいと頼まれた。

 結局、午前中一杯かけて、レジストリの領域を広げたり、視覚効果を削除したりして、少しはコンピュータのパフォーマンスが良くなるように作業した。

 午後、レーザー・プリンタの修理を頼んだノースミードのお店に行った。今日の10時までに資料ができるといわれていたが、午後になっても見積もりは、まだできていなかった。直せるかどうかも半々のようだ。

20050906 書類仕事に会議
 NSCで、計算機を起動して、一時帰国関係の書類や業務費関係の書類作業を始めた。昨日、所長に確認したシニア・オフィサの会議は9時半から始まるとのことだった。

 9時半から約1時間半、自分を含めて5人のシニア・オフィサで打ち合わせをした。来年購入するコンピュータのこと、18日から出かけるシアボンガでの会議のこと、PSの訪問のこと、NSCの燃料代のことなどを話し合った。

 午後も、書類作業を続けたが、3時過ぎになって、ノースミードへレーザー・プリンタの修理に出かけた。プリンタが修理できるかとか、見積もりについては明日にならないと分からないとの返答だった。

 夕方、J***事務所に出かけて、一時帰国の手続きについて確認したり、大会議室の戸棚の扉を修理したりした。  今日作れたのは、カメラ・モデルの内箱二つだけだった。

20050905 月曜日
 オフィスで作業を始めようとしていたら、SN氏から電話があった。NSCの倉庫にあったスチューダー(放送用オープンリールのテープレコーダー)を買い取る件だった。しばらくして、氏が来所したので、PEOと面会し、ZNBCでのスチューダーの必要性や買い取り価格などを交渉した。しかし、そのスチューダーが正式にNSCの物なのか、売り渡せるかなどの正確なことは、前所長に聞いてから連絡すると所長は返答していた。

 先週木曜日に依頼された、自動車の装備品使用法の翻訳を済ませてからタウンに出かけた。まず、インターネット・プロバイダであるザムネットの料金を来年3月分まで払ってから、セイロン・オートに出かけた。でも、お店は人気が無く、鍵がかかっていた。予めオウナーのメンデスさんに、今日お伺いしますと連絡して了解を得ていたの無人だったから不審に思い、その場から電話をかけたところ、案の定、引っ越していたことが分かった。そこで、ミニバスのシティー・ターミナルに近い新しいお店に向かった。

 道路が混んでいたが、何とか到着し、エンジン・オイルとフィルタの交換、それにエア・フィルタの清掃をお願いした。メンデスさんは、車両の全部をチェックするようにと従業員に指示してくれた。作業が終わるまでの約2時間の間、いろいろとメンデスさんと雑談し、また新たな情報を仕入れることができた。

 借家で少し休憩してから、マンダ・ヒルでドルを引き出し、一部をクワチャに換金した。今日の交換レイトは4650クワチャが1ドルだった。そのクワチャで、警備会社の支払を済ませた。これも、来年の3月分まで支払った。

 オフィスに戻って作業を始めようとしていたら、図書館のステファンが、コンピュータのトラブルがあるから助けてほしいとやってきた。図書館に行って彼のPCをチェックしていたら、別段悪いところは無かった。しかし、彼が希望するソフトウェアが欠けているそうだったので、CDから、おそらくこれと思われるソフトウェアをインストールしたら、問題は解決した。

 もう、オフィスを閉めようと思っていたら、翻訳を頼みに来たドライバーがやってきたので、英語版の説明書を渡した。

20050903・04 週末。新緑です。木々には花が咲き、庭では桑の実が食べられるようになりました。
 J***事務所で土曜の午前中に開かれているスタディー・グループは、今日から二学期なのだが、いつもの9時開始が事務所の都合で10時半開始に変更になっていた。

 そこで、NSCのオフィスに8時半過ぎに入って、CDの説明書や表紙を昨日焼いたCDに加える作業をした。

 定刻少し前に事務所に行くと、スタディー・グループには、新しい子供達が加わっていて、新鮮な感じだった。始業式の後、これまでに作りだめしたザム・コプターを出席者に紹介した。ザム・コプターは、年の小さい子供達を優先して渡したが、この日に参加した小学生以下の子供達には行き渡ったようだ。

