2007年10月の日記 連絡先(e-mail)
2007年9月の日記

ガーナの記録は、更新頻度が少ないのでザンビア版とは日付が逆になっています

20071001 打ち合わせと実験室の整備

 9時から会議の予定だったので、8時半前にアドミニストレーションに上がった。ぎりぎりに行くとコモン・ルームのイスが足りなくなるからだ。9時から始まった打ち合わせは三時間半続いた。少しの連絡事項に、いろいろな要望、今回も半分も分からなかったが、後半は聞き取れた気がしたのが不思議だった。新しい先生も何人かいらっしゃった。

 会議の後、フェリシア先生と話すと理科の打ち合わせを水曜日の9時から行うとのことだった。続けてアッセム先生と生物室に行って、NPNとPNPのトランジスタ見本を見せて少し相談した。彼はアクラに今日出かけて明日戻ってくるので、具体的な回路作りは水曜以降になりそうだ。

 部屋から持ってきた殺虫剤で生物室天井のクモを殺し、ブラシでクモの巣を払った。配電盤の近くに鳥が巣を作り始めていたが、室内なので、撤去させてもらった。

 KBさんから電話があり、カレッジに雑多な荷物を持ってきてくださるとのことだった。小さなタクシーに乗っていらっしゃったKBさんからダンボール3つ分の品物とプラスチックのケース類をいただいた。

 この日は、17時まで作業したが、資材の再点検や片付けは全く終わらなかった。幸い水があったので、もっぱら拭き掃除をした。帰ろうと思った頃に、中学生が何人かやって来て、いつ教材の作り方を教えてくれるかと聞いたので、明日ならなんとかなるだろうと返答した。中学生は用事がなければ明日16時に来るそうだ。だめなら金曜日になると言っていた。

 部屋に戻り、掃除と洗濯と行水。レイチェルは美容院に行って、髪を整えた。タウンで冷凍肉も買ってきたのでびっくりした。でも、タクシー代や物価が急に上がったと言っていた。心配していた通りだ。

 新聞を見ると、公式に電力危機は終結と書かれていた。昨年8月から13ヶ月続いた給電制限が土曜日に正式に終わったと発表されたからだ。

20071002 少し休養

 昨晩眠ろうとした頃に突風を伴った強い雨があって、室内に雨水が入ってしまった。入り口のある側の部屋の方がひどく、寝室には少ししか入らなかった。その水を朝になってからモップで拭き取った。

 朝食は、レイチェルがキュウリとゆで卵のサラダを作ってくれたので、それとパンと紅茶を食べた。

 明日理科の打ち合わせがあるので、研修会案を作ろうとPCに向かったが概要も作れなかった。昨日の中学生達には悪いが、今日は実験室には上がらずに休養することにした。それでも、午後からタウンで買ったり、KBさんに分けていただいたりしたパーツで増幅回路(のようなもの)を作ってみた。

 その後、再び昨晩と同じような風と雨。そしてもう一度モップ掃除だった。

 夕食は、レイチェルの創作料理で、タウンで買った冷凍魚と野菜の煮込みだった。

20071003 理科の打ち合わせ
 9時からの予定だったが、少し遅れて理科の先生方の打ち合わせが生物室であった。化学室の予定だったが、自分が部屋を空けて待機していたら場所を変更してくれた。先生方の他に2名のインターンの学生さんも来ていた。

 新学期の授業は来週からの予定だが、まだカレッジ全体の時間割ができていないので、個別の授業の時間割は未定だった。フェリシアさんからいくつかの実習をしてほしいとメモをもらった。

 打ち合わせの後、可変抵抗といくつかのパーツを結線してから、電灯線につないだら、可変抵抗が火を噴いて、コンセントから電気が取れなくなってしまった。アッセム先生が点検してくれたら、実験室のブレイカーは落ちずに、ヒューズが見事に溶けていたことが分かった。針金状のヒューズは幸い末端だけが溶けていたので、ネジ止めされている両端を外して、溶けていた側にずらしてから再びネジで留めると修理完了だった。

 その後、電源装置に電気が来ていないことが分かったが、その原因はプラグに内蔵されているヒューズの溶断だった。すぐに交換した。

 1月に予定している研修会や授業のために顕微鏡と電気回路のパーツ類の整備を始めた。化学室の倉庫から運んだ顕微鏡は、15台だった。台座の金属が割れて無くなっているものやレンズのクリーニングが不可能なものがあるだろうから、12台ぐらい使い物になればいいと今は思っている。

 午後は、実験器具類の再配置、KBさんからいただいた小物類の分類、修理の準備でいそがしかった。実験室の6つの蛍光灯が全て点くように直せたのがうれしかった。5時頃に実験室を閉めて部屋に戻った。

20071004・05 顕微鏡の整備、買い物など

木曜日 アクラからTH調整員が出張のついでにクマシに寄られて業務費と日本からの郵便を届けてくださることになっていた。9時前に実験室に上がって用具類の整備をし、プロペラなどの準備をしていたら、アッセム先生やフェリシア先生などがここで打ち合わせをするからとやってきた。

