2008年8月の日記 連絡先(e-mail)
2008年7月の日記

ガーナの記録は、更新頻度が少ないのでザンビア版とは日付が逆になっています

20080801 クマシ祭り

 訪問客を除き250名以上が関わる今回のクマシ祭り(ガーナ・日本ネットワーク・イベント)は、隊員さん達主催によるこれまで最も大きな行事だ。雨が降らないことを祈りながら6時半過ぎに会場に出かけた。会場のステイト男子中学校に着いてみると、アセンブリー・ホールではすでに関係者が活動を始めていて、最後の飾り付けなどをしていた。

 予定より少し遅れたものの、最初のプログラムであるパレードが7時半頃から始まった。イベントの垂れ幕を先頭にブラスバンドの演奏にのってそろいのティーシャツを着た関係者、○○インターナショナル・スクールの生徒、J***関係者、隊員さん達、が会場を出て歩き始めた。まずスワメ・ラウンドアバウト(クマシで一番大きいラウンドアバウト)に向かった。交通整理をしてくださった4名の警察官のおかげで、車を止めてラウンドアバウトの一番内側を歩いて回った。パレードをしなければ経験できなかったと思う。生徒さん達は、歩きながらチラシを配っていた。

 会場に戻ってから外回りの設営などに少し時間がかかったり、開会式の会場を屋外から屋内に変更したりしていたが、9時半頃から無事に式典が始まった。しかし、来賓の紹介をした直後から停電になってしまった。(会場の停電は15時半頃まで続いた。一方、自宅の停電は20時頃まで続いたので、夕食は久しぶりにろうそくの下で食べた)そのため、メガフォンを使って司会や来賓の挨拶があった。

 今回のお祭りは、障害者、HIV/AIDSに関する一般の人々への意識向上や日本文化・ボランティア活動の紹介などを通じてガーナと日本の交流を促進するイベントだった。開会式の後、アセンブリー・ホール内でガーナの伝統ダンスの紹介から始まり、次は手足切断の障害を持つ方々のサッカーがグラウンドで行われた。

 このサッカーでは、ゴールキーパーを除く選手は膝より上で一方の足を失ったか、一方の足の機能が無い方々だった。両手に杖を付けて、杖と足ですばやく移動していた。一方、ゴールキーパーは一方の手を失った方がつとめることになっていた。チームの人数が少ない他は、一般のサッカーとほとんど同じルールだった。この試合はガーナのナショナル・チームによる模範試合だったため、とても見ごたえがあった。


 サッカーの後、アセンブリー・ホール内のいくつかのブースでは、展示やアクティビティが始まった。PCのブースに電気を供給するために事務所から持ってきた発電機も動き始めた。

 予定していたフィルム・ショーのプログラムなどを割愛したり、出し物を入れ替えたりしたので、アセンブリー・ホール内での自分の理科教材紹介は、マジック・ショーのすぐ後に変更になった。

 12時40分から教材のデモを行った。ホールいっぱいにお客さんがいた。紹介したのは、輪ゴム鉄砲、糸巻き戦車(小と特大)、竹とんぼ、ザムコプター、ボルティクコプター、風で走る車、ストロー・カイト、グライダーだった。一部の教材は見学者に渡したが、子供達が奪い合うのでちょっとあぶないと思った。結局、昨日会場に運び入れた教材のうち、カイトと風で走る車は全て持っていかれてしまった。5機持ってきたグライダーのうち一つは行方不明。

 自分の出番が終わると後、少しだけお手伝いをしながらのんびりしていた。レイチェルは浴衣を着せてもらってご満悦の様子だった。

 午後には、ブース展示に加えて、ガーナ人によるヨサコイダンス、相撲大会、原子爆弾の威力やそれによる健康障害の記録映画、合唱団によるコーラス(蛍の光を日本語で歌ってくださった)、生徒さんのダンスなどが披露された。どれも内容が濃く、見学者はとても感心していたようだ。

 原子爆弾の映画の時は、アンプを通しても音が小さくて英語のナレーションが聞き取れなかったが、ガーナの先生がメガフォンを使って初めから終わりまで身振り手振りを交えて現地語で詳しく(たぶん)解説していた。観客の反応もよかったのでびっくりした。上映が終わってからテレビ局に放送してもらうようにかけあうべきだとその先生は言っていた。


 カレッジの先生の子供達も何人か来ていた。浴衣を着せてもらったり、ベッコウ飴をなめたりしてなかなか楽しんでいったようだ。

 17時頃から最後の出し物である隊員さん達によるバンド演奏があり、その後閉会式となった。けが人、病人が一人も出ず無事に終了した。停電はあったものの日中降雨はなかった。また弱い陽射しがあったものの、暑さをあまり感じることのない快適な一日であった。

