20143月の記録 後半

20140314 金曜日 サイフェスト・アフリカ・2014 三日目

 2時40分に起きて3時からのインタヴューに備えた。しかし、3時を過ぎてもスカプはつながらず、数秒間先方の歪んだ画像が見えただけだった。30分ほどして、こちらからRECSAMICT室に国際電話をかけた。

 

 先方でもネットワークの不調が分かった様子で、月曜の7時45分(南ア時間で月曜早朝の1時45分)に変更と確認しあった。

 

 6時半前にベッドを出た。朝食のあと寝間着代わりにしている服を洗った。

 

 9時に宿を出て9時15分からWSの準備を始めた。Dさんにはかざぐるまの作り方を教えて、作れるだけ作ってもらった。(おそらくこの日だけで50個ぐらいは作ってくれたようだ。作った分は関心を持ってくれた来場者に配った。)

 

 こちらは、2回のWS用の材料の準備を済ませてからゴム動力ヘリコプターの組み立てをしていった。約20台できたと思う。それらも全て配ってしまった。

 

 12時からのWSは参加者20名(保護者を加えれば21名)、14時からの回は9名が参加した(保護者を加えれば11名)。

 

 2回目のWSの後、隣接する部屋に有名なラジオ・プレゼンターが来たようで、彼を一目見ようとする子供達でごったがえした。

 

 影響を受けないうちに退散しようと急いで荷造りをした。

 

 買い物を済ませて16時過ぎに宿に戻った。三日続けて同じ寿司を買った。

 

 DさんはScifest Africa 2014の公式開会式に出かけて行った。

 

 

 

 

 

準備から撤収まで座る場所がないので、少し疲れる。

 

 

この回に参加した赤い服の女の子は昨年も参加してくれた。私を覚えていると聞いてきた。

記録してあった写真を調べたら、昨年よりとても背が高くなっていた。

来年も来て欲しいと頼まれた。

 

昨年の写真

 

 

20140315 土曜日 サイフェスト・アフリカ・2014 四日目

 6時半に起床。9時に宿を出た。

 

 主会場で荷物を下ろした。Dさんは知人に会うために会場を出て移動した。

 

 浮沈子とレンツの法則セットを来場者に使ってもらえるように準備したり、OsizweniWSが12時からと14時から行われるお知らせの紙をブース前に掲示したりした。

 

 12時のWSまでに竹とんぼ、ロト・コプター、ゴム動力ヘリコプター(追加のプロペラ作成が必要だったため、15台しかできなかった。)などを作ってブース前を通った来場者に配った。

 

 12時からのWSは20名、14時からのWSには22名の参加者(引率者を除く)があった。

 

 15時前に荷物を詰め終わり、主会場を出た。買い物などを済ませて宿に戻ったのは15時半だった。少し涼しいほどの温度だったが、外は一日中晴だった。

 

 夕食は四日続けて同じ寿司と、もやしとネギを入れたインスタント麺にした。

 

浮沈子で遊ぶ来場者

 

左側の緑の服の少年は色々質問してくれた。

そして最後に丁寧な感謝の挨拶をしてくれた。

 

この回の引率の先生(左端)はとても礼儀正しい方だった

 

 

20140316 日曜日 サイフェスト・アフリカ・2014 五日目

 6時過ぎに起床。身支度をした。K氏の書類に少し手を入れて、送信した。腰の右側が痛くなってきた。

 

 9時に宿を出て主会場に入り、紙筒ロケット用の部品を切り出す作業を1時間半ほど続けた。Dさんには口紅タイプの糊を5本買ってきてくれるように頼んだ。(しかし、9本買ってきた。R105かかった)結果的に、この9本でWSの作業が楽になった。

 

 その後、おもちゃ用のプロペラを準備した。この日は最終的に約30個作ることができた。

 

 準備中にステイプラーの不具合も直せた。1台は不良品で廃棄することにした。

 

 12時からの回の参加者は、保護者も入れて19名、14時から回の参加者はロケットを作ってくれた保護者を入れて14名だった。

 

 14時の回では、ヴィデオの撮影が入った。

 

 参加者の半分ほどは、予定していた年齢より幼く、保護者が一緒にロケットを作ってくれて助かった。(保護者の方が喜んでいたようにも見えた。)

 

 15時前から片付けを始め、宿には15時45分頃に戻れた。

 

 外は風が弱く、日中は晴だった。(夕食は昨日と全く同じ。)

 

 

自分では作らずにお父さんに全てを任す娘さん達?

