2007年12月の日記 連絡先(e-mail)
2007年11月の日記

ガーナの記録は、更新頻度が少ないのでザンビア版とは日付が逆になっています

20071201 レイチェル出発
 二人で5時頃に起床。7時10分にドミトリを出た。タクシーが直ぐに拾えたので、7時半前にSTCターミナルに入った。直ぐにレイチェルのバッゲッジ料金を支払って荷物につけるタグをもらった。1キログラムあたり、約3円だった。カーゴ・ルームに預ける小さなスーツ・ケースは15キロだったので、約50円の追加料金だった。

 8時45分頃にレイチェルを乗せたバスは出発した。15時に、1泊(65ドル!)だけ宿泊するセントラル・ホテルの部屋に入ったと電話を受けた。

 こちらは、鉛筆、ワイン、チーズ、ベーコン、漂白剤、ネギ、トマトを買って部屋に戻った。アドウーンとケジェティアから出る道が大渋滞だったので、タクシーの運転手さんは、ローマ・カトリック教会側へ抜ける道を使った。たぶん歩いて帰るのと同じくらいの時間タクシーに乗っていたと思う。

 11時過ぎに部屋に入った。直ぐに掃除と洗濯、水浴びをした。その後、一昨日買ったDVDを見て過ごした。

20071202 授業の準備
 6時に起きてベーコン・エッグらしきものにキャベツとトマトを加えた朝飯を食べた。午前中はのんびりして、DVDを見て過ごした。

 12時から3時間ほど実験室で明日からの実験の準備をした。葉っぱにアルミ箔を貼ったり、インターン教員に頼まれた実験器具説明の準備をしたり、黒板をきれいにしたりした。男の子と女の子が遊びに来たのでゴム動力飛行機を貸したり、話し相手になったりした。

 実験室の隣にある図書館の工事現場の大きな水槽に、適当な水草が無いか見に行った。でも、水草は見つからず、かわりにカラスの死体が浮かんでいた。

 15時過ぎに、一度部屋に戻り、荷物を置いた。でもまた外出して、タマゴ、水、トイレット・ペーパー、パンを一番近くのお店で買った。

 再び部屋に戻って水道をひねると、しばらくすると断水するかなと思われるほど水量が弱くなっていた。そこで急いで、掃除、洗濯、水浴びをした。幸い断水にはならなかった。

 夕食は野菜カレーにした。

20071203 月曜日

 6時半頃に実験室で作業開始。誰かが、中途半端に掲示物を剥がして黒板を使ったので、見苦しくなっていた。そこで、掲示物を全部剥がして、吹き上げる作業から始めた。その後、インターン教員に頼まれていた実験器具の紹介用に、それらを実験台の一つに並べた。

 今日の授業のために黒板に図を描いたり、標本の準備をした。気孔の観察に使おうと思っていた露草をワーカー達がなたで刈り払い始めたので、残して置くように頼んだ。

 7時少し過ぎにインターン教員が学生を呼んで来て、実験器具の説明を始めた。少しだけ手伝った。

 9時頃にそれらを片付けて顕微鏡観察のセットを準備した。

 今日で、顕微鏡実習は一旦休止することにした。3回目になったので、集中力に欠ける学生は飽きてきていた。授業の後、明日から始める光合成の実習の準備を始めた。小学校の時にならった実験と同じものをカレッジの学生に教える。用具や薬品の点検をしてから、試みの実験をした。その後、実験の手引きを黒板に書いて生物室を引き上げた。

 15時頃に部屋に戻って少し買い物をしてから掃除、洗濯、水浴びをした。

 レイチェルは無事に南アに入ったようで、現地時間の21時(ガーナ時間19時)頃に電話をかけてきた。昨晩は夜行便だったので、眠そうだった。  20時頃、降雨があった。

20071204 スターチ・テスト

 今日から光合成の簡単な実習。6時半頃に部屋を出て、実験室の黒板拭きから作業開始。昨日中におおまかな準備は終了していたので、授業まで簡易分光器などを作った。

 3・4時限、5・6時限とも実習は無事に終了。アルコール・ランプの使い方や加熱している間のビーカーの位置などが心配だったが、誰もやけどや怪我をせずに済んだ。

 4時限の後、自分達の5・6時間目の課題が終わっているという1年生3名が風で走る車を作らせて欲しいというので、材料と道具を渡した。かれらは別のクラスの実験中、隅で工作をしていた。14時頃に彼らの作った車を見せてもらった。初めてにしてはお見事だった。できあがっていた車を参考にほとんど自分達だけで作ったようだ。

