2008年12月の日記 連絡先(e-mail)
2008年11月の日記

ガーナの記録は、更新頻度が少ないのでザンビア版とは日付が逆になっています

20081201 HIV/AIDS デイ 月曜日 夜になって水が出た

 6時半頃に実験室に移動して、いつものように掃除をしてから緑葉における光とデンブン生成の関係を確かめる実験の準備を始めた。

 9時10分頃に準備が一段落したので、構内にある売店で1パック500mlのろ過水(水道水をろ過したもの)の20袋入りバッグを3つ買った。ひとつは実験室に、二つは自宅に運んだ。もう構内の水タンクは空になっているので、学生達は構外へ水を汲みに行っていた。

 9時50分から実習、メタノールを節約しようとして水、プロパノール、メタノール混合液をアルコール・ランプの燃料に使ったが、少々着火が悪かった。一度火がつけば実験には支障がなかったのだが。

 最後のグループの実習課題を評価し終わったのが、実習終了の定刻11時50分だった。それから、掃除と洗い物をしてから部屋に帰るか成績をまとめるか悩んだが、後者を選んだ。

 その作業が一段落した頃、2年生の学生が二人遊びに来たので、彼らと一緒に風で走る車を三台作った。二台は学生に持たせて帰らせた。

 部屋に戻るとタウンから新しく髪を編みこんだレイチェルが帰ってきていた。自分が貯めてあった水で体を洗った後、レイチェルは水場でたまっていた洗濯をしてくれた。自分の分はすすげばよいだけにしておいたのだが。すすぎには、午前中に買ってきた飲み水のパックを30個以上使った。

 調理と片付けに余り水を使わないようにテイク・アウェイを買って夕食にした。テイク・アウェイのお店で待っていると、お店の前を遠方まで水汲みに行くカレッジの学生達が通り過ぎて行った。

 夕食の後、早めに床に入って文庫本を読んでいた。21時12分頃、水が出始めた。30分ほど出しっぱなしにしてからバケツやペット・ボトルなどに漂白剤を加えた水道水を貯めた。お昼にしなかった洗濯と床掃除などもできた。ただし、明日の朝に水が出るとはかぎらない。

20081202 火曜日 大統領選と総選挙の投票まで後5日

 実習用に葉にアルミホイルを貼り付けておいた木をガーデナーに切り倒されてしまった。もう2・3時間光に当ててからなら良かったのだが。"切らないで"という札を英語だけで作っておいたのがいけなかったのか?明らかに実習用と分かると思ったのに。

 切られた木の葉でもなんとか実習に使えることを確認した後は、昨日の続きで成績を記録する作業を12時10分からの実習前までした。途中で2回ほど息抜きにゴム動力飛行機を飛ばしにグラウンドに行った。この日は概ね曇りで、強い陽がさした時間は短かった。それでも、実習が始まる頃からはかなり暑くなった。

 実習後に、明日7時からコフィ先生が授業で使う実験器具をテーブルに並べた。15時頃に実験室を出て部屋に戻った。

 部屋に戻ると朝は出ていた水が止まっていた。タウンからちょうど帰ってきたばかりのレイチェルは汗を水浴びで洗い流すをためらっているようだった。それでも、自分だけ汲み置きの水で体を洗った。使った分の水はすぐに近くのタンクまで汲みに行った。幸いこの日の断水は18時頃に復旧した。

 夕食にビーフのソースとインスタントのフーフーをレイチェルが作ってくれた。

 夕食が終わってから、ばたばたと洗濯、床掃除、アイロンがけ、再度の水浴びをした。

20081203 水曜日 選挙まで4日

 弱い雨が昨晩降ったので、朝の道は湿っていた。実験室に6時半頃入りコフィ先生の実習用具を追加で用意した。9時過ぎにコフィ先生の実習の片付けをしてから一度部屋に戻って、旅券、旅券の写し、小切手をバッグに入れた。

 裏門を出てタクシーを拾い、アドゥーンの銀行へ行った。もしもの場合(選挙に伴う騒乱があった場合)に備えてお金を下ろした。平穏に選挙が行われれば、2月まで銀行に行く必要はない現金をこれで準備した。

