2009年09月の日記 連絡先(e-mail)
2009年08月の日記

ガーナの記録は、更新頻度が少ないのでザンビア版とは日付が逆になっています

20090901 防災の日 大掃除

 この日も一日中曇り空。このところ、かばんや服のカビが気になっていたので大掃除(?)をした。

 砂埃が入らないように窓の内側にかけてあったポリエチレンのシートのうち、特にきたなかったものを二箇所交換、空調の室内機、室外機の簡単な掃除、断水に備えて貯めてあったが、1年半使わなかった水とそれを入れた1.5Lプラスチックボトル30本の処分。屋外のちょっとしたゴミ拾いと除草をした。

 シャワーを浴びた後、かばんを風通しよく保管するために棚の下にかばんかけを作る作業をした。レイチェルは掃除が一段落してからスーツケースのカビ落とし、衣類の整理、カビの生えてしまった服の洗濯で忙しそうだった。

20090902 水曜日

 朝からずっと断水。バケツ9杯分の水をタンクから運んで炊事や水浴び、トイレに使った。でも、洗濯のすすぎは給水再開を待ってからにしよう。

 15日からの私用旅行の後、26日に日本語補習校で授業をするので、その準備を少しずつ始めている。でも、これまでと少し違うものを使いたいので、デザインなどの改良で試行錯誤している感じだ。

 午後に、昨日の大掃除で整理したボトルなどを実験室に運んで、ついでに実験室の掃除をした。

 レイチェルがKZさんの論文を読んでいるのだが、それによるとトイレの後などの手洗いの状況がかなりクマシでは悪いらしい。

 論文から判断すると近所のお店で売っているテイク・アウェイなどは自分達には食べない方が安全なようだ。断水が続いて、自宅が料理ができない時などどうしても買う必要がある時は、できるだけ衛生状態の良いお店を選ぶことにしよう。

20090903 木曜日

 数日来、ナイト・ホール(自宅のある寮)のすぐ脇にあるゴミ置き場でゴミを燃やしているため、風向きによっては部屋の中にいても息苦しかった。朝ごはんを食べ終わったころ、大型車が近づいてくる音がした。ドアを開けてみると、重機がダンプカーにゴミを移していた。ゴミ焼きはなくなると思ったが、すえたような臭いが周囲に立ち込めるようになり、それはそれで困った。(午後になって薄まったが)

 先日来た、ジョージ先生が新たな教材を求めてやってきた。10時半頃から風で走る車の作り方をプロペラ・ユニットの作り方からじっくりと教えた。空気圧ロケットにも興味をしめしたので、デモをしてから簡便なタイプの作り方を教え、余っている材料などを渡した。ホリデイ・スクールの時に、隊員さん達から譲ってもらったものが役に立った。

 彼は16時頃までいろいろ質問してから帰って行ったが、こちらは彼に作業させている間に、プラスチック・ボトルなどの整理もさせてもらった。

左は昨年10月、右は現在のナイト・ホール 塗装の上にカビが広がってしまった スポットにて(お酒の飲めるお店)

 夕方、ビールを買うスポットで、お店の人の写真を何枚か撮った。(明日カメラを持って来て!と昨日頼まれていた。)  夕食に、魚のソースとシマをレイチェルが作ってくれた。とてもおいしかった。自分がリクエストしたので、わざわざCold store へいって冷凍魚を求め、準備をしてくれたのだ。ただ、クマシで買う冷凍魚は細かい骨が多く、少し食べにくい。
20090904 金曜日
 新聞やTVによると今月21日は休日になるそうだ。独立時の初代首相(のち大統領)のエンクルマの誕生日で、今年が生誕100周年にあたり、それをお祝いするためだそうだ。

 昨晩からレイチェルに腹痛と吐き気があり、何度もトイレを使った。それと洗濯物も少ししたので、合計バケツ21杯分の水を運んだ。一日で運んだ水の量としては新記録。

 レイチェルの調子が悪いのと、水が出ないので、実験室での仕事は止めた。

 夕方から2時間ほど強い雨が降った。まとまった雨は久しぶり。おかげでゴミ置き場からの臭いが消えた。

 夕食に牛肉を少し使った雑炊を作ったが、レイチェルは食べられなかった。

20090905 土曜日 タウンへ買い物
 朝バケツ2杯分の水を運んだ。外は霧雨だった。食事の準備をしていたら水が出始めた。おかげで、食後にズボンなど昨日と一昨日洗えなかったものを洗濯した。