 明日の準備をしてから、部屋に戻り、少し買い物にでかけた。

 夕食は、ニンジン、ジャガイモ、タマネギと冷凍肉でカレーのようなものを作った。

20071205 水曜日

 昨日のカレーは、冷蔵庫の中で鳥の油が固まっていた。ラーメンに加えて朝御飯にした。

 父の誕生日なので日本に電話をしたら、母方の祖母が11月30日に他界したと伝えられた。

 授業の準備はほとんど出来ていたので、実験室で書類作業をした。

 授業では、昨日の実験に加えて、いくつかのグループに斑入りの葉でもスターチ・テストをしてもらった。

 授業の後、ケネディ先生に頼まれていた実験器具の説明準備をした。

 一度部屋に戻ってから近くのお店でテイク・アウェイを買って、昼食と夕食にした。昼寝の後、PC作業を12時過ぎまでした。

20071206 木曜日

 今日は、授業は無いのだが、ケネディ先生に頼まれた実験器具紹介の実習のために6時半頃に部屋を出た。少し掃除をしてケネディ先生を待っていたら、7時15分頃に先生と学生が集まり始めた。

 彼は、化学が専門なので、説明は任せますと話してそばで聞いていた。ところが、説明し始めて10分ほどたった頃、来客があると電話を受けたため、自分が代わりに残りの器具の説明をすることになった。結局50分ほど、説明したり演示したりした。ガラスをどうやって曲げるのか質問されたので、バーナーを使って実際に曲げて見せたりもした。

 なかなか良い質問の出た2年生のクラスだった。

 いつものように1時間ほどかけて片付けと掃除をしてから、一度部屋に戻り、タウンに歩いて出かけた。明日からの三連休中に見るビデオでも買おうと思ったのだが、結局ビデオは買わなかった。お酒とキャベツ、ラーメンを買ってから、久しぶりにソパック(ドクターズ・フラット内にあるレストラン)でテイク・アウェイを頼んだ。

 部屋には14時頃に戻ることができた。いつものように、床拭き、洗濯、水浴びをした。それから少し昼寝。ちょっとだけ体操。夕方から夜はPC作業やビデオで過ごした。レイチェルから電話があったが、元気そうだった。

20071207,08,09 ファーマーズ・デイから三連休
 金曜日から三連休だった。金曜日は少し食べすぎと寝すぎの一日。夕方になって散歩を兼ねてカレッジ内を歩いた。実験室によるとケネディ先生が仕事をしていた。倉庫からゴム動力飛行機を2機取り出してグラウンドで飛ばしていたら、もう日暮れになっていたのに子供たちがやってきた。よく飛んだが、一機のゴムが切れてしまった。

 土曜日は7時15分頃に部屋を出てネット・カフェまで行った。今日は30分弱で到着した。ウェブ・サイトの更新、メイルのチェック、新聞(太平洋戦争開戦日の記事を探したが見つからなかった)の点検だけをして1時間もしないうちに出てきた。料金は60pだった。帰りも歩いて帰った。少しずつ空気が乾燥してきているようで、日向を歩いても以前ほど苦にならない。しかし、帰ってから洗濯と水浴びをした。

 午後に実験室に上がって作業を始めた。ところが、掃除をしているうちに、窓側の棚の割れた天板で指を切ってしまった。しばらくして出血は止まったが、久しぶりに痛い思いをした。実験用に買っておいたガーゼとセロハンテープで指をしばって2時間ほどだけ作業した。

 夕食は、ガーナ食のテイク・アウェイ。辛いソースは控えてもらった。

 その後、PCで、ここ数日続けている1月の総会用発表資料作りをした。写真のスライド・ショーだけだが、土曜にになってやっと一段落した。

  日曜日。午前中まで、右手の中指からまだ少し血がにじんだ。4時過ぎに実験室の点検と買い物をしただけで、ビデオを見たり、昼寝をしたり、ゴム動力おもちゃのエンジンを作ったりして過ごした。夕食を作ったのに食欲が無かった。体温を調べると平熱より高かった。幸い、夜になって下がった。

20071210 久しぶりの授業の感じ

 朝、久しぶりに自分でシーツを洗濯したので、いつもより少し遅く実験室に入った。掃除とイスの再配置をして、今日の実験に使う器具類を準備した。昨日つくったゴム動力エンジンを使って、風で走る車を6台作った。

 並行して、明日以降の実験の準備をした。日本の指導書を参考にした実験を考えていたが、PH指示薬が無いからできないと思っていた。でも、イギリス製の土壌PHセットを利用すると、陸上植物が二酸化炭素を吸収することを確認できることが分かった。ただし、強い日照が必要なので、今日のような曇りの日では、1時間以上待たなければ明瞭な結果がでない。それでも、新しい実験にチャレンジできたので、少し気分が良くなった。

