2009年05月の日記 連絡先(e-mail)
2009年04月の日記

ガーナの記録は、更新頻度が少ないのでザンビア版とは日付が逆になっています

20090501 メイ・デイ
 朝食、水浴び、少しだけの洗濯のために一番近くの水タンクまで何回か水を汲みに行った。バケツ7杯分の水を運んだ。

 昼前にテレビをつけると、アクラの独立広場からメイ・デイの行進を中継していた。

 午前中に指導案の英語の点検が終わったので、午後から14の指導案をメイルで関係者に送付した。2.5MBほどもあったが、無線ダイアル・アップでも無事送付できたのでホッとした。

 折角、英語の指導案集を校正したので、校長と理科主任用にドンポアセ指導案を、表紙をつけて印刷し綴じこんだ。部屋にあった最後のA4用紙の束を使い始めてしまったので、できるだけ早く補充しなければならない。

 16時過ぎから散歩を兼ねて近くのガソリン・スタンドまで買い物に行った。南ア製のサバナ・ドライ(アルコールのしっかり入ったサイダー)とアイスを買った。

 その他の買い物をしてから部屋に戻るとしばらくして久しぶりの降雨があった。幸い停電にならずにすんだが、何回か電気が瞬いた。雨は弱くなってから21時頃まで降り続いた。

 夕食の後、別の行事(8月のホリデイ・スクール)の文書をPCに入力し始めた。これらもレイチェルが英語を点検してくれた。

 深夜まで水は回復しなかった。

20090502 土曜日

 朝食後にホリデイ・スクールの文書の英語校正を仕上げた。10時前頃に給水が回復したので、レイチェルは忙しそうに掃除をしたり、シーツを洗ったりしていた。こちらは、ホリデイ・スクールの文書をメイル添付で送付したり、11日からの実習に必要な買い物のリストを作ったりした。

 夕方実験室の掃除に行くと、昨日の雨で埃やゴミが吹き込んでいた。1時間ほどかけて掃除をしたが、バケツなどに貯めておいた水を半分ほど使ってしまった。

20090503 憲法記念日
  昨晩、ホリデイ・スクールの文書を6種類メイル添付で受け取ったので、それの校正を始めた。しかし、契約書の様式がわからないので、例文集のCDを再インストールしようとした。しかし、メインのPCでもサブマシンでも動かなかった。そこで、メインPCのスキャン・ディスクをしてからウェブで資料を探した。

 資料を基に夜まで作業して校正をだいたい終えることができた。

 昨晩から断続的な断水があったが、10時過ぎからはずっと水が出たので助かった。

20090504 月曜日
  英文校正していた文書をレイチェルに点検してもらってからメイル添付で送付した。これで、ドンポアセ研修会とホリデイ・スクールの打ち合わせ関係の書類作業がやっと終わった。

 タウンまで実習に必要な買い物に出かけようと思っていたが、午後は休養した。

20090505 こどもの日
 朝の9時頃、出かける準備をしていたら空が暗くなり雨が30分ほど降った。おかげでしのぎやすくなった。フィリシア先生とメッセンジャー・ボーイにドンポアセ研修会の校正した教案集を渡してからレイチェルとタウンに向かった。ケジェティアまでトロトロで移動してから歩いてアドゥーンに入った。

 ストローと漂白剤を買ってからサンブラ・ホテルのレストランに入った。トイレを借りるためと、ピザを食べるためだった。

 ピザを注文してから、一度ホテルを出て、近くの金物店で磁石式のドア・ストッパーを50個買った。20GHCだった。

 レストランに戻ってみると、今日はピザの材料が無いと言われたので、代わりにチキン・アンド・チップスとスパゲッティを注文した。しかし、これらは失敗。どちらも油が強く、チップスに添えられていた野菜は切り方が手でちぎったようだとレイチェルが酷評していた。隊員さん達がカレーとスパゲッティはサンブラ・ホテルで注文しない方がいいと忠告してくれていたのをすっかり忘れていた。

 食事の清算をしてから文房具店に行って、A4用紙、マーカー、粘着テープ、色鉛筆、トレス用紙などを買った。その後、レイチェルを文房具店に待たせて、オポク・トレイディングと野菜スタンドに行って日用品と野菜・果物を買った。文房具店に戻って荷物をまとめてからカレッジに戻った。

20090506 水曜日
 朝、ウェブのチェックをしていたときか?腰を捻ったらしく、腰の左側(仙骨の上部付近)が痛くなった。前のめりになったり、姿勢を変える時に痛んだりするだけだが、実習の無い時で本当によかった。

 痛みのおかげで、昨日買ったドア・ストッパーから磁石を取り出すなど、部屋でできる簡単な作業だけをしてすごした。

 朝食後から夕食時まで断水だったので、夕食のおかずにする揚げ魚を近くに買いに行った。お店で待っている間に空を見上げると、雲の白さと空の青さのコントラストがよく、とてもきれいだった。