 

どう見てもお父さん達の方が熱心でした、

 

 

 

 

 

20140317 月曜日 サイフェスト・アフリカ・2014 六日目

 1時半に起床。1時45分から予定されていたカイプでのインタヴューに備えた。しかし、携帯電話のネットワークが落ちていて、全く交信ができなかった。1時間ほど経って接続が一時的に確立した。しかし、マレイシア側の副所長らが不在のためインタヴューは延期になった。

 

 ウイスキーを飲み直して、しばらくウェブのチェックをしてから3時過ぎに眠った。6時半前に起きて出かける準備をした。

 

 9時に宿を出て、9時5分過ぎに主会場に入った。

 

 まず、糊でベタベタになっていたWS用のテーブルを拭いた。Dさんも熱心に手伝ってくれた。

 

 紙筒をできるだけ沢山作った。28個の在庫ができた。

 

 マジック・ビーン、簡易ウインド・カーのサンプルを準備した。竹とんぼを約10個、ゴム動力ヘリコプターは20台追加で準備した。

 

 準備をしていると、研究者にインタヴューするジャーナリズムの課題があるという中等学校生がしつこく質問してきたので、いくつかの教材を見せて説明した。

 

 また、本職の記者さんが息子さんと一緒にきて取材をしていった。

 

 12時からのWSは合計18名の参加者があった。開始時には11名だったが、7名が遅れて来た。そこで、既に作ってあった紙筒を渡し、彼らには安定翼作りから始めてもらった。

 

 14時からの回は、30分ほど予定時刻を過ぎてから21名の女子生徒が集まった。引率の先生は数枚写真を撮った後どこかへ行ってしまった。

 

 時間が押していたため、まず安定翼作りから始め、紙筒は午前中に作っておいたものを女子生徒全員に渡した。また、緩衝部分(ショック・アブソーバー)も簡略なものにした。

 

 短時間で済ませたWSだったが、女の子達は何度もロケットの発射を楽しんでいた。(引率の先生は子供達の様子を見守るべきだったと思った。)

 

 15時15分頃までに片付けを済ませ。買い物の後16時過ぎに宿に戻った。スーパーで水菜のパックを買った。

 

 朝は肌寒かったが、午後は暑いほどだった。降雨の無い一日だった。

 

 お腹を壊したおかげで、洗濯物に時間を取られた。

 

 

 

 

 

20140318 火曜日 サイフェスト・アフリカ・2014 最終日

 6時半に起床。9時に宿を出た。

 

 11時まで紙筒を作るなどの準備をした。Dさんも手伝ってくれた。30筒が準備できた。

 

 その後、10分ほど館内を回って写真を撮った。それから紙飛行機を外で試射した。比較的良く飛んでくれた。

 

 12時からのWS参加者は22名、14時のWSでは16名だった。(いずれも引率者を除く)遅れた参加者のために、事前に作った紙筒が役だった。(7日間で合計261名の参加者があった。)

 

 近くでWSをしていた方が一緒に写真を撮って欲しいとやってきたり、教育省の名札をつけた人が、紙筒ロケットに興味を持ってくれたりした。

 

 15時半に主会場を出て、買い物などの後、16時半に宿に戻った。明日は9時半には宿を発ってポート・エリザベスに向かう予定。

 

翩翻と翻る日章旗

 

主会場入り口

 

 

この日の準備の様子

 

事前に作った紙筒

 

 

 

 

 

午後の航空ショウ

 

ほとんどの写真はDさんが撮影、雲ひとつ無い快晴だった

 

 