 授業は、基本的に先週と同じ。熱心な学生達だった。授業の後、明日の黒板の準備、器具類の準備などをした。

20071211・12 レイチェル戻る

 昨晩(月曜)12時前になって、レイチェルが無事にアクラの宿泊先に入ったと電話があった。

 火曜は、昨日準備した実験を学生とやってみた。しかし、条件が準備の時と違ったため明瞭な結果を得ることができなかった。あわせて実習させたPH指示薬の性質については、どの学生もよく理解できていたようだったが。

 実習の最中だった13時頃から停電になった。その少し後になって、アクラからの来客が到着したと、学生が呼びにきたので、実習の区切りを見つけて授業を打ち切った。来客は校長室で待っていらった。J***事務所の現地職員の方お一人と、ガーナ財務省の方お一人(ボランティア事業を受け入れる側としての政府担当者)だった。校長は不在だったので、副校長を交えて30分ほどお話をした。

 来客が帰ってから実験室の片付けをした。その後、部屋に戻って掃除と洗濯をしたが、電気は回復していなかった。水浴びをしていたら、レイチェルがアクラから戻ってきた。少し疲れているようだったが、無事の到着でよかった。南ア滞在中の後半は、電話事情が悪くて連絡がつかなかったので少し心配していた。南アからアフリカ諸国へ電話すると1分28ランド(約3.5ドル)もかかると話していた。

 ビールと日用品を買いに外に出たら、カレッジの外には電気が来ていた。どうやら局所的な停電のようだった。

 夜は、レイチェルがパスタを作ってくれた。ロウソクの下で食事を取った。他の寮や、先生方の住居も停電しているのだが、校内の水銀灯だけは点いていた。

 水曜日、6時半過ぎに実験室に入った。昨日と同じ実習だったので、少しだけ条件を変更することにした。実習の前に、予備実験をしたり、ゴム動力飛行機を飛ばしたり、工作用のパーツ作りをしたりした。

 条件の変更がうまくいったらしく、今日の実習は、全てのグループで明瞭な結果が出た。

 実習が終わった頃になっても停電は続いていたが、13時頃に復旧した。

 後片付けをしながら、ペリスコープ(潜望鏡)を作り始めた。授業中に学生がある先生から頼まれたとやってきてペリスコープを貸して欲しいと言われたのに、実物がなかったからだ。

 作っている間に学校が終わった小学生が遊びに来ていたので、彼らにできたばかりのペリスコープを試してもらった。その後、小さな子供達やウエスリー・カレッジの卒業生が来たりした。卒業生だという男性2名は、現職の中学教員なのだが、在学中には実習をしたことがなかったというので、手持ちの教材類を少し試してもらった。

 部屋に戻ってから買い物に出かけた。アナフォ先生に会ったので停電の理由を聞いたところ、カレッジに電気を供給している変圧器が破裂したからだと言っていた。

20071213 木曜日
 今日は受け持ちの授業が無いので、5時に鳴った目覚ましを止めて6時頃まで休んだ。10時頃から2時間ほど実験室で作業。その後、部屋でレイチェルの髪の編込みを外すのを手伝った。レイチェルにとっては、今日は洗濯とシャンプーの一日だったようだ。

 午後、近くの店まで買い物に行った。ワイン、ジュース、魚のフライ、トマト、缶詰などを買ってきた。近くのゴミ置き場で、ゴミを燃やしているため部屋の中にも臭いが入ってきてちょっとこまった。

20071214 金曜日

 2時目が覚めて、それから眠りに戻れず困った。5時まで待ってから朝食を作り始めた。1コマ目から授業があるので、6時半少し前から実験室で作業した。

 まず、学生用のイスを準備して、少し掃除、それとアルコール・ランプに燃料を入れた。その後、作りかけだった簡易分光器を十数台仕上げたり、ビュンビュンゴマのニュートン・ディスクを六つ作ったりした。

 先週のファーマーズ・デイで授業がつぶれたので、このクラスが最後のスターチ・テストになった。しかしまだ日が出てから1時間しか経っていなかった(スターチ・テスト前に十分日光を葉に当てる必要がある)ので、黒板を写させてから、簡易分光器とニュートン・ディスクの実習から始めた。

 よく質問も出て、後半の実験や課題の提出もとても熱心な学生達だった。うまい具合に、スターチ・テストの結果もきれいに出た。

 授業の後、掃除と用具類の後片付けをしてから、月曜の黒板準備をした。それから、隊員総会と1月に予定されている研修会で紹介に使う教材の材料をまとめた。それらを持って部屋に帰ったら13時過ぎだった。レイチェルは買い物に出ていて不在だった。

