2005年12月の日記 連絡先(e-mail)
2005年11月の日記

20051231 予算書類
 朝、マンダ・ヒルとアーケイドで洗剤やティッシュを買い出してから、昨日持ち帰ったザムコプターの部品作りを借家で始めよう思っていた。買い物の荷物を整理していたら、10時半頃ムカンダ氏から電話があり、大至急来年度予算の書類と今年の四半期毎のキャッシュ・フローが欲しいと言われた。

 急いで準備してオフィスに入り、ムカンダ氏の希望する書類を仕上げて渡した。基本的にこれまで作ったものと同じだったので、それほど手間取らなくてすんだが、31日(しかも土曜日)に突然連絡してくるのは、困ったものだ。しかも所長はトランスポートが無いので今日はこれないのだとムカンダ氏は言っていた。(でも、NSCを出るとき、ゲートのジョンボロがムヤンガナ氏は、まだ中で仕事としていると言っていたな?)

 ワークショップでは、テクニシャン達がイスの鉄製フレームをたくさん仕上げていた。ある学校から注文があって作っているそうだ。ここ数週間、金属用のこぎりやグラインダー、溶接の音でワークショップは騒音に満ちていた。これまでパーツしか見ていなかったから何ができるか分からなかったが、今日になって形ができていたので、やっとイスを作っているのだとわかった。

 テクニシャン達は午前中だけで帰っていったが、折角オフィスまで出てきたので、借家から戻したザムコプターの部品作りを始めた。あわせて一つだけストローの二十面体を作った。

 夕方、専門家のTK氏のご自宅を訪問した。他のJ***関係者なども含めて16名でご馳走(生春巻き、角煮、お煮しめ、ヒジキの煮付けに桜餅、トコロテン、アイスクリーム、手作りジャムなどいろいろ、残念ながらカメラを忘れた)を楽しみながら、紅白歌合戦のビデオを見た。

  22時半頃から、そこかしこで花火の音が聞こえた。

20051230 今日は半日
 オフィスに着く直前にOG隊員から電話があり、National Examの問題解答集の印刷について相談された。今年も隊員がレベッカのオフィスと自分のオフィスの印刷機を利用してかなりの枚数を印刷したので、来年もお願いしたいという相談だった。例年7月に印刷しているが、できれば4月のターム休みに印刷したいそうだ。

 同じ電話で、新任隊員達が授業などのプレセンテーションをカブロンガ女子高校でしていると聞いたので、出かけてみた。今日が最終日だった。

 鳥の卵の構造と、円筒形の授業を見学した。みんな英語が上手なのでびっくりした。

 ミニヴァーが、今日は年末なので半日で仕事が終わるはずだと言っていた。ワークショップでは、昼食後も、みなが機械を動かしていたが、少し早めに引き上げることにした。

20051229 所内の整備
 ラップ・トップの壊れたヒンジを応急修理して、ザムコプターの部品作りを少し進めた。

 お昼前に銀行に行こう(二ヶ月ぶり)としたら、ムリンバがカタログ印刷の原稿を入れるCDがまだ買えないので、ブランクのCD−Rを持っていたらそれにデータを焼いてほしいと言われた。今は、手持ちが無いし、これからマンダ・ヒルに行くところだと返答したら、お金を都合してくるからCD−Rを買ってきてくれと頼まれた。国際会議に間に合うようにカタログを印刷しなければならないのに大丈夫なのだろうか?

 マンダ・ヒルは平日なのにものすごい車で駐車場はほぼ満車だった。クリスマス前後に休暇を取っている富裕層?の買出しなのかもしれない。ドルを引き出して、一部を両替してからCD−Rを購入にしてオフィスに戻った。

 CDに焼くために、NSCのカタログやパンフレットのファイルを修正したり変換したりする作業で一時間ほどかかったが、予備も含めて二枚のCDを作りムリンバに渡した。

 来月の国際会議に備えて14時〜16時までは、所内の整備だった。芝を刈ったり、雑草を抜いたり、スクラップをまとめたり、詰まっていた排水溝を直したりした。炎天下だったが出勤していた所員はみんなでがんばっていた。

 夕方、昨晩途中までしか見られなかったNarniaを見に出かけた。今日もほぼ満席。無事に停電に会わずに最後まで見ることができた。展開は、見ているうちに想像できるお話だったが、その通りに話が進んでも、おもしろかった!めでたし、めでたし。

20051228 映画館で停電
 オフィスで去年から使っているラップ・トップの液晶画面を開こうとしたら、画面と本体の左側のヒンジが壊れてしまった。接着剤で応急処置したが、うまく開け閉めできない。曲げた金属板などで補強しなければ、すぐに使えなくなりそうだ。

 機能には今のところ全く問題ないが、なんとか持ち運べるように直したい。

 今日は、PDFファイルとストロー多面体の作り方を追加したCDを約80枚焼く作業と、ザムコプター50機分の部品作りをした。CDは、既に焼いてあったものを焼きなおしたので、少し時間がかかった。部品は、スチロール・コップに切り目を入れるところまでしか進まなかった。

 お昼前に、秘書のルスに頼まれて国際会議の参加者に送る電子メイルに添付するファイルをスキャンする作業を手伝った。所長室の隣にあるダイアル・アップでウェブにつながっているPCの横のスキャナが動かないからだ。それらの資料によると、国外からの参加者は今のところ14名らしい。この後はどうなるだろうか。

 少し早めに借家に帰って、17時半からの映画を見にアーケイドに出かけた。チケットを1万クワチャで買ったNarniaは、17時半から20時半までの予定だった。(実は先週の水曜もキング・コングを見ました。長かった。)

 場内は、平日だがほぼ満席だった。映画のストーリーが序章から展開部に移りそうだった18時45分頃に停電した。映画館のコンプレックスから出て外を見ると真っ暗だった。近くの席で携帯電話をかけていたお客さんの通話を聞いて居たら、かなり大規模な停電のようだった。

 しばらくして、関係者から説明があった(放送ではなく本人が懐中電灯を持って入室し、肉声で説明しました)。ZESCO(国営電力会社)に問い合わせたところ、30分程度で復旧するらしいので、そのまま待つか、別の日に映画が見られる引換券(ヴァウチャー)をもらうか選んでくださいと言われた。