20140319 水曜日

 6時20分に起床。約10時間眠れた。

 

 7時から約1時間かけて荷造りをした。手提げ鞄には残っていた紙の教材を入れた。

 

 荷物はそれほど軽くならなかった。(空港で計量したスーツケイスは20キロだった。)

 

 宿を9時15分に出発。R100分(7.1リットル)だけ給油してポート・エリザベスに向かった。

 

 空港のレンタカー返却所には11時5分に到着した。

 

 飛行機は定刻の12時55分から約30分遅れて出発。ヨハネスブルグのOR Tambo国際空港には14時50分に着陸した。

 

 Mz君が迎えに来てくれた。空港を15時半に出発。途中で買い物をした後Osizweniに向かった。Osizweniのゲストハウスには17時半に到着した。

 

 同僚に挨拶してから部屋の掃除をし、冷凍してあった焼き飯と味噌汁で夕食にした。

 

九泊お世話になった宿

タブレットのレンズが汚れていてひどい写真しか残せなかった

 

 

20140320 木曜日

 5時20分に起床。シーツ類を洗った。オフィスには7時過ぎに入った。

 

 出勤してきた同僚と挨拶を交わした。メイルを確認するといくつか重要なものがあった。

 

 ネルソン・マンデラ・ベイ・科学・技術・センターで撮った写真とヴィデオ及び、サイフェスト・アフリカ中の写真を共用ドライブに複写した。

 

 なかなか報告書作りに集中できず、紙飛行機の試射で時間をつぶしたりした。

 

 所長にK氏が来週来館して展示車両の作業をしたい希望がある旨を伝えた。また調整員さんが今日来ることの確認をとった。

 

 展示車両の作業の許可を得たり、調整員さんの来館時間を伝えたりしたあとに報告書の作業を始めた。

 

 調整員さんは11時10分にオフィスまで来てくださった。すぐに所長と種々の打ち合わせをされた。その後、少し話をして12時半にプレトリアに向かわれた。

 

 16時半頃までネルソン・マンデラ・ベイ・科学・技術・センターでのサイエンス・ショーの報告書作りをした。幸い、この日のうちに概要は仕上がった。(明日以降、サイフェスト・アフリカの報告書を作らなければならない)また、紙筒ロケットの資料を関係者3名に送信した。

 

 夕方、エヴァンダーまで買い物に行った。ネギ、トイレット・ペイパー、ワイン、ベイコンを買った。

 

 

20140321 金曜日

 6時半に起床。8時半にオフィスに入り、PCを鞄に入れた。8時45分にOsizweniを出て、Sasol N17給油所でR400分のガソリンを入れた。

 

 Honeydewの借家に10時30分に着いた。エリーナと今後の打ち合わせをしたり、ニザの口座にお金を送金したりした。借家の鍵もエリーナに渡してきた。

 

 11時20分に借家のあるコンプレックスを出てムプマランガに向かった。朝給油したN17のサソル・プラザには12時50分に着いた。R250分だけ給油してからセクンダに買い物に行った。

 

 ウイスキー、ワイン、トマト、タマネギ、鶏肉、乾し肉などを買った。しかし、いつも買っているインスタント麺が品切れで買えなかった。

 

 Osizweniに戻るとBさんが教会に出かけるところだった。彼女をエンバレンレのモールまで送っていった。

 

 部屋に戻って、いつものように掃除をしながらお酒を飲み始めた。鶏肉入りのインスタント・カレーを作って夕食にした。

 

 NMB Science & Technology Centreでのサイエンス・ショーの報告書はほぼ仕上がった。

 

 雨降りではなかったが、一日中曇りがちの日だった。

 

 

20140322 土曜日

 6時に起床。8時15分にオフィスに入った。

 

 今日と明日中に何を済ませなければいけないかメモを書いたら少し気持ちが楽になった。

 

 お昼前までサイフェスト・アフリカの報告書作業を続けた。特に画像の準備やヴィデオからの画像取得に時間がかかった。

 

 ニザに追加のお金を送ったり、DSTVの追加支払い(200円分)をセル・フォン・バンキングでしたりした。

 