 その後、PC店でプリンタ用のインクを買った。ガーナ通貨のドルに対する下落が続いているため、45GHCだったカラー・インクは50GHCになっていた。

 PC店からアドゥーンの丘の上まで歩いた。途中でクリスマス・ツリーやクリスマスの飾りつけを売っているのを見た。

 スーパーのオポク・トレイディグに入ってみると内装の模様替え中だった。売り場の西側の壁を取り払って、隣の部屋とつなげ、売り場を大きくしていた。デトロ、シャンプー、スパゲッティ、ラーメン、洗濯洗剤、石鹸、ロング・ライフ・ミルクを買った。それから隣の野菜スタンドで買い物をしてカレッジに戻った。

 部屋に戻ると、まだお昼を少し回った頃だった。レイチェルが作ってくれた雑炊を食べてから洗濯と水浴びをした。それから少し長い昼寝をした。

 風と雨の音で目覚めると17時近くになっていた。外は北から風が吹きつけ、強い雨がしばらく続いた。雨が止んでから、実習用の葉につけておいたアルミホイルがはがれていないか確かめに実験室まで行った。

20081204 木曜日 選挙まで3日
 9時50分からの実習前に、ゴム動力飛行機をひとつ作った。この朝は時々太陽が顔を出したので、光合成の実習用の葉にも十分に光があったたようだった。  最初の実習が無事終了した後、15分の休憩をはさんで次の実習の予定だった。そこで、大急ぎで薬品の補充やガラス器具洗いをして準備をすませた。

 時間が来たので、学生を呼びに教室に行ってみると、全員英語のテキストを広げて勉強していた。午後は授業が無く、スペリング・ビー(綴り方競争)があるからだった。

 実習は延期になってしまったが、昨日の雨でとても湿気が多くて閉口していたので内心助かった感じだった。

 時間ができたので、今日作った飛行機の試験飛行をした。飛行機は、グラウンドを飛び出して飛び続けたために、木にひっかかってしまった。しかも二度も。幸い、学生が長い木の皮を持ってきて、飛行機をとってくれた。(ただし、翼の穴をふさがなくてはならないが)

 学生達は明朝の集会の後、地元に戻るそうだ。月曜日にカレッジに戻り、火曜日から平常授業の予定らしい。

20081205 金曜日 選挙まで2日
 午前中にほとんどの学生が帰省した。

 もしもの騒乱に備えて、旅券、現金、カード類などを含む緊急持ち出し品の準備をした。自分の分、レイチェルの分をそれぞれに余り大きくないバッグに詰め込んだ。ただし、本当にもしもの時には、さらに別にリストした追加の小物や水、食べ物などを持ち出さなければならない。

 昨日も日中は断水だったが、この日も朝から水が出なかった。夕方に数十分弱く給水があっただけで、また水は止まった。近くのタンクからバケツ4杯の水を運んで使ったが、洗濯まではできなかった。

 午後はPCのバックアップとメインテナンス作業、それにクマシに出張でいらっしゃる調整員の方に渡すための書類準備をした。

 明日から3日間は自宅待機になるので、飲み水、トイレットペーパー、パン、電池、缶詰、お酒、果物などの買いだめをした。

 TVは終日今日が最後の選挙キャンペーンの報道だった。政党CMも多かった。歌と踊りと演説の政党集会(rally)が放送され続けた。(圧倒的に与党の報道が多かったが)

20081206 土曜日 投票前日
 昨晩23時になって水が出たので、洗濯をしたり水を貯めたりできた。でも、朝になって起きてみると水は止まっていた。今日から3日の間、選挙中の安全対策として自宅待機である。

 投票日前後にクマシ待機である調整員のTHさんが10時過ぎに自宅に寄ってくださった。THさんには、事務所に提出する書類などをお渡しした。THさんによると、昨日の道路は投票のため地元に移動する車で混雑していたそうだった。一方、昨日で選挙運動が終わっていたので、今日のクマシ市内へ平常通りだったらしい。

 朝ごはんにコーンフレークを食べ、お昼にビーフスープとご飯を作った。自宅でごろごろしていた一日になってしまった。

20081207 日曜日 投票日

 昨日は結局水が出なかった。今朝になっても断水だったので、朝食後水を汲みに丘の上のタンクまで行くと、水は無いと言われた。でも、そこに住んでいる子供達が遠方までバケツ二杯分の水汲みに行ってくれた。