 トイレを済ませて、復旧を待つことにしたが、電気が回復したのは約40分後だった。でも、映画の上映が始まらなかった。"We want Movie!" と合唱する人も多かったが、マネジャーが来て説明したのは、お客様には二つのオプションがありますというものだった。ひとつは、20時半からの上映を初めから見ること、もう一つは別の日に映画が見られるヴァウチャーをもらうことだった。場内から、停電した時の途中から上映して、20時半の回の乗客には、待ってもらってほしいという声などが出ていた。お客様の声は、心情的には良く分かるが、既に20時半からのチケットも販売してしまっている経営者側のことを考えると、マネジャーの説明にこめられた苦悩も分かった。

 結局、次回上映までは、まだ時間があったので、ヴァウチャーをもらってムルングシに戻った。しかし、ムルングシはまだ停電中!。ろうそくを点けて簡単な食事を済ませたが、電気が安定して回復したのは22時半頃だった。

20051227 火曜日
 久しぶりにオフィスに入ると、天井の雨漏りをするところから塗装が粉のように剥がれて床に落ちていた。前の雨季にもひどかったが、雨漏りを直してから出ないと塗装は直せない。

 オフィスのドア側から部屋の奥に電線と電話線を引いている木製のケースは、ちょうど雨漏りがしみこむ場所にあるので、この雨季になってから、木の変形が激しかった。エルヴィスにもそのことを指摘されたので、今日塩ビ管に交換するからと答えた。

 ンデケに頼まれた彼の兄弟の写真のコピーを作ってから、休日中に作った書類を印刷した。多少、修正が必要だったが、この四半期の業務費の締め、来期の申請書、1月中のルサカだけど出張計画(国際会議と大学講師研修会)の書類を作り終えて一段落した。

 ミニヴァーには、分子モデルに使う炭素のモデルを作るように頼んだ。今日のモデルの出来上がりはまだまだだったが、急いでいないから正確なモデルを作るようにと指示した。

 ワークショプの内壁をトーマス達が塗装していたが、不安定な梯子で高所の作業をしているので、事故の無いように祈っている。

 チャールズはまた別のエンジンの修理を始めていた。ピストンについている汚れをかき取って、リングのサイズを読み取ると言っていた。

 午後は、風に向かって走る車の試作。日本のウェブ・サイトや博物館で見る車は、市販されている模型用のパーツを使っているが、今回は、ストローやザムコプターの応用で作ってみた。まだ、改良の余地あり。

 この後、電線と内線電話を塩ビ管内に通す作業を始めた。1年半ほど前には、休日を丸ごと使ってこわごわと配線を直したが、今日は電源も落とさずに30分ほどで作業終了。もちろん、240Vの電線がむき出しになっているので慎重にやった。

20051225・26 クリスマス休み
 25日は、外に出ても商店は休み(のはず)なので、ムルングシ内で一日過ごした。  テレビをつけると、クリスマスの特別番組を次々に流していた。

 ウイルス定義ファイルを更新してから、第4四半期の業務費の申請書を作ったり、見積もり依頼書を書き直したりした。申請に備えて、残っている業務費を数えると、計算通りの金額が残っていたのでほっとした。

 その後、二台のPCのデータをつき合わせたり、整理したりした。ショックなことにどちらのマシンからも今年のトレイド・フェアの写真がほとんど無くなっていた。誤ってフォルダごと削除してしまったようだ。

 夕方、散歩で一度だけ借家から外に出た。午前中までは昨日からの雨が続いていたが、午後は晴れ上がった。散歩の間は、暑くも寒くも無く快適だった。ここ数日の湿度は60−70%ほどだ。


 26日の月曜日も連休でお休み。オフィスに出てもよかったのだが、一日中お腹の調子が悪かったので、午前中にアーケイドのスパーで少し買い物をしただけで、後は借家で休んでいた。小説十八史略などを拾い読みしてのんびりした。夕方少し降雨があった。一日中涼しく過ごしやすかった。

 庭でとれたマンゴーが少しずつ食べごろになってきた。小ぶりだが、しっかり甘いかった。でも、食べ終わると歯の間にマンゴーの繊維がたくさんひっかかるのがちょっと困る。

20051224 納豆もらいました
 午前中はタウンに見積もりを取りに出かけようと思っていたが、昨年の事を思い出すと、しまっているインド系の商店もあったので、今日は出かけずに、借家で作業することにした。

 朝食をすませてから、NSCのウェブ・サイトを更新する作業をしたが、ダイアル・アップなので2時間以上かかってしまった。

 明日は、商店がしまってしまうので、アーケイドへ食料品を買出しに行った。

 借家に戻ってから、少し時間をつぶし、13時からのお疲れ様会のためにカブロンガの所長宅へ向かった。途中、カブロンガのメリッサで買い物をしようと思ったが駐車場が混雑していたので諦めた。

 所長宅には、専門家、隊員、所員が大勢集まり、大変賑やかに食事などを楽しんだ。納豆巻きや、マーボー茄子など所長婦人や隊員手作りの料理を楽しんだ。帰りに婦人から納豆をもらったので、大切にしまって借家まで運んだ。

 借家に戻ると夕方から宵の口まで豪雨になった。

20051223 天皇誕生日
 オフィスで作業を始めかかった頃、所長から内線があった。2006年度予算の修正をするために、高額な一部の活動を削ってから、他の活動を一律に減額する資料が欲しいとのことだった。30分以内で作ってくると返答した。

 印刷した資料を所長室に持っていったら、所長は出かけたよと秘書のルスに言われてしまった。

 CDに納めていたワード・ファイルをPDFに変換する作業を終わらせた。しかし、画像の圧縮の設定か、元のファイルの画像の配置などが特殊なせいか分からないが、白黒画像の多い三つのファイルは、変換するたびに何十倍にも大きくなってしまうので、そのPDFは改訂したCDには入れないことにした。

 明日からクリスマスの三連休なので、職場で聞いているラジオも職員もウキウキした感じだった。ミニヴァーも買い物に行くので早く終わりにしたいと言っていた。

 結局、ファイルの変換作業と、HTMLファイルを二つ作っただけで今日の作業は終わりだった。今日は、一日中晴れて、気持ちの良い天気だった。

 夜、調整員さんから電話連絡が入り、強盗が多くなっているので注意するようにと言われた。(例年、クリスマス頃が最も犯罪が増えるそうだ)