 オフィスに16時前までいて、サイフェスト・アフリカの報告書の半分ほどは仕上げることができた。

 

 サイフェスト・アフリカの報告書の最後の部分用に日本語で下書きを書いた。

 

 

20140323 日曜日

 5時前に起床。1時間ほどかけて昨日書いた日本語の下書きを英語に直した。その後、8時10分にオフィスに入った。

 

 午前中にサイフェスト・アフリカの報告書はほぼ仕上がった。またRECSAMに送付する二つの書類も準備できたので、送信した。

 

 報告書を繰り返し読み返しながら、少しずつ修正していった。またフェイ○ブックにもイースタン・ケイプでの行事の写真の写しを移動した。

 

 今日中に終わらせなければならない作業が一段落したので、13時前に部屋に戻った。報告書類は、明日同僚に英語を点検してもらってから関係者に送付すればよい。

 

 一日中穏やかに晴れて、屋内は暑いほどだった。しかし、冬が近づいているせいか、床が冷えてきてはだしでいるのは体に良くない季節になってきたようだ。

 

 

20140324 月曜日

 4時45分に起きると、コンセントへの給電が停まっていた。調理用ストーブから緊急用に引き出している延長コードに照明と冷蔵庫のプラグを差し込んで朝の準備をした。

 

 コンセントへの給電は6時40分に回復した。同じ棟の学生がブレイカーを戻したのだろう。

 

 7時に部屋を出てオフィスに入った。メイル類をチェックしてからDさんに報告書の最終版を点検してもらった。

 

 彼の了解を得てから、NMB Science & Technology Centreでのサイエンス・ショーの報告書と、サイフェスト・アフリカ2014の報告書を関係者に送信した。新聞社には昨日選んでおいた写真を添えてメイルを出した。

 

 送信先のうち、三件から返信を得た。

 

 日本語の報告書の一部を直すことにし、変更部分を事務所に送付した。

 

 また、4月の表敬訪問などで使う発表用の資料を作った。

 

 マーケティングに頼まれて、新しく買う写真機に関する助言を求められた。ウェブで資料を集めて渡した。(自分が今使っている写真機の後継機を勧めた。)

 

 K氏から連絡があり、水曜と木曜にOsizweniに泊まって、展示車両の作業をしたいとのことだった。所長の承諾を得た後、午後にメモランダムを作って関係者のサインを集めた。

 

 J氏とレポートの書き方研修会の相談をした。今のところ木曜日の午前中の予定。

 

 金曜日のナノテクノロジー・デイは、学校の学期の最終日と重なるので何名が参加希望となるか不明。

 

 明日は、今年の全国科学週間の打ち合わせがある予定。また、後任のボランティアの方が成田を発たれた。

 

 早めに退勤して、エヴァンダーまで買い物に行った。ワイン、ウイスキー、桃、トマト、ベイコン、インスタント麺、トイレット・ペイパーを買った。

 

 風向きの関係で、朝から夜まで、ゴミ捨て場でゴミを焼いている煙がゲストハウスに向かって流れてきてとても不快だった。

 

 ニザがエリーナの帰国用バス切符を購入し、そのイメージを送信してくれた。事務所に転送した。

 

 

 

20140325 火曜日

 2時過ぎにK氏のガソリン代と食費が振り込まれたとSMSがあった。

 

 5時に起きると、またコンセントへの給電が停まっていた。緊急用に配線し、洗濯機も動かしてシーツ類の洗濯をした。

 

 7時過ぎにオフィスに入った。4月の表敬訪問などで使う発表資料を仕上げた。また、ゴムで飛ばす紙飛行機の試作を4機した。2機は駐車場の屋根に引っかかった。

 

 10時からMpさん、出産したばかりのAnさん(特別に来てもらった)、Gさんと今年の全国科学週間(NSW)の提案書の打ち合わせをした。書式が全く変わってしまったので、昨年の書類を手直しして出すことはできない。また、エク○ルの書式で予算もSAASTAに提出しなければならない。しかも、締め切りが今週金曜日の午前11時ということだった。