 タンクから正門脇のグラウンドを見ると、そこに投票所が設けられていた。クマシのあるアシャンティ地区の人口は約200万人だそうだが、地区内に3600の投票所が準備されているそうだ。ただし、その投票所は、露天だったので、日が照っている間はとても暑そうだった。

 バレー・コートの脇には移動式のMTN社の中継局が置かれていた、高いアンテナと発電機付きだった。投票後72時間以内に選挙結果を発表するために設置されたようだ。

 カレッジ内は全般に人気が無く、静かだった。

  テレビでの投票案内によると、投票所での有権者の行動は次の通り。1.有権者IDを提示し有権者名簿との照合を受ける 2.人差し指をインクに浸す(二重投票を防ぐために投票済者を判別する落ちにくいインク) 3.大統領選挙用の投票用紙をもらう、投票用紙には候補者の顔写真と政党のマークが印刷されている 4.ダンボールで囲まれたブースで、支持する政党のマークの右側にある空欄に2とは別のインクで拇印を押す  5.親指のインクをしっかり拭き取る(投票用紙を汚さないため、汚してしまうと無効票になってしまう) 6.投票用紙を縦に折り、次に横に折る、その後投票箱に入れる 7.国会議員選挙用の投票用紙を受け取り同様に繰り返す 一度投票所を出て、もう一度投票しようとやってきたり、他人のIDで投票しようとしたり、18歳未満で投票しようとするとその場で拘束されるらしい。テレビのキャスター達は朝から興奮気味で、各地の投票の様子を熱心に報道していた。

 テレビのキャスター達は朝から興奮気味で、各地の投票の様子を熱心に報道していた。

20081208 月曜日 イード・アルアドハー(供犠祭)の休日
 7時前に起きると、TVで見られる4放送局のうちTV3とGTVは選挙関係の番組だったが、MTVはイスラム関係の番組を流していた。今日は供犠祭だからだ。

 今日中に学生が戻ってきて、明日から授業再開のはずなのだが、いまだに水が出ない。これでは学生がとても困ると思う。自分達は朝食後に、裏門を出てすぐにあるろ過水パックの業者から30パック入り(全部で15リットル)の水を5袋買った。自宅で使っているバケツにすると6杯分位か。小売店で買うと1袋1.3GHCなのだが、その業者は製造と卸をしているので0.8GHCで売ってくれた。今日はこれでしのげるが洗濯ができるほどの量ではない。

 その後、実験室に行ってお昼まで今週の実習準備をした。ただし、薬品の残りが心もとない。

 スナック(パンと鰯の缶詰)を部屋で食べてから、実験室でメモした実習(唾液によるでんぷんの分解)の手引き作りを始めた。レイチェルに英語を点検してもらったりしながら、17時頃までかかって印刷まで終了した。

 8時20分、学生の実習レポートをスキャンしていたら水道から水が出始めた。今回の断水は、金曜日の朝から水が使えず、構内のタンクは1日で空になるという厳しい状況だった。前回の断水明けのように水をしばらく出しっぱなしにしてから、水を蓄えたり、洗濯をしたりした。

 今日の供犠祭の報道が短くTVであった。生贄用の動物の価格が高騰(一頭100〜500GHCとか)していてイスラム教徒が困っているようだった。

20081209 火曜日 授業再開

 12時10分からの実習に備えて午前中に試験管立の代用品を二つ作った。

 選挙明けで学生が全員出席できなかったが実習は思ったより順調だった。ほとんどの班がやり直しをせずに唾液の性質を調べることができた。(1グループだけ試薬を入れる順序を間違えてやり直し)

 15時過ぎに部屋に戻って水浴び、断水だったので洗濯は水が回復してからにした。  選挙の開票を見るとまれに見る接戦のようだった。

 自宅の近くにあるゴミ置き場からのゴミを焼く煙がひどく、異臭が続いて困った。

20081210 大統領選結果発表
 今日が大統領選結果発表予定日だったので、本日と明日は自宅待機である。14時に選挙管理委員会の公式発表が行われると調整員からSMSがあったので、それを待った。