 アイロンかけをしてからタウンへ歩いて行った。

 アドゥーンで、移動式の白板、白板用マーカー、インクカートリッジ、CD−R、乾電池、A4用紙を業務用に買った。白板は、構えの少し大きないつもとは違う店を使ったが、そこでは、HP134のカートリッジが50GHCと他の店より10GHCも安かった。お店の人は、スンヤニで活動しているKTさんを知っているよと話していた。業務費は残り40Gp(約30円)になった。

 自分達で使うものとして、ジュースとチーズを買ったのだが、レイチェルに頼まれた豆とオクラは買えなかった。

 タクシーでカレッジの実験室に移動し、移動式白板の組み立てをした。いつも実験室に遊びに来るクワメ君がちょうどやって来て、組み立てを手伝ってくれた。その後、彼にせがまれて空気圧ロケットをホッケー場で飛ばした。どういうわけか四枚翼のロケットが直進しないので、次に飛ばす時までに調整する必要がある。

 午後、近くのお店に行ってオクラを少し買った。それを使って、オクラのソース(刻んだオクラとトマトとタマネギに塩、重曹、水を加えて煮たもの)を作った。レイチェルがシマを用意してくれた。ただ、オクラのソースだけではさびしいので、牛肉と野菜の炒め物も追加で作った。レイチェルの腹痛はおさまってきたようだ。

 夜、報告書に添える教材CDの焼付けと、私用旅行(14日にアクラに移動)時の連絡先リスト、買い物リスト作りをした。

 寝る前に水が弱くなっていたので、空の大きなバケツに水を入れ始めたが、一杯になる前に止まってしまった。

20090906 日曜日 ガーナ、サッカー・ワールドカップ出場決定
 起きた時は水が出ていなかったが、6時半頃になって給水が始まった。

 この日は、アフリカ大陸でいくつものワールドカップ予選があり、メトロTVでは3試合も中継した。特に17時からアクラで行われたガーナとスーダンの試合に注目が集まっていた。

 ガーナはこの試合に2対0で勝利し、アフリカ諸国で最初のワールドカップ出場決定国となった。テレビの中継を見ていると外国人(日本人に見えるような人も含めて)もたくさんスタジアムに来ていたのが分かった。

 夕方、遠方で雨音がした。自宅周辺には雨は降っていなかった。しばらくすると雨音が大きくなり雨も降り始めた。かなり強かったが長くは続くかなかった。遠くの雨の音があんなにはっきり聞こえるのはめずらしいと思った。

 夜、ニュートン・ディスクの新しい配色のサンプルを少し作った。

 電気蚊取りをつけていても蚊がうるさく、少し寝苦しかった。

20090907 月曜日 ラミネート

 9時頃事務所のSTさんから電話があった。10月5日にイースタン地区のホー(HO)で開かれるイベントに参加してほしいとのことだった。

 昨日考えた配色サンプルを使ってニュートン・ディスク(ビュンビュンゴマ式のもの)の円盤部分を作った。30組作るために100枚ほどの紙円盤を切り出して、それらをラミネートしてから再び円形に切り抜いた。そしてパターンが外側にでるように円盤を3枚ずつ接着剤で貼り合わせた。

 その作業の後、インド製教材を整理するためのラベルの切り離し、ラミネートの作業をした。品目が多いのに手作業で一つずつしていくため、とても時間がかかってしまった。

 夕方、たまったプラスチック・ボトルなどを実験室にしまいにいくと、アッセム先生が個人指導している学生達に物理を教えていた。彼は土曜日に買った白板を使ってくれていた。

 (15時頃から断水)

20090908 火曜日

 9時半頃から実験室で作業をして30個のビュンビュンゴマ式ニュートン・ディスクを仕上げた。水をたらしても、糸の通る穴から水がしみ込みにくいように、穴の周辺は熱した針金でラミネートしたフィルムを溶かしてすきまがなくなるようにした。