 夕食中から雨が降り数時間続いた。珍しく雷は伴っていなかった。

 TVでチェルシーとバルセロナの試合を観戦した。前半9分ガーナ出身のマイケル・エッセン選手が見事なボレー・シュートを決め、チェルシーが先制した。試合はそのまま進み、90分を過ぎても1対0のままで、チェルシーが逃げ切るかと思われた。しかし、インジャリー・タイムにバルセロナが同点に追いつき引き分けとなった。この結果、UEFAチャンピオン・リーグの決勝戦は前日勝利したマンチェスターU(レイチェルのお気に入りのチーム)とバルセロナの間で行われることになった。

20090507 ラミネート

 昨晩の雨のおかげで比較的しのぎやすい日中だった。昨日から痛くなった腰は、寝た状態から起き上がろうとしたり、中腰になって体を後ろに反らそうとしたり、ズボンに左足を入れようとすると特に痛むことが分かった。実験室で掃除や準備をしたかったが、今日も無理をしないことにした。

 朝食の後、PCとプリンタを起動してから、呼吸器モデルの小テストをまず印刷した。それから、簡易3D解剖図の実習の用意として、人体の内臓配置図とラットのそれを合計75枚印刷してからラミネートした。停電にならないようにと祈りながら作業した。途中で一度電気が消えかかったが、終わりまで無事に電気があった。

 午後、作業をしているとドアを叩く音がした。ナイト・ホールの学生、エベネンザ君だった。学生達は週末に戻ってくるはずなので、早いねというと、近くを通りかかったので挨拶によりましたとのことだった。現在研修中の現職教員の先生方が帰ってから学生が寮に戻り、月曜日から授業再開の予定だ。

 この日は午前中から20時半まで断水。それでも、レイチェルは豆のスープ、オクラのスープとシマを夕食に作ってくれた。

 夕食前からしばらく降った雨のため涼しい晩になった。

 しかし、二人とも夕食が合わなかったらしく、自分は2時半から40分ほど下痢。レイチェルも朝になってお腹のぐわいが悪いと言っていた。

20090508 金曜日

 朝から断水。昨日の雨の涼しさが日中一杯残っていたが、外に出ると湿気はあいかわらずだ。朝食後に近くのタンクまでバケツで水を汲みに行っただけで汗をかいた。ただし、腰の様子は変わらないので、いつも二つのバケツを運ぶところを、一つずつバケツを運んだ。

 今日も部屋でできる作業だけ。電球のソケットを紙で作るヒントを本で見つけたので、その試作品をつくったり、レイチェルのPCの写真を整理したりした。

 火曜日頃からノドの痛みを訴えていたレイチェルは、外出して薬局で薬を買い求めた。

20090509 土曜日
 水が出ないので、洗い物が少なくなるように朝ごはんに雑炊を作った。鍋と食器を二つ洗うだけで済むから。しかし、これで味付けに使う"うどんスープ(商標)"が残り一袋になってしまった。幸い、片付けをしていると給水が回復した。

 集めたトイレットペーパーの芯、プラスチック・ボトルなどを持って一週間ぶり?に実験室に行った。現職教員研修の試験準備室として使われていたので、黒板などは汚れていなかったが、雑巾がけをしていないテーブルなどは埃だらけだった。13時前まで試験の業務をしている先生方の隅で豆電球用ソケットの代用品に使うパーツ作りをした。

 部屋に戻って軽食をとってから洗濯と水浴びをした。昼寝をしてから買い物に出たが、腰が不安なので、いつも10分で行けるところを20分かけて歩いた。

 夕食にレイチェルがビーフ・フライド・ライスを作ってくれた。

 20時半頃からしっかり降雨があり涼しく過ごせた。

20090510 日曜日
 9時過ぎに実験室に入った。今日が現職教員研修の試験最終日、まだ関係者の出入りが頻繁だった。実験室の隅で昨日途中まで作ったソケットを仕上げたり、電池ボックスの代用品のサンプルを作ったりした。

 一段落した昼過ぎに部屋に戻った。軽食を取ってから、レイチェルが散髪をしてくれた。今日は日中部屋では水が使えたので、シャンプーに必要な水のことを心配せずに安心して髪を整えてもらうことができた。

 腰はまだ不安だが、昨日20分かけて歩いたところを今日は15分で歩くことができた。

20090511 月曜日

 行事予定表(Academic calender)では、今日が休み明けの授業開始予定日。でも、朝から学生達が戻り始めたばかりで、実習は無しだった。

 午前中に実験室に上がると、試験で使った事務用品が比較的きれいに片付けられていた。しかし、机にチョークでメモを書くのは分かるが、パーマネント・マーカーで書かれるのはちょっと困る。メタノールで消したけど。

 実験室の外に試験を梱包した袋などがゴミ箱に入れて放置してあったので、実験室の掃除が一段落してから他のゴミと一緒に燃やした。日射しがとても強く、外で作業していると眼がチカチカした。

 トイレットペーパーの芯、プラスチック・ボトルのパーツ、色鉛筆などの整理をしてからトレス用紙をA4サイズ大に切る作業を始めた。しかし、昨年も時間がかかったが、今日もなかなかはかどらなかった。

