201311月の記録 中旬

20131109 土曜日

 2時過ぎに目が覚めてしまって、5時頃までウェブをチェックしながらまた眠くなるのを待った。5時から7時まで眠れた。

 

 8時15分にIHを出て、オフィスに入り昨日までのWS用品の片付けをした。

 

 12時半過ぎに部屋に戻り、それからコムタ方面にバスで移動した。

 

 お酒、おつまみ、青梨、トマト、チーズ、海老せんべいなどを買って夕方戻った。

 

 

2年前には建設中だった新RECSAM HALL

ところが、冷房設備がない(?)ことや、雨漏りのために利用されてない。

(なんとも、もったいない。)

 

RECSAMの新アパートメント、以前居た時は建設中だった。

しかし、完成した今でも廊下の汚れなどのことで…

 

 

20131110 日曜日

 5時に起きて8時過ぎにオフィスに入った。火曜日から始まるCoSMEd(理数科教育国際会議)のスケジュールを昨日ウェブから複写しておいたので、それをワードで読みやすいように編集したり、前置詞などを小文字で始まるようにしたりしていった。

 

 何箇所か誤りも見つけた。全参加者対象の講演が6回。パラレル・セッション(いくつもの部屋を利用して併行して行われる)の発表が210件、ポスター発表が23件、ワークショップが11件予定されている。

 

 自分は13日のワークショップを15時半から17時まで実施する予定。パラレル・セッションには2件の日本からの発表と1件の南アからの発表が入っている。

 

 14時から1時間ほどかけてTESCOへ買い物に行った。PCやタブレットの価格を見たり、食料品、お酒などを買ったりした。

 

 猛烈な暑さではなかったが、戻ると汗びっしょりだった。軽食を済ませてから、シャワーと洗濯をした。

 

 

20131111 月曜日

 5時半に起きて、7時半にオフィスに入った。

 

 8時前にサイエンス・ラボに行って、先週忘れてしまったはさみを回収した。また、TPDへ行ってPさんに航空券代の払い戻しの件と、木曜日の空港までの移動手配、先週のWSの評価表の写し(写しは直ぐに作らせてもらえた)をお願いした。

 

 A先生の授業をしばらく見学したり、先生に頼まれて写真を撮ったりした。

 

 L先生にお願いして、DNA紙モデルのテンプレートをカラー印刷機で出力してもらった。

 

 それからオフィスでテンプレートから塩基対を切り出す作業を始めた。しかし、集中できなくて、その作業は夕方に回した。(夕方に80枚の塩基対テンプレートを切り出し終わった。)

 

 13日のWS参加者へのおみやげにするために、竹とんぼやゴム動力ヘリコプターの部品作りを始めた。しかし、全部終わらなかった。

 

 内臓配置図のアクティヴィティ用にトレス用紙にカラーで印刷する必要があった。そこで、Dさんに手伝ってもらった。先日買った50枚のトレス用紙のうち40枚に印刷を始めた。しかし、トレス用紙がインクを直ぐに吸わないので、別の用紙に色移りしてしまった。49枚のトレス用紙を使って、なんとか25枚ほどは使えるものが印刷できた。(と思う)

 

 14時から第五回CoSMEd(理数科教育国際会議)の来場者受付が始まった。自分の名札はなかったが、プログラムなどは貰えた。とりあえず、RECSAMのタグを下げていればよいそうだ。

 

 13日のWSで演示する呼吸器モデルの材料や、浸透圧の実験用に必要なものをSさんの準備室からもらった。また、粘着テープやはさみも分けてもらった。

 

 17時前になっても、WSの準備はいっこうに終わらなかったが、無理をするより体調を整えることを優先して部屋に戻った。

 

 18時半からしばらく停電になった。懐中電灯を出して、長引いてもしのげるようにしたが、15分ほどで回復した。

 

A先生の授業

 

 

 

20131112 火曜日 CoSMEd初日

 4時50分に起床

 

 8時半から2年に一度RECSAMが主催するCoSMEd (理数科教育国際会議)の開会式が挙行された。第5回になる今回の参加者はマレイシア国内と15カ国から約400人とのことだった。2回の基調講演、6回の全体講演、210件の発表、23のポスター発表、11のワークショップが予定されていた。

 