 TVを通じて発表は14時半過ぎから委員長により行われた。結局過半数を制した候補者がいなかったため(得票上位候補者二名で約49%対48%だった)28日に決選投票が実施されることになった。

 野菜の買い置きが底をついてきたので、食べられるものが限定されつつある。

20081211 木曜日

 実験室に入ると、先日のSRC発表会で使われなかった教材が実験台に置いてあった。そこで、実習の準備をしてから、ゴム動力飛行機などを修理した。飛行機の翼は紙から薄いプラスチックに変更した。

 実習前に時間ができたので、グラウンドで試験飛行をした。飛行機を飛ばす準備をしていたら、上空から降りてきたトンビのような鳥に襲われた。頭を蹴られただけだったが。

 2クラス目の実習には一部の学生が先週のspelling beeの続きで参加できなかった。

 全ての片付けが終わってから遊びに来た小中学生とゴム動力飛行機などで遊んだ。飛行機が2機屋根にひかっかってしまったが、子供達は梯子を探してきて屋根にのぼり、無事にそれらを回収してくれた。

 17時前に部屋に戻ると、午前中からずっと断水だとレイチェルが行っていた。バケツの汲み置き水で水浴びをしてから近くのタンクにバケツを持って行った。ところが、タンクは空、そして学生によると丘の上の貯水槽も空だそうだった。幸い水は夕食前に出てきたが、構内の水事情が悪くなると心配だ。

20081212 金曜日
 この日は実習無し、午前中に部屋で唾液の実習の模範解答を仕上げた。

 お昼前から実験室に行って、掃除、黒板の書き直しなどをした。水が出ていたので貯められるだけ貯めた。いつものように大きな容器の水には漂白剤を加えて、長期保存できるようにした。

 昨日に続いてゴム動力飛行機を1機修理したので、グラウンドで子供達と遊んでから部屋に戻った。

 15時半頃から16時半頃まで散歩をかねて買い物に出た。缶詰、ラーメン、水、トマト、トイレットペーパー、ジュース、チーズなどを買った。カレッジに戻る頃に空を見上げたら東の方から真っ黒な雲が近づいてくるところだった。

 部屋に戻ってから5分ほど経つと雨が降り始め、数分で強い東風を伴う雷雨になった。最近では一番激しい雨で30分ほど強く降り続けた。調理と食事に使っている部屋、寝室ともに雨水が入り込んだ。特に前者はひどく、雨の後掃除するのに1時間ほどかかった。入り込んだ水は床に敷いてあるシートの下に残っているので明日の朝にまた掃除をする必要がありそうだ。

 南向きの窓の、天井に近い窓枠と壁の隙間にトカゲが巣を作っているようだ。これまでに卵が一つ、卵の殻が二つ分落ちてきた。今日落ちてきたのは途中まで育っていた卵で、コンクリートにぶつかって割れてしまった。卵の大部分を占める卵黄と成長途中だった胚が見えた。

20081213 土曜日
 朝から断水だった。歩いてタウンに向かい、ゴムひも、漂白剤(2)、ポリエチレンの袋、メタノールなどを買った。道路は車でとても混在していた。薬局を3つ回り、最後の薬局でメタノールを買えたのはとてもラッキーだった。実験室のメタノールは使い切っていたので、これで月曜からまた実習ができる。

 それから、アドゥーンの丘の上にあるスーパーで日用品を、そしてその横の野菜スタンドで野菜を買った。タクシーでカレッジに戻り、部屋に荷物を下ろしてからメタノールとゴムひも、それに漂白剤のボトルを1本持って実験室に行った。