20051222 PDF変換作業
 ミニヴァーに輪ゴム鉄砲を作り溜めしてもらいながら、CDに納めていたファイルをPDFに変換する作業をした。

 途中でムヤンガナ所長やムカンダ氏と予算の書類作りや、新しく分かったプール金の総額などについて少し打ち合わせた、予算額はまだ変化する気配だ。最終的な額が提示されてから再調整をすることになりそうなので、慌てなくてよさそうだった。

 午後コンピュータに向かっていると図書館のステファンから電話があり、ジョセフィンが図書館の裏で写真を撮ってと頼んでいると言われた。

 しばらくして行ってみると、ゴミと土を積み上げた築山の上で野菜を収穫中のクリーナー達の中にジョセフィンがいて、写真をせがんでいた。数枚撮ってみたけれど、残念ながら曇り空と彼女の肌の組み合わせでは、暗い写真になってしまうので、今日は条件が悪いと伝えた。

 その後、司書のルス達と一緒に、所内にあるサイエンス・パーク(立派なものを想像できませんが)にある長さの違うブランコで遊んでいる彼女達(おばさん方です)の写真を撮った。それらの一部を後で印刷して渡した。

 CDに新しい説明書を追加する作業を始めたが、写真の加工に手間取ったので、仕上げは明日に送ることにした。

 夕方、J***事務所に行ってみると、現地職員の提案でクリスマス会が開かれていた。プロのダンサーを呼んで、ザンビアの踊りを披露していたので、少し見学した。

 事務所は、明日の天皇誕生日から、クリスマスの振り替え休日になる月曜まで閉まっているそうだ。年内は、来週の火曜・水曜だけしか開かないらしい。それに間に合うように、業務費の清算書や申請書を用意しなければならない。

20051221 夏至
 オフィスでストローの正二十面体を作っていたらムカンダ氏から内線電話があって9時45分からCDC(教育課程開発センタ)に所長と出かけるので、一緒に行ってくれと頼まれた。またまた、予算会議だそうだ。

 予定より15分ほど遅れて出発し、会議室に入ると、全所長のムンゴ氏しか着席していなかった。ムヤンガナ所長は、一番遠くの我々が一番早いと皮肉を言っていた

。  教育省内でNSCが属する教員研修と特殊教育?という部門の2006年度予算の調整のためだったが、提示されていた資料が、政府予算のものか、援助国からのプール金なのかも参加者には判別できなかった。そこで、ムヤンガナ所長が直接上司のオフィスに車で出向いて、今日資料にある金額は政府予算のものであることを調べて来てくれた。

 会議では、具体的に金額を調整する作業は一切せず、22日までに、各組織が政府予算で支出する金額の調整をして資料を提出することになった。プール金で行う活動については、見積もり(assumption)のままで良いそうだ。

 NSCの建物の塗装が始まった。トーマス達がマスキングなしで、PVAペイントをローラーで塗っていた。

 午後は、早めにオフィスを出て借家に戻った。途中、激しい雷雨があり視界が悪かった。

20051220 国際会議打ち合わせ
 9時半から打ち合わせだったので、それに間に合うようにとマザブカ研修会の英語版報告書を作っていたら所長から内線電話がかかってきた。急いで所長室に入ると、部屋の掛け時計が進んでいて所長が時間を間違えて召集をかけたことが分かった。

 所長が時計の電池を交換し、他のシニア・スタッフが集まってから打ち合わせ開始。途上国のサイエンス・センターや科学博物館の関係者が集まるこの会議は1月11日から13日まで、主にルサカのフェア・ヴュー・ホテルを会場に開かれるそうだ。約20名の海外からの来客があり、国内からも少し参加者があるかもしれない。1月10日に到着する参加者を迎える前に所内の整備や資料・プレセンテーションの準備などが必要なようだ

。  なお、教員養成大学の先生方を対象とした研修会は、1月17・18日にルサカ郊外のホテルで行うことになった。(今のところは)

 打ち合わせの後、ミニヴァーにストロー・モデルを追加で作るように頼み、自分は英語版報告書を仕上げる作業をした。

 体が重く、特に昼食後はひどく疲れを感じるので無理をしないことにした。突然腹痛があって、下痢に苦しんだりもした。

 14時半から全所員を集めて所長から国際会議に関する伝達があった。さらに、会議に備えて(それ以降も)所内の環境を整備するため、金曜の午後は一斉に、内外の掃除やメインテナンスをすることも話し合いで決まった。

 今日は、弱い雨が散発的に降り、しのぎやすい日だった。しかし、だるさを感じるので、事務所によって少し話をした後は、借家でおとなしくしていた。  明日からは、国際会議と研修会に向けて作業である。

20051219 報告書提出
 昨晩、少し降雨があったので、朝はしのぎやすかった。(日中は暑くなったが)  オフィスに入って、マザブカの出張報告書を校正して印刷した。

 ミニヴァーには、次の研修会に備えて風車(かざぐるま)を作ってもらったり、ストロー多面体の作り方を覚えてもらったりした。

 ムヤンガナ所長に確認すると、来週予定されていたンドラでの大学講師対象の研修会は1月に延期になるそうだ。それに、講師達にとって都合の良い日時が、国際会議の日程と重なるので、明日シニア・マネイジメント会議を開いて、どうやって研修会と国際会議を両立させるかを話し合うと言われた。

 いずれにしても、また突然の仕事が入らなければ、当面は1月の研修会と国際会議に向けて教材サンプルや印刷物を準備することになりそうだ。並行して、CDコンテンツの更新作業ができるとよいのだが。

 TJ隊員から指摘されたので、NSC−CDに保存しているファイルをPDFファイルに変換する作業を始めた。PDFなら、どんなコンピュータでも製作者の意図するレイアウトを崩さずに表示できるからだ。