 これほど大規模な行事を一日の中に組み込んで成功させてくれた隊員さんとガーナの関係者に大きな拍手を送りたいと思った。

20080802 休養
 ゆっくり起きてスープとハムエッグとパンの朝食。レイチェルがシーツを洗濯しながらバスルーム(シャワーしかない、でもシャワーを使ったことは無い)を使っている間に1時間アイロンがけをした。

 それからクマシ祭りの記録を作ったり、赤塚先生が亡くなった記事を読んだりしていたら夕方になってしまった。少しだけホリデイ・スクール用の教材のデザインをしたが、キューバに送る原稿は下書きだけでPC打ちは全くできなかった。

 夕方買い物に出かけてデトロ、ジュースなどを買ってきた。

 昨晩切れたバスルームの白熱電球を交換したのだが、水浴びをしている間に消えてしまった。ソケットに引っかかっていただけの電球がゆるくなって落ちかけたためだった。自分の上に落ちてこなかったのはとてもラッキーだった。机を踏み台にしてしっかり電球をソケットに入れ直した。

 夕食にチキンカレーを作ったが、もう野菜も肉のストックも底をついてきたので買出しに行かなければならない。そういえばプロパンガスも空に近い。

20080803 LPG

 朝、乾燥食品を水に戻して炊き込みご飯を作った。ちょっとヒジキが多すぎる感じだったがまあまあ食べられた。

 LPGのシリンダがほとんど空になっていた(メーターなどは付いていないので揺すって中の液量を想像するだけ)ので、ちょうど電話がかかってきたアッセム先生に日曜日でもLPGが買えるかと聞いてみた。もちろん買えるし、車を出してやると返事をしてくれた。

 10時半頃にアッセム先生が婚約者と一緒に部屋の前まで車で来てくれた。シリンダをトランクに積んでタウンに向かった。まず、彼女をマーケットで降ろしてからロイヤルガスに行った。14.5キロで14.70GHCだったが、シリンダは6月に同じ量を買った(はず)時よりずっと重く感じた。アッセム先生の車はプロパンガス車なので、彼もLPGをトランク内にあるシリンダに注入してもらっていた。

 マーケットで大事な人をひろってからカレッジに戻った。

 午後、グライダーの調整をするために外に飛ばしに出たが、自分ではほとんど飛ばせなかった。先生方の子供たちにさんざん遊ばれたからだ。なかなか良く飛んだので子供たちは満足しているようすだった。ただし、2機を修理しなければならなくなった。

20080804 来客の準備

 8日に日本からの教員視察団が来るので、お土産用のサイエンス・トイを作り始めた。まず、パーツの在庫の数を数えたりしながら、風で走る車の準備をした。

 午後からタウンに出かけた。クマシの近郊で活動しているWTさんと教材の材料を買うためだ。久しぶりに歩いて出かけて、歩いて帰ったので汗だくになってしまった。自分はストロー、ハサミ、セロハンテープ、パーマネントマーカーなどを買った。

20080805 今日も来客の準備

 7時に実験室に行った。子供たちに壊されたグライダーを2機修理したり、ニュートン・ディスクとベンハム・ディスクのコマを作ったりした。びっくりするほど実験室の蛇口から水が出た日だった。来客用に風で走る車を10台組み立てたが、車軸などの処理に時間がかかってしまった。カイトも2台修繕した。それとカイトの翼に使うポリエチレンのシートを20台分用意した。

 午前中には、研修に来ている視覚障害の先生の娘さん達、午後はカレッジの先生の子供達が遊びに来た。自分の作業がはかどらなくなるのは分かっても少しは付き合うことにした。彼らが使っている教材の痛み方などを見て、どこを補強すれば良いか想像できるので、壊れるのを覚悟で遊んでもらった。

 レイチェルは、美容院にシャンプーに出かけたが、帰りに不審な男につけられそうになったと言っていた。美容院にかけ戻って助けを求め、事なきを得たようだ。

 夕方アドミニストレーションに行くと、校長がキューバ会議参加の同意書を作ってくれていた。それ以外の書類の件についても少し打ち合わせることができた。

20080806 原爆記念日

 寝ている間に停電になったようだ。2時半に目覚めた時には居間?(居間兼流しの無い台所兼食堂?)のセキュリティー・ランプにしている電気が消えていた。

 5時に目覚めてからろうそくと懐中電灯の明かりを頼りに身支度をし始めた。しかし、停電は6時ちょうどに回復したので、意図的に送電を止めているような気がした。

 レイチェルがバスルームを使っている時に寝室?(寝室兼仕事部屋兼クローゼット?)の本棚からネズミが飛び出してきた。自分に気づいたらしく本棚の裏に入ったので、虫除けスプレーで追い出すことにした。しばらくすると、本棚の脇に立てかけてあったサンダルに避難しているふらふらのネズミを見つけた。サンダルごとごみ用のポリ袋に入れて捕まえた。袋をしっかりしばって外のゴミ箱に投げ込んだ。