 少しだけ実験室の片付けをしてから部屋に戻り、水浴びをした。その後PC作業をしていると給水が再開されたので、水を貯めたり洗濯をしたりした。

 別に外出していたレイチェルが戻ってきて、昨日の雨で汚れた床をもう一度掃除してくれた。

 午後は1月の実験ツアーの案作りを始めた。電気分解用具の再デザインなどで時間がかかった。

20081214 日曜日
 クリスマスカードを作って印刷し、ラミネートしたのだが、その後で写真の差し替えをした方が良いことが分かり作り直した。

 実験の手引きを修正して印刷したり、実習用の課題作りをしたりした。

 夕食にレイチェルが久しぶりにフーフー(インスタントだけど)を作ってくれた。野菜ソースと近くのテイク・アウェイで買った魚とチキンのフライで食べた。

 短い停電が何回かあり、そのたびにろうそくに火をつけた。

20081215 月曜日
先週の雷雨で折れた
教員室の塗り替え中

 9時50分から唾液を利用した酵素の実習。実習前の準備をメモしてみた。0.実験室の掃除。1.パックのろ過水を各グループ(8班)用の容器(ビーカーの代用品)に入れた。2.ガスバーナーで加熱しながらビーカーに水とデンプンを入れてデンプンのりを作った(酵素の基質になる)。3.実習で湯煎をするので、実習時間短縮とアルコールランプの燃料節約のためにガスバーナーで熱湯を準備した。4.唾液を吸収するための脱脂綿を各グループ用に分けた。5.アルコールランプの燃料を補充した。6.リトマス試験紙を取り出しやすいように包みから出してバラバラにした。7.試験管を試験管立に並べた。8.試薬などを吸い上げるためのストローを分けた。9実験台毎に説明と課題を配った。

 実習の後、いつものように1時間ほど後片付けをした。それから小学生達とグラウンドで、しばらくゴム動力飛行機を飛ばした。飛行機付属のゴムがだめになっても、タウンで買ったゴムひもを使うと快調に飛ぶことが分かったので、今飛ばせる飛行機のほとんどには、地元の赤いゴムをつけている。

 部屋に戻ったが、断水だった。この日は朝から9時頃まで断水、数十分給水があってまた断水だった。汗をかいていたので、ペット・ボトルに入れておいた水で水浴びをした。

 準備室から借りてきた"Teaching science to the ordinary pupil"という本を開いたら初版の発行は1957年だった。それでも、図表のいくつかはとても役立ちそうだ。

20081216 寮対抗スポーツ大会


 この日は午前中だけ授業だった。昨日教員室に立ち寄ると壁の塗り替えをしていたが、ボードに16・17日は寮対抗スポーツ大会と張り紙があった。同僚に聞くと授業はあるとの返答だったので、昨晩のうちに溶液の調整法の資料を作って実験室に持ってきた。今日改めて学生に確認したら、12時からスポーツ大会なので、午後は授業無しとのことだった。

 今日は受け持ちの授業がなくなった!と思っていたら、コフィ先生が顕微鏡の指導をしたいので、手伝って欲しいと言ってきた。2年生の1クラスを対象に9時50分からの予定だった。そこで、実験台を少し片付けて、顕微鏡を13台配置したり、植物組織のプレパラートを準備したりして学生を待った。

 実習の後、後片付けをしてから部屋に戻った。今日は午後にも水があり、水浴びも洗濯も安心してできた。自宅のあるナイト・ホールの男子学生はイベントらしく踊ったり、歌ったり、太鼓・鐘などを演奏したりしていた。

 夜9時頃から雨が降り出した。弱くなったり強くなったりしながら1時間ほども降ったか。食事室側に少しだけ浸水があった。

20081217 寮対抗スポーツ大会

 本部棟に行ってみると8時からスポーツ大会と掲示があった。でも8時半にグラウンドに行くと、まだ何も始まっていなかった。10時に行くと、テントの準備ラインの準備がしっかりできていた。  ナイト・ホールの学生達は太鼓をたたいて士気を盛り上げていた。見学したかったが、急ぎの書類があったので、部屋でPC作業をした。  夕方、部屋の外がまた騒がしくなった。カメラを持って出てみると、ナイト・ホールは総合優勝!学生はまた歌って踊って喜びを表現していた。  この日は朝から16時半まで断水だった。
20081218 木曜日

 学生達は明日帰省なので、朝食が終わってから本格的に帰省の準備をし始めた。断水にもかかわらず遠くから水を運んで洗濯している姿が目立った。

 実習が予定されていたが、彼らの準備を優先させた。それでも折角教室に残っていた学生にはストロー多面体の作り方を教えた。

 12時近くになってケネディ先生から15時に先月の13日に来た中学生がまた来ると言われた。バイメタル、液体の膨張、簡単な直流回路を作っての電流と電圧の関係の実験などを見せて欲しいと頼まれた。