 

 Anさんが書類作り上で留意すべきことを整理してくれた。しかし、理数科行事についてはスペシャリストが書類を作る必要があった。

 

 NSWの目的は、提案組織が作るのではなく、SAASTAから指定されたものになった。4つの目的に見合うように行事を分類しなければならない。

 

 Gさんと14時から打ち合わせをすることにし、それまで新書式を点検した。書式にはプロテクトがかかっていたが、それを外して自由に入力できるようにした。また、T氏が昨年作った提案書から今年にも使える行事を新書式に少しずつ移していった。この日は四分の一しか作業できなかったが、明日の午前中には終わらせたい。

 

 また、GさんとMk君に遅ればせながらストロー幾何モデルの作り方を教えた。なかなか興味を持ってくれたようだった。

 

 明日の書類作業に備えるために、16時半に退勤して部屋に戻った。

 

 後任のN様と少し電話でお話ができた。

 

 在留届電子届出システムを使って帰国届を出した。

 

 

20140326 水曜日

 5時に起きると、この日もコンセントへの給電無し、7時過ぎにオフィスに向かった。

 

 ニザからナビに関する電話があった。ナビが買える十分なお金を送金した。

 

 NSW提案書の作業を始めてしばらくすると、Gさんがある小学校の先生が集会よりかなり早く来てしまったのでオフィスの見学を許してくれるかと言ってきた。

 

 しばらくして、中年の知的な感じのする白人婦人の訪問があった。いろいろ感心してもらえたようだった。

 

 午前中に自分の担当する分のNSW提案書の準備が終わった。

 

 13時からスタッフ会議があると伝えられていたので、メモ用紙などを持って、遅れないように行こうとすると、Zさんが私を待って一緒に行ってくれと言った。

 

 会議ではなく、お別れ会だった。会の後に展示車両に手を加える作業をするためK氏がネルスプリットから到着した。

 

 お別れ会の後、提案書の内容をSAASTA指定のNSW目的別に並べ直した。これはP氏とDさんにほとんどやってもらった。

 

 PCに先ほど手作業でした並べ直しを入力した。

 

夕方K氏と中華料理店へ行った。Osizweniに戻ってからメイルを確認すると、事務所のマ○アさんから来週の車譲渡に関する連絡があった。

 

全職員が出席というわけにはいかなかったが、

いろいろなスピーチを聞いたり、こちらから感謝の言葉を伝えたりすることができた。

 

 

20140327 木曜日

 5時15分に起きると久しぶりにコンセントが使えた。

 

 7時前に部屋を出たが、用心のため冷蔵庫には調理用ストーブから取った延長コードで給電しておいた。

 

 オフィスに入ってから自家用車のRC1とMLV1書類の写真を撮り、事務所に送付した。また、別の手続用書類も作って送信した。

 

 8時過ぎからK氏はサイエンス・センターで展示車両の作業を始めた。

 

 こちらは9時からNSW提案書の予算に関する作業の打ち合わせが入っていた。

 

 9時から11時半頃までかけてやっと2つのアクティヴィティに関する予算案ができた。(この時残りのアクティヴィティ数は27だった。)ところが、書式への入力上などの問題があり、それをどうやって解決するかが課題になった。

 

 しばらく議論していたが、明日締め切りの提案書はサイエンス・センター以外の団体用のものだということが分かった。(書類の2頁目の下に特に強調されずに書かれていた。)同僚2名がその書類の説明会に参加していたため、我々にとってのデッドラインも明日を思い込んで作業していた。

 

 この作業は、別に書式などの連絡や締切日が指定されるまで延期となった。

 

 午後はサイエンス・センターにK氏の作業を見に行った。その後、所長に明日1時間のWSをしたいと提案したところ快諾された。9時半から1時間の予定。できるだけ多くの所員に参加してほしい旨の連絡を送信した。(ナノテクノロジー・デイはすでにキェンセル)

 