 ゴム巻き器を使って見せると、自分でゴムを巻こうとしなくなる子もいたが、自分の手でザム・コプターのゴムを巻いた方が、動力や飛行の仕組みが体験を通じて分かると思っているので、ゴム巻き器は使用禁止にした。

 スタディー・グループが終わってから、SMASTE会場に行って、前日にCDを入手できなかった先生方に(いつものように原価で)販売した。用意していたCDのうち、残ったのは3枚だけだった。

 午後には、NSCで、PSの訪問?(本当にくるかしら)に備えて、再び印刷作業をした。レーザー・プリンタが故障中なのと(まだ修理に出していない)、これまでに印刷しておいたテキスト類はSMASTEで全部さばけてしまったので、時間はかかったがインク・ジェット・プリンタで印刷した。

 印刷中に、昨日壊れたカメラ・モデルの修理や、資材の清掃や整理をした。(ワークショップ内のダンボール箱に、昨日返してもらえなかった延長コードが入っていた。一安心。)

 この日の午後に、サッカーのワールドカップ予選がザンビア国内であり、ザンビアはセネガルと対戦したが、残念ながら敗れてしまった。その為、午後の試合後から夜にかけて、ルサカはなんとなく静かで沈んだ感じだった。キトウェ方面では、ファンが暴れて、騒ぎもあったそうだ。

 日曜日には、いつものようにシーツを洗濯したり、ご飯を炊いて冷凍したりしてから、日用品を買いに出かけた。マンダ・ヒルで携帯電話のプリペイド・カードを買おうと、当地で最王手の携帯電話会社のお店へ行った。ちょうど、開店の9時頃に行ったのに、まだ閉まっていたので、ドアの前で待っていた。そこへ、ザンビア人の紳士が来て、自分の時計はラジオの時報で合わせてあるが、今9時を過ぎている!なぜまだ開店しないのだ、と警備員に文句を言っていた。散々悪態をついた後、これだからアフリカは進歩しないんだと周りの人に聞こえるように怒っていた。数分して、お店が開き、自分が最初にカードを購入したが、その紳士は、販売係に詰め寄って、お前のコンピュータは何時を示しているのかと聞き、係が8時59分だと応えると。すぐに修正しろ!と語気荒く話していた。係は、列に並んでくださいと静かに返答していた。(確かに、日本の百貨店は、時報と共に開店するけれど、怒るほどでもないと思った)

 マンダ・ヒルの後、アーケイドでガソリンを入れたが、安い方の有鉛ガソリンが日本円で1リットル150円以上である。それでも、給油しないわけにはいかないので、いつものように満タンにした。ガソリンの高騰と軽油(こちらでは、ディーゼルという)不足のため、国内では輸送費が高騰していて、物価に影響が大きい。それに加えて、依然としてクワチャがドルに対して強く、1ドルが4300クワチャなので、1円が38クワチャ相当となり、生活が苦しい(? 一時は1円が47クワチャだったのに)

 借家に荷物を置いて、TVをつけるとザンビア国営放送はBBCのニュースを流していた。ニューオーリンズのハリケーン・カトリーナ被害の様子を詳しく報道していて、しばらく見入ってしまった。

 正午過ぎに、オフィスに行って、放置していたカメラ・モデルの組み立てを始めた。ラジオ2やBBCのラジオを聴きながら作業した。BBCでは、ハリケーン被害に関する意見を世界中の聴取者から電話で聞いて、それを放送していた。(国際電話代はBBCが払うそうです)内箱を6つ分作ったところで、接着剤のコンタクトが無くなったから、作業を中止し、17時過ぎに借家に戻った。