 レイチェルがバスから出てきたが、断水(午後に回復)になったと言っていた。

 二人で通院の為に7時15分頃部屋を出た。その直後に、レイチェルが寮のすぐ外にある排水溝の中を移動しているサソリ(体調12cm位?)を指差した。あわてて部屋に戻り写真機を取り出した。何枚かサソリの写真を撮ることができた。これまで死骸を2・3回見たが生きているのを見たのは初めてだった。資格取得の研修に来ている先生達は、そのサソリを見て、これは無毒だよなとか言っていた。

 病院からは9時前に戻った。

 9日にガーナからウガンダに行き、初等教育関係の国際会議に参加する隊員さんがいくつか教材を持って行きたいと連絡してきた。そこで、明日からアクラに移動するBさんに教材を持っていっていただけないか相談した。快諾してくださったので、それからウガンダ用の教材準備を来客用の教材準備と並行してすすめた。午前中に40個プロペラ・ユニットを作っていたので、それらが役に立った。

 14時からのラジオ・フランス・インターナショナル英語放送を聞いていたら、原爆記念日関係の話題を一つだけ放送していた。

 夕方Bさんのお宅にウガンダ行きの教材を持っていった。

 夕食はバンクーとビーフソースを作ってもらった。あまりにたくさん食べたので、食後しばらくベッドに横になっていた。

20080807 木曜日

 8時頃に実験室に行って、掃除をしてからグライダーとカイトの調整をした。それから、ボルティック・ヘリコプターやプラスチック・ボトルで作る竹とんぼなどを作った。昨日ウガンダへ行く隊員さん用に教材を少し放出してしまったから。(今日の作業中には男の子が3人、女の子が3人遊びに来た。)

 一段落してアドミニストレーションに行き、事務所に提出する書類を受け取った。昨日は急な停電のために作れなかったものだ。

 お昼にレイチェルが煮魚とご飯を作ってくれた。それを食べてからサンブラ・ホテルに出かけて明日見学に来校予定の視察団のために昼食を予約した。

 ホテルのレストランにピザのテイクアウェイを頼んで一度外に出た。ホテルの近くにある自転車店でホイール(タイヤの無し)と車軸、それに空気入れを買った。他のお店も回って漂白剤とホリエチレン袋も買った。

 レストランでピザを受け取ってからタクシーでカレッジに向かった。陽射しは無いのに湿気のせいでとても暑苦しく感じた。

 部屋に戻ってから教材の説明書を印刷したり、CDを焼いたりした。

 夜、多面体用のストローを切る作業をした。夕食後から何時間か雨があった。

20080808 教員視察団来校、オリンピック開会式

 7時に実験室に入って、9時に来校する予定の教員視察団の受け入れ準備をした。少し掃除をしてから正二十面体を一つ作り、すぐに組み立てられるようにもう二つ分の正二十面体のジョイントも作っておいた。それからストローで炭素原子のモデルを六つつくり、ヘキサンになるようにつなげた。

 8時半過ぎにKMさんからドライバーが道を知らないので聖ルイス校に着いてしまったと連絡を受けた。歩いても10分ですからすぐにカレッジに着きますと返答した。

 マイクロバスから7名の東北の先生方と隊員のCBさん、WKさん、SDさん、二本松からHSさん、新聞記者のSZさん、それと事務所のKMさんが降りていらっしゃった。

 アドミニストレーションの建物でカレッジの概要を説明してから副校長室に行ったがお二人とも不在だったので、直接実験室に入ってもらうことにした。

 ストロー多面体から初めて、輪ゴム鉄砲、糸巻き戦車、プラスチック・ボトルで作る竹とんぼ、ヘリコプター、風で走る車、カイトと、このところの定番を紹介したり活動の紹介や質問を受けたりした。1時間半ほどだったが、かなり喜んでいただけたようだ。先生方からはアラレ、お茶漬けのり、インスタント味噌汁セット、出汁、ノリ、ゴマ、ソバ、ジャムなどをいただいた。ありがとうございました。  カレッジを出る前にもういちどアドミニストレーションに行くと幸い校長に会うことができた。代表の先生から校長に記念品が渡された

 バスに自分も乗り込み、クマシ市内にあるアシャンティ王国の王宮に向かった。王宮の見学料はガーナ人大人1GHC,子供0.5GHC,外国人5GHC、建物内は撮影禁止、携帯電話使用禁止(以前レイチェルがオリビアさんと来たことがある)。ガイドの誘導で1時間ほど見学した。