 サイエンス・センターではモデル・ラボの撮影用に来館してもらった中等学校生と先生がK氏による展示車両の説明を熱心に聞いていた。また、BWの運転席に座っては、代わる代わる写真を撮っていた。

 

 K氏の説明やデモをとても喜んでくれたようだった。

 

 外出の前に部屋に戻るとコンセントからの給電が止まっていた。冷蔵庫へ緊急用の電気を流しておいてよかった。

 

 夕食はセクンダのオーシャン・○スケットにした。刺身のようなマグロとサケの入ったサラダ、寿司(のようなもの)とチップスを食べた。満腹になった。

 

 19時半過ぎにコンセントから電気が取れるようになった。

 

右側の扉はパワー・ウインドウの仕掛けが見えるようにした。

 

ダッシュボード下の前部制御ユニット

 

エンジン・カバーの一部を切り取り、その部品をエンジンにつないだので、カバーを外してもエンジンが正常に動くようになった。

 

 

20140328 金曜日

 5時30分に起床。コンセントは使えたが7時に出かける時には冷蔵庫には非常用の給電をしておいた。

 

 写真をいくつか印刷してから同僚に渡した。また、クリーナーさんの一人から携帯電話に保存されていた写真の印刷を頼まれたので、それを業務用PCに移してから印刷した。

 

 D氏にモデル・ラボに通じている鍵束が欲しいと頼んだら、パーミッションから取って来てくれた。オフィスでK氏と合流し、サイエンス・センターへ移動した。

 

 9時半からのWSに備えてK氏は準備開始。こちらはモデル・ラボの倉庫から古いオシロスコープ、電線類、電源装置、小型のスピーカーなどを集めてきて、展示車両の近くでオシロスコープが使えるか確認した。

 

 どの機器も問題無く作動した。スピーカーはマイクロフォンの代わりとして利用した。

 

 準備中に実験用の電源装置を使えば、後席のパワー・ウインドウが動かせるかもしれないと思いついた。K氏がDCモーターに電源を直結すると希望通り窓が開閉できた。

 

 WS開始予定の9時半になってが同僚の誰も来ないので、本部棟へ行って参加を求めた。最終的に男性4名が参加してくれた。

 

 WSの後、K氏と打ち合わせて、後席の窓を開閉させるスイッチを付けることにした。

 

 オフィスに移動してK氏に、一昨年にAfrobot関係者からもらったスイッチを見せたところ、これを使って後席のウインドウが制御できるだろうとのことだった。そこで、K氏の車でトリチャードまで往復し、追加で必要なパーツを買った。

 

 Osizweniに戻ると所長がプレゼンテイションと外出の準備中だった。K氏とともにWSの報告と、後席の窓を電源装置からの直流で開閉可能にする作業を午後に行いたい旨を伝えた。所長は了承し、午後はその作業に集中することになった。(K氏の滞在は一泊伸びた。)

 

 オフィスでマレイシアからのメイル(月曜午前3時からインタネットを利用して面接予定)に返信し、K氏はサイエンス・センターに移動した。

 

 こちらはBさん(帰国前にはもう会えないので、このミッションでは会えるのは今日が最後)をエンバレンレのタクシー・ランクまで送って行った。

 

 オフィスに戻ると、Sさんが職員全員に配っているというジャンパーを持ってきてくれた。サイズはSだが十分大きかった。袖を通しても痒みは無く、着られそうだったので受け取った。

 

 本部棟外側の塗装作業のため、本部棟内にも有機溶媒の匂いが充満していて困った。そこで、14時半にはサイエンス・センターに移動してK氏の作業を見守ったり、手伝ったりすることにした。

 

 K氏はスイッチのつなぎ方を検討していたが、最終的に解決策が見つかった。作業と片づけが終わったのは18時だった。コンセントから取った電気を実験用電源装置に通して右側後席の窓の開閉が可能になった。ただし、安全装置は働かない。

 

 その後、少しトラブルがあったが、K氏に自分の車の運転席側と助手席側にある窓の開閉ハンドルを交換してもらった。

 