 昼食後、小さなバッタの幼虫を食べるカマキリの幼虫をじっと見ていた。2-3分でたいらげるので、びっくりした。カマキリが食事をするのを見たのは何年ぶりだろう。

20051218 テレビから日本語
 6時に起きて、シーツなどの洗濯を済ませ、二台のPCのデータ整理とバックアップ作業を進めた。

 マシンを動かしたままショップライトとアーケイドに買い物に行って戻ると10時過ぎだった。

 昨日から始めたマザブカ研修会の資料整理を進めて、報告書を作り上げるのが今日の目標だった。昨晩もしっかり眠れたので、心配していた発熱や関節痛などはなかった。(下痢はしましたが)

 12時半頃にZNBCのテレビをつけたら、サッカーの中継。日本企業の広告の多いピッチだなと思って見ていたら、横浜からの生中継だった。前半と後半の間には会場の流れていた日本語のアナウンスも聞こえてきた。「JR新横浜駅方面は工事の為道路が狭くなっています…」とか言っていたようだ。

 夕方の散歩以外は、書斎にこもって、なんとか報告書が仕上げることができた。

20051217 土曜日
マザブカのカオンガ初等学校にあったビオトープ (環境教育のラジオ番組チョンゴロロ・クラブにも参加しているようだ) ストローで多面体の骨組みを作る二人(マザブカ)
 前回のカブエ研修会では、終わってから二日経って熱を出した。もし、同じペースで発熱するなら明日のはず。そうならないために休養が必要なのだが、今日は今年最後のスタディー・グループがあるので、気持ちを引き締めて9時前に事務所に入った。

 既に、国外に出られた関係者が多いので、今日は少人数だった。それを見越して、今日の予定はカルタ取りと、ストロー多面体作りだった。研修会にも持って行ったストローを使って、5人の小中学生と1人の高校生、それに2人の先生(お母さん達)と正四面体づくりに挑戦した。小学校1年生には、少し難しかったようだが、一応、全員作り上げた。正二十面体も一つできあがっていた!

 マザブカで隊員と作ったとき、初めての人でもできるのがすごいですねと言われたが、確かに要点さえ飲み込めば誰でも正二十面体が作れる方法だ。(実は四面体より二十面体の方が簡単だと思う。部品は多いけど)

20051213-16 マザブカ研修会
 13日は、6時に起きて荷造りを始めた。モンゼに行った時に忘れた電気髭剃りと、前回お湯の出ないバスに浸かって寒かったので、電気ポットもしっかり準備した。

 午前中は、荷物の整理と積み込み作業。並行して、ミニヴァーがPCでレポートを打ち込むというので、少し手伝った。

 雨が降り出したので、ムワバ氏が車をワークショップ内に入れて、荷物を積むと楽だと助言してくれた。運転席以外は空間が無くなるほど積み込んだ。

 J***事務所で、追加のコピーを作り、プロジェクターを借りてからルサカを発った。だいたい13時頃だった。行程は順調で14時40分頃にマザブカに入った。着いてすぐにTJ隊員に連絡を取ると、ショップライトの駐車場で待っていてくださいと言われた。時間がかかりますと言われたのに、10分ほどで、TJ隊員と着任したばかりで研修中のSB隊員と合流できた。

 3人で自分の泊まるロッジまで貴重品を持って徒歩で移動した(車には他に人が乗れない状態だから)。清潔そうなロッジだったが、今日泊まれる部屋は予算オーバーだった。そこで、予算上限額で3泊する場合にこちらが払える額を示して交渉した。その結果、予算オーバーの部屋に13日だけ一泊し、明日と明後日は、安い部屋に入ることになった。しかも、料金は安い部屋3泊分にしてくれた。

 車をロッジに移動してから、二人の隊員と共に研修会の開かれるカオンガ初等学校とその中にあるリソース・センターまで歩いて行った。

 リソース・センターはこじんまりした部屋だったが、地元のスタッフによりきちんと運営されているという印象を受けた。TJ隊員も良く管理されて、利用されていると話していた。その後、ディストリクトのスタンダード・オフィサ(DESO)であるカノンド女史とボード・セクレタリー(DEBS)に挨拶した。

 TJ隊員の案内で、明日から三日間研修会が開かれる会場も下見した。学校で一番大きな教室だそうだ。一応、電源も使えることが分かったので一安心した。

 TJ隊員の案内で、遅い昼食を3人でとった。夕食はTJ隊員がご馳走を作ると言うので、それに甘えることにした。二人と別れてSB隊員と自分が飲むお酒などを買いにショップライトに寄ってからロッジに戻った。

 夜のTJ隊員の手料理は、ピーマンの肉詰めと、タレに漬け込んだビーフをオーブンでじっくり焼いたもの。あまりにおいしいので写真を撮り忘れた。


 14日の朝は、5時に起きて6時40分にロッジを出た。研修会は8時開始予定だったので、その前に教材サンプルを車から降ろしたり、会場の整備をしたりするためだ。

 ところが、会場の横の空き地に入ろうとして段差のブロックを乗り越えたところで、車輪が空転して前にも後ろにも動けなくなってしまった。しかたなく、車をそのままにして荷物を移動していたら、近所の人が寄ってきて、車をジャッキで上げて、こことそこに石をはさめば脱出できると助言してくれた。さらに、ジャッキを出してくれと言って、後は、どんどん脱出の準備を4・5人がかりでやってくれた。

 こちらが、荷物をほとんど移動し終わったころに、スリップしていた前輪の下には大きな石がしっかり押しこんであった。車を後退させると、一度のチャレンジで無事脱出!ありがとうございました。ジャッキを操作してくれた男性にクラッカー(朝食として少し食べちゃっていたが)と非常食用に買ってあったカップ麺を渡した。

 TJ隊員とSB隊員に手伝ってもらいながら、会場を設営した。しかし、8時を過ぎても9時を過ぎてもいっこうに研修会の始まる気配はなかった。先生方は、ターム休み中だが、会場までの交通手段に制限があるので、8時開会というのは、元々無理な設定であることは分かっていた。

 結局、9時35分に開会、国家斉唱、来賓(DEBS)の挨拶、主催者側関係者の紹介、参加者自己紹介と進んだ。

 続けて、チュトウ氏がNSCの製品を延々と1時間以上かけて説明した、さらにチョマのリソース・センターの男性がリソース・センターに置かれているインド製?のサイエンス・キットの説明を数分と言っていたのに、1時間近く時間をとって話した。この二つの話の間に、教育相の副大臣がリソース・センターの訪問に来るというので、約30分の中断まであった!