 ケネディ先生は実験室に個人指導の学生を呼んで放射性元素の半減期などの説明をしていた。ケネディ先生に明日の授業の可能性を聞いてみると、学生の戻り具合次第?とか。やっぱりガーナはフレキシブルだ。

 この三日間実験室では一滴も水が出ないので、貯めてあった水も掃除に使って残り少なくなってしまった。

 14時前に部屋に戻り、洗濯と水浴びをした。部屋の外では帰寮した学生達がにぎやかにしていた。学友と再会したのがとてもうれしいようだ。この日は16時頃から断水になった。(翌朝2時半に給水再開)

20090512 火曜日 湿気がひどい

 8時半から12時半までかけて20ヤード×110cmのトレス用紙を300枚のA4サイズに切り出した。学生はアセンブリーの後、大掃除を始めて授業は無しだった。

 作業をしていると2年生の男子学生が挨拶にやってきた。彼の郷里はアダンシ・ノースにあり(4月に研修会があったところ、ドンポアセの近く)学校の先生達が(自分たちが実習で作ったのと同じ)ピンホール・カメラを持っているのを見かけたので、Mr Nakanoはアダンシ・ノースまで来たのかと質問してくれた。そこで、4月にその地域の二つの小学校でワークショップをしたと説明した。アダンシ・ノースはとても景色がきれいだったとも付け加えた。

 14時頃まで翌日の3種類の実習準備などをした。その後本部棟へ行って、校長に健康診断で一時帰国できる時期について相談した。2008/2009年度の授業が6月末で一段落するので、6月末から一時帰国することが可能とのことだった。その予定で航空券・査証などの準備を始めることにした。

 レイチェルは午前中にタウンに買い物に行って、スーパーと野菜スタンドを回ってくれた。湿気がひどかったと話していた。自分も実験室で作業していて肌がべとべとする感じだった。

20090513 水曜日

 朝から断水、プラスチック・ボトルなどに貯めておいた水を使って身支度。久しぶりに6時半に実験室に入って準備をした。7時前に今日は実習があるかと学生が聞きにきたので、7時から始めると伝えた。

 1・2時間目は24人の出席だったが、ラットの解剖図とヒトの内臓配置図をトレスさせる作業をした。学生がとても丁寧にトレスしていたので2時間で1枚描くのがやっとだったようだ。実習に使った原図をコピーしてもよいかという学生や、ヒトの内臓配置図をゆずって欲しいと言われた。一方で、トレスした図にある脾臓や膵臓の働きを質問すると答えにつまる学生もいた。

 3時間目以降は学生が一斉に試験に入ってしまったので実習は無しだった。腰がきつくなってきたので、正直なところ助かった。

 夕食後の洗い物をたらいの水を使って始めたところ、たらいの中にトカゲの糞が落ちていてがっかりした。せっかく貯めた水だったが、トイレを流すのに使った。

 9時半になって給水が再開されたので、床掃除や洗濯の仕上げをした。

20090514 木曜日

 7時に実験室に入った。掃除をしてから呼吸器モデルの実習準備をした。準備が一段落してから、ゴムぞうりからコルク栓の代用品を切り出す作業を久しぶりにした。ぞうりに厚みがあるので、コンパス・カッターで両側から切り込みを入れなければならない。切込みがずれるといびつな物ができあがってしまう。そういう失敗作は車のおもちゃ用に回すことにした。

 昨日の実習時に貸し出した鉛筆削り(の刃の部分)が見あたらなかったので、昨日実習があったクラスに出向いて、見つけたら教えて欲しいと頼んだ。すると、朝食休憩中に学生が一人実験室まで来てくれて、この穴に落ちているはずと床にある排水用の穴を指差しながら言ってくれた。彼女の言うとおりに鉛筆削りの刃の部分が見つかったのでとても助かった。

 9時50分から実習開始。湿気と暑さがあったが、学生はよく集中していた。実習中は、実験台上にハサミ、セロハンテープ、マーカー、ゴム手袋などがあふれていたが、実習後は丁寧に片付けて行ったので感心した。床も完璧に掃き掃除してくれた。

 後片付けと掃除を終えてから部屋に戻った。停電になっていたが、プラスチック・ボトルに入れておいた水道水で汗を流している間に電気は回復した。

 夕方、6月の末からの一時帰国と9月の私事目的帰国の航空券の見積もりがメイルで届いた。レイチェルと目を通して、見積もりの通りでよさそうだったので、予約のお願いをメイルで出した。

 夜、長い間雷がゴロゴロ言っていたが、雨は降らなかった。給水が翌朝の1時半になって復旧したので、眠かったがベッドから起き上がって、水を貯めたり洗濯物をすすいだりした。