 11時45分頃に昨日予約したサンブラ・ホテルのレストランに12時15分頃に着けるだろうと連絡した。レストランではすぐに席を準備すると答えてくれた。

 ドライバーが道を知らないので、運転席の近くに座って行き先を説明した。3月にポリテクニクまで歩いて行ったおかげで土地勘ができていたからなんとか誘導できた。しかもひどい渋滞にはあわなかったのでとてもラッキーだった。

 KMさんがまとめて注文してくださった昼食をみなさんとオリンピックの開会式の中継の音だけを聞きながら食べた。三種類のフライド・ライスに肉と野菜、魚と野菜の炒め物だった。先生方もおいしいと言っていらっしゃった。

 予定の1時を少し過ぎたものの視察団一行は無事にクマシを出て次の目的地に向かわれた。

 タクシーでカレッジに帰り、実験室の片づけをしてから部屋に戻った。部屋に戻るとレイチェルが10時頃から始まった停電が、ちょっと前に回復しばかりだと言った。停電のために開会式は見られなかったと言っていた。こちらの時間で12時から始まったオリンピックの開会式はもう終わっただろうと諦めていたが、テレビをつけるとメトロTVで放送中だった。入場行進を途中から見ることができた。最後の中華人民共和国選手役員団入場の前がザンビアの入場だった。残念ながら放送はIOC会長の挨拶の後ニュースになってしまって、聖火の点灯を見ることができなかった。

 夕食はレイチェルがピーナッツ・バターを使ったチキン・落花生スープを作ってくれた。

20080809・10 長崎原爆の日、PC作業、ちょっと疲れが出た
 土曜日には、キューバに出すプレゼンテーション原稿のために、風で走る車の作り方、分子のモデルの試作品作りなどをした。

 寝ている間に、吐き気と便意が強くなりトイレで排泄したり吐いたりした。そのため、日曜は一度だけ実験室に行ったが、ほとんど休養した。夕方熱が平熱より1.0℃だけだかくなったが、夜には下がった。昼にソバ、夕食に茶漬けを食べてお腹を休めた。

20080811 タウン

 身支度をして8時半過ぎにタクシーでSTCターミナルに行った。13日のアクラ行きのバスのチケットを買った。それから銀行へ歩いて行ってまとまったお金を引き出した。GHCが米ドルに対して昨年より1割ほど安くなっているので少し助かる。

 銀行の近くでストローを10箱買い、ケジェティアの近くまで移動してラテックスの使い捨て手袋を100枚買った。それからタウンの北側へ行って自転車のフットレスト(車軸に付ける足台)を探した。自転車用品を扱っている店が集まっているところで中古部品を順に見ていった。しばらく探し回ってから、日本語のシールがまだかすかに残っているフットレストを2つ買うことができた。

 カレッジに戻ってから先日購入した自転車の車輪の軸いフットレストを付けた。これでジャイロ・ディスクができた。ただし、回転中にスポークに指をとられるといけないので、スポークにカバーをつけなければならない。

 部屋に戻って水浴びをしてから、分子モデルの作りだめを始めた。ここ数日作っていたサイズより小さいサイズに変更することにした。

20080812 オリビアの料理大会

 一日PC作業。夕方に実験室の掃除に出たのと、ビールなどを買いに散歩に出ただけでずっとキューバに送る原稿の日本語版を作った。英語で頭から打ち込めなかったからだ。

 レイチェルはオリビアさんと買い物に出かけてお昼過ぎに戻ってきた。ガーナ式の香辛料をすりつぶための陶器製のすり鉢とすりこ木も買ってきた。にぎやかに料理をして、15時頃にオクラのスープと肉のスープそれにバンクーができあがった。両方のスープとバンクーをふた山食べたらしばらくしてお腹が張ってきたのでベッドに横になった。

 ベッドから出てから日本語版の原稿を仕上げ、英語版にとりかかった。今日できたのはたった508ワード分だけだった。それでも、一日でかなり進んだので少しほっとした。ここ数日停電も断水も無いので助かる。

20080813 アクラへ移動
 5時から身支度をしてアクラに出かけた。今回は一人。

 9時45分頃にバスが出て、14時45分頃にアクラのSTCターミナルに無事に着いた。ターミナルで帰りのチケットを買ってから隊員総会のために予約されているセントラル・ホテルに移動した。

 一度買い物に出た以外は休養していた。夕食もホテルのキッチンに作ってもらった。

20080814 安全講習会
 安全講習会は14時45分からの予定だったので、それまでホテルで原稿作りをした。原稿は14時前になんとかできあがったので、ホッとした。