 午後からはスライドグラスを使った万華鏡を24個作った。外側には、万華鏡同士がぶつかった時にこわれにくいようにストローでクッションをつけた。

 ずっと実験室で作業をしたが、日中は少しずつ暑くなってきた気がする。新しくした教材CDを秘書に渡し、校長に届けてもらうようにお願いした。

 18時まで断水。そのあと1時間半だけ水が出てまた断水になってしまった。

 レイチェルの頭から綿糸で止められていたウィグをはずすのを手伝った。1時間半ほどもかかった。

 夜半になって数時間の雨があった。

20090909 水曜日 重陽の節句

 朝食の後、水を二回くみに出た。その後、部屋に置ききれなくなっていた新聞紙の一部を持って実験室に行った。

 ピンホール・カメラと簡易スペクトロメータを作ろうと思っていたのだが、まずはボトル、トイレットペーパーの芯などの整理で時間がつぶれてしまった。それからトイレットペーパーの芯をピンホール・カメラのパーツ用に組み合わせたり切ったりする作業、カメラの内筒の芯にスクリーンを貼る作業などをした。

 お昼前に中学生ぐらいの女子がストロー・モデルの作り方を教えてほしいとやってきた。ちょうど五本腕のジョイントが二十面体を作れる数だけ余っていたので、そられを使って正二十面体を作ってもらった。

 その頃、ラジオがオランダで行われたガーナと日本のサッカーの試合で、日本が勝ったことを流していた。

 結局、今日の作業はパーツ作りで終わってしまった。

 レイチェルは美容院に行った後、ケジェティアまで野菜を買いに行った。今日、クマシの中心部では違法露店の撤去が行われていたそうだ。そのため、露店に使われていたテーブルやイスなどのが山積みにされて焼かれていたらしい。(夜のニュースでそのようすを放送していた)  夕方になっても水が回復しなかったので、バケツ4杯分の水をくんできた。

 ガーナ対日本のサッカーの試合は、8時半からGTVで録画が放送された。放送開始直後に給水が回復したので、急いで食器を洗ったり、洗濯をしたりした。

20090910 木曜日

  10時頃から実験室でピンホール・カメラの21個の組み立て作業開始。教員フラットに住んでいるクワメ君が遊びに来たので、彼には彼用のピンホール・カメラを一つ作ってもらった。

 12時半頃までかけて組み立ては終了した。作業中、日がさしたり、小雨が降ったり天気が短い時間で変わっていった。

 お昼にレイチェルがシマとオクラ・ソースを作ってくれた。

 昼食後、歩いてアドゥーンの銀行まで往復した。今日の為替レートは1ドルが1.43GHCだった。

 ケジェティアとアドゥーン内では、昨日の違法露天撤去の後が少し残っていた。警察官も散見された。手持ち無沙汰で自分の店があった近くでおしゃべりをしたり、ボーっとしたりしている人をたくさん見かけた。自分にとっては普段より歩きやすかった。ある場所では、これまですべて露店で覆われていたところが、実は立派な歩道だったということも分かった。

 16時頃から断水になった。

20090911 金曜日

 9時頃からピンホール・カメラの仕上げ。内筒が外筒から抜け落ちないように糸をつけた。その後、簡易分光器のパーツ作りをした。

 本部棟に行ってみると新学期に3年生が教育実習のために1年間派遣される学校の一覧が、派遣される学生の名前とともに貼り出されていた。

 午後にもう少し教材を作りたかったが、子供達が頻繁に遊びにくるのでこまった。結局、教材作りは諦めて先生方の子供達に風で走る車の作り方を教えた。

 途中で、数学科の先生が2年前に黒板の上に白板が貼り付けられてから、こまったことがあると言ってきた。要するに、白板でも簡単に使えるコンパスが必要とのことだった。

20090912 土曜日

 久しぶりに早起きして、白板用コンパスの代用品の案を考えた。

 朝食の後に実験室に出向き、コンパス?の組み立てをしてから実際に試し書きをしてみた。

 その後、日本に持っていく教材類の準備をした。

 昼食に部屋に帰り新聞を見ると、西アフリカ統一試験で不正をした受験生の顔写真が実名入りで四ページに渡って掲載されていた。これまでにも少しずつ載っていたが、これほどさくさんの受験生の写真が一度に印刷されていたのは初めて見た。一番多く載っていたのは、他人に成りすましての受験が発覚したケースで、ペナルティは今回の試験の無効と2年間の受験禁止だそうだ。