 19時過ぎにK氏の車でセクンダの中華料理店に行った。Osizweniに戻ると21時10分前だった。

 

車内の超高速通信などについて説明中

 

レイン・センサーの説明

 

 

交流波形を表示中

 

 

 

 

新しく付けた右後部扉の窓開閉スイッチ

 

 

 

20140329 土曜日

 6時に起床。8時にオフィスに入った。

 

 展示車両関係の出納帳を作った。領収書を一枚部屋に置いてきたので、取りに戻った。

 

 オフィスに戻るとK氏も作業していた。

 

 K氏からエンジン展示の参考写真をもらった。

 

 K氏には27日からの写真データ、教材類の資料と実際のサンプルを渡した。K氏は9時40分頃にOsizweniを出てネルスプリットに向かった。

 

 K氏が使っていた部屋から照明、寝具類を回収し、部屋の洗濯機で毛布を洗い始めた。

 

 洗濯機をそのままにして、オフィスに戻り展示車両作業の報告書を作っていった。(DST○とE-to○lのバランスをウェブでチェックしようとしたが、登録が必要でいずれもできなかった。)

 

 13時頃まで報告書作業を打ち切った。記録すべき部分は書けたが、明日はこれからどのように展示車両を使うかについてまとめる必要がある。また、帰国に備えてオフィスを引き渡す準備もしなければならない。

 

 午後、セクンダの新モールまで買い物に行った。これまでで一番の混雑でびっくりした。

 

 夕食は、水曜に買ったテイク・アウェイの残りと、味噌汁だった。

 

 

20140330 日曜日

 6時50分に起床。シーツ類の洗濯をした。枕も洗ったら、中からスポンジや布が少し飛び出してしまった。

 

 9時半にオフィスに向かった。報告書作業を開始。12時過ぎに一段落したので、K氏に下書きを送信した。

 

 サイエンス・センターに移動して、オシロスコープなどの片づけをしたり、展示車両からはがしたカバー類を倉庫にしまったりした。

 

 K氏と電話で連絡を取り、パーツ類の英語名を確認したり、報告書の内容について相談したりした。

 

 部屋に14時過ぎに戻り、シーツ類をしまい、食事の準備をした。カレーのようなものとご飯を準備した。

 

 

20140331 月曜日

 報告書を再読してから関係者に送信した。

 

 10時に後任のN先生が到着された。所長が不在だったので、オフィスで調整員さんを交えてしばらく話した。特に安全上のお話をした。

 

 所長が出勤してきてからしばらく、打ち合わせをした。それから居室などの点検の後、Btさんを一緒にセクンダの自動車登録所へ行った。

 

 すでにN先生は事務所で書類を作っていたので、手続きは無事に完了して自動車の名義変更ができた。しかし、自動車検査を21日以内に受ける必要があるとのことだった。

 

 一度Osizweniに戻ってから今度は自動車保険の手続きをするためにBtさんに電話をかけてもらった。後で自分の携帯電話に電話があると伝えられた。

 

 携帯電話に保険会社から電話がかかってきたが、しばらく話しただけで切れてしまった。17時前まで待っていたが結局電話はなかった。再びセクンダまで行って中華のテイク・アウェイを買ったり、N先生用の日用品を買ったりした。

 

 時々小雨が降る一日だった。

 

 夜、昨年11月にドバイで買ったPCのデータをバックアップした。しかし、その直後にHDがクラッシュした。

 

 

20140401 火曜日

 5時起床。PCが復旧できないか試みたが、HDからは異音しかしないので諦めた。7時にオフィスに入った。8時過ぎから全職員の集会があり、新職員の紹介と所長の講話があった。

 

 9時15分にOsizweniを出てセクンダの自動車点検所へ移動。3時間ほど待って自動車検査開始。検査の後、修理すべきところを指摘された。14日以内に修理して再度検査を受けなければならない。

 

 その後、地元の新聞社を訪問。D記者と話したり写真を撮られたりした。

 

 14時からオフィスの片付け16時半までかけて大体のものはN先生の部屋に移動したり捨てたりした。

 