 水の出が悪かったので断水が近いかもしれないと考え、急いで掃除・洗濯・水浴びを済ませた。自分の水浴びが終わった頃、レイチェルが、野菜や冷凍食品をたくさん買い込んで帰ってきた。さすがに暑かったのでタクシーを使ったと言っていた。

 幸い水は止まらず、レイチェルも水浴びができ、そのあと野菜類を洗うこともできた。

 午後になっても昨日からのゴミ焼きが続いていた。

20071215・16 休養しました
 昨晩、レイチェルがネット・カフェに行こうと言っていたが、二人とも早起きができなかったので、出かけるのは中止した。レイチェルは、頭痛と喉の痛みを訴えていたので、鎮痛剤と抗生剤を飲んでもらった。

 土曜日は、アイロンがけをしたり、ビデオを見ただけで、ほとんど休養に当てた。

 日曜日、レイチェルはまだ不調だった。自分は部屋で、少しだけ教材の作りだめをした。しかし、最初に作ったゴムで走る車は走行距離が短すぎて失敗だった。けれども、それを応用した風で走る車の車体の改良版はうまくいった。夕方になって、簡単なグライダーも作ってみた。

 今日は、来月20日から始まるアフリカズ・カップの会場のひとつであるクマシのスタジアムの引渡し式典のある日だった。5時半頃からテレビで生中継があった。大統領が祝辞を述べたり、記念のキックをしたりしたところも放送された。

 6時からアドミニストレーションの中庭でキャロル・ナイトの行事があった。レイチェルが外出できないので、自分だけ見学した。ただし、1時間で切り上げてきた。

20071217・18 また、いきなりワークショップ
 月曜日、6時半少しすぎに実験室に入った。掃除をしたが水は出なかった。予定していた実験の準備をしながら、新しいグライダーの試験飛行をした。きれいに滑空するのでなかなか楽しかった。

 授業の用意をしていたら、副校長と教育省のギデオン氏が生物室までやって来た。今日と明日、15人の物理の先生達が15の教育カレッジから集まって教員用指導書をつくるためのワークショップをするので、生物室を使いたいと言われた。しかし、授業があるので、終わるまで待って欲しいと答えた。ギデオン氏は、化学室でワークショップを始めるので、後ほど生物室で電気回路の実習をする準備をしてくれないかと言った。

 全面的にワークショップに協力する必要がありそうだったので、予定していた実験は中止にし、学生にはビデオを見せることにした。1時間に短縮した授業を終えてから、ワークショップに合流した。

 参加者の先生方は、3つのグループに分かれて、小学校低学年、小学校高学年、中学校用のガイドブックの原稿作りをしていた。昼食後に実習をお願いしたいと言われたので、シラバスに沿った教材の準備を始めた。

 参加者の昼食後に基本的な回路を紹介した。LED、抵抗、トランジスタ、コンデンサなどの実物を見せることから初め、いくつかの簡単な回路を作ったり、電磁石を作ったり、直流と交流でのコンデンサの働きの違いを確認したりした。今回の重要なアクティビティの一つが電磁石作りだったようで、ある参加者は、自分がまだ説明しているのに釘にコイルを巻き始めたりしていた。(驚いたことに、実習中に降雨があった)

 実習の指導が終わって今日は一段落のはずだった。しかし、ワークショップ関係の掃除を終えて実験室を出た後、プロジェクトで電気扇風機を作っている学生達に助言を頼まれた。そこで、実験室まで戻って、彼らの準備したモーターに合う電源を探してやった。

 夜、PCで教材CDを焼こうとしたが、疲れて眠かったのでやめてしまった。


 火曜日の朝、昨晩できなかったCD作りと、電子部品に関する英文サイト(日本の方が作っていらっしゃいます)の印刷作業をした。そのため、いつもより少し遅れて、6時45分頃に実験室に入った。幸い水が出たので、拭き掃除や水の汲み置きをした。黒板にトランジタの足の見分け方や一石増幅器の作り方を描いて今日の実習の準備をした。(準備はしたが、実習はなかった)

 8時過ぎから今日のワークショップが始まったが、中心は参加者のグループ・ワークだったので、自分は時々先生方が質問に来たり、パーツ類の使い方を確認にきたりするのを手伝うだけだった。それでも、今日の授業はできないので、休講にした。