20090913 日曜日
 9時頃から11時頃まで実験室で教材の荷造りをした。新聞紙が主な材料のピンホール・カメラが、移動中につぶれないようにボルティックのボトルで容器を作った。

 お昼はBさんをお誘いして久しぶりにスウィート・ローズ中華料理店に行った。帰りには、Bさん宅におじゃまして、ケイプ・コーストやクマシ動物園などの写真を見せてもらった。

 自宅に戻ってからスーツケースに教材や報告書、それに衣類を入れた。明日はレイチェルとアクラに移動し、明後日は自分だけ日本に向かって発つ予定。

 20時頃から強い雨が降った。

20090914〜25
14日 アクラへ移動
 5時に起きて7時半に二人で出発。ところが、慌てたせいでジャケットと買い物用の手提げカバンを忘れてしまった。

 この日に乗ったOAバスは順調に走りアクラには14時頃に着いた。バスを降りてからレイチェルはタクシー運転手とセントラル・ホテルまでの料金をかなり真剣に交渉。月曜で混雑しているからとか、バス・ターミナルへの契約タクシーだからといろいろ言われたがレイチェルが希望の値段で押し通した。

 セントラル・ホテルは今回も一泊84GHCだった。チェックインをしてから事務所に26日の日本語補習校用教材を運ぶ準備をした。スーツケースからピンホール・カメラを出して、プラスチックの大きな袋に詰め込んだ。出かける前に事務所に電話をしてみると、調整員のみなさんは来週帰国する隊員さんの帰国前報告会に出席しているとのことだった。16時半まで報告会が続くとのことだった。時間が許すなら自分も少しだけでも聞きたいと思った。

 教材、報告書、業務費の精算書と申請書を持って一人でタクシーを拾い事務所まで行った。運転手は混雑している通りを上手によけてくれたので、それほど時間はかからなかった。おかげで6名ほどの報告を聞くことができた。

 報告会の後、日本語補習校の担当者に教材を預かってもらった。当日出張でいらっしゃらないMZさんには全部の教材を試しに使ってもらった。20名ほどの児童・生徒だろうと思っていたのだが、新学期から補習校の人数は30人に増えたそうだ。教材が少し足りない。

 STさんには、報告書と新しい教材CDを渡した。それとKZさんの論文のデータを渡した。みなさんの健康管理の資料になるとうれしいのだが。論文はメイルに添付して送信しようとしたが、容量超過でメイル・サーバに拒否されてしまった。それでこの日にデータを手渡しした。

 事務所を出る前に、展示販売されているクラフト(手芸品)のうち、一番大きな籠を買った。ホテルに戻ってからレイチェルとコアラ・スーパーマーケットに行き、食料品を買いだめしたが、籠は早速役立った。

 夕食には、レイチェルと珍珠飯店に行き、しばらく食べてなかった豚肉の入った料理などを注文した。


15日 出国
 5時に起きて身支度開始。レイチェルはクマシに昨日買った食料品を持って帰るので7時にホテルを出た。自分はガーナに戻る時のホテルの予約をしてから、12時にチェック・アウトした。旅行社が迎えに来てくれたので、迎えの車に乗ってコトカ国際空港へ向かった。

 旅行社のTCさんが一緒に空港に入ってくれたので、荷物のチェック、エミレーツ航空でのチェックインはとてもスムースだった。飛行機の予定は17時半だったが、早めにイミグレーションと保安検査を通ることにし、TCさんにお礼を言って別れた。

 出国カードを書く場所で職員の一人にお金をせびられた以外は全く問題無く進んだ。ただし、上着を忘れたので長そでのシャツを着ていても待合室の強力なエアコンの前では寒かった。