 ホテルから出てタクシーを拾うつもりだったが、オスの通りが渋滞していたので、しばらく歩くことにした。そろそろタクシーと思ったらHBさんも歩いて来たので、いっしょに会場のChrist the King Catholic Churchまで行った。

 この日の講習では、交通安全、健康管理、大統領選挙対策の伝達があった。特に11月から選挙結果確定までは、事務所とボランティアの連絡を密にし、12月の選挙当日などは完全自宅待機の指示があった。また最低10日分の飲料水と食料及び非常持ち出し用品を準備するように言われた。

 講習会の後、歩いてホテルに戻った。夕食はキッチンに作ってもらった。

20080815 終戦記念日・隊員総会

 7時50分頃にタクシーで会場に向かった。この日は隊員さんの自治会、委員会、分科会活動などの報告と、新自治会役員の選出が終日行われた。

 夕食には、KNさん(元ザンビア隊員で教育支援の業務でガーナに来ていた)、もうすぐ帰国される調整員のSMさん、それと事務所で総務を担当されているKさんとで中華料理店(真珠中国飯店)に行った。  久しぶりにお店の名物である鍋料理を食べた。

 KNさんによると今年の日本の夏は暑く、ガーナの方がずっと涼しいと言っていた。

20080816 クマシへ移動
 5時から身支度をして、8時前にチェック・アウトした。その際、9月2日の宿泊予約を再確認した。

 クマシに一緒に帰るBさんとホテルを出てタクシーでSTCターミナルに行った。途中から渋滞していたのでドライバーは迂回路を使ってくれた。それでも20分ほどかかった。

 バスは9時の定刻から少し遅れて出発した。いつものようにアクラを出るまではスピードが上がらなかった。涼しい日だったのに、バス内は冷房が強く、途中で小用ががまんできなくなったので、ドライバーに途中でバスを止めてもらって用を足した。他にも数名のお客さんが降りてきて同じようにしていた。

 バスは15時少し前にクマシに到着した。Bさんと聖ルイス校まで一緒にタクシーで移動し、その先は歩いて部屋まで帰った。

20080817 原稿の仕上げ
 寝ていた間、かなり長く雨が降っていた。3時半から歌いながらお祈りを始める先生が寮に泊まっているようで、1時間ほど眠りを中断された。

 スープ、ご飯、目玉焼きの朝ごはんを食べてから、キューバに送る原稿の仕上げを始めた。中心になるペーパーはレイチェルが英語をチェックしてくれた。追加で添付するつもりの教材の手引きの図を更新する作業にとても時間がかかった。まだ明日以降写真をとったり、画像を入れ替えたりする必要がある。

 夕方、久しぶりに近所のお店まで買い物に行った。一日中強い日差しがなく、日本の肌寒い梅雨のような天気だった。

 晩御飯に食べた果物(パウパウ)がとてもおいしかった。

20080818 月曜日
 7時過ぎに実験室に行って、まず掃除。それからたまっていたペット・ボトルを切ってホリデイ・スクール用のパーツ作りを始めた。

 ゴム草履をくり抜いて、呼吸器モデル用のコルク栓の代用品を準備し、トイレット・ペーパーの芯でスペトロメーターのパーツと針穴写真機をいくつかと、プラスチック・ボトルから切り出したプロペラを材料にした竹とんぼを作った。それと自転車の車輪をジャイロ・ディスクにしたときスポークに指がひっかからないように床用のシートで車輪全体を覆った。作業は17時頃まで続けた。

 この日は研修中の先生達と来ている中学生ぐらいの女の子が6人ほど遊びに来た。小さいサイエンス・ボーイが来た時は一緒に風で走る車を1台ずつ作った。(ただし、彼らにはまたグライダーを壊された)

 この日も梅雨の日のような天気で、数回短い雨があった。

20080819 火曜日

 9時頃にBさんと一緒にタクシーでSTCターミナルに向かった。24日にホリデイ・スクールが行われるタマレに移動する乗車券を買うためだ。

 チケットは無事に購入できた。5月に買った時と同じ13GHCだった。

 それからPC用品店でプリンタ用インクを、雑貨店でストローを、スーパーで電池とアルミホイルを、文房具店でA4用紙と瞬間接着剤を買った。最後にプラスチック用品店で実験用備品を埃から守るための容器を買った。

 Bさんも文房具や日用品をお買いになっていらっしゃった。

 タクシーでカレッジに戻ってから、購入したものにJ***/WESCOと目立つように書いてから一度食事に部屋に戻った。レイチェルが落花生スープとご飯を用意してくれていた。