 基調講演には参加。となりに座っていた女性(メキシコ人?)の写真機に不具合があり、発表者のスライドの画像をゆずって欲しいと頼まれたので、こちらの写真をメイルで送った。

 

 昼食後は、明日のWS準備。しかし停電。

 

 午後の授業研究シンポジウムにだけ参加した。その他の時間は明日のWS準備に使った。(パタパタ細胞分裂と減数分裂は参加者が型紙を直ぐに切れるように、かなりの切り目をカッターで入れた。)

 

 午後のお茶の時間に、タイ王国からの参加者が昨年メイルを送ったのに返事がなかったと言ってきた。彼女は、自分がRECSAMを出て南アに行った後に、自分の旧RECSAMアカウントにメイルしたからだと分かった。簡単な名刺のようなものを作って、晩餐の時に彼女に渡した。

 

 シティテル・ホテルで行われたCoSMEd 晩餐に21時半まで参加した。一人でタクシーを使ってIHに戻った。(翌日聞くと、23時まで続いたそうだ。)

 

 エリーナが南アに戻った。

 

CoSMEd開会前にショーの準備をするJ先生

 

RECSAM所長による開会の挨拶

 

J先生のショー開始 どうやって人をだますかの実例のひとつ

 

基調講演

 

お茶の時間(この後、電気の過消費でホールなどの冷房が何時間も使えなくなった)

 

授業研究シンポジウムの冒頭で挨拶するF先生

 

K先生

 

 

D先生

 

 

 

M先生

 

中央に2年前の自分が写っているスライドもありました

 

締めの説明をするL先生

 

CoSMEdの晩餐会 ジョージタウンのシティテル・ホテルにて

 

 

 

 

20131113 水曜日

 5時に起床。7時にオフィスに入った。

 

 まず、WS用の評価表を作って印刷した。

 

 いくつか参加したい発表があったが、全部諦めてWSの準備。紙DNAモデルの型紙を追加で折り曲げたり、浸透圧の実験用の半透膜の筒を作ったり、水レンズ顕微鏡を40台以上準備したり、顕微鏡で観察するタマネギの表皮を50%アルコールで処理したり、参加者のおみやげ用にゴム動力ヘリコプターを作ったりした。

 

 11時頃に航空券の代金を会計が準備してくれたので受領した。

 

 昼食時にA先生にPCはどこで買うのが安いか聞くと。KLIAの免税店よりペナンが安く、KL市内の方がもっと安いと言っていた。

 

 午後は、WS準備と併行して、オフィスの片付けも進めた。スーツケイスに自分のものを詰めたり、ゴミを整理したりした。

 

 14時半から少しずつ1階上のWS会場になる部屋に必要な物品を移動した。とても暑く、湿気があったので汗びっしょりになった。

 

 発表が続いていたが、部屋の隅に荷物を置かせてもらった。荷物の移動だけで45分もかかった。

 

 90分の予定のWSは15時30分ちょうどに開始。FLK先生の挨拶のあと、おもちゃ類の紹介。竹とんぼ(のようなもの)、ゴム動力ヘリコプターを参加者に配った。それから紙筒ロケットのデモ、ストロー・ホイッスル。

 

 WSの内容は浸透圧の実験例の紹介。簡易3D人体解剖図、パタパタ細胞分裂と減数分裂、紙DNAモデル、水レンズ顕微鏡。あらかじめ型紙を切ったり折ったりしたり、水レンズ顕微鏡は事前に作っておいたので90分の間に全てのアクティヴィティができた。(準備がたいへんだったが、参加者には喜んでもらえたようだ)

 

 17時からF先生と後片付けをした。

 

 17時半頃までにオフィスの整理も終わった。

 

 お茶の時間に参加してから(インドネシアの先生方から記念品をもらった。後で見ると見事なバティックの布地だった。エリーナに渡した。)コムタへ散髪と買い物に行った。

 

 19時半に部屋に戻り、ゆっくりした。

 

この発表の後、南アからペナン島まで来てくれた女性による発表があった。

 

DNAモデルの準備

(切り出して折り曲げた100枚の塩基対用紙を準備した。)

 

43個の水レンズ顕微鏡を作っておいた。

またタマネギの表皮切り出し、50%エタールに浸けておいた。

 

短時間でできる浸透圧の実験

半透膜のチューブと飽和食塩水、それに着色した水を使った。

 

WS前に置いてあった教材の写真を撮る参加者

 

F先生の開会の挨拶

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水レンズ顕微鏡のセッション

 

水位が上昇したのが分かる浸透圧の実験

 

 

タマネギの表皮細胞見えるかな?