 そこで、倉庫からバイメタルを掘り出したり、別の実験に使えそうな器具を倉庫と化学室から取ってきたりした。この日は午前中に実験室でも水道が使えたので、そのときに貯めた水で、汚れていたそれらの器具の一部を洗った。

 湿気がひどかったのと、埃だらけの倉庫に入ったので、一度部屋に戻ってペット・ボトルに入れておいた水(断水だったから)で水浴びをした。それからスナックを食べ、再び実験室に行った。

 予定より30分ほど早く15名ほどの生徒と引率の先生がニッサンのバンに乗ってやってきた。電流と電圧の関係、バイメタルの性質、液体の膨張と収縮、ボールとリング、気体の膨張の実験を見せることができた。

20081219 金曜日

 7時半過ぎにいつもより遅く朝食をすませた。学生達は6時頃から出発し始めていたようだ。この日の夕方までに寮はほとんど空になった。

 午前中にレイチェルと精肉店のスピード・ウェイに行った。10キロ?ほどもソーセージ、鶏肉、豚肉、ビーフを買ってきた。帰宅してから、いつものようにレイチェルが冷凍肉を洗って切りなおしてくれた。それから、1回分の料理用にポリ袋に詰めなおし冷凍庫に入れた。チキンは丸ごとのものを2羽分買っていたので、少し解凍させてから解体した。(自分はその頃、出かけていたので、レイチェルが)

 お昼頃に実験室に行った。14時からのマイケル先生が面倒を見ている私立中学生の来校に備えた。実験器具類の学習の予定で、先月28日に来た生徒さん達とは別の生徒が来るときていたが、準備は器具類の準備は同じでよいとのことだった。

 この日は実験室でも水が十分に使えたので、器具類の準備の前にしっかり水をためたり掃除をしたりできた。

 中学生は13時半には来校したが、先生達を待っていた。そのため14時半からの勉強会になった。器具類の説明は1時間ほどで無事終了した。最後に空気圧ロケットを2回飛ばした。

 中学生が帰ってから1時間ほど片付けと掃除をした。床に水をまいてブラシでこすった。それができるほど今日は水が出ていた。

 夕方に近所までいつものように買い物にいくと、ガーナに最近進出した携帯電話サービスのZAIN社(旧セルテル社)のポスターが目に付いた。

20081220 土曜日
 8時半頃に部屋を出て歩いてケジェティアを通り、アドゥーンに行った。ゴムひも、ポリエチレン袋、メタノール、クリスマスカード、それに日用品などを買い、タクシーでお昼前に戻った。

 荷物の一部を部屋に置いて、薬品やポリ袋などをもって実験室に行った。メタノールを買えたので、加熱を伴う実習ももうしばらく繰り返すことができそうだ。この日も水道が使えたので、実験台などの雑巾がけをしてから、水を貯めた。

 昨日、子供達に壊されたゴム動力飛行機を直して、試験飛行。そうしたら、集まってきた子供達に、また別の飛行機が壊されてしまった。

 午後は少し長い昼寝をして休養した。  年内に西アフリカ統一試験の解答例作りと、実験ツアーの準備をしあげなければならない。

20081221 日曜日 大統領選決選投票まで後1週間
 学生がいないので、朝から静かな一日だった。でも、昼過ぎから道路を挟んで裏門の正面にできたブティックが、開店祝いの音楽を大音量でかけ始めたので少々まいった。

 日中は、多少停電があったものの、シーツを洗ったり、床掃除をしたりすることができた。

 レイチェルが気の利いた誕生日カードを渡してくれた。

20081222 月曜日
 昨晩辞書などを使いながら西アフリカ統一試験の生物(と農業?)の解答例をかなり作った。明後日WTさんが取りにきてくれることになったので、それまでに再点検が必要だ。

 日本から届いた荷物をクマシに立ち寄った調整員さんがHRさんに預けてくださっていたので、HRさんの出勤途中に待ち合わせて受け取ることにしていた。9時に部屋を出てケジェティアを通り、アドゥーンに向かい、郵便局の前でHRさんに会うことができた。ゆうパックの箱に入った2Kgの荷物を受け取った。