 この時点で参加していた20名の先生方は、少しイライラしていたように見えた。

 予定より2時間遅くティー・ブレイクが入り、ちょうど軽い昼食代わりになった。その休憩の後、自分の説明が始まった。この日は、まずCDのコンテンツの説明からスタートした。CDに入っている教材をプロジェクターで壁に映して紹介し、あわせて実物も先生達に見たり、触ったりしてもらった。ザムコプター、糸巻き戦車、風車(かざぐるま)、輪ゴム鉄砲などから始めた。その後は、光学関係、電磁気関係など屋内に展示したサンプルの順に説明し、約2時間費やした。(この日、化学関係は紹介できなかった)

 自分のプレセンテーションの後は、チュトウ氏に進行によるまとめの話し合いだった。しかし、NSC製品の紹介時にいろいろ議論したので、新しい意見(苦情はあったが)は少なかった。

 閉会式には、副大臣とファースト・スタンダード・オフィサが出席し、副大臣のスピーチで本日は終了した。14時45分(予定より2時間45分遅れ)だった。

 研修会の後、気晴らしに学校のグラウンドでゴム動力飛行機を飛ばした。しばらくするとサッカーをしていた男の子達がたくさん集まって来た。何回か飛ばしていると、降りてきた飛行機を捕まえた子が次に飛ばすというルールが自然にできて、順番に遊んでいた。

 16時半になって、やっと会場を出た。17時からTJ隊員の自宅におじゃまして、また手料理をご馳走になった。この日は、オクラをたくさん使ったお好み焼き風の料理。カツオブシとソースもしっかりかかっていた。お腹いっぱい食べてしまった。(朝、クラッカーを少しかじっただけだった)

研修会の会場(学校で一番大きな教室だそうだ) 副大臣(ムルングシ借家のお隣さんです)
チュトウ氏によるNSC製品の説明 サイエンス・キットの説明
この子たちは、みんな"はだし"だった 15日のお昼にはTJ隊員の使用人が作ってくれたチキンと野菜の料理を食べた
 15日・16日は6時起床、7時45分頃に会場に入った。二日ともすでにTJ隊員が開錠して待っていてくれた。

 研修会二日目の参加者は18名、三日目は29名だった。主催者によると、教科主任クラスの先生を選んで招いていたそうだ。

 二日目からは、会場のレイアウトを変えて、中央のモバイル・ラボを馬蹄形に取り囲むように参加者の机・イスを配置した。

 15日の朝は、研修会が始まる直前まで停電で、プロジェクターや電源装置が使えるかやきもきした。そこで、16日の開会前に、TJ隊員と自動車用バッテリーを買いに行った。もし、停電になったら、既に購入して持参していたDC−ACインヴァーターに12Vバッテリーをつないで、実験用の電源装置などを動かすためだ。

 15・16日とも、研修会の前半のプログラムは初日とほぼ同じだったが、自分のプレゼンテーションは、参加者の反応や時間配分にあわせて変化させた。二日間とも化学実験関係のデモも行うことができた。

 参加者は、自分の教材サンプル紹介や実演により、理科の授業展開に関する多少のヒントや自信を得て帰ったようだった。しかし、今回やこれまでのような、一回だけの研修で、紹介した教材等をザンビア教員が日常の授業に取り入れることは難しいと思った。たとえ簡単な一つの教材であっても、それらを入手したり、自作したりするという最初のステップがあり、次に授業に組み込めように教員が事前に使いこなしておくというステップを乗り越えなければならない。あわせて、印刷教材(実験の手引き)または掲示物等を作り、安全や廃棄物の配慮まで準備した後に、初めて授業でその教材が利用できるからだ。この流れを指導し、ザンビア教員に体得させるためには、単発的ではない中・長期的な研修プログラムが不可欠だと感じた。

現地語の歌が流れる中、来賓が入場 国家斉唱
 研修会三日目の16日には、南部州で活動する男性隊員が2名見学に来てくれた。研修会後の後片付けは、隊員4人が進んで動いてくれたので、本当に助かった。

 サニーに荷物を積み込んで出発の準備ができたのは、16時に近かった。二台持ってきたカメラモデルの一台をリソース・センターに残し、もう一台をチュトウ氏に渡したため、助手席が開いた。また、糸巻き戦車、ザムコプターの全部とゴム動力飛行機を一台、TJ隊員に託した。開いた助手席には、ルサカに上がるSB隊員が乗った。

 帰りも、行きと同じくトラブル無く進み17時半頃にJ***事務所に到着した。途中、カフエで見た虹がきれいだった。

 事務所にプロジェクターを返却してから、夕食をSB隊員と食べた。

 給油の後、借家に戻ってから、洗濯や荷物整理をしたが、疲れていたので早々に床についた。

Mazabuka DEBSによるオープニング Mazabuka のカブワンゼ先生による教材の説明(2・3日目)
NSC−CDの紹介 屋外でカメラモデル、ザムコプター、ジャイロディスク、糸巻き戦車、虫眼鏡、レインボウ・ボックスなどを試す先生方
ストローを使った教材の紹介 持参した試薬類。酸、アルカリでムラサキキャベツ液が変色することを確かめている。
20051212 研修会準備
 普段より早めに借家を出てオフィスに入って、印刷、CDの準備、梱包の準備などを慌しくやった。カラー・プリンターもレーザー・プリンターをずっと動きっぱなしで、昼食後になって、インク、トナー切れとなった。土曜日にインクとトナーを買出しておいて助かった。

 テストが終わったミニヴァーも久しぶりに来てくれたので、チギリギリなどを作ってもらった。

 夜は、借家で新しい説明書(ストローで作る多面体その2)づくり、できるだけ簡略にして二枚に納めてみた。明日、英語をチェックしてもらってから急いで印刷しよう。

 明朝、事務所でプロジェクターを借り、コピーをとってからオフィスに行き、昼食過ぎにマザブカ(ルサカから約120キロ)に向かうつもりだ。
 借家に戻るのは金曜の夕方の予定。

20051210・11 週末
 土曜日はまずスタディー・グループ。来週になると国外で年末年始を過ごす方が増えるので、次週もスタディー・グループはあるのだが今日が二学期の終業式だった。