 ワークショップの助言と並行して、30人ほどの2年生が散発的に実験室にやってきてはプロジェクトのインプロヴァイゼーションのアイデアをくださいと助けを求めにきた。この日は、空気の膨張(お湯をかけると噴水になるもの)、液体の膨張(温度計モデル)、浮沈子、ペリスコープ(潜望鏡)、望遠鏡、顕微鏡、簡易DCモーター、糸巻き戦車、時計の文字盤づくりなどの助言と実際の作業をした。

 午後、ワークショップのまとめの発表会を聞いた。その後、もう一度回路の準備や新しいグライダーにプロペラをつけてとばす試みをしてみた。グライダーはバランスをうまくとれば当地にある材料だけで飛行できるようになりそうだ。

20071219 イード・アルアドハー(供犠祭)
 6時半過ぎに実験室に向かった。たいてい学生が道具箱を途中から持ってくれるが、今日もある男子学生が手伝ってくれた。彼によると、今日はムスリム(イスラム教徒)のお祭りなので休日だということだった。そういえば、部屋を出た時、学生達はアセンブリー・ホールに向かわずに洗濯をしていた。

 イード・アルアドハーは、イスラム暦の12月11日から13日までに行われるヒツジなどの家畜をアッラーに犠牲として捧げる重要なムスリムの行事だ。(詳しくは百科事典やウェブを参照してください)調べると日本語では供犠祭や犠牲祭として紹介されていた。カレッジはメソジスト系のミッション・スクールだが、国民の休日なので、キリスト教徒もお休みになるようだ。

 授業が無いことが分かったので、実験室に入ってから振動回路の組み立てを始めた。しかし、今回もうまくいかなかった。パーツの組み合わせの問題なのか?もう少し勉強が必要だ。

 新しいグライダーにプロペラを付けようとちょっと試してみた。でも結果はうまくなかった。一番の問題は翼の素材のようだ。ラップ・フィルムを張りたいのだが、少し大きめにした翼にきっちりと張れなかった。透明なポリエチレンを切って翼にしたが、重すぎるような気がした。そのかわり、ポリエチレン版は凧(カイト)にして飛ばすことができた。

 凧を飛ばしていると、正装したムスリムの家族達が校内を移動しているのが見えた。

 11時頃まで工作を続けた。その後、部屋に戻って軽食、掃除、洗濯、水浴びをした。レイチェルはタウンに出かけて不在だった。

 水浴びが終わった頃、レイチェルが戻ってきた。タウンのケジェティアには人があふれていたとのことだった。クリスマス用のお菓子類や子供用の靴を買う人が多かったそうだ。

 昨晩うまく眠れなかったので、少し昼寝をした。その後、同僚や子供たちにクリスマス・カードと一緒に渡そうと思っている折り紙の鶴を作り始めた。5時過ぎまでかけて24羽折った。

 6時前に買い物に出かけて、ビール、生卵、パン、洗濯洗剤、水、ワイン、コーラを買った。最後にキャンディーを一箱買った。

 国営放送では、6時から17人いる与党NPPの大統領候補の政権放送をしていた。

20071220 クリスマス・カード、飛行機! それと低電圧
 朝、食事をしてからクリスマス・カードをPCで作った。写真を集めただけだった。それらを印刷してから実験室に行った。幸い理科の全ての先生方と校長・副校長に会うことができたので、皆さんにカードと昨日作った折鶴、それにキャンディーを配った。

 道具箱は部屋に置いてきたが、授業は無いので、のんびり工作をした。ときどき遊びにくる子供たちとも少し教材で遊んだ。

 ただし、サイエンス・ボーイ達はゴム動力飛行機を一機とザムコプターを一つ屋根に引っ掛けて帰った。飛行機だけは風で落ちてきたのだが。

 日曜日に作ったグライダーを今日も改良してみた。お店で買い物をすると、商品を入れてくれる黒いポリ袋を翼に使い、ゴム動力のプロペラをストローで支えるようにした。室内なら少しだけ上昇し、旋回しながら飛ぶようになった。

 ついでに、昨日作ったグライダーを凧に作りかえて外で飛ばした。今日は午後からは、陽射しが強いものの、さわやかな風があり、凧上げが気持ちよかった。学校の終わった少年達が興味深そうに見てくれた。

 この日は、電圧が低いようだった。午前中に実験室で作業していたら、蛍光灯が点滅し始め、やがて全部消えてしまった。その後、復旧したが点滅は低電圧のせいだと思われた。

 部屋に戻ってから寝室の蛍光灯を点けようとしたが、同様に点滅するだけだった。机に脇につけた小さな蛍光灯のプラグをKBさんにいただいた安定化電源につなぐとちゃんと点灯した。延長コードについている小さな電圧計をみると約170ボルトを指していた。