20050902 SMASTE年次総会
 オフィスで、NSC製品の価格表を印刷し、それをJ***事務所で380枚コピーした。レーザー・プリンタの故障とリソグラフのマスター無しのためだ。

 10時過ぎに、モバイル・ラボなどを積んだムワンザが運転するハイエース、ムワバ氏の運転するRVRに続いて自分も出発した。SMASTE年次総会の会場は、ルサカ・ビジネス&テクニカル・カレッジだった。昨年5月に見学して以来なので、久しぶりの訪問だった。  総会の運営担当者の話では、主賓が到着していないので、プログラムを大幅に変更して総会を進めているそうだった。そのため、本来なら午後に発表予定だったNSCの順番が午前の最後に回ってきてしまった。

 教材サンプルとモバイル・ラボなどを会場近くにあった広めの東屋のような場所に準備してから、総会会場へ入った。公称250人?だったが、もっと多くの先生達が集まっていると感じた。

 主催者に紹介されてムワバ氏がNSCの概要を説明してから、モンゼでの研修会のように、手回しオルゴールと木箱を利用した共鳴とザム・コプターを紹介した。その後、参加者に屋外に出てもらって、東屋でムワバ氏と自分が、持参したサンプルなどを説明したり、質問に答えたりした。

 実費で配布したNSCのCDもすべて無くなってしまった。CDを渡せなかった先生達には、明日、追加を作って持ってくると約束した。

 一旦、展示したサンプルなどをNSCに移動してから、再び会場まで戻った。午前中の発表では、予定していた全ての内容ができなかったので、午後に再度チャンスがあると聞いていたからだ、16時過ぎに休憩になってから、休憩後に発表してほしいと言われたので、コンピュータやプロジェクターを並べて準備を終えたところ、来賓が来るから、後にしてくれと言われてしまった。来賓は短時間で話を済ませると強調されたので、その後に発表するつもりで準備していた資材を一旦かたづけた。しかし、経験で絶対に短時間で終わらないと知っていたので、この時帰るべきだった。

 結局、来賓は、質疑を入れて一時間ほど話して帰ったので、こちらは何も発表できなかった。しかも、午前中に貸した延長コードは、再三返すように伝えたのに、戻ってこなかった。プンプン!

 夜、CD−Rを買いに行って、借家で新しいNSC−CDを焼いた。

20050901 SMASTE準備に、8月のまとめと書類作業
 J***事務所に提出するため、9月後半に予定されているシアボンガでの会議に関する書類や、第3四半期の業務費に関する書類を作る作業を進めた。並行して、8月中の活動記録をつくり、シニア・オフィサ達に配布した。さらに、日本の関係者に送付する8月中の報告書も作った。しかし、レーザー・プリンタが故障中なので、鮮明な資料が送付できなかった。ちなみに、Printed matter でA4版20ページほどの資料を日本に航空便で郵送すると、6900クワチャである。

 これらの雑用の合間を縫って、ザム・コプターを追加で作り、飛行性能を一機ずつ確認した。昨日作った、ゴム巻き器が快調に動いたのでラッキーだった。8月中には、ゴムを巻くために、左手の指を酷使したので、左手の人差し指が腫れてしまった。ゴム巻き器は約6秒でおそらく100回以上ゴムが巻けているようだ。もう指を痛めなくて良いと思うとほっとした。

 14時すぎに、ステファンに付き添われてある男性がオフィスを訪ねて来た。彼は、ZNBCのラジオで、自分の放送を聴いたそうだ。彼の要望は、彼の日本製トラック車に書いてある機械の操作説明を翻訳して欲しいということだった。SMASTE総会の準備もあったので、今日すぐには返答できないと思って、ダッシュボードにあった日本語の説明を写真に撮り、来週翻訳したものを渡すと伝えた。しかし、彼の一番知りたいトラック搭載の発電機とポンプのマニュアルをチェックし忘れてしまった。

 15時頃からミニヴァーに手伝ってもらって、明日ルサカで開かれるSMASTE総会で展示する教材サンプルを車に積み込んだ。でも、それらが必要かどうかは、会場へ行って見なければ分からない。

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