 自分には直接関係無いものであったが、横で聞きながら作業をした。TH調整員は10時半前に到着した。とても早いのでびっくりした。無事に業務費等を受け取ることができた。アッセム先生も、久しぶりに会ったTH氏に挨拶してくれた。

 郵便のスモール・パックには、粉末とレトルトのスープにビタミン剤、整腸剤などが入っていてうれしかった。

 15台ある顕微鏡のうち13台を分解して整備することにした。レンズはカビによる腐食がひどいので、回復できないものも多いと思うが、強い薬品で処理してみることにした。

 結局、この日は、レンズのクリーニングで終わってしまった。


金曜日 午前中はタウンに出かけた。まず、銀行で残高を確かめ、当面の生活費を下ろした。その後、5ヶ月ぶりに郵便局に行って、近況報告等を日本とガーナの先生に送付した。一番高かった封書は9ガーナ・セディだった。

 その後、通りをマーケットの方へ下って、インク・カートリッジ、タマネギの種、蛍光灯のスターター、塗料、ポリ袋、LED、9Vの電池など業務に必要なものを購入した。それから、下ってきた道を一番上まで上り、生活用品(冷凍ソーセージ、トウモロコシ粉、洗濯洗剤、箱ワイン、ティッシュ、カレー粉)と野菜(タマネギ、ジャガイモ、キャベツ、キュウリ、ナス、ニンジン、トマト、スイカ、ポップコーン用のトウモロコシ)を購入してタクシーでカレッジに戻った。線路をまたぐ陸橋が歩行可能(車はまだ)になっていたことや、マーケットの上を通る鉄橋の工事が始まっていたことにはびっくりした。歩き回ったのは2時間半ほどだったが、水浴びと洗濯をした。

 14時過ぎに実験室に上がって顕微鏡が使えるかどうか1台ずつチェックしはじめた。4倍、40倍の対物レンズはほとんどOKだったが、10倍のレンズは分解できなかったため汚れをとりきれなかった。また接眼レンズのほとんどがカビの菌糸のすじがそのままになっていた。  この日はなんとか5台を使える状態にするので精一杯だった。途中で、小中学生が何人か遊びに来たのは少し気晴らしになった。

 夕方になってアッセム先生が来てくれたので、二人で回路を作ろうとした。しかし、電源装置から大きな電流を流しすぎて、トランジスタやLEDを何個か壊してしまった。

 レイチェルの具合が悪いので、夕食はキャベツとキュウリのサラダと、テイク・アウェイのご飯と肉にした。テイク・アウェイの味付けは、久々ながらやっぱりとても辛かった。

20071006 また買出し
 昨日購入した消耗品ために出納帳を整理していたら、お昼近くになってしまった。一度、実験室まで上がってプラスチックの容器類をしまってから、再び裏門まで下り、そのまま門を出てケジェティア・マーケットの秋葉原まで歩いて行った。

 そこで買ったのは、小型のテスター二つに、凸レンズ、プライヤー、抵抗、可変抵抗、ACアダプターだった。それからアドウーン方向へ歩いて行き、途中で紙やすりと文房具(色チョーク、赤ボールペン、マーカー、カッター)を買った。

 オポク・スーパーで箱ワインにお米、100%ジュースを二つ、ラーメン、それにスライス・チーズを買い、すぐにタクシーに乗ってカレッジに戻った。部屋で少しだけ休んでから実験室に入って、買ってきたテスターとアダプターの点検をした。テストーはさすがに1台300円ほどなので、完全とは言えなかった。でも、回路の確認に使えるだけでもありがたいと思う。アダプターは3Vから15Vの直流が取れると書いてあるが、3Vの目盛りに合わせると5V、15Vだと20Vの直流が取り出せた。

 昨日、不調に見えたカレッジの可変抵抗はもう一度分解して内部を磨いてから確認すると、表示通り最大5オームまでの抵抗値の小さなものだということがわかった。抵抗は小さいが少し大きな電流が流せそうだ。

 先生の宿舎に住んでいる少年が3人遊びに来たので、使える顕微鏡を貸したり、凸レンズで遊ばせたりした。そのうち二人は一度帰ってから戻って来て、最後には実験室の掃除を手伝ってくれた。

 顕微鏡のレンズ整備は、小休止。さびのひどかったステージを一つ紙やすりで磨いて、黒スプレーで塗装してみた。明日点検して具合が良ければ、ほかのステージも磨いてから塗装しなおせるだろう。

 少し元気になったレイチェルが豪華な夕食を作ってくれたのでお腹一杯食べてしまった。

20071008・09

 月曜日の6時半にアセンブリー・ホールに行ってみると、学生さん達が集会をしていた。ホールの前には、新入生を歓迎するキリスト教系の集会などの案内が掲げられていた。特に先生方は出席していなかったので、実験室に移動した。  少し回路の作業をしてから顕微鏡を追加してもう一台修理することにした。

 そのうちアッセム先生がやって来たので、二人でトランジスタ、コンデンサ、抵抗、LEDで回路を組んでみたが、手持ちのパーツだけで作ったので、期待したように動かなかった。また後日挑戦することにした。