 事務所を出て、そのままタウンへ向かい、HPのインクカートリッジと印刷用紙、それにリソグラフのマスターとインクを購入した。両方合わせるとかなりの金額だった。どうしても早めに手に入れておきたいものだったのに、なかなか購入できなかったのでホッとした。(タウンのほとんどの店の営業は、土曜日には13時までです。それでもタウンを歩くとかなり集中力を使うので後でこたえます)

 続けて、アーケイドでサムソンのトナーを手に入れて業務関係の買出しは一段落した。

 借家に貴重品を置いてから、NSCのオフィスに寄り、さらにカブロンガのメリッサで買い物をしてから隊員のドミトリーへ出かけた。今日は新隊員の歓迎会なので、それに少しおじゃまするためだ。これまでにもずっと案内をいただいていたが、一度も参加したことがなかった。最後の機会?になるので思い切って出かけてみた。メリッサで買ったほんの少しの飲み物と日本から持ち帰ったスルメを差し入れた。

 大勢の隊員が暑くてハエが飛び回る?なか、疲れを感じさせずに飲んだり、食べたり、踊ったりするの見て圧倒されて帰ってきた。



 日曜日。この頃アーケイドやマンダ・ヒルに行くと必ずドルの交換レートをチェックするが、今日、マンダ・ヒルで見たのは1ドル3450クワチャだった。ゲームとショップライトで業務関係の小物と一番安いスコッチに洗剤を購入した。最後に書店でクリップを1500クワチャで1箱買った。

 そのままNSCのオフィスに向かい、午後4時頃まで研修会に向けてザムコプターや簡易DCモーターを作り続けた。今日つくった23機のザムコプターはほとんどが、ワークショップの天井まで飛んだので(@_@)した。以前使っていたスチロールカップより、肉薄の製品を使って作ったからかもしれない。電気ドリルに付けるゴム巻き用のアダプターも改良品を作った。

 昨日から雨が降っていないので、日中は気温が上がり少しつらかった。(降らなくても夕方から朝までは涼しいです)

20051209 印刷開始
鉄粉の入った食用油と強力な永久磁石 ワークショップのゴミから拾った合板の円盤
図書館でオシャベリするみなさん
これが蔵書の一部 日中、雲が大きく成長していく
ワークショップで作った机の出荷 オフィスにとびこんできたカナブンの仲間?

 2006年度版のNSCカタログのチェックをムワバ氏達に頼んでいたが、それが仕上がって戻って来た。赤の入った資料に沿って新カタログのデータを更新した。何回か試し印刷をしてから最終版になる印刷用の原版を印刷した。それを版下にして印刷しても良いのだが、できれば、デジタル・データのまま印刷したい。この件については、印刷業者に確認しなければならない。

 マザブカ研修会と国際会議などに備えて、印刷物を作り始めた。ザムコプターやストローで作る教材などの印刷を午前中から始めた。カラー・プリンタのカートリッジはインクを詰め替えたものを騙しだまし使ったが、夕方に息切れした。追加で印刷するには新しいカートリッジがどうしても必要だ。

 夕方、帰国を間近に控えた二人の隊員の報告会を聞いた。ひとりは教員研修会に招いてくれた隊員だったので、ザンビアから離れてしまうと思うとちょっとさびしい。

20051208 開戦記念日・来週はマザブカへ行きます
 去年のこの日にはルサカから600キロ西のモングに居て、NSCが主催した最初の教員研修会の最中だった。チョンゴ氏やムカンダ氏と日米開戦の話をしたが、話は広がって、今でも広島には草木が生えていないのかという話になった。

 オフィスで、2006年版のNSCカタログ作りをしていたら、チョマのチートウ氏から電話があり、来週の14日から16日までマザブカ(ルサカから125キロほど南西)で研修会を開くので出席して欲しいと依頼された。ルサカを13日に発って、14・15・16日の午前中を使って3回の研修会を開くそうだ。初日が初等学校の先生、二日目が高校の先生、三日目が私立学校の先生対象らしい。いつものように、急に仕事が入ったが、できる範囲で準備をしようと思う。(電話の後、正式なファクシミリが所長に届いていたので、その写しをもらった)

  ザンビアに戻ってからなぜか疲れやすい気がするので(特にドル安は気が休まらない、テレビではクワチャに対するappreciation は貧困脱出からの成果であると繰り返して放送しているけれど)

 昼食をはさんで、業務で任地を離れて出張する旨の書類を作ったり、これまでの業務費の清算をしたり、2006年版カタログの案作りを進めた。

 夕方、雷が鳴るなか、所長とチョンゴ氏・ムワバ氏にカタログ案を見てもらった。

 その後、元図書室だったトーマスのオフィスで、トーマスとジョセフィンとおしゃべりした。ジョセンフィンは現地語を教えてくれるというが、1年8ヶ月たっても、全然身についていないので、どうなることだろうか。

 出張が決まったので、週末は、サンプルづくりで時間をつぶせそうだ。

20051207 道路税の支払
 今日は朝から夕方まで晴天だった。NSCで掃除をしていたら、トーマスが今日はタウンまで一緒に行けると言ってくれた。8時45分に、トーマスとムワバ氏を乗せてNSCを出て、まずムワバ氏を自宅で降ろした。途中、大統領官邸正面側の道が制限時速80キロに変更になっていたので驚いた。国内で一般的な65キロかせいぜい70キロが適当なのではないだろうか。ザンビアに戻ってから、スピード制限がゆるやかになっている道路が増えているのが気になる。

 トーマスと交通とコニュニケーションの役所に着いたのは9時過ぎだった。ここは、免許や車の登録の手続きの役所なのだが、ルサカ市内でもっとも駐車場の状態が悪い。雨季の今は、たくさんの池ができている。池の深さが分からないので、慎重に進入して車を停めた。

 建物に入って、いつも現地語しか使わない受付のおばさんにトーマスが聞くと、奥の会計窓口で道路税は払えるとのことだった。既に列が出来ていたが5・6番目に並んだ。窓口には、自動車の登録証と保険の証明書の原本を持参してくださいと書かれていた。特に申請書類などを書く必要が無いことが分かってホッとした。