 トイレやバスの白熱電球もいつもより暗かった。

20071221 金曜日

 実験室に6時半頃行った。アセンブリー・ホールでは休業前の伝達が行われていたようだ。学生達の授業はなく、ホールから直接寮へ戻っていった。

 1月の隊員総会用の教材を作ろうと作業を始めたが、電気は点けなかった。昨日に続いて蛍光灯は点滅を続けるだけだったから。

 プラスチックのボトルを使って竹とんぼのようなものを作り終えたころ、アッセム先生と現職の学校の先生達が10名ほどやってきた。資格試験のための授業だそうだった。今日は、アッセム先生が光学について講義した。うれしいことに、簡易分光器やニュートンディスク、カメラ・モデル、レインボウ・ボックスも使ってくれた。

 午後になって簡易分光器を使い始めた時、蛍光灯を点けたら全部すぐに点灯したので、電圧が回復していることがわかった。

 講義中も部屋の隅で、風で走る車の車体作りやプロペラづくりを続けさせてもらった。

 16時過ぎまで実験室で作業して部屋に戻った。レイチェルが誕生日のカードと贈り物を準備してくれていた。

 日中は暑かったが、湿度が下がってきてように感じた。部屋の湿度計は50%の前半を指していた。(2日前まで空調をつけないと80%前後だったのに)

 J***アクラ事務所から無線の定時連絡が6時からあった。本日9時半からGTV(国営ガーナ・テレビ)で日本のボランティアの活動が放映されるとのことだった。夕食を食べてお腹一杯で眠かったが、9時半を待った。しかし、明日行われる与党の大統領候補者の宣伝番組が延々と続いていた。結局10時15分から放送された。

 アクラで活動しているSVのIT氏のプレゼンテーション、音楽指導の女性隊員(任地は分かりませんでした)、クマシで服飾デザインを指導しているHB隊員、クマシの近くのオブアシで数学を巡回指導しているIG隊員、ギニア・ワーム対策の指導をしているST隊員(彼女の活動は新聞でも報道されていた)の活動がカウンター・パートのコメントとともに放送された。たった15分だったがレイチェルと食い入るように見た。ボランティアの中でも自分達と関係の深いITさん、HBさん、IGさんが出演されていたのが印象的だった。

20071222 たぶん今日が冬至、UTTDBE始まる

 昨晩は寮の学生が帰ってしまったので、とても静かな夜だった。でも今日から資格が無いが教員をしている先生達の資格取得のための補習(UTTDBE)が始まるので、たくさんの現職教員達が入寮した。

 冷蔵庫の食料が空になってしまったので、午前中にタクシー(2.5新ガーナ・セディだった)を拾ってタウンに行った。道路はクリスマスの買い物のためか大混雑だった。

 目的地に着いてから、最初にSTCバスの乗車券を買った。1月2日にアクラに移動して、3・4日の総会に参加し、その後の理数科教員の会合にも6日まで合流する予定だからだ。

 その後、プラスチックのクリスマス・ツリーや電飾などの飾りつけを売っているストリート・ヴェンダーの横を通り、ビデオDVDを二つと新聞を買ってからスーパーへ行った。  スーパーも大混雑だった。天井から下がっていたクリスマスの飾りの一つが扇風機に絡まって回転を遅くしていた。お菓子とお酒をバスケットに入れてラッピングしたものまでディスプレイされていた。

 ラーメン、ワイン、ジュース、漂白剤、台所洗剤、竹串、インスタント・コーヒー、冷凍ソーセージを買った。それから、野菜スタンドでタマネギ、ジャガイモ、ニンジン、キュウリ、キャベツを買った。荷物が一杯になったのでタクシーで帰った(交渉して行きと同じ料金にしてもらった)

 部屋でラーメンをスナックとして食べてから実験室に行った。今日もアッセム先生が13時から授業をするので何か役立てればと思って行った。簡単に掃除をしたが水が出なかったので汲み置きを使った。

 アッセム先生の講義の間、ほとんど工作をして時間を過ごした。時々、レンズ、眼の病気、写真機や顕微鏡の仕組みなどについて助言をした。

 その間に今日作ったカイトへプロペラを付けることが出来たので、試験飛行してみた。上昇力は弱いが昨日より改善された印象だった。

 6時頃に部屋に戻ると、レイチェルは、自分が今日買ってきたビデオを見ていた。床拭き、洗濯、水浴びの後、ビデオのサウンド・オブ・ミュー○ックの後半を終わりまで二人で見た。