 化学室で作業していたフェリシア先生によると、自分が担当する授業は来週からになるそうだ。まだしばらく準備ができることが分かったのでホッとした。いくつか顕微鏡の実習もできそうなので、今調整している顕微鏡が役立つならうれしい。

 化学室の横の倉庫から、埃まみれの接眼レンズいくつかと、ほとんど使われていないがレンズが少しかびている顕微鏡1台、それとさびて使われていなかった精密天秤、ディスポーザブル・シャーレ、プレパラート、メス・ピンセットなどを一セット持ち出した。


 まず、天秤を洗って、磨いて、油をさした。部品が全部そろっていなかったが、もう一度倉庫を探すと見つかるだろう。次に、新しく出してきた顕微鏡のステージを外して、紙やすりをかけ、スプレーで塗装。レンズは、アルコールとレンズ・ペーパーで拭いてみた。いくつかの部品は代用品を使ったが、この日のうちに実習で使える顕微鏡を13台にすることができた。倉庫に接眼レンズがあったのが幸運だった。メデタシめでたし。

 一段落したところに、先週から来ているインターンの学生(大学4年生でこのカレッジで実習中)が実験室に来た。こちらの作業になかなか興味を持ってくれているので、彼ともう一人の学生用にザムコプターを2台渡した。その後、グラウンドで何回かゴム動力飛行機を飛ばした。

 15時〜16時頃、カレッジの付属学校の子供達が断続的に遊びにやって来た。


 火曜日は8時頃に実験室に入った。子供達が遊んで少しくたびれていたおもちゃ類を直してから、プレパラートのクリーニングを始めた。

 1枚ずつアルコールで拭いてくもりを取っていった。いくつかは廃棄しなければならなかったが、170枚ほどの動物・植物の組織切片などが授業に使える状態になった。

 分類してから、きれいにしたケースに納めなおした。

 この日も午後に子供達がたくさん遊びに来たので、対応している方は少々くたびれた。

 2年生の学生が新入生に掃除をさせているが、生物室はどのようにすれば良いかと聞きに来た。床を掃くと埃が顕微鏡などにかかるから、屋内の掃除はしないでほしいとお願いした。

 16時半頃に実験室を閉めて部屋に向かいかけるとインターンの学生の一人が、高校生の弟を連れてやって来た。教材などを見せてやって欲しいと頼まれたので、顕微鏡・電磁気の実験などを一緒にやって見せた。

20071010 倉庫の大掃除

 昨晩レイチェルが作った野菜カレーの残りとカビているパンを食べて7時40分頃に実験室に行った。となりの建物からは、アッセム先生が授業をしている声が聞こえた。

 化学実験室と倉庫が開いていたので、整備できそうなパーツを取りに行った。スライド・グラス、カバー・グラス、アクリルやガラス製の光学用ブロック、ポリスチレン製のレンズ、凸面鏡、凹面鏡、上皿天秤(一つ皿です)、バネばかり、滑車、ノギス、マイクロメーターなどを持ち出して生物室で整備を始めた。特に、スライド・グラス同士が貼り付いてはがそうとすろとどんどん割れてしまうのには困った。

 化学室の引き出しを点検したら、立派な大型磁気コンパスや、数え切れないほどの磁石(弱い)、コルク栓、ガラス器具などを見つけた。でも、埃が厚くかぶっているので水の供給の悪い化学室では整備するのは難しいと思った。

 この日も、15時近くまでひたすら拭いたり、磨いたりを繰り返した。一段落した後で、トランジスタで増幅回路だけを作ったら、うまく作動した。

 その後、小学生(のべで何十人か)が遊びに来たので、グライダーとゴム動力飛行機を取り出して実演した。グラウンドでゴム動力飛行機を3回飛ばしたが、どれも見事に飛んでくれた。でも、最後のフライトの時、降りてきた飛行機をキャッチした少年が転んでしまったので、翼が壊れてしまった。なんとか直せそうだ。

 16時頃にアッセム先生が生物室に来てくれたので回路を実演して見せた。その後、アッセム先生、ケネディ先生が指導して学生達が化学室と倉庫の掃除を始めた。倉庫の品物は全部出して、使えないものは捨て、そうでないものは学生達が洗ったり、拭いたりしてから再び倉庫にしまった。自分も少し手伝って、使えそうな水銀温度計、バネばかり、レンズ類、豆電球とソケットなどを回収した。明日はこれらを磨かなければならない。

 ところで、この頃トンボが乱舞しているので、そこだけを見ると日本の秋のようだ。

20071011 木曜日
 7時50分に実験室に入って作業を始めた。昨日倉庫から出してきたレンズ類を洗い、82個あった日本製のルーペを拭いたり磨いたりした。直径7センチほどのスチロール製の凸レンズは11個もあったので、びっくりした。昨日塩酸に浸して置いたカビが表面を覆っていた接眼レンズは、表面がぼろぼろになっていて、爪で擦るとぼろぼろ崩れてしまった。  その後、アッセム先生が手に入れてきた電線を巻き直し、サーキット・ボード用の豆電球ソケットを点検し、温度計を拭いてしまい直した。備品にカレッジの名前が入っていないので、マジックでWESCOとカレッジの略称を片っ端から書き込んでいった。