 列はなかなか進まず1時間経ってやっと自分の番になった。係りの女性がPCに登録証の番号を入力して、プリンタで道路税の領収書が出てくるまで約3分?肝心の税額は1年分で10万クワチャだった。支払が終わって物凄く気持ちが楽になった。(この手続きは月末になると列が長くなり、とても大変なのだそうだ。また、道路税を納めていないと、路上のポリス・チェックで捕まったり、賄賂を要求されたりする。)

 折角タウンまで来たのでトーマスに付き合ってもらってお店回りをした。A4版印刷用紙、ハサミ、ストローを買い、リソグラフの消耗品の見積もりをとった。

 オフィスに戻ったら11時になっていた。

 書類作業、食事、雑用を済ませてからJ***事務所に行って、VAT(付加価値税)免除のレター申請用紙を提出した。

 夕方、17時30分から20時までアーケイドのキネカでハリー・ポッターを見た。月曜から木曜までの特別料金で1万クワチャだった。平日にもかかわらず、家族連れのお客さんで最前席以外はほとんど満席だった。台詞はあまり分からなかったがストーリーは分かりやすかった。(本は読んでいません)上映中の一巻きだけ中国語の字幕が付いていた、アフリカ向けのリールに紛れ込んだのだろうか。

20051206 朝は雨だったので
 日曜の夜から月曜にかけてコンピュータのひとつに英語版のウィンドウズを入れて、デュアル・ブートできる環境を作った。一時帰国中からいろいろ調べていたが、古いほうのマシンならインストールするだけで日本版、英語版とも利用できることがなんとなく分かっていた。しかし、トラブルが心配なので十分にバック・アップをとるまでインストールを控えていた。バック・アップが一段落したので、思い切ってインストールを開始した。

 心配していたトラブルはなく、何の問題なく英語環境も使えるようになった。一安心である。これで、これから当地に残す資料を作る時は、英語版のウィンドウズ上で英語版のオフィスを使って作業すればよい。日本語対応のマシンでしか表示されないフィントを紛れ込ませるトラブルや、行間の微妙な誤差が生じることを心配しないですむ。

 今日は、トーマスに道路税の納入にタウンまで付き合ってくれるように頼んでいた。しかし、朝は雨だったので、彼は出勤してこなかった。彼は天気がよければ、10キロ以上自転車をこいで通勤してくるのだが、道路がぐしゃぐしゃになっているので、出勤できなかったのだろう。ジョセフィンに聞いても、同じ見解だった。そのため、道路税の納入は延期、明日は行けるだろうか。

 月末のワークショップなどに備えて、資料や教材を少しずつ作りだめすることにした。今日は、ゴム動力飛行機、大きめのストロー十二面体、二十面体を作った。

 明日、タウンへ行けたら、見積もりと買出しがしたいものだ。

 19時の国営放送ニュースを見ていたら、複数の政府高官がドルに対してクワチャが30%も値上がりしていることを歓迎するコメントを流していた。機械類が安く輸入できるとか、ザンビアが再貧困状態から脱しつつあり、6年連続経済成長を続けていることの反映だとか言っていた。しかし、そのニュースで農業関係者が農産物の輸出にとって、現在の為替レートは壊滅的なダメージを与えていると訴えていた。

 もちろん、ドル口座への入金で生活している我々にとってもこのクワチャ高は大問題なのだが、政府高官の反応には大いに疑問がある。ザンビアは多くの援助国からの資金サポート無しに国を運営できない状態である。NSCも例外でなく、予算のかなりの部分が援助金なのだ。それらの援助はクワチャ立てでなくドルなどの外貨建てだということに官僚や大臣は気づいていないのだろうか?30%ドルが安くなったら、援助額もクワチャ建てでそれだけ減額するということだ。大問題だろ!

20051205 月曜日
 庭師のムエンベが引っ越したので、洗車をバンダさんにお願いすることにした。今朝は、バンダさんが7時に息子さんと現れて、彼が洗車してくれた。

 オフィスでは、少し工作をしてから、所長に今後の予定を聞きに行った。クリスマスが終わってから28・29日にンドラで大学の先生対象の研修会(往復を入れると4日)、1月の10〜14日は国際会議、その間に予算関係の打ち合わせが入りそうだ。自分からは、カタログの改訂を1週間かけてやりたいことと、技術移転のための所内ワークショップは国際会議後に延期したいことを伝えた。

 オフィスを少し早めに出て、業務費で日常の作業に必要なもの(接着剤、紙、インク、記録メディアなど)を購入した。今日のクワチャ・ドル交換レートは1ドル3720クワチャだった。

20051204 日曜日
 昨晩から、午前中にかけて2台のマシンのファイルの整理をした。しかし日本からもってきたDVD−RAMのフォーマットに失敗してしまったので、バック・アップ用のメディアを用意しなければならない。

 お昼前からカブロンガに出かけて、まずメリッサで買い物をした。アーケイドのスパーで18300クワチャのトイレット・ペーパーはメッリッサなら13800クワチャとかなり価格に差がある。野菜に虫がたくさんついていることがあるのを気にせず、パン売り場のゴキブリが眼に入らないことにすればとても良いお店だ。

 その後、オフィスに入って金曜日に運び込んだままの教材サンプルを片付ける事にした。しかし、その前に床に溜まった雨漏りの水を拭き取る作業を開始。一番雨漏りがある場所に置いてあったプラスチップのバケツはほとんど満タンだった。今晩もにわか雨があれば、あふれていただろう。掃除と、片付けをしてから、少しだけ工作をして14時頃にオフィスを出た。

 借家に戻って簡単に食事をしてから、少し横になった。
 夕方、カメラを持って散歩に出た。なぜかムルングシ内にホロホロチョウ?湿地の近くにはトンボが多く見られ、シロアリが新しい巣を広げていた。


20051203 土曜日
  朝のニュースを見ていたら、昨日のパーティーでの大使と大臣のスピーチが放送されていた。映像を見ていたら初代大統領のケネス・カウンダ氏も出ていた。かなり要人も出席していたようだ。

 チャンネルをいじっていたら、B4Uというインド系の放送が映るようになった。英語放送が少ないので、何を言っているか分からないことが多いが、歌や踊りのプロモーション・ビデオがたくさんながれるのでなかなか楽しい。