 その後、使い捨てゴム手袋、漂白剤、磁石つきのドアキャッチャを買って部屋に戻った。途中で通ったタウンの通りは混雑していた。特にケジェティアのバス停周辺は、通勤時間帯のホームのように人でびっしりだったので驚いた。

20081223 火曜日 大統領選決選投票特別投票日
 この日は、28日の決選投票日に仕事に就かなければならない、ジャーナリスト、選挙管理委員会関係者、警察官、警備兵などの投票日だった。アセンブリー・ホールが投票所だったので、長い行列が建物の外に伸びていた。蒸し暑かったので、投票所が屋外から屋内になってよかったと思った。

 実験室で昨日かったドアキャッチャを分解して磁石を取り出した。以前より値上がりしていたが、内部の磁石の品質が向上していた。形も性能も均質だった。

 アッセム先生の車でプロパンガスを充填に行った。わずかな距離なのに行きも帰りも渋滞だった。プロパンガスの値段は14.5kgで9.5GHCまで値下がりしていた。

20081224 水曜日
乾季に落葉する葉を集めて落ち葉焚き

 朝から断水だった。それほど強い陽射しは無いものの、蒸し暑い一日だった。外は埃っぽい風が吹いていた。本部棟近くの大木からは、からからと音をたてて落葉していた。

 午前中に、実験室で呼吸器モデル用のゴム栓の代用品をゴムぞうりから作った。

 午後には二組来客があった。一人はWTさん、任地から1時間ほどかけて来てくれた。クリスマス商戦で賑わうクマシの混雑に驚いたと話していた。彼女には、西アフリカ試験の解答例を印刷とデジタル・データで渡した。

 WTさんと入れ替わりにオリビアさんと、その従兄弟が訪ねてきてくれた。レイチェルも突然の訪問でとてもうれしそうだった。急いで二人の写真を撮り、その写真の入ったクリスマスカードを作って渡した。オリビアさんにはプランティーン(主食用のバナナ)をたくさんもらった。自分達だけでは食べきれないので、アクオスさんの家族にほとんどをまわした。

 よく自宅まで遊びに使うもの(輪ゴムとか竹丈とか)をねだりに来る先生方の子供達に一時帰国の時に買ってきた飛行機のおもちゃ?をクリスマス・プレゼント代わりに渡した。

 断水は20時半頃になって回復した。この日はバケツ11杯分の水を近くのタンクから運んでいた。

20081225 クリスマス 決選投票まで後3日

 午前中に実験室に行って実験台などの雑巾がけをした。部屋に戻ってシャワーを浴びてから身支度をして、12時少し前にゴールデン・チューリップ・ホテルに二人で出かけた。クリスマスの昼食ビュッフェをクマシ近郊の隊員さん達ととるためだった。

 事前の連絡では、12時集合で12時半から食事、混雑する場合は入場制限があるかもしれないとのことだった。しかし、タクシーから降りてみると、ホテルは前回に訪れた時とさほどかわらないようすで、お客さんもそれほど多くなかった。

 レストランは13時に開場し、16時のビュッフェ終了までボランティアとその家族で合計11名が食事を楽しんだ。一人32GHCというのは、こちらではとても高額だと思った。レストランのお客さんの大部分は現地の人ではないようだった。

 テーブルには小さなプレゼントが配られ、サンタに扮した従業員も登場した。七面鳥の丸焼きをスライスしてくれたり、プロの生演奏もあった。

20081226 ボクシングデイ(クリスマスの贈り物の日) 決選投票まで後2日
 朝の6時半に校長先生が訪ねていらっしゃった。伝統行事としてクリスマスの間に全職員宅を訪問するそうだ。昨年は歩いていらっしゃったが、今日は車だった。

 ほとんど自宅でのんびりした。来月の実験ツアーの準備が全然すすまないが、新しい案が出てくるのを待っている感じだ。午後、レイチェルと実験室に上がって簡単に掃除をした。

 夕食に野菜と牛肉の煮物を作った。カレッジは校舎も寮もひっそりしてさびしいくらいだ。

20081227 土曜日 決選投票まであと1日
 朝食の後、身支度してアドゥーンまでタクシーで買い物に出た。蚊取り線香、トイレ用の洗剤、洗濯石鹸、石鹸、シャンプー、野菜などを買って、またすぐにタクシーでカレッジに戻った。選挙前なのでできるだけ自宅にいなければならない。