20071223 日曜日
 昨日から始まった与党(NPP)の大統領候補者選出の党大会は、徹夜で投票が行われた。6時半にテレビをつけたらまだ開票の最中だった。9時半頃になって第一回目の投票結果が発表された。ナナ氏が47パーセントの得票だった。2位の候補者が決選投票を避けるために辞退したため、ナナ氏が大統領候補に決定した。テレビで見ていても参加者の疲労が見て取れた。

 その後、お昼前までのんびりした。それからは、一日部屋から出ずにストローで工作をしたり、カイトに付けるプロペラの角度を工夫したりして夕方まで過ごした。プロペラの取り付け方を複雑にすると重くなる。いろいろ試したがこれと言った新しいものは作れなかった。

20071224 クリスマス・イブ
 朝、ゴミを捨ててから、一番近くのお店で少し買い物をした。水、コーラ、逆性石鹸、タマゴ、ワイン、パンを買った。

 朝食後、実験室に行った。空は霞がかかっているように薄黄色だった。ハマターンの始まりのようだ。実験室内もうっすらと埃をかぶっていた。水が出なかったので汲み置き水で掃除をした。

 実験室には部屋で教材を作るための材料を取りに来たのだが、子供達が遊びに来たり、カイトのゴム動力プロペラの調整をしたりしたので、11時半頃までいろいろ作業した。3つあったプロペラ付きのカイトは子供達に酷使されて全て壊れてしまった。

 お昼前に部屋に帰った。洗濯と水浴びをした。そうしているうちにレイチェルが外出から帰ってきた。クリスマス気分のなかで、壊れたグライダーを修理したりザムコプターなどのパーツ作りをした。

 夕食には、レイチェルが野菜ソースとチキンのから揚げを作ってくれた。レイチェルが誕生日のプレゼントに入れてくれたワインを二人で飲んだが、酔いが回るのが速かった。

20071225 クリスマス

 レイチェルは、昨日の夕食の終わりごろから腹痛を訴えていた。夜も眠れなかったようだし、自分が作った朝食も少ししか手をつけなかった。でも、お昼にラーメンを作ると全部食べてくれた。

 この日は、部屋で工作の続きをひたすらやった。カイト用の部品の重量を確認してから、カイトにどこにどの位の重りを付ければいいかを計算した。どうやらクリップ3個(ほぼ1.0g)を付けるとちょうど良くなることが分かった。

 一日中、ミネラル・ウォーターのボトルを切り出してつくるヘリコプター、ザムコプターなどを作り続けた。前者のバリエーションとして、空中で数秒ホバリングするモデルを作ることができた。さらに、風で走る車の改良点も見つけることができた。より滑らかに走るし、方向の変更も可能になった。

 夕方、室内にシロアリの羽蟻が入って来た。拡大してみるとインスワのようだ。既に羽を落として室内を歩き回っているものもいた。部屋中にあふれることもなく、夕食の終わりにはほとんどが死んでいた。

 明日はボクシング・デイで休日のようだ。

20071226 ボクシング・デイ
 ゆっくり起きて、カイトのエンジンを取り替えたり、調整できるバラストを着けたりすることから始めた。その後、風で走る車を作る作業を始めた。昨日になってデザインを変更したので、これまで作り置きしておいたものもやり直した。

 レイチェルと遅い朝食をとってから、車作りを仕上げたり、これまで使った道具類やできあがった部品類の整理をしたりした。総会へどうやって教材を運ぶかも考え始めた。

 夕方部屋の前でカイトの試験飛行などをした。上昇はできないが、プロペラの力を借りて、これまでよりきれいに滑空できるようになった。UTTDBEに参加している何人かの先生達にもヘリコプターのおもちゃなどを経験してもらった。

 レイチェルはずっと喉の痛みを訴えていたので、夕食はソーセージと野菜を入れた雑炊を自分が作った。

20071227 木曜日

 乾季の始まりに葉を落とす木々が目に付く中、実験室に上がって、9時半頃から掃除を始めた。ハマターンの走りのためか、窓を閉めてもらえなかったためか部屋中うっすらと埃をかぶっていた。アッセム先生から、もしレイチェルの具合が悪くなったらどこの病院へ行けばよいか教えてもらった。その後、ちょうどカレッジに来ていたケイプ・コウスト大学の先生から、1月に予定していたワークショップは中止にせざるを得ないと聞かされた。どのカレッジでも内部での教員研修に忙しいからだそうだ。

 一度部屋に戻ってから再び外出し、タクシーでアドウーンに向かった。来月2日からアクラで5泊するために、銀行で少しまとまったお金を引き出すためだ。銀行はこれまでで一番混雑していたように感じた。そういえば、市中では旧紙幣が来月から使用できなくなる。