 

 

20131114 木曜日 マレイシア出国 &

20131115 金曜日 南ア着

 5時半に起床。

 

 6時過ぎまで朝食をとったり、昨日の記録を整理したりした。

 

 昨晩シャワーと洗濯をしたあと、洗濯物をちゃんと絞らないで寝てしまったので、まだかなり濡れていた。15分ほどかけてアイロンをかけたが、乾かせなかった。

 

 その後、7時まであたふたしながら荷造りをしていった。(後で櫛とランドの小銭を忘れたことが分かった。)

 

 7時5分頃にM.Lさんの運転するRECSAMのプロウトンに乗って空港に向かった。一昨日の停電の件を聞くと、電気の過消費のためだったそうだ。

 

 工場街を抜けるときに少し渋滞にあったが7時20分頃に空港に着いた。

 

 KLIAまでの国内線は、7月に航空券を購入したときは、9時15分発と書いてあったが、この日の予定では9時5分発に変更になっていた。スーツケイスは少し心配だったが包んでもらうサーヴィスは受けなかった。(南ア着時に異常はなく安心した。)

 

 ほぼ定刻に離陸して35分の飛行でKLIAに着いた。

 

 保安と旅券検査を抜けて国際線の乗り場に移動した。シャワーを浴びられるホテルの場所や両替所、ゲイトなどの場所を確認して回った。

 

 ところが、あるチョコレート店で日本人ですか、と何度も聞かれて呼び止められた。1時間ほど前に買い物をした男性がド○モの携帯電話を忘れていったので、忘れたことをその電話を使って電話をかけて伝えて欲しいと頼まれた。

 

 お店の人は電話を開けてみたが、日本語が分からないので何もできないと言っていた。暗証番号を入れなければ使えないように思えたが、しばらくいじらせてもらっているうちに、メイルの履歴などが表示できるようになった。

 

 持ち主のアカウントが分かったり、勤務先への電話番号が分かったので、持ち主にメイルをしたり、東京に電話をかけてチョコレート店が携帯電話を預かっていることを伝えた。(ただし、自分の携帯電話からKLIAの無線LANに接続すると時間がかかり過ぎたので、PCを出して接続し、PCからメイルを送信した。(30分以上かかったかも?)

 

 お店の人に持ち主の名前などのメモを残した。また、持ち主には、お店の電話番号もメイルで伝えた。

 

 店員さん達はとても喜んでくれた。お礼に小さなチョコレートの箱と陶器のコップをもらった。

 

 KLIAからドバイまでの便は19時半発だったので、かなり永く待った。しかし、足裏マッサージを受けたり、空港内のホテルでシャワーを浴びたりすることができた。(以前より高価になっていた。)

 

 KLIAを発つ前にメイルを調べると、携帯電話の持ち主から返信があった。その件をお店の人に伝えると(またもや)とても喜んでくれた。(15日にメイルを調べたら、すでにKLの支店の方が、チョコレート店に行って電話を回収できたと返信があった。安心安堵。)

 

 昨日受け取った航空券の代金は、交換比率は悪いが米ドルに替えた。そのお金とカードを使ってドバイの免税店でTohibaのラップトップと小さいタブレットを二つ買った。タブレットの一つはムワンバ用。

 

 OR Tamboには10時40分に着陸した。

 

 ハウトレインとタクシーで移動してMilner 246に14時前に着いた。

 

 シャワーと洗濯をしてから、ラップトップの設定を始めた。しかし、何箇所か間違えたので後で修正が必要だった。特に鍵盤の設定の誤りのため非常に使いにくくなってしまった。

 

 17時前に、ブルックリン・モールへ行って夕食を買った。

 

新装なったペナン国際空港(2年前は改装中だった)

 

KLIAからドバイまではエアバスA380に搭乗

 

ヨハネスブルグとプレトリアを結ぶ高速鉄道ハウトレイン

 

 

20131116 土曜日

 マレイシア時間で6時半、南ア時間で0時半に目覚めた。なんとか当地の時間で3時まで眠り続け、それからラップトップの設定の続きを始めた。

 

 母の誕生日なので、日本に電話をかけた。

 