 一月半ぶりにスタディー・グループに参加した。小さな子供達はなんとなく背が伸びていたような気がした。

 二時間の勉強が終わってから子供達は、明日のパーティーに備えて歌の練習をしていた。"赤鼻のトナカイ"や"お正月"だったが、こちらでは少し季節感が違う。それでもここ数日は暑いと思う時間帯はなく、日中は、湿気があり、セ氏25度ほどの気温だ。

 両替したくなかったが、100ドルだけ交換した。36万クワチャ、数日前より少しドルが強くなっていた。それでも、この状態が続くと我々には厳しい。

 午後は、久しぶりに昼寝をして休養できた。夕方、インスワを見に出かけたが、巣から飛び出すところは撮影できなかった。

20051202 大学でのサンプル紹介
 ムエンベが仕事をやめたので、来週から、月曜の午前中、バンダさんに借家の外回りの掃除をお願いすることにした。

 NSCのオフィスに入ると、インスワより小さい羽蟻のような虫が部屋の隅にたくさんかたまっていた。ばらばらにしても集まってくる。ワークショップの外側をよく見ると、何箇所か同じように羽蟻が数十から数百(千)も集まってかたまっていた。何をしているのだろう。

 今日のザンビアン・オープン大学でのワークショップ(モバイル・ラボとサイエンス・キットの使い方を紹介して欲しいと言われていた)に備えて、印刷物を準備したり、ビュンビュンゴマを追加でつくったりした。その後は1週間前の金曜日と同じように、運べるだけのものを車に押し込んだ。

 12時半から14時半までの予定で日本大使公邸を会場に天皇誕生日を祝うパーティーがあった。招待状を頂戴していたので、ワークショップの前に時間が許す限り出席することにした。

 昨年は、大使の挨拶中に豪雨になってしまったので、それを繰り返さないために、1時少し前からの大使と来賓(エネルギー大臣)のスピーチは、天気は良かったが、屋内で行われた。残念ながら、そこまでで自分は時間切れだった。大学まで一緒に行く、チョンゴ氏とムワバ氏に合流するため、NSC職員のHIV/AIDS研修会をしているンデケ・ホテルへ向かった。

 空調の良く効いた部屋で行われていた研修会は、13時40分頃に終了したが、講師の最後の話や掲示物を見学することができた。

 チョンゴ氏の車の後を追いかけてタウンのカブエ・ラウンド・アバウト近くにあるザンビアン・オープン大学に移動し、13時55分頃到着した。

 このミニ・ワークショップには、教授、講師ら4名が参加するとのことだったが、1名が遅れているというので、待っている間に荷卸をして、説明の準備をした。やがて、最後の先生が到着したので、14時半頃から説明を始めた。

 まず、コンピュータでNSC−CDの内容をかなり具体的に説明してから、屋外に出てカブエ研修会では紹介できなかったレインボウ・ボックスを紹介した。続けて、その他の光学関係のサンプル、ストローやスチレンカップを使った教材、電気・電磁気関係、化学関係、生物関係、音・その他と16時半までの2時間、いろいろと紹介した。特にモバイル・ラボとサイエンス・キットに限定すること無く、普段のワークショップと同じように行った。(電源装置と顕微鏡・望遠鏡をオフィスに忘れてごめんなさい)NSC関係者以外にストロー分子モデルを紹介するのは初めてだったが、先生方はとても興味を持って見てくださった。

 全体的に、参加者からとても好意的な反応をいただいて自分の説明は終了した。任期を伸ばしてザンビアにいて欲しいとも言われた。

 チョンゴ氏に手伝ってもらって、サンプル類を車に詰め込み、NSCに戻ったが、オフィスに入ったら17時半だった。うれしいことにジョセフィンが荷卸を手伝ってくれた。

 雲行きがまた怪しくなっていたので、カブロンガのメリッサで、ハムと殺虫剤とワインを買って借家に向かった。途中、ラジオを聞いていたら、今日行われた大使公邸での大臣と大使のスピーチの一部が放送されていた。

 今日のように一日で複数のプログラムをこなすとかなり疲れる。時間的にも綱渡りだったので、終わってほっとした。

y20051201 世界エイズ・デー
 自分が3月末にザンビアを発つ予定であることをムエンベには以前から伝えてあった。できるだけ早く新しい職を探すように勧めていた。昨日になって、(ム)ポングエに仕事が見つかったと電話で伝えて来た。しかも、今日は朝の6時にベルを鳴らして、倉庫にある私物を持ち帰りたいからゲートを通過できるようにレターを書いて欲しいということと、昨日電話で頼んだように、なんとか引越しのお金を少し都合して欲しいと言ってきた。

 しかし、1ドルが3000クワチャになってしまって気軽に両替できない状態なので、それほど支援できないことを繰り返し、少しだけお金を渡した。午後には、倉庫を片付けると言っていた。(夜に借家に戻ると玄関前に倉庫のカギが置かれていた)彼の家族は、少し遅れて引っ越すそうだ。

 NSCでは、今日も、ほとんどの職員がHIV研修会に出かけているので、ワークショップはとても静かだった。エリザベスさんは、インスワを袋に一杯集めてニコニコしていた。

 オフィスで、やっとカブエ研修会の出張報告書を作り始めた。たった6ページだったが、15時頃までかかってしまった。

 NSCのミニ・マート(日用品を売る小さなお店)のある建物は、所長の提案で、教材(商品)の展示と顧客の対応をする部屋に改造することになっていたが、工事が本格的に進み始めた。出入り口を塞いだり、新しく作ったり、窓を小さくして壁を増やしたりしている最中だ。

 報告書が出来てから、ストローを使った正十二面体と正二十面体を新しい方法で作ってみた。これまで正四、六、八面体は簡単につくれたが、十二、二十面体は無理だと思ってチャレンジしなかったのだ。しかし、カブエ研修会の参加者の製作状況を見ていて、多分できるだろうと思って試してみた。それぞれ1時間半ほどかかったが無事できあがった。

 夕刻、報告書を提出にJ***事務所に向かうと、ラジオの交通情報でタウンでは前が見えないほどの豪雨と放送していた。その雨のはしりにはぶつかったが、雨が強くなる前に事務所に到着した。

 今日から、毎月曜と木曜に、シニア海外ボランティアも事務所からの無線による健康・安全確認に参加することになった。18時からの調整員さんがコールする点呼に応えるのだが、少し緊張した。

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