20090515 金曜日

 水が出ている間にと思い、出かける前に床掃除とシャワーを済ませた。7時過ぎに実験室に入ったが、実験室では今日も水が出なかった。この日の実習は、久しぶりの「比重ビンと簡易比重計」なので、どうしても水が必要。近くの売店では水のパックが品切れだったので、バケツを持って自宅の近くのタンクまで水を汲みに行った。結局3回往復したが、どの復路でも途中から学生がバケツを持ってくれた。

 水汲みだけでなく、比重ビンの内容量の再確認と使用可能な5台の電子天秤の調整(キャリブレーション)も実習前にした。電子天秤の調整には、最大秤量の重さ(400g)の荷重とその半分の重さの荷重が必要だが、メスシリンダに食塩水を入れたものと別のメスシリンダに水を入れたものを用意して、それぞれ400.00gと200.00gになるように調整した。ただし、この調整には調子のよさそうな一台の天秤を使った。それからマニュアルに書いてある通りに、天秤のスイッチを操作しながら5台の天秤を全て調整した。一段落してから、1個の比重ビンを順に全ての天秤に載せていくと、天秤毎の表示の差は最大で100分の1gだった。

 次に、比重ビンの内容量を再確認した。比重ビンを2台の天秤に順に載せて、ゼロあわせをし、その後比重ビンを水で満たしてから再び天秤に順に載せて表示を読んでいった。表示結果は2台の天秤で100分の1g以下の差でおさまっていた。実習前に8個の比重ビンの内容量を再確認した。

 9時50分からの実習には、学生が20名しか参加できなかった。まだ郷里からカレッジに移動してこられない学生がかなりいるようだ。

 学生が注意深く測定したことと、事前の調整と再容量確認のおかげで、とても良い実験結果が得られた。5つのグループに測定させた2%、4%、6%の食塩水の比重の差はこれまでの3クラスに比べて最も小さかった。また、簡易比重計と溶液濃度の関係もきれいなグラフになったいた。

 後片付けをしてから部屋に戻り、水浴びをしてからスナックを食べた。この日、朝は涼しかったが、湿度は相変わらず高かった。また、お昼に向けて気温も上がってきたので、ちょっと体に堪えた。ただし、腰の具合はよく、どんな作業にも今は問題が無い。

 スナックを食べながらTVを見ていると、(クマシの自宅からおそらく数キロのところで、)10代の少年がひったくりの疑いをかけられて群集に殺されるという出来事があったと伝えていた。TVでは、少年の遺体の映像を繰り返し放送していた。(服も全て剥がされていた)

20090516 土曜日 タウンに買出し
 9時頃に部屋を出てタウンに行った。主に実習用の買出しのためだ。曇りがちだったので暑さはそれほど厳しくなかったが、湿気は相変わらずだった。

 最初にラミネート用のA4フィルムを一箱(100枚入り)買った。22GHCだった。25GHCと言われたのだが、隣の店で先月買った時は20GHCとがんばったら値引きしてくれた。

 それからプリンタのインク・カートリッジを買ったが、先月50GHCで販売していたHP130が、45GHCと言われた。この前は50GHCだったよとは、決して言わないようにして清算した。

 アドゥーンの中心部へ移動してから、ポリエチレン袋(10インチ×16インチ百枚入りふた袋)、乾電池(日本ブランド、単一20本、単三40本)、使い捨てラテックス手袋(100枚で10GHC、当地で初めて買った時は4GHCだったのに)を買い求めた。最後の実習用品としてトレス用紙、鉛筆削り、鉛筆(消しゴム付きで12本35円程度)、クリップを買った。これで第1四半期の業務費の残りは800円ほどになってしまった。

 レイチェルに頼まれていた野菜を買ってからタクシーでカレッジに向かった。カレッジについてから運転手さんに、ガス・シリンダーを充填したいので、ロイヤル・ガスまで往復してくれるかお願いした。快く引き受けてくれたので、シリンダーを積んで再度出発。この日の液化ブタンは14.5キロで9GHCだった。

 部屋に戻ってから洗濯と水浴びをした。朝は断水だったが、給水が再開されていてホッとした。

 夕食の後、突然食事室の蛍光灯が点滅し始めた。ランプの寿命かと思い交換しようとしたが、あいにく部屋には買い置きが無かった。ところが、しばらくしてレイチェルがスイッチを入れると普通に点いた。電圧降下のせいだったようだ。

20090517 日曜日
 レイチェルが薬局で買ってきた咳止めは、効き目が強すぎるというので使うのをやめることにした。強すぎてフラフラになることがあったそうなので。

 昨日ラミネート・フィルムを買ったので、すでに印刷してあったラットの解剖図(内臓に後で色をつけたもの)とヒトの内臓配置図(不要な説明を削除したもの)をラミネートした。ついでに、いくつかの実習資料も追加で印刷し、ラミネートした。

 夕方実験室へトレス用紙、ラミネート済みの資料、水を入れたプラスチック・ボトルなどを運んだ。明朝、道具箱などと一緒に運ぶのは無理だと思ったからだ。  夜、短時間だが久しぶりのお湿りがあった。