 荷物を降ろしてから実験室に入り、ペット・ボトルでVortex Gun(日本だと空気砲)とか電気分解のセットが作れるかなどを試した。どちらもなんとかなりそうだった。実験ツアー用の呼吸器モデルのパーツはこの日の作業で一段落した。(まだ実験ツアーでどの実験をするか決定できていないが…)

 レイチェルは4時間ほどかけて髪の編みこみをはずした。シャンプーをしてさっぱりしたようだった。

 夕食に久しぶりのナス料理を作った。

20081228 決選投票日
 天気予報の通り朝から空はHazy。

 7日と同じように朝からテレビは選挙の投票状況の報道ばかり、外出は控えるように言われているためかなり退屈。でも、何か問題が起こって退避の準備をするよいずっとよい。

 選挙管理委員会は投票終了後48時間以内に結果が発表できるだろうと伝えている。

20081229 月曜日
 選挙の開票状況をテレビで追いながら一日を過ごした。午前中は開票状況が刻々と報告されていたが、午後には、230ある選挙区のうち5つを残すだけになった。それからは何時間たっても開票状況数の変化は無し。あまりにも僅差なので、緊張して待ちながらも飽きてきてしまった。この日に最後に見られた得票数は、メトロTVによると残り4選挙区となった段階で、NPP(与党)候補4365158票(49.48%)、NDC(最大野党、次期国会では最多数党)4456538票(50.52%)だった。

 自宅待機が続き、遠方まで外出できない。外に出たのは、夕方に1時間ほどだけ実験室とグラウンドに行ったり、買い物をしたりした時だけだった。

 投票が終わったのでUTDBE(現職無資格教員資格取得研修)の授業を受ける先生達が入寮し始めた。

 この晩から短時間の停電が頻繁に起こるようになった。

20081230 決選投票結果は来週金曜日

 昨晩は乾燥によるかゆみと虫刺され?でなかなか寝付かれなかった。

 朝食を食べていると調整員さんからSMSがあり12時に公式の選挙結果発表があるとのことだった。テレビをつけていても短い停電が繰り返されるので集中できないし、水も出たり止まったりと不安定だった。

 午前中にウェブでBBCをチェックすると最大野党のNDCが公式結果を待たずに勝利宣言したと報道していた。BBCは昨晩の国営放送(GBC)の報道を引用し、NPPが4324085票(49.96%)、NDCが4330705票(50.04%)を獲得したとしていた。

 12時からの結果発表は遅れてに遅れて、結局17時に行われた。結果的には、当選者未確定であった。NPPの地盤であるアシャンティ地区での不正をNDCが、ヴォルタ地区での不正をNPPが選挙管理委員会に提出したこと、Brong-Ahafo 地区Tain選挙区での投票が日曜日に行われなかったこと、集計結果が、NPP4478411票(49.87%)、NDC4501466票(50.13%)とあまりに僅差だったことが理由であった。選挙管理委員会は、Tain選挙区での投票を金曜日(1月2日)に実施し、その結果を合わせて当選者を発表すると伝えた。

20081231 大晦日
 朝からずっと断水。

 大統領選挙がまだ続くので、TVでは注目の的となっているTain選挙区の話題などを繰り返し報道していた。7日の第一回目投票後に選挙事務所が火事になり、選挙に必要な道具類が焼けてしまったのが、決選投票ができなかった原因だそうだ。

 昼間はPC作業を少しして実験ツアー用の資料を印刷し始めた。夕方に実験室の掃除に行った。グラウンドとアセンブリー・ホールの間にある大木は、葉をすっかり落としていた。普段は葉の作る日陰に談笑する人が座っているのだが。実験台の上などを見ると、埃の積もり方がひどくなり始めていた。ハマターンの埃がこの地域でも本格的になりはじめたのだろうか。

 断水だったので、夕食用にテイク・アウェイを買った。レイチェルがテイク・アウェイのジョフォール・ライスの辛さを和らげるためにスパゲティをゆでてくれた。

 ウェブをチェックすると新年を祝う国々の写真がアップされていた。

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