 途中12時から短い臨時会議があった。(細かいところまではよく分からなかった)

 15時過ぎからまた子供達がやってきたので、今日は水ロケットの実演をした。結局3グループにそれぞれ実演をみせた。二度目に集まった子供達は何人いたのか解らなかった50人以上いたと思う。

 整備した秤でマッチ箱の重さを測ってみた。一番信頼できそうなオーハウスの上皿天秤が8.3グラムだったのに、インド製のキッチン・スケールは全く違う値を示した。いくつか比較して見たら、そのスケールの異常ということが解った。内部を見てみたが、調整できなかったので諦めた。

2007012 金曜日 午後から断水

 夜中にトイレに行こうとしたら、床に黄緑色に光るものがあった。よく見るとホタルだった。

 9時からプロジェクトの打ち合わせがあるはずだったので、その前に少し作業ができるようにと実験室に上がった。昨日塩酸に浸しておいたガラス類を水洗して乾かそうとしたが、半分ほどはどうみてもきれいになっていなかった。

 9時前に打ち合わせのフランス語教室へ行ったがまだ閉まっていた。30分ほど待つと開けてもらえたが、しばらくすると新入生のオリエンテーションが行われているアセンブリー・ホールへ行くように指示された。

 ホールでは出席していた全教員が壇上に上がって、着席した。校長の短い挨拶の後、副校長から一人ずつ紹介された。

 その後、フランス語教室で13時半まで学生のプロジェクト指導に関するワークショップがあった。断片的にしかわからなかったが、着席して聞いていた。ほとんどは自分の作業をしていたが。

 やっと実験室に戻れたので、虫眼鏡とバネばかりに学校名と番号をつけたり、望遠鏡を二つ作ったりした。途中で子供達が遊びに来たので、ちょうど来ていたインターンの学生にカメラ・モデルを実演させた。

 来週から1年生の授業を受け持つはず(まだ時間割ができていないが)なので、顕微鏡などをKBさんにいただいた棚に移動して少しだけ学生用の実験台をきれいにした。しかし、週末にタウンへ出かけて棚そのものをカバーするプラスチック・シートか袋を買わなくてはならないだろう。

 16時過ぎには実験室を閉めて部屋に一旦戻った。昨日も今日も、ある先生の子供達が道具箱と鞄をドミトリーまで運んでくれた。

 残念ながら、ドミトリーは断水。買い物の後、煮炊きをしないですむ夕食を作りレイチェルと食べた。折角明日から三連休(月曜日はムスリムの人々のラマダン明けを祝う国民の休日だそうだ)なのに、水の不安があるのは困ったことだ。

20071013・14・15 三連休
 土曜日は、夕方日本からの来客との会食が予定されていたので、午前中に買出しに出かけた。

 歩いてケジェティアの電気部品店まで出かけて、抵抗、コンデンサ、ケーブルを購入。その後、ポリエチレンの袋、DVD+RW、プラスチックの小箱、電気プラグ、マーカーを購入した。アドウーンの丘の近くにある実験用品店は閉まっていたので入れなかった。  スーパーで箱ワイン、チーズ、漂白剤、マヨネーズ、ラーメン、冷凍ソーセージ、ティッシュを買い、脇の野菜店でキャベツ、トマト、ナス、ニンジン、タマネギ、キュウリを買った。直ぐにタクシーに乗って帰った。

 午後は、メインのPCのデータ整理とバックアップをした。画像の一部と作業をDVDに焼いたので少し安心だ。

 6時半頃からロイヤル・パークホテルで会食の予定だった。レイチェルと6時すぎに出かけたら、タクシーを捕まえる前に強風と雨が始まってしまった。行きに使ったタクシーは不親切で高額な料金を請求し、しかも目的地を知らなかった。

 ホテルのレストランにはアクラからいらっしゃったSM調整員と、日本○子大からの先生方が4名、それに隊員のMYさんとHBさんがすでに着席していた。大学の先生方は、主に家政分野の調査を10日間で行うそうだ。

 久しぶりに中華料理を食べた。高価な御煎餅のお土産をいただき、恐縮した。


 日曜日は9時過ぎまで寝床にいた。一昨日の夜寒気が出て、昨日も喉が痛かったので、この日は休養するつもりだったからだ。幸い熱も7度少しまでしか上がらず、解熱剤一錠で、汗が出て熱はひいた。午後も夕方まで眠っていた。

 PCのデータ管理を少しだけやった。二人とも全く外出しない一日だった。


 月曜日は、ムスリムのラマダン明けを全国で祝う休日だった。5時前から、寮の前で学生が説教の練習を大声で始めたのでゆっくり寝ていられなかった。
 午前中はだるく微熱もあったが、午後から自宅で、風で走る車を作り始めたら、だんだん元気になった。