 実験室に戻ってからホリデイ・スクールなどに使う教材を作った。まだ終わらなかったが、途中で遊びに来た子供たちには教材の作り方を教えた。

 メディアで報道されたように、ザンビアのムワナワサ大統領が入院中のフランスの病院で死去した。ザンビアでは7日間の喪に服すそうだ。

20080820 水曜日
 5時に起きて、軽食をとってからホリデイ・スクール用の資料作りなどを始めた。

 一段落した頃に寝室の壁を下から見上げたら、ほとんどの壁がうっすらとカビていることが分かった。青い水性塗料が塗られているが、その上に薄茶色にカビが広がっていた。乾季に埃よけのために窓を封じたこと、それとこのところ梅雨のような天気が続いているからだろう。

 その後、部屋の換気をしながら、レイチェルが時間をかけて漂白剤を使ってカビとりをしてくれた。

 ホリデイ・スクールの授業用資料は夕方までかかってなんとかできあがった。明日はそれに貼り付ける分子モデルの写真を撮らなくてはならない。

 夕食は、タクシーを拾ってロイヤル・パーク・ホテルにレイチェルと出かけた。隊員のYGさん、それに日本からおみえになっていらっしゃる彼女のご両親と会食するためだった。ご両親には、風で走る車2台とザムコプターを1台差し上げたが、先方から新宿中村屋のせんべいの詰め合わせをいただいてしまった。ありがとうございました。

20080821 木曜日
写真の色を反転してネガにしてあります

 8時頃から実験室で作業。遊びに来た子供たちと風で走る車を何台か作った。その後、研修に来ている先生が数人見学に来たので、いくつか教材を紹介した。

 ケネディ先生がやって来て、学生200名に実験器具の使い方を説明してほしいと言われたので、日程を調節した。31日に何回かに分けて説明することになった。日曜日だが(?)いいのだろうか。

 それからスペクトロメータ(簡易分光器)を30台ほど作って、今日のラボでの作業は終わりにした。

 部屋に戻ってから壁に長いトレス用紙を貼り付けた。裾は机の上になるようにした。このトレス用紙の上で"ストローで作る分子モデル"のサンプル写真を撮った。夕方まで作業したが、その後PCで画像を確認すると二種類撮影しなかったことが分かった。分子モデルの手引きに写真を貼り付けてみると前のものよりは見栄えがするように思えた。しかし、手引きのサイズが0.5MBから1.1MBに倍増してしまった。

 レイチェルにホリデイ・スクールで使う小テストなどの英語を点検してもらったので、それらも印刷した。紙もインクも節約するようにしたが、枚数は十分だと思う。

 夕食にタマネギ、ニンジン、ジャガイモ、ビーフの煮物をレイチェルが作ってくれた。ほとんど肉じゃがと変わらなかった。

20080822 金曜日
 この日は実験室には行かずに、ずっとPC作業。分子モデルの手引きを作り直し、発表原稿を再点検した。夕方までかかって一段落した。

 時折小雨が降る涼しい一日だったので、なんとか無事に作業が終了した。停電がなかったので助かった。

 夕方、ウェブにアクセスして、キューバに直した原稿など(2MB ほど)を送り、分子モデルの手引き(改訂版)をアップした。ネットワークに問題がなかったので、30分ほどで終了した。

 夕食はインスタント・フーフーとオクラ・スープをレイチェルが作ってくれた。

20080823 土曜日
 昨晩長く雨が降ったので、すずしい朝だった。

 インッタネットにアクセスしてみると、昨日送信したメイル(ヤフーメイルを使った)はキューバに届かなかったことが分かった。そこで、ホットメイルを使って再送信したが、これもだめだった。ホットメイルの"送信できませんでした"という理由を読むと、送信したメイルが、受け手のメイルサーバーの1メイルあたりの最大容量を超えているため、相手が受け取れないらしい。

 そこで、メイルに添付したファイルの画像を圧縮して再送信した。ヤフーメイルとホットメイル両方で送信したが、今回は配信できませんでしたという返答はなかった。

 この1週間ほどの間に、カレッジの先生のUSBメモリーを自分PCに差し込んで、2回テストなどを印刷したのだが、そのたびにウイルスやトロイの木馬がいくつも見つかった。あまりに多いので数えるのをやめてしまうほどだった。ところが、そこからだろうかPCにひとつウイルスが入ってしまった。それで、2台のPCと外付けHD、USBメモリーの全てをスキャンした。

 明日タマレに向かって移動するので、ホリデイ・スクール用の教材類を実験室でレイチェルとまとめた。箱が9個、それと箱に入らない雑多なものになった。ほとんどがペットボトルやストローなので、とても軽く空気を運ぶようなものだ。明日の昼頃J***のトラックが立ち寄ってこれらの教材類を積み込んでくれるはずだ。