 飛行機は、アクラへの到着が少し遅れたようだが、出発はほぼ定刻だった。


16日 ドバイ
 朝の5時50分(現地時間)到着予定のEK788便は、トラブル無く5時47分にドバイ国際空港に着陸した。6月にも来ていたので、その記憶の通り移動して空港から出て、約18時間滞在するミレニアム・エアポートホテルにホテルのシャトル・バスで移動した。チェックインが済み、朝食、昼食、軽食、夕食のバウチャーとカード・キーを受け取って部屋に行った。残念ながらカード・キーが機能しなかったので、一度レセプションに戻り、再度カード・キーを作ってもらってから部屋に入った。まだドバイ時間で7時になっていなかった。

 朝食、シャワー、睡眠、昼食、夕食とのんびり過ごした。グラウンド・フロア(日本式なら1階)にあるレストランは、断食月のラマダン中なので6時半までは入り口のカーテンを閉めて目立たないようにしていた。(昨年9月に来たときも同じだった。)  30チャンネル映る室内のテレビからは、アラビア語、英語、インドの言葉(聞き分けられないのでいくつあったか分らない)、スリランカ語(SRIと画面に出ていたので多分)、トルコ語、フランス語、ロシア語、スペイン語、ドイツ語、中国語、韓国語、日本語(NHKワールド)が流れていた。もっとあったかもしれないが分らない。このうちいくつかでも言葉がちゃんと分かれば、いろいろなドラマや番組を楽しめるのに思った。


17日 日本  ドバイ経由で日本に到着。翌日は実習用に使う顕微鏡のレンズを買いに出た。クマシからメイルで注文していたものだ。

19日 お台場と京都

 お台場の東京ビックサイトで行われていた旅行博を見学した。ガーナのブース近くでは、ジョロフライスにスター・ビール、ストーン・ビールも販売されていた。この日の夕方に京都へ移動した。

 レイチェルはアッセム先生夫妻とエルミナ城、カクム国立公園へ行ったそうだ。
奴隷貿易などの世界遺産エルミナ城 城からケイプコースト方面を望む
カクム国立公園の有名なつり橋
Canopy walk way
20日 京都 下鴨神社での結婚式とその後に食事会に行った。20日のうちに東京方面に移動した。
下鴨神社
22日 父方の祖父の五十回忌の法要があった。

24日 出国 ドバイ経由で25日の12時(ガーナ時間)にアクラ着。

25日 旅行社の方が空港まで迎えに来てくれていたので、その車でセントラル・ホテルに移動。その後、事務所へ行って隊員総会頃の旅費を受け取ったり、翌日の日本語補習校の授業打ち合わせをしたりした。
ドバイ空港で見た二階建てのエアバスA380 ドバイ上空より
20090926 土曜日 日本語補習校授業
レプリカ・グレーティング・シートを筒状(穴ができるだけ小さくなるように作る)に丸めた新聞紙の一方の穴に貼り付ける。 シートが目の側に向くようにして、もう一方の穴を光源に向ける。
ニュートン・ディスクのビュンビュンゴマ 瞳孔が開くように暗い室内から明るい屋外をピンホール・カメラで見る。瞳孔が開いているのでスクリーン上の暗い像も比較的良く見える。
らせん状の鞘を開けると種があった。 補習校の授業の後にガーナ料理をレストランで食べた。

 昨晩20時に床に就いたが、まだ時差を感じるので4時頃から目覚めてしまった。

 8時30分にTNさんの車がホテルまで迎えに来てくれることになっていたが、ホテルの前の道路はお葬式用のテントが準備されて通行止めになっていた。そこで、少し移動して車を待った。

 無事にTNさんの車を見つけることができたので、乗り込んで補習校まで行った。

 9時から補習校の日課が始まった。前回の授業では児童・生徒が20名ほどだったが、入れ替わりがあって今は約30名。朝の会の後、国語、国語、算数、理科という流れだった。

 自分は11時半頃から約1時間、少し駆け足だったが簡易スペクトロメータ、ニュートン・ディスク、ピンホール・カメラ、万華鏡を紹介した。ビュンビュンゴマのニュートン・ディスクは30個あったのだが、それ以外は人数分に満たなくて年上の子供達には十分に使ってもられなくて残念だった。

 補習校が終わってからTNさんとYKさんの両ご家族とアヴィエイションという国防省ビルの隣、空港の向かいにあるレストランに行った。ガーナ料理のお店で、満腹になってしまった。そのため、ホテルに帰ってから少し買い物をした後で夕食を食べずに寝た。