 

20140402 水曜日

 5時に起床。6時半までに食事と部屋から移動するもの、スーツケイスにいれるものなどの準備が終了。N先生にすぐに使ってもらえるものを渡してから、部屋を出て7時にオフィスに行った。かなりのものを捨てた。

 

 オフィスの最後の整理を9時頃までに終わらせることができた。教材などの材料はほとんど新しいN先生のオフィスに移動した。

 

 マレイシアからメイルがあり、スペシャリストとして勤務できる旨が書かれていた。しかし、メインのPCがクラッシュしたので、必要書類の送付は遅れるかもしれないと返信した。

 

 業務用PC内の個人資料、メイルなどはすべて削除し、ディスクの不要ファイル削除と断片化の解消操作をした。そのあと業務用PCICT担当のJさんに直接返却した。

 

 11時半に事務所からの迎えが到着。11時45分にOsizweniを出た。プレトリアの宿に13時半前に到着し、荷物を下ろした。宿の方がとても丁寧に部屋の使い方を説明してくれた。昨年7月に使ったのと同じ部屋だった。

 

 事務所に移動して、事務所のPCに活動報告の資料を移した。14時半にK氏と事務所を出て科学技術省(DST)へ移動した。DSTではしばらく会議室で待たねばならなかった。

 

 15時25分から16時15分までKoさんに活動報告をしたり、教材のデモをしたりした。紙筒ロケットの試射もしてもらった。

 

 その後、一旦事務所に戻ってからKさんの車で買い物をした。

 

 夕食はもやしと卵をいれたインスタント麺にした。

 

 宿では、Wi-Fiが使えた。また、Linixを使えるようにしてあった古いPCでもウェブが使えたので助かった。

 

 

 

20140403 木曜日

 7時まで眠った。8時に朝食。その後、迎えがくるまで記録の整理などをした。

 

 所長との面談11時から25分間。

 

 飛行機のウェブチェックインをしようとしたが、システムエラーばかり表示されてできなかった。

 

 大使館での報告14時から14時35分。

 

 一度宿に戻ってから洗濯、シャワー、昼寝をした。

 

 18時15分から21時前まで中華料理店で会食があった。

 

 

20140404 金曜日

 6時に起床。7時15分に宿を出て、ミルナー246へ行った。Vさんの宿での朝食を堪能したり、写真を撮ったりした。

 

 9時15分にブルックリン・モールへ向かった。FNBで日本への送金をした。とても好意的に対応してもらえた。

 

 11時前に宿に戻ってからゴム動力ヘリコプター20台、竹トンボ20台を作った。

 

 14時5分に事務所からの迎えの車が着いた。教材類をもって事務所に移動し、14時30分から約45分間活動報告をした。教材は事務所の方々に渡した。

 

 16時に事務所を出て宿に戻り、インスタント麺を茹でて食べた。荷造りの仕上げは、明日の朝のつもり。

 

 

20140405 土曜日

 4時に起床。荷物整理をして、捨てるものを選んだ。宿の方に、衣類やクラッシュしたPCを置いていくことを伝えて現物も見てもらった。7時からシャワーを浴びた。

 

 8時15分に迎えのレンタカーに乗って宿を出た。8時45分にはOR Tambo空港に到着した。

 

 チェック・インを済ませ、すぐにセキュリティ、旅券チェックを抜けて搭乗便の待合所を確認した。飛行機は定刻に出発した。ほとんどの乗客が中国人だった。

 

 

20140406 日曜日

 香港をCX548便は定刻に離陸。時速200キロを超える追い風で最高対地速度が時速1145キロ。予定時間より45分早く羽田着。旅券チェック、荷物受取の後、税関を抜けてバスの切符売り場へ移動した。

 

 

 

 

 

4月9日のRidge Times (日付は4月11日)

 

 

4月9日のRidge Times (日付は4月11日)

 

 

2月26日付け Zululand Observer (Webで見つけた。)

 

 

3月18日付けの Herald Live (こちらもWebで見つけた。)

 

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