 銀行を出て、プラスチックのシートとコップ、それにコンテナを買った。それから、パイナップル、アボガド、名前を忘れた柑橘類、それにバナナを買ってタクシーでカレッジに戻った。

 軽食をとってから、実験室に上がり、少し作業をした。パキスタンの元首相ブットー史の暗殺を2時のRFI(Radio France International)英語ニュースで聞いた。衝撃だった。

 4時頃に部屋に戻り、少しだけ買い物をした。途中でいつも「オブロニ、オブロニ(白い人)」と声をかけて手を振ってくれる子供達に囲まれた。一人ずつ"高い高い"をした。

 夕食はレイチェルが作ったゆで卵入り野菜カレーだった。

20071228 金曜日

 在外研修を計画しているために、校長に参加許可の書類をお願いした。原稿をあらかじめ作ってオフィスに行ったので、幸いこの日のうちにセクレタリーがタイプしてくれた。あわせて、主催者や事務所に出さなければならない書類の準備も少しずつ始めた。

 実験室では、午前と午後に拭き掃除をし、カイトのエンジンの場所を変更した。以前にインタネットから取った資料を参考にしたのだが、結果は良好だった。

 フェリシア先生によると、埃のひどくなるハマターンの最盛期は1月と2月だそうだ。そらは暗くなり、交通にも障害が出るらしい。

 レイチェルは、美容院で新しい編み込みを頭に付けて帰ってきた。

20071229 土曜日

 ネット・カフェに出かけるつもりだったが、早起きできなかった。そのかわり、インドに送信する原稿の下書きを作った。食事の後、レイチェルが英語を直してくれた。

 実験室には行かずに、教材用のパーツ作りと、新しいカイトを二つ作った。カイトは昨日までのものよりうまく飛んだ。上昇力は弱いが風にのれば数秒間凧のように浮かんでいられる。

 お昼は自分が野菜カレーを作り、夕食はレイチェルが野菜ソースとフーフーを作った。

20071230・31 晦日と大晦日、電線の断線と復旧
  日曜日は5時に起きて、外出の準備をした。レイチェルと一緒にタクシーを拾ってネット・カフェに入った。カフェで、PCが起動したときの時刻は7時19分だった。

 幸いネットワークがこれまでに無く快速で、メイルの確認、送受信、それにウェブ・サイトの更新もスムースにできた。レイチェルは南アなどで取った写真をザンビアや南アに添付ファイルで送信した。

 カフェを2時間ほどで出て、歩いてカレッジまで帰った。猛烈な暑さではないが、少し汗をかいた。途中のガソリンスタンドにある売店で少し買い物をした。

 カレッジの裏門を通ってもう直ぐ空調の効く部屋に戻れると思った。ところが、眼に入ったのは、自分の寮の前の電柱から垂れ下がっている電線だった。部屋に入ると案の定停電、結局この日は終日復旧しなかった。そのかわり、午後を使って、ザムコプターやボ○ティック・コプター(当地で有名なVoltic bottleを切り出してローターにするヘリコプター)などのパーツ作りをすることができた。

 夕方、カイトの試験飛行をした。これなら総会で紹介できそうだ。


 停電が復旧しないので冷蔵庫、冷凍庫のものがだめになる恐れがでてきた。そこで、夕食は冷凍庫に入れておいたソーセージを使い切ることにした。レイチェルがゆで卵を入れたポテト・サラダと、デープフライド・ソーセージを作ってくれた。  ロウソクの光の下で夕食をとったり、教材のパーツづくりをしたり、PCでビデオを見たりしてから寝た。

 大晦日の月曜日。この日は、ゆっくりと準備して、実験室にレイチェルと行った。実験室の電源で携帯電話やPCを充電することが第一の目的だった。

 部屋は少し埃をかぶっていた。二人でしばらく掃除をした。その後、電気製品の充電をしながら、総会用の追加教材を作った。

 視覚障害のある先生方の子供達が遊びに来たり、サイエンス・ボーイ達が来たりしたが、作業を続けた。プラスチック・ボトルで作る竹とんぼ、糸巻き戦車のパーツ、簡易分光器などを作ることができた。

 13時過ぎに部屋に戻った。途中で、電線を修理しているのを見た。(本当に)うれしいことに、電線は14時半頃に修理された。部屋で、軽食を食べたり(年越しそばの代わりにラーメンを食べた)、2日に迫った出発に備えて教材の荷造りをしたりした。

 17時頃に、カイトの再度の試験飛行と買い物をして部屋に戻った。

 夕食は、ご飯と芸者(Geisha:魚のトマト煮缶詰)だった。年越しらしくゆっくりとワインを飲んだ。

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