20090927 日曜日 クマシへ移動
日曜日なので人が少ないが、線路沿いにお店が並ぶOAバスのターミナルの向かい側 OA社のアクラ・ターミナル

 4時に起きて荷造り、大きいプラスチックのバッグに日本から持ってきた箱と、補習校用の教材が入っていた箱の両方を入れるため少し荷物の入れ替えをした。昨日買った食材と合わせて荷物はおそらく50キロほど。

 6時半にホテルを出てOA社のターミナルへタクシーで移動した。少し高い料金を要求されたが、出発前にその通り支払うとドライバーはとても親切にいろいろ対応してくれた。

 バスは少し古かったが8時に出発。12時45分にクマシのターミナルに着いた。ただし、バス内は冷房で寒かった。

 ターミナルからタクシーでカレッジに戻った。レイチェルによると三日間断水だったが、今日になって水が出たとのことだった。

 この日は、荷解きだけをして買い物などはせずに休んだ。

 夕刻に強い雨がしばらく降った。

20090928 月曜日

 昨晩は夕食を食べてから19時頃に眠ってしまった。おかげで朝は早くからごそごそしていた。

 朝食の後、実験室に行って2時間ほど掃除をしてから日本で買ってきた顕微鏡の対物レンズを隊員連絡所に保管してあった4台の顕微鏡に付ける作業などをした。この4台を今学期から実習に使えるのでとても助かる。

 お昼頃に事務所に連絡し、10月5日にホで行われるベスト・ティーチャー・アウォードの授賞式に出席する件を確認した。事務所によると正式な文書が届いたそうなので、公式に来月5日の式典に参加できることになった。本部棟に行って、この件を校長にも伝えた。

 校長は例年授賞式に招待されて出席していたそうだが、今年は参加できないとのことだった。

 夕食にレイチェルがカレーを作ってくれた。食後、この日も猛烈に眠くなり20時前に床についてしまった。

20090929 火曜日
新入生を迎えるバナー

 朝食を食べていたら雨が降り出し、かなり強くなりながら1時間ほど続いた。

 食後にメイルをチェックして事務所から来た授賞式への招待状の写しなどをダウンロードした。身支度をしてから本部棟に行き、校長にその写しを渡した。

 ホでの授賞式で使うか分からないが、教材をいくつか準備して持っていくことにした。10月2日の17時までにホのリージョナル・エデュケイション・オフィスに着かなくてはならない(授賞式の前に小旅行?があるらしい。おそらく観光。)ので、10月1日にクマシを出てアクラに移動し、2日にアクラからホに移動するつもりだ。そのため、教材を作る時間はこの29日と30日だけしかない。

 ホリデイ・スクールで教材のパーツ類をずいぶん使ってしまったので、ゴム動力ヘリコプターなどを作るためには、まずプロペラ・ユニット作りなどから始めなければならなかった。それでも、夕方までかけて60個ほどのユニットを作ることができた。

 当地の季節は涼しくてしのぎやすかった時期から、日中は気温が上がる季節に移りつつあるようだ。日が射すと、なかなか暑い。

 作業をしていたら数学の先生が12日に作ったコンパスの代用品を試しにみえた。なかなか喜んでくださったのでうれしかった。

 夜、食事室の蛍光灯が点滅し始め、やがて点かなくなってしまった。蛍光灯を取り替えても、点灯管を調べてもだめだった。

 エジプトで開かれているU20サッカー大会でガーナがイングランドを4対0で破った!(翌日に何回も再放送された)

20090930 水曜日 教材の準備の仕上げと荷造り
 実験室でヘリコプター(17台)、風で走る車(10台)、ゴム動力で飛ぶカイト(2台)のパーツを仕上げた。それらをバケツ(出張先のホテルで水が出ない時のために持っていく)に工具と一緒におさめた。

 昨日から全然点かなくなった食事室の照明のために、実験室から顕微鏡照明用の蛍光灯とホルダー(2007年にKBさんにいただいたもの)を持ち帰った。

 壁に埋め込まれていた木ネジから蛍光灯をつるすとなんとか実用に耐える照明になった。

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