20090518 月曜日

 7時前に実験室に行って昨日運んでおいたトレス用紙を30cmずつの帯状に切る作業をした。12日に同じ作業をしているので、今日は2時間かけずに18メートルのロールを60枚の30cm×110cm大のサイズに切ることができた。

 作業中にフランク先生とマイケル先生が実験室に来て、化学関係の実習の準備をしてほしいと言ってきた。(自分も準備を始めようと思っていたもの)時間が無いので、授業が終わって、学生が昼食を食べ終わってから行いたいそうだ。来週になりそうだ。

 今日の2つの実習は9時50分からと12時10分から、どちらも身近にある物を使って簡単な直流回路を作ることと、その回路に使った材料を使って、導体と不導体を調べるという内容だった。比較的簡単な内容なので、どのグループも時間内に終わった。ただし、出席者は20名ほどずつだった。School fee が準備できないのでカレッジに戻ってきていない学生がいるとのことだった。

 後片付けをしてから部屋に戻ると水が弱くなり始めていたので、急いで洗濯と水浴びをした。水は薄茶色だった。今日は水があまりきれいじゃないねというと、午前中はもっとひどくて、粉のようなものが混じっていたとレイチェルが答えていた。水浴びが終わってからしばらくして断水になってしまった。(20時頃回復)

 数日前に自分達の住んでいるナイト・ホールのすぐ南側のシャワー室(バケツで水を運んできて体を洗う)が完成した。(外観は2年間ずっと同じだったが、最近になって仕上げをしていた)学生達が、日中も夜も早朝も使っている。

 近くのゴミ集積所でゴミを焼いていたため、部屋の中に煙が入って困った。使っているトイレット・ペーパーにも臭いが浸み込んでいた。

20090519 火曜日

 6時半過ぎに実験室に入ってまず9時50分からの実習用の荷造りをした。12時10分から続けて実習があるのだが、呼吸器モデルを作る今日最初の実習は、実験室で作業させると後片付けが大変なので、教室に材料と道具を運んでするためだ(教室が散らかるかもしれないけどごめんなさい)。

 その後、先週ゴムぞうりからくり抜いたコルク栓の代用品に電気ドリルで穴を開けていった。穴には直径5ミリのストローを通して呼吸器モデルの予備のパーツとした。

 次に、昨日帯状に切り出したトレス用紙をA4サイズになるようにカッターで切っていった。それが終わってからは、電気回路実習用のコードを追加で準備したり、コードの被膜を剥いて、そこへこれまでよりしっかりクリップをくくりつけていったりした。

 9時50分からの実習は教室棟の2階の部屋で行った。窓の外にはフレイム・ツリーの赤い花が咲き誇り、窓枠の隅には草の茎でできた鳥の巣があった。

 12時10分からは2年生の実習。すこし人数が少なかったが、どのグループもよく集中していたと思う。昨年、既製品の電池ケースと電球ホルダを使ってほとんど同じ実習をさせているのだが、電池や電球そのものが裸に近い方が実際の回路の学習には向いているようだ。簡単すぎてつまらない実習になるかと心配していたのだが、学生のやる気を見ながら、久しぶりに何でもやらせてみるものだと再確認した。

 後片付けをしてから部屋に戻り、洗濯と水浴びをした。朝出る時には断水だったが、給水があってうれしかった。

 17時半頃から猛烈な風が吹き、続いて強い雨になった。この二三日、気温が高い状態が続いていたので助かる。

20090520 水曜日

 朝から断水。3クラスの実習があるので6時半頃に実験室に入った。

 最初は1年生の内臓配置図などの実習、次と最後の実習は2年生対象の簡単な回路と導体・不導体の確認だった。二番目の実習中に、近くの高校の先生がいくつか薬品を分けてほしいとやってきた。わざわざ容器も持っていらっしゃった。ベネジクト液、メタノール、うがい薬、スダンIIIはすぐに用意できたので、お渡しした。ただし、塩酸などは手元になかったので、この日は諦めてもらった。

 16時過ぎに調整員のNNさんがカレッジまで寄ってくださり、日本からの荷物を届けてくださった。荷物には、薬、漫画、練り歯磨き、歯ブラシ、乾燥ワカメなど。とてもありがたかった。

 夜の21時半頃、給水が再開された。バケツやボトルに水を貯められるだけ貯めてから、洗濯のすすぎと、床掃除をした。

20090521 木曜日

 7時頃から実験室で作業。植物を利用してPH指示薬を作ることというのが、実習の予定表に載っているので、その準備のために、まずツユクサの花で試すことにした。集めた花をすりつぶしてから塩酸や水酸化ナトリウムをたらして色の変化を確認。ただし学生の実習に使うにはかなり大量の花が必要になるだろう。次に、かねてから目をつけていたテンサイ(beet)の根をナイフで細かく刻んでからビーカーに入れて、少量の水を加えた。これを5分程度沸騰させてからろ過した。きれいな赤い液が十分な量取れることが分かった。しかも、酸にもアルカリにも変色してくれるのでとても都合が良い。