 とても芸術的な朝食を8時過ぎから食べることができた。

 

 11時前までラップトップの設定を続けた。

 

 エリーナとニザが迎えに来てくれたので、宿の主人のVさんにお礼を行ってRoodepoortに向かった。

 

 アパートに着いてから、おみやげを二人に渡したり、少し荷物の整理をしたりした。

 

 午後は、ニザとノースゲイトまで出かけたり、ニザがブライで焼いてくれた肉で夕食を食べたりした。

 

 ラップトップの設定作業を続けたが、20時半頃になって諦めた。高速回線がないのと、OSの使い勝手が悪いためだと思った。

 

 

 

20131117 日曜日

 6時前にベッドから出て、準備を始めた。

 

 8時過ぎにニザが朝食を作ってくれた。

 

 ニザは今月末から新しいアパートへ移動するために、書類を持ってエイジェントに会いに行った。

 

 エリーナとニザの車の件で少し相談した。

 

 ニザは9時半頃に戻ってきた。相談の内容を伝えてから、車に荷物を移し、10時に借家を出た。

 

 給油をしてから高速道路に入り、12時少し前にエヴァンダーのショップライトに着いた。最低限の食料品を買ってからOsizweniに向かった。

 

 部屋に入ると、小さなムカデの死骸が10体ほど床に転がっていた。また全てが砂埃でおおわれていた。

 

 1時間ほどかけて掃除をした。

 

 14時半頃にMNさんとVさんをエンバレンレの教会近くまで送っていった。

 

 食事を作って食べてから、入浴と洗濯を済ませた。

 

 夕方にDさんが本部棟に入りたいので鍵を借りたいとやって来た。後で聞くと本部棟の玄関が開けられず、緊急医療サーヴィスの入り口から入ったとのことだった。(翌日に理由が分かった。)

 

 

20131118 月曜日

 3時半頃に目が覚めて、4時前に起き上がった。

 

 喉が痛く、体中に蕁麻疹が出て軟膏をつけなければならなかった。念の為にアスピリンと抗生剤をとった。

 

 昨日買ったチキンを使って味噌汁のようなものを準備しながら、アイロンがけをした。

 

 朝食の後、なんとかマレイシア往復に関する記録の概要をまとめ終えた。

 

 オフィスには、使わなかった教材の部品などを持って車で移動した。

 

 本部棟に入ろうとすると、玄関のパッドロック(南京錠)のシリンダー錠が抜け落ちていた。開けることは不可能だったので、本部棟の一部を使っているムプマランガ緊急医療サーヴィスのブロックから中に入った。

 

 しばらくすると、Pさんが金ノコでパッドロックを壊していた。15分ほどで錠は完全に破壊されて、玄関から出入りができるようになった。

 

 車から荷物を下ろした。それらを整理するのに2時間ほどかかった。

 

 ドバイで買ったPCOSをアップデイトする作業をさせながら、関係者と挨拶したり、教材の整理を続けたりした。

 

 同僚の一人が携帯電話に保存されている孫の写真を印刷して欲しいとオフィスに来た。幸い、マレイシア滞在中に保存したソフトウェアが有効で印刷することができた。目が綺麗で顔立ちの整ったかわいいお孫さんがバレーの衣装をつけた写真だった。

 

 この後の作業には、DVD版のMSオフィスが必要なこと、タブレット用にマイクロSIMカード、マイクロSDカードが必要なことが分かった。

 

 10時半にエヴァンダーに向かった。DSTVの12月分の利用料を納めてから、セクンダに移動した。PC店でOfficeの廉価版最新版が欲しいと聞くと、明日にならなければ入荷しないとのことだった。

 

 そこで、旧モールから新モールまで歩いて行って、新モールにあるPC店でSDカードのことやMICO

SIM カードのことを聞いた。

 

 彼らは親切に対応してくれて、MSオフィス(約1.3万円)と、16GBのマイクロSD(約3000円)を購入した。

 

 Vodacomのブランチに行って、使っていたSIMカードをマイクロSIMに変更してもらった。R100かかったのと、3時間待つことが必要だった。

 

 オフィスに戻ってから追加のPC設定作業やタブレットの設定を続けた。

 

 今日できた報告書作業は、WSの評価表の一部を整理することだけだった。

 

 

 

inserted by FC2 system