 午後、HSさんが日本の知人にとどけて欲しいというクラフト類を持ってカレッジまで来てくれた。ロウケツ染めがの服などだった。日本に着いてから送付すればよいらしい。

20080824-30 タマレのホリデイ・スクールに参加
 24日の朝、10時発のタマレ行きSTCバスに乗るために9時少し前に部屋を出た。タクシーに乗って聖ルイス校でBさんと合流してからターミナルに向かった(レイチェルは留守番)。

 バスはほぼ定刻に出発し、目立った渋滞にもあわなかったのだが、7時間半かけて17時半にタマレに到着した。途中でレイチェルからSMSがあり、タマレに運ぶ自分の教材類は無事に事務所のトラックに積み込まれたと伝えてくれた。

 バスを降りてすぐに、宿泊先であるカソリック・ゲスト・ハウスにタクシーで移動した。いったん荷物を部屋に下ろしてTKさん(タマレで活動している隊員さん、今回は交渉の責任者)に電話すると、自分用の部屋は別にとってあると言われた。そこで、レセプションに行って、自分とBさんの部屋を予めTKさんが手配してくれていた部屋に変更してもらった。それほど広くないものの、タイル貼りの床、空調、天井ファン、冷蔵庫、TVがある部屋に移ることができた。

 その後、ホリデイ・スクールの特別講師として到着していた2名の隊員さん、Bさんとラス・ホテルの2階にある中華料理店へ行き夕食を食べた。

 部屋に戻って洗濯と水浴びをした。昨年、ホテルでの断水でこまったので、今回はダマンゴの行事と同じようにバケツを持って来た。水浴びの後、しっかりバケツに水をためた。

開会式
班別オリエンテーション
粉塵爆発(昨年と同じ)
科学博覧会
 25日が正式のホリデイ・スクール開校日。朝から小雨、そして8時半にゲスト・ハウスを出たときには雨は本降りになっていた。Bさんとタクシーで会場であるタマレ・ポリテクニックに移動した。傘をさしながら開会式の行われるダイニング・ホールまで歩いて行った。場所が分からなかったが女学生が親切に案内してくれた。

 雨の音が大きいので、拡声器を使って主催者、事務所などからの挨拶があった。日本人ボランティアは、各自が短く自己紹介をした。

 開会式の後、6つある生活班(参加生徒は、10名×6班で60名、中学生から教員養成校の学生まで)に分かれて、班別のオリエンテーションが行われた。

 この日の午後は科学博覧会。期間中に使う3つの教室を使って、各ボランティアが持って来た理数科教材類を展示したり、実演したり、遊んでもらったりする催しだった。

 自分はいつものように(?)、ストロー多面体、カメラ・モデル、糸巻き戦車、ゴム動力カイト、風で走るクルマ、ザムコプター類、ジャイロ・ディスク、簡易スペクトロメータ、針穴写真機、グライダーなどを展示・演示した。

 博覧会の後、打ち合わせに参加してからゲスト・ハウスに戻った。隊員さん達は、夜にもイブニング・レッスンを企画していたが、休養を優先した。この晩のレッスンはお習字だった。

 夕食はゲスト・ハウスから歩いて5分ほどのスワッドというレストランにMZさん、NSさん、Bさんと出かけた。ピザ、ヤキソバ、スープ、バターカレー、チキンのカツレツ(?)などいろいろ注文した。

太陽熱調理器の製作
空気砲(Vortex gun)
熱気球
音楽
 26日、2日目の午前中には理数科隊員さん達の授業があった。9時に1時間目が始まり、授業時間は50分、休み時間は10分だった。4時間目まであったので、終了は12時50分だった。同じ時間帯に3種類の授業があったので、60人の参加者が3つに分かれて希望の授業を受講できるようになっていた。各授業は担当の隊員さんが講義をするだけでなく、講師と同じ生活班を指導している隊員さんが補佐に入るように組まれていた。

 午後には、特別講師(理数科以外の隊員さん)による環境教育、音楽、手芸、ラグビーの授業が行われた。

 午後の授業中には陽射しがあり、暑かったのでラグビーをした参加者や隊員さんは、かなり消耗したようすだった。

 この晩には、女子参加者に浴衣の着付けのイブニング・レッスンがあった。

ストロー多面体づくり
声による二次元定常波
ルパン映画を鑑賞
近所の子供達(みんなはだし)
 27日。8時過ぎにゲスト・ハウスを出ようとしていたらホリデイ・スクールの教務を担当しているIGさんから電話があった。9時からの1時間目の授業を担当している隊員さんが体をこわしたので、代講ができないかということだった。その場で快諾して、タクシーでポリテクニックに急いだ。