 今日の実習は9時50分からの1クラスだけ、また内臓配置図づくりだったが、このクラスも良く集中して作業していた。
      
 午後から断水だったので、外食することにした。聖ルイス校の裏門近くある今年の初めにできたレストランにレイチェルと歩いていった。看板に出ていたビザを注文したところ、1時間かかるとの返答だったので、フライド・ヌードルとチキン・アンド・チップスを注文した。少々油がきつかったが味は悪くなかった。ただし、特に繁華街にあるわけでもないのに、立派な料金だったので、はやるのか心配だ。屋外の席にはお客さんが少し居たが、屋内の来客は自分達だけだった。

 断水は23時半に終わったので、それから洗濯のすすぎをしたり、水を貯めたりした。

20090522 金曜日

 この日はメソジスト教会の創設者、ジョン・ウェスリーのための式典が7時からアセンブリー・ホールであった。聖歌隊が制服を着て準備していた。建物の外にいても、大きな歌声が響いてきた。

 授業は無かったが、呼吸器モデルを作る実習を欠席した学生達が4名やってきて、今から作らせて欲しいというので、道具と材料を準備して作らせた。どれもなかなかよいできだった。

 学生達がモデルを作っている間に、太めの銅線を使って、加熱用の三脚を作った。

 昨日のビートに続いて、当地で最も一般的な木である Flame tree (火炎樹)の花びらでPH 指示薬の代用品を作った。花びらを細かく切ってから、5分ほど煮つめ、それをガーゼで濾した液で試してみた。昨日のビートほど色は濃くなかったが、火炎樹でも見事に色が変わった。生の花びらではだめだったが、煮汁なら大丈夫なことが分かった。

 実験室を片付けてから、部屋に戻った。それからすぐに小切手をかばんに入れて、銀行へ行った。まだ、GHCの現金はあるのだが、査証の申請などでアクラに近いうちに行かなければならないこと、月曜日がアフリカ・フリーダム・デイ(テレビではAU African Union の記念日と言っていたが)で休日なので、今日のうちにと思ったからだ。

 タクシーで移動したが、タウンへ向かう道は混雑していた。銀行もいつもより少し混んでいる印象だった。この日の為替は1ドルが1.395GHCだった。

 銀行を出てから、業務費の残りでマーカー、消しゴム、粘着テープなどを買った。業務費はこれで残り0.1GHCになったので、清算書類を準備しようと思う。

 オポク・トレイディングで、嗜好品類を求め、野菜スタンドで買い物をしてからカレッジに戻った。

 15時に実験室に上がって、フランク先生を待った。植物を利用したPH指示薬の作り方を説明するためだ。彼が来るまでに、磁場の観察用具を二つ追加で作った。

 フランク先生が15時15分頃に現れたので、ビート、火炎樹を使ってPH指示薬を一緒に作ってみた。あわせて、リトマス、フェノールフタレイン、土壌PH指示薬、万能PH試験紙の色の変化も確認した。フランク先生はとても喜んでくれた(始めて植物で指示薬を作ったらしい)ので、ちょっとうれしかった。

20090523 土曜日 歓送迎会

 12時にアホジョ・ラウンドアバウトの先にあるロイヤル・パーク・ホテルにタクシーで入った。この日は、活動を開始したばかりのアシャンティ地区派遣新隊員さんの歓迎会と、もうすぐ帰国されるNZさんの送別会を兼ねた会食会があった。11名のボランティアが参加した。

 幹事のGT先生がVIPルームを予約してくださったので、とても快適に食事をすることができた。スープ、煮魚、蛙のから揚げ、スープ麺、炒飯、海老のチリソース、麻婆豆腐、焼きそば、餃子などを食べながら15時頃まで談笑した。

20090524 日曜日
 5月に入ってからの実習記録を作ろうとPCで画像の編集をしていたら、PCの具合が悪くなってきた。これまでにあったのと同じ症状。新しいウインドウを開いても、すでにあるウインドウの裏に開いてしまったり、切り取った画像が、貼り付けの操作をする前に、画面の隅に固定されてしまったり、ソフトウェアによっては画面がスクロールできなくなったり、タッチ・パネルからダブル・クリックができなくなったりした。

 チェック・ディスクさえできれば回復することは分かっていたが、セットして再起動してもキャンセルされる状態が続いた。HDの中味をいろいろ入れ替えながら、10時前から16時までかかってやっとチェック・ディスクをスタートさせることができた。今まで同様な症状が出た時に復旧できた方法は全て試したつもりだったが、これまでの経験が役に立たない一日だった。

 夕方、火曜日の実習用に火炎樹の花びらを集めに行った。部屋を出て1・2分のところに生えている木から花びらを分けてもらった。部屋に戻ってみると、Tシャツに花粉がたくさんついていた。(洗っても落ちなかった)

 20時すぎから降雨があった。前回からちょっと間が開いていたので、涼しくなってうれしかった。 (昨日・今日は断続的な断水。長くて8時間位)

20090525 アフリカン・ユニオンの日
 6時半頃にTVを点けたら朝鮮半島での核実験をBreaking News としてCNNが流していた。急いでPCと無線モデムの電源を入れて日本のニュースをチェックした。