20071016 授業開始

 6時半頃に実験室に行った。カギを開けようとしたら、ドアの取っ手が折れていたのでペンチでひねって入室した。

 直ぐにバケツに水を貯めたり、波形モデルの移動をしたりした。その後、顕微鏡の再点検をした。実用的に使えるのは12台だけだということがわかった。

 9時頃、フィリシア先生が時間割を持ってきてくれた。今日の3・4、5・6時限に授業があるとのことだった。最初のプラクティカルの授業は原子モデルと分子モデルを実際に作ることと聞いていたので、1時間後に始まる授業でも手持ちの材料で準備できることが分かりホッとした。

 9時50分から新年度最初の授業を行った。インターンの学生二人にアッセム先生、フェリシア先生も同席してくれていた。すこしゴム動力のおもちゃ類を紹介してから、今日のテーマのモデルの実演をした。その後、少し質問を受け付けてから、黒板に内容を整理し、学生の作業に移った。

 この時間も、次の時間もおおむね学生はよく作業していたと思う。ただし、数回の演示だけでは、かなりの学生は要点をつかめなかったようだったので、巡回しながら実技の指導をした。

 14時15分に今日の授業は終わり、部屋の掃除をして、そろそろ集まってきた小学生達をがっかりさせながら部屋を閉めた。

 部屋に荷物を置いてから、明日の授業用のストローを買いにタウンまで歩いて行って、歩いて帰ってきた。連休中ボーッとしていたので、少し運動になったかもしれない。

20071017・18
 17日、まず分子モデルの作り方を印刷してから、アイロンで資料をラミネートした。あまりうまくできなかった。

 7時半頃から実験室を掃除、授業の前にベンゼン・モデルなどを準備した。

 9時50分から11時55分まで授業をして、その後1時間は実験室の掃除と片付けに当てた。

 部屋に戻ってからスナックを食べ、少しDVDを見てリラックスした。夕方、水、コーラ、トイレット・ペーパー、魚の缶詰を買いに出かけた。  夕食に雑炊を作りレイチェルと食べた。


 18日、7時半頃から実験室の掃除を始めた。ついでにと思い顕微鏡の木箱も拭き始めた。オリンパスの顕微鏡の箱には1968年とか1970年2月19日とかの日付が入っているので、製造以来40年近く経っていることが分かった。残念ながら木箱の一部は、合板が朽ち始めていた。より厳重に保管されていても、当地の湿気と高温で微生物による分解が同様に進んでいたのでないか。

 先週から塩酸につけておいたガラス類を出して水洗いした。微かに期待していたアイピースのレンズは、指で擦ると粉々になってしまった。頻繁に使っている流し台周囲のマイカ・ボードが古くなって剥がれていたので、その上に床用のクッションをのせた。

 その後は、13時半頃まで教材箱のラベル付けや入れ替えをした。壊れたゴム動力飛行機の主翼の補修もした。

 一度部屋に戻ってから少し買い物に出かけた。それほど高温ではないが、湿気が強いので少し消耗した。

 水浴びと洗濯をして、夕方からのんびりした。

20071019・20・21 金曜日から週末まで
 19日。7時から授業のある日だったので、6時半頃に実験室に入った。アセンブリー・ホールでは聖歌の練習が響いていた。ところが、アセンブリーが終わったのは2時間目終了の10分前だった。そのため、この日の授業はキャンセルとなった。学生達がダイニング・ホールに向かって歩いていくのが見えた。

 1年間の現場実習に出ている男子学生が訪ねて来た。測定の授業をするので助言がほしいらしい。温度計の使い方、歩幅での長さの測定、プラスチック・ボトルをメスシリンダーの代用にする方法、密度の測定法などを伝えた。密度の実験例として浮沈子の作り方を説明し、1セットのサンプルを渡した。

 集めておいたミネラル・ウオーターのキャップを車輪にして、風で走る車づくりなどをして午後まで過ごした。何回か子供達が遊びに来たがだんだんきちんとした子供とそうでない子供が混じっていることがわかってきた。

 午後になって、カメラが無いことに気がついた。おそらくどこかに置き忘れたのだと思うが、実験室をくまなく探しても見つからなかった。

 部屋に帰ると、来年の1月から行われるサッカーのアフリカズ・カップのグループ分け抽選会がTVで放送されていた。ガーナは、強敵のいないグループに入り、ザンビアは前回優勝のエジプトと同じグループになった。


 20日。野菜と業務用品を買出しに出かけた。タクシーでアドウーンまで行き、雑貨店と文房具店でストロー、プラスチック・カップ、色チョーク、黒板消し、クリップ、封筒、A4用紙、セロハン・テープを買った。

 その後、スーパーへ行った。ラーメン、カレー粉、ワイン、チーズ、ティシュをかごに入れたところでお腹が痛くなったので、すぐに精算して店から出た。スーパーの脇で大急ぎで野菜とマンゴーを買ってタクシーでカレッジに戻った。