 ストローを多めに持ってきていたので、多面体づくりをすることにして、教室で準備を始めた。

 しばらくして数名の隊員さんが来て、ストローを配りやすいように数えて束ねる作業などを手伝ってくれたのでとても助かった。

 中学生から教員養成校の学生までが混じっていたが、全員が正八面体を50分で無事作り上げたので安心した。代講したために、1時間目の他の2つの授業は見学できなかったが、2時間目以降は昨日と同じように見学できた。

 KWさんが声による二次元定常波の演示用具を改良し、(クマシから持って来た材料が役立ちました)授業でそれを見事に使って見せていたのが印象的だった。

 午後は、ルパン映画の鑑賞。英語版、英語の字幕付き。参加者には大うけだったそうだ。

 自分は映画が始まる所まで見てから、明日の自分の授業の準備をさせてもらった。

 夕方、ダイニング・ホールの近くで遊んでいる子供達と持って来たカイトや竹とんぼ(みたいなもの)で遊んだ。

呼吸器モデルの製作
分子モデルの製作
この日の昼食
運動会の準備運動
 28日には、早めに起きて(2時半に目覚めたが、3時半から起き上がった)授業の準備をゲスト・ハウスでした。7時過ぎには出て、ポリテクニックに向かった。この日の午前中は自分の授業が100分×2、それと事務所のSTフィールド(理数科関係)調整員による授業が100分×2予定されていた。授業の定員は30名ずつなので、全ての参加者が自分とSTさんの授業を取れることになっていた。

 自分は、肺と横隔膜モデル(呼吸器モデル)づくりとストロー分子モデルの実習を参加者にさせた。呼吸器モデルづくりを始めると外は豪雨になり、部屋は薄暗く雨漏りも始まったので少し心配したが、やがて天気が回復したので、支障なく作業ができるようになった。(STさんはプロジェクターを使って写真を見せながら授業をしていたそうなので、停電になったらどうしようと心配されたそうだ)

 分子モデルの授業が終わると、帰ってから学校や自宅でモデルをもっと作りたいのでストローを分けてくれないかと参加者や見学のガーナの先生達がやってきた。その結果、3000本は持って来たストローを全て渡してしまった。

 この日の午後は運動会。ラグビーの時に暑さと湿気が厳しいことが分かったので、飲料水や体にかける水を十分に用意して行事が始まった。

 自分は、休養するために(病気になって足手まといになるのが一番迷惑だから)運動会の途中でゲスト・ハウスに戻らせてもらった。

朝の集会
障害者団体代表による講習(代表者の車椅子)
感染の広がりの模擬実験
救急法講習
参加者によるお礼の言葉
IGさんの発声で乾杯
 29日は最終日。朝礼を見学するとガーナの生徒さんの司会でキビキビとしかも和気あいあいと会が進んでいた。

 午前中にあった最後の授業は、HIV/AIDS教育、障害者教育、保健教育(救急法)だった。それぞれ90分で2回ずつ行われた。

 授業の後、閉会式と昼食を兼ねたパーティが行われた。どの参加者も満足しきった表情だったのが印象的だった。

 大掃除、片付けの後16時から18時まで、関係者による最後の打ち合わせが行われた。今回は、参加者の生活に関する細かなことにまで配慮が行き届いたホリデイ・スクールであったことにとても感心した。


 30日。5時に起きてゆっくり荷造りをした。

 ゲスト・ハウスにいた間は、毎朝ゲスト・ハウスの外の歩道沿いで軽食を作って販売している人に、フライド・エッグ(実はオムレツ)を作ってもらっていた。この朝も、そのオムレツと別の店で買ったパンを食べ、ミネラル・ウオーターを飲んで朝ごはんにした。

 9時少し前にチェック・アウトしてSTCターミナルまでタクシーで移動した。10時発予定のバスは10時10分に出発した。満席ではなかった。12時半頃ドライブイン(?)で休憩。16時にクマシのSTCターミナルに着いた。クマシに入ったところで、大型のトレーラーが反対車線を完全にふさいで立ち往生していて、その後ろにピクリとも動かない渋滞ができていた。自分側の車線でなくて幸運だと思った。

 STCターミナルで9月2日のアクラ行きチケットを2つ買ってからカレッジにタクシーで戻った。

20080831 日曜日
 朝起きてナイジェリア製のラーメンを食べた。でも、レイチェルが起きる頃にお腹が減ってきたので、オムレツとインスタントのスープを作って、レイチェルともう一度食事をした。

 その後、ホリデイ・スクールのまとめをつくるのに午前中一杯かかった。

 その後、日本に移動するための雑多な準備をした。

 この日に予定されていた理科教材紹介は明日になったが、ケネディ先生とコフィー先生によると200名×2(?)の先生達が来るかもしれない。

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