 この日はアフリカ連合の記念日ということで全国的にお休み。実習が無いので、昨日作れなかった実習記録と、植物を使うPH指示薬の手引きを作った。

 夕方、実験室の掃除に行ったのと、近所に買い物に出た以外は、PCの作業に集中した。

 屋外は、湿気がひどく、少し作業すると汗がにじんできた。

 朝食の前からお昼過ぎまで断水。その後、また夕方まで断水だった。

20090526 火曜日

 午後からの植物を使ったPH指示薬の実習準備のために、久しぶりに6時半前に実験室に入った。少し掃除をしてから、火炎樹の花びらと赤茶色の若い葉を採取に行った。その後、ボルティックのボトルを切って、指示薬の色の変化を確認する凹みのあるプレートの代用品を作ったり、スポイト(ドロッパー)に試薬名のラベルを貼り付けたりした。

 一段落してから、校長とフィリシア先生に昨日作った実習記録を届けに行った。フィリシア先生が実験器具保管用にプラスチックの容器をたくさん買ったというので見に行くと化学室の床に山積みになっていた。ついでに塩酸、メチルオレンジ、メチレンブルー、それに来週の実習で使うビュレットとそのコック(どちらも砂埃の下)10組ほどを化学室から仕入れた。

 9時50分からの実習は、内臓の配置図をトレスする作業だったが、早めに来た学生達がさっさと作業を始めたので、いつのまにか実習が始まったようになってしまった。

 12時10分からのPH指示薬の実習では、予定していた内容を時間内に全て終わらせることができた。使った指示薬は、火炎樹の花びら、テンサイの根、赤茶色の若い葉、フェノールフタレイン、メチルオレンジ、リトマス、土壌PH検査液だった。酸やアルカリの溶液としては、塩酸、酢(酢酸)、クエン酸、水、炭酸水素ナトリウム、洗濯用洗剤、水酸化ナトリウムを使った。

 レイチェルは暑い中、スピード・ウェイ・ブッチャー(精肉店)まで冷凍肉を買いに行ってくれた。これでしばらくはタンパク質に困らないはず。
20090527 水曜日

 6時半前に実験室に入って1時間目の実習の準備。2つ目と3つ目の実習は実験室で、7時からの1時間目は1年生の教室で行うつもりだったので、教室に運ぶ文房具類などを箱詰めした。

 教室に移動してから、定刻に説明を始めた。形態を基にした細菌のおおざっぱな分類と染色法を説明してから、昨日作った細菌と寄生虫の資料を配布。それと簡易3D人体解剖図の作り方を確認してから個々の学生に作業を始めさせた。ほとんどの学生が朝食休憩前に作業を終えることができた。

 9時50分と12時10分からは、PH指示薬の実習。今日は作業中の学生の動線を変更したので、昨日より実習中の学生の動きが良くなった(と思う)。学生の提出した実習課題を見ると、どのグループも指示薬の色をとても正確に記録していた。

 14時頃に実習が終わったので、後片付けを始めたら男子学生が一人残ってくれてすすんで洗い物や掃除を手伝ってくれたのでとても助かった。おまけに何週間ぶりになるか分からないが水道から水が潤沢に出て作業がはかどった。

 後片付けの後、昨日化学室から持ってきたビュレットを洗濯用の洗剤とブラシを使って洗った。ビウレットは長いので、針金を付けて延長したブラシを使っても内部までは完全にこすれなかった。

 15時頃に部屋に戻って、洗濯と水浴びをした。

 事務所から連絡があって、明朝7時か8時にモトローラ社の方がカレッジまで来てくれて無線の点検をしてくれるそうだ。この頃ほとんど定時無線が聞き取れなかったので、うまく聞こえるようになると助かる。

 18時45分からローマで開催されたチャンピオン・リーグの決勝戦、マンチェスター・ユナイテッドとバルセロナの試合を二人で見た。レイチェルの期待に反してバルセロナが2対0で快勝した。自室の2階でテレビ観戦をしていた学生達は、試合中も試合後もにぎやかだった。試合後には屋外でドラムを叩いて歓声を上げていた。

20090528 木曜日

 7時少し過ぎに電話があって、もうアドミニストレーション(本部棟)まで来たとモトローラの方から伝えられた。しばらくしてナイト・ホールの裏に紺色のトラックがやってきてアンテナの修理を始めた。支柱を2メートルほど北にずらし、新しいアンテナに交換して作業は1時間ほどで終了した。試験をしてみるとアクラとの交信は良好だった。

 9時前に実験室に入って、昨日洗ったビュレットの様子を見たり、洗い直したりし始めた。作業していると、まだ実習まで20分ほどもあるのに、先週の続きをやりたいという学生が数名やってきた。ガラス器具を出しっぱなしにしているので、今日は教室でするから道具を詰め込んで運ぼうと話して、すぐそちらの準備にかかった。