 10時半頃にカレッジに戻ることができたので、新しいゴム動力飛行機の試験飛行などのために実験室に行った。カレッジの先生の子供達が4人来て、彼らと試験飛行をした。しかし、翼のねじれや迎え角の調整が必要なようで、完璧な飛行にはならなかった。先週壊れて修理した飛行機は無事い飛んだ。

 午後から今日買ったプラスチック・コップを使ってザムコプターを作ってみた。比較的軽く、切り目を入れてから曲げ易かった。期待した通りに安定した飛行をした。50個で2新ガーナ・セディだから地元の方には高価かもしれないが。

 この日も、礼儀正しい子と、そうとは言い切れない子供達が繰り返し遊びに来た。これからは、きちんとできない子供達は追い返すことにする。

 昨日遊びに来ていたカレッジの先生のある息子がカメラを持って来た。ずっと探していたんだぞというと、自分と兄弟の写真を撮り、電池が無くなったと返答していた。でも、本体は無事のようなので安心した。

 夕方、近く買い物に出た。黒板用の塗料がないか塗装店で聞いたところつや消しの黒が一缶8新ガーナ・セディだった。来週買ってみよう。


 21日。6時頃から起きて、4つ持ってきたゴム動力飛行機の最後の一機を二時間かけて作った。その後、片面がプラスチックでコーティングされている用紙を使ってグライダーを作った。できればネット・カフェに出かけて、抗ウイルス・ソフトウェアをアップデイトすべきなのだが、今日は体を休めることにした。

20071022 月曜日

 6時半に校舎に上がり準備を始めた。アセンブリー・ホールの外にいたケネディ先生に、金曜の朝撮った写真を渡した。アイエンス先生には、デジタル・カメラが直せなったとお詫びを言った。(土曜日にデジタル・カメラが故障したので見てもらえないかと言われた。電池の液漏れで動かなくなったのだそうだ。動作の確認用に新品の電池を入れると、数分で猛烈に電池が発熱した。おそらく内部でショートしているのだろう。漏れ出した液を何とか拭き取ろうとしたり、ケース開けて内部をチェックしようとしたりしたが、どちらも無駄だった。)

 9時50分の授業まで糸巻き戦車を作ったり、分子モデルのサンプルを作ったりした。インターン教員のエリック先生が、授業が始まる頃にやってきて、学生がまだ来ていないのなら呼んでこようと出てくれた。エリック先生のおかげで、ほぼ定刻に授業が始まった。ゆっくりおもちゃ類を紹介してから黒板の説明を写させた。その後、ストロー分子モデルの説明を始めたら、校長先生がやってきて、このクラスは健康診断があるので説明の後すぐに行くようにと言われた。

 エリック君と相談して、学生には水分子とメタン分子のモデルだけを作らせ、終わった学生から診断に行くようにした。

 授業の後、フェリシア先生と少し打ち合わせ、明日の授業からは分子モデルの評価とベンゼン・モデルの練習をさせることにした。学生達が小中学校の教員になっても有機物モデルを授業で使うことはまずない。でも、アイデアのひとつとして体得してほしいと思った。

 来週の蒸留の実験などのために、化学室の教材をチェックした。フラスコ、薬品の保存瓶、ピンセット、柄付針などのセット、スタンド、クランプ、試験管、試験管たて、望遠鏡、滑車、電子部品などを生物室に運び、洗い始めた。また、学生に手伝ってもらって50キロ近くあるプロパン・ガスのボンベを実験室に運んだ。

 午後は17時頃までひたすら運んだ器具類の洗い物、磨き物で時間を費やした。

20071023 火曜日

 6時半に実験室に入って、昨日の洗い物を片付けた。でも、しばらくしてお腹が痛くなってきたので部屋に戻ってトイレに入った。レイチェルは洗濯物にアイロンをかけてくれていた。

 授業の前に少し分子モデルの準備と、学生のモデルの評価基準などを作った。その後、その基準と今日教えるベンゼン・モデルの説明などを授業前に黒板に書いておいた。また、来週の授業用の買い物リストを作ったりもした。

 9時50分から14時15分まで4コマの授業があった。学生達にとっては、前期の二回目の授業だった。今日は、全ての学生の分子モデルのできを授業中にチェックした。

 午後のクラスでは、ベンゼン・モデルの実演はせずに、説明を黒板に書いただけだった。それでも、何人もの学生がモデルを作り上げて見せに来てくれたのにはびっくりした。

 授業の後は、片付けと掃除。ザムコプターのパーツ作りなどをした。

20071024 水曜日
 6時半に実験室に入って、8時半までクモの巣を取ったり、掃除をしたりした。その後、評価用の名簿とサンプルの分子モデルを作った。途中で、ゴム動力飛行機の試験飛行をした。

 学生は9時50分の定刻前にほとんどがやってきたので、予定通り2コマ続きの授業を開始した。今日の学生達は、後片付けをしっかりしてくれたのでかなり助かった。今日も分子モデルの採点をしたが、自分にとっては、学生の名前の発音がとても難しかった。

 実験室の掃除をしてから部屋に戻りシャワーを浴びた。その後、PCで学生の名簿と成績処理の資料作りをした。レイチェルは16時頃にタウンから疲れて帰ってきた。

 そういえば、今日はザンビアの独立記念日だった。

20071025 木曜日 買出し

 今日は自分の授業が無いので明日と来週以降の授業に必要な雑多な物を買いに朝からタウンに出かけた。

 アフリカズ・カップまであと86日だからだろうか、道路の整備や小規模な店舗の撤去、陸橋の建設などが進んでいた。特に、ガスバーナー用のゴム管を買おうと向かったガス器具街が完全に無くなっていたのには驚いた。小数のお店が道の反対側に移って営業していただけだった。

 ストロー、プラスチック・カップ、タイル、ゴム製のガス管、ガス管用クリップ、コンクリート・ドリル・ビットなどを購入した。

 それから、少し私用品を買ってタクシーでお昼前にカレッジに戻った。水浴びと洗濯、軽食を取ってから実験室に上がり、実験用のスタンドの準備(錆落とし)などをした。

 フェリシア先生と打ち合わせて明日の午後、理化学機器店に出かけることにした。その後、LPGボンベを固定するフックを教卓にコンクリート・ビットであけたり、ガスバーナー用のタイルの台とスタンドの底にゴム(パンクしたタイヤ・チューブから切り出したもの)を貼り付ける作業を子供達とした。

20071026 金曜日

 6時半に実験室に入り1・2時間目の準備などをした。7時から授業開始、今日も欠席者無し。先週アセブリーが長引いてつぶれた授業だったので、イントロダクションと原子・分子モデルの説明から始めた。

 かなりの学生が水、アンモニア、アンモニウムイオン、メタンのモデルを時間内に作っていたようだ。

 その後、9時5分から13時15分まで、掃除をしたり、ザムコプターを作ったり、教材の整理をしたり、遊びに来た子供達の世話をしたりした。

 理科主任のフェリシア先生の授業が終わったので、彼女と教材や試薬の見積もりに行った。途中で、彼女のバンガローに立ち寄り、デモンストレーション学校(付属小中高校)を抜け、シェアード・タクシーに乗り込んで理化学機器店に行った。

 フェリシア先生は見積もりを貰ったが、残念ながら教材・試薬とも品質が分からないままの見積もりだった。自分は蒸留器具を組むためのガラス管を買おうとしたが、あまりに高額なのと、品質が満足できないので購入は中止した。

 15時過ぎにカレッジに戻った。

 15時15分に調整員のSMさんがカレッジまでいらっしゃった。1時間ほど実験室と自宅を見学されてからホテルに向かわれた。

 夕方、散歩と買い物にレイチェルと出かけた。黒板用のつや消しペイントを買った。

20071027 土曜日
 ゆで卵、チーズ、キュウリ、パンに紅茶の朝食をレイチェルととってから、二人で歩いてタウンに出かけた。相変わらず人出が多かった。ストロー、ペンキ用の刷毛、ガス用のジョイント、ステンレスの小皿を業務用に買った。

 その後、新聞を購入し、スーパー・マーケットと野菜市場で食品・野菜などを買ってタクシーで戻った。お昼少し前に部屋に入ることができた。

 買ったものを整理してから、実験室に昨日買ったペイントとKBさんからいただいた灯油(金属製品の洗浄に使うつもり)、それと今日買った業務用品を運んだ。途中の坂で子供達の集団に出くわした。集まってきた彼らが全てを運んでくれた。

 実験室をすぐに閉めて、一人で歩いてスワメ・マガジンに出かけた。スワメ・マガジンでは、シリコーン製のチューブを2種類とスプレー式の潤滑剤を買った。潤滑剤は半年以上探していたので、見つけてとてもうれしかった。

 実験室に戻ってから、化学室の鍵を取り、化学室で蒸留用に必要な追加器具を探し始めた。コルク栓、三脚、スタンド用の支持具類、それと直ぐに使えそうな雑多なものを選びだした。もちろんどれも埃だらけだった。昨日あまりにも高価なので買うのをやめたガラス管が、ある引き出しにたくさんストックされていたのを見つけて、ラッキーだった。ただしやはり埃まみれだった。径の異なる管を何本が選んだ。選び出したものを生物室に運んで今日の作業は終わりにした。まだ14時だったが、タウンとスワメ・マガジンへ行ったので、無理をしないようにと思った。

 部屋に戻ってみると停電だった。レイチェルはラッキー・デューブ(明日がお葬式らしい)の特集を新聞で読んでいた。洗濯と水浴びをして、しばらく経つと断水になった。

 冷凍しておいたパイン・ジュースを出し、スプーンとフォークで削りながらシャーベットのようにしてレイチェルと食べた。とてもおいしかった。その後、幸い停電が復旧したのでレイチェルはTVとガーナのビデオCDを鑑賞。こちらは、久しぶりに昼寝をした。

20071028 日曜日
 7時10分にPCを担いでネット・カフェに出かけた。7時44分から接続開始。しかし20分間はアクセスできなかった。店員がIPアドレスを入れて設定してくれると、しばらくして抗ウイルス・ソフトウェアの更新などができるようになった。

 ワールド・シリーズの途中経過などを初めって知ってびっくりした。ガーナの新聞とアルジャジーラ、BBC、ガーナのTVにしか接触してなかったからだろう。

 元ザンビアSVのYZ氏のメイルにザンビア隊員の訃報があった。ザンビアでの帰国報告会に参加してくれていた隊員だったと思う。謹んでお悔やみ申し上げます。

 歩いてカレッジに戻ると10時15分になっていた。

 実験室に行って、黒板の塗り替えだけした。ガラス器具類を洗って蒸留の準備をしたかったのだが、断水だったので諦めた。

 この日は日射が強かったので、学生にとっては洗濯日和だったようだ。物干しだけでなく、コンクリートや草の上に洗濯物が広げられていた。

 12時に部屋に戻り、溜めてあった水で行水した。

 午後は、レイチェルの作ったポップコーンを食べたり、ビデオを見たりしてのんびりした。

20071029 月曜日


 6時半に実験室に入って作業開始。IG隊員がワークショップ企画の助言を得に来ると聞いていたので、その前に授業の準備をすませようとした。

 IG君は9時前にカレッジに着いて、数学の授業を見学していたようだ。レイチェルが忘れてきた携帯電話を実験室まで持ってきてくれたので、IG君が到着しているというSMSを読むことができた。

 9時50分から3・4時限の授業のはずだったが、集会のせいで学生は20分ほど遅れて集まった。先週と同じように追加の分子モデルづくりと評価をした。IG君は学生の活動の様子を観察していたようだ。

 授業の後、二人でかたづけをしてから、レストラン・ソパックに行って昼食を食べた。研修会案を見せてもらったので、少し助言した。

 IG君はケジェティアのバス停からオブアシに戻った。自分は歩いてカレッジに戻った。途中、とても蒸し暑かった。カルチュラル・センター沿いの道でコウモリの丸焼きを売っていたのを見た。センターの隣にある動物園の木々にたくさんのコウモリが住んでいるが、それらを捕まえて焼いたのだろうか。

 レストランで買ったテイク・アウェイを部屋に置いてから実験室に入り、溜めてあった水で器具類を洗った。カレッジ全体の断水の為、十分に水が使えなかった。そのため、器具類を洗ってからと思っていた蒸留の予備実験もできなかった。

 6時前に部屋に戻ったが、レイチェルはまだ美容院だった。水浴びをしようと準備していたら断水が終わった。おかげで、洗濯と水浴びが存分にできた。

 7時前にレイチェルが戻ってきたが、明日も美容院に編みこみの続きを付けるためにいくそうだ。レイチェルはちょっと体調を崩していた。

20071030 赤ワインの蒸留


 6時に実験室に行った。まず、できるだけ水を容器に溜めた。それから蒸留セットの準備をした。プロパン・ガスのボンベに新しいホースをつないでから、ガラス管を切ったり、曲げたりした。足りないガラス管やゴム栓を化学室に探しに行ったり、アルコール・ランプの代用品を作ったりもした。


 なんとか授業(9時50分から)の10分前ほどに用具類の準備と黒板書きが終了した。かなりラッキーだったと思った。

 化学的な実験は、初めてだったので、ガラスの加工法の演示から始めた。ガラス管の切り方や曲げ方、伸ばし方なども実演して見せた。

 9時50分から14時15分までの実験中は断水だった。リービッヒ・コンデンサーが使えないので、ガラス管だけをコンデンサにして空冷する実験法を教えた。

 11時頃アクラからSZ氏が来て、届いていた書類などを渡してくれた。SZ氏は、1時間ほど授業や実験室を見学してからワ(Wa)へ移動された。

 断水とガスの配管ができないこと、それにガスバーナーにガス栓がついていないことなどが問題だった。さらにガラス器具類の傷や耐久性が分からなかったので不安な授業だった。でも、午前の授業も午後も授業も学生には好評だったようだ。

 14時15分に授業が終わってから何人かの学生と片付けをした。床まできれいにしてくれたので助かった。  その後は、ドミトリーに戻って、断水だったが水浴びをしたり軽食を食べたりした。 (アッセム先生によると水道局は、節水のためわざと水を止めることがあるそうだ。また、雨が降ったら、雨水を溜めることを奨励しているので、降雨後には給水を止めると言っていた。)

20071031 10月最後の日

 6時半前に実験室に入った。今日も蒸留をするので、念のために水をボトルに入れて5リットルほど実験室まで運んだ。9時50分の授業までゆっくり準備することができた。クロマトグラフィの方法も検討してみたが、食紅を70%エタノール、メタノール、シンナーできれいに分離することは無理なことが分かった。

 授業は昨日と同じ内容。ただし、クランプの使い方が分からない学生がコンデンサを無理やり固定しようとして壊してしまった。明日なんとか使えるようにしよう。

 13時頃自宅に戻り、洗濯と水浴び。でも、すぐに断水になってしまった。久しぶりに昼寝をしたが、かなり疲れていることがわかった。無理をしないようにしよう。

 ところで、アフリカズ・カップまであと80日だ。

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