 内臓配置図と簡易3D解剖図の実習だったが、皆良く集中していたと思う。図を描いたり色をつけたりする実習がこのところ多いので、先週買った手回しの鉛筆削り(5.0GHCだった)がとても役に立っている。

 実習後、追加でビュレットを化学室から掘り出して洗ったり、倉庫からビーカー、コニカルビーカー(これは1個しか見つからなかった)を持ってきたりした。ビュレットを洗うためにブラシに昨日より長い針金をつないだので、今日は管の中を隅々までこすり洗いすることができた。

 昨日の夕方からの断水は部屋に戻っても続いていた。プラスチック・ボトルに貯めた水で水浴びをしてから少し休憩。のんびりしていたら、WTさんからSMSが入り、クマシのセントラル・マーケット(自宅から歩いて30分ほど)で大きな火事が起きているとのことだった。南に面している窓から見ると、煙が高く上がっていた。

 断水で調理を控えるため(ついでに16時過ぎから19時前まで停電)に17時過ぎに夕食を買いに出かけた。いつもビールとテイク・アウェイを買うお店へ行くと、道路を挟んでお店の向かいにある消火栓(少し太い水道管?)から水を集めるためか消防車が2台やってきた。ライトを点灯させて、かなり飛ばしてやってきたので通り過ぎるものだと思っていたが、戻ってきて水を貯め始めた。

 部屋に戻って、ラジオをつけるとセントラル・マーケットの火事のことを話していた。

 停電と断水は19時頃にほぼ同時に回復した。夕食をすませていたので、流水を使っての洗濯や、床の掃除、水浴びをした。自分は見なかったがレイチェルによるとTVでも火事のことを伝えていたそうだ。15時頃に始まり、放送の時点でもまだ完全には鎮火していないとのことだった。

20090529 金曜日
商品を担いで避難する人々 群集をかき分けて進む消防車

 7時過ぎに実験室に入ってビュレットの準備を始めた。ビュレット用のクランプがないので、通常のクランプとビュレットの間に入れるクッションをゴムぞうりを切ってつくった。その後、スタンドに立てたビュレットにワセリンを塗った栓を入れてから通水の確認をしていった。いくつかは先端が詰まっていたことが分かったので、しかたなくダイアモンド・カッターで傷をつけてから先端を5ミリほど切り落とした。

 今日の実習は9時50分からの1年生1クラスだけ、しかしガラス器具を実験室にたくさん出してあるので教室で実習をした。今回が最後の呼吸器モデル作りだった。

 片付けの後、本部棟へ行って一時帰国の承諾書を受け取ってきた。夕方、この承諾書のコピーをメイルに添付して事務所に送付した。

 17時10分頃、買い物に出かけようとすると、雨がポツリポツリと降り始めていた。かまわず出かけて日用品を買ったが、カレッジの裏門をくぐる頃から雨が本格的になり始めた。部屋に入った直後から豪雨になった。とてもラッキーだった。

 夜のニュースで昨日の火事の様子を放送していた。たくさんの人と密集した建物のせいで、消防車がなかなかたどりつけなかった様子などを流していた。結局鎮火までに5時間かかったらしい。

20090530 土曜日
 朝食の後、弱い雨があった。9時20分頃に部屋を出てタウンに向かった。聖ルイス校の前からタクシーに乗るとサンブラ・ホテルまで2GHCで行ってくれた。タウンに向かったのは、GTさんから理数科分科会所有のプロジェクターを借りるためだ。土曜日にはGTさんが任地からクマシまでいらっしゃること多いと聞いたので、サンブラ・ホテルで待ち合わせてプロジェクターを受け取ることにしたのだ。

 10時少し過ぎに無事GTさんと合流してプロジェクターと延長コードをお借りした。これを使って、次週以降の実習で滴定と気体の発生のビデオを見せるつもりだ。

 オポク・トレイディングによってお酢を買いたかったが、荷物が多かったので、下着類と漂白剤、台所洗剤、ガーナ映画のビデオの買い物だけをしてタクシーでカレッジに戻った。

 部屋に戻って荷物を置いてから近所でお酢が買えないかお店を回ってみた。1時間半ほど歩き回ったが、どのお店にもお酢が無かった。(当地では、台所で使わないのだろうか?)

 午後は少し休憩してから実習用の資料作りを始めた。レイチェルは買ってきたガーナ映画を夕方まで熱心に見ていた。

20090531 日曜日
 朝食の後から夕方まで断水。でも夜は水が十分に使えた。レイチェルがシーツなどの洗濯などもしてくれた。

 日中に中和滴定用の手引きをまとめた、参考にできる資料があったので、本文と図のデザインからアイデアを借用した。図は昨晩と今日の午前中一杯かけてなんとか作った。ただし、明日実際に今ある器具と薬品でちゃんと手引き通りできるか試して見なければならない。

 夕方実験室の掃除に行ったら、室内にシロアリの羽アリの死骸がたくさんあった。夜、飛び込んできたようだった。

 日用品の買い物を兼ねてお酢を探しに行ったが今日も近所では